第8話 初めてのトモダチ
シルヴィアとシュラの毎日は続いた。それは稽古とケーキの積み重ね。シルヴィアは一生懸命に稽古に励んだ。だが、シュラは頭をもたげていた。
(今まで父親と二人だったせいか、シルヴィアは社交性というものに乏しくないか?)
アルヒとシルヴィア。そしてシュラとシルヴィア。シルヴィアは寂しくないのだろうか。ここでは白龍の血を引く娘に自ら話しかけるものは皆無だ。そしてシルヴィアも別にシュラ以外のものに話しかけようとはしない。
接し方がわからないから話しかけないのか、それとも誰かと二人ぼっちという環境に慣れてしまっているせいなのだろうか。
今は自分がまだなんでもなんとかしてやれる自信はある。しかし、とシュラは考える。今度こそ成人を迎えた時、シルヴィアは果たして強さを手に入れたとして、どこでどうやって生きていくつもりなのか。この国のどこか山奥に引き篭もるもよし、ここで暮らしたいというのならそれもよし。が、ここで暮らすとなると最低限のコミュニケーションは必要不可欠だ。加えてシルヴィアにとってはここで暮らすという選択肢は少し他の黒龍の民よりも厳しい選択であることも考慮しなければならない。
ひとまず、シルヴィアがここに馴染めるかのテストも兼ねて、シュラは厳選に厳選を重ねて一人の黒龍の娘に白羽の矢を立てた。
翌日、稽古が終わったシルヴィアに、シュラは話があるとケーキの時間の前にシルヴィアに切り出した。
なんだろう、という顔をするシルヴィアをよそに、シュラは告げる。
「今日はシルヴィアに紹介したいものがいる。ほれ、自己紹介だ。」
シュラがそう言うと、シュラの背に隠れた黒龍の娘はこう言った。
「えー!アタシから名乗るの?逆じゃないんですか?シュラ様!」
なんで白龍の娘なんかに自分が、という憤懣やる方なき様子だ。
「おい、俺の名に於いて預かる娘に先に名乗らせるつもりか?俺に向かって先に名乗れと言っているのと同義だと知れ。お前は何様だ。」
少し怒気を孕んだシュラの言動に、黒龍の娘の態度は一変した。
「!ごめんなさい、アタシはヴィクトリア。今一番脂の乗ってるシュラ様の側近その一ってとこかな〜。よろしくです。えーと…」
言い淀むヴィクトリアと名乗った黒龍の娘に、シルヴィアは美しくお辞儀をしてみせた。
「あ、私はシルヴィアです。今は強くなるために修行中、です。よろしくお願いします。」
礼儀正しく挨拶をするシルヴィアに、ヴィクトリアは少し引いているようだったが、シュラに睨まれて、その態度も引っ込める。
(げー。シュラ様のご命令とはいえ、こんなお上品な白龍のお姫様の相手なんてやだなー。)
そもそも。アタシに対する態度とこのお姫様に対するシュラ様の態度、違いすぎくない!?
なんで白龍の血なんて引いてる半龍半人の姫様なんて特別扱いするのだろう。アタシの方が絶対強いし、なんなら…。
「おい、ヴィクトリア、聞いてるのか?」
はっと我に返り、ヴィクトリアは聞いてますと生返事をする。
「はぁ。絶対聞いてないだろ……。嘘をつくやつは嫌われるぞ。とにかく、シルヴィアの相談相手としてお前を任命する。よき相談相手となれるよう日々精進しろ。わかったな?」
ヴィクトリアは、シュラの冒頭の一言に気を取られ、後半部分はまたほとんど聞いていなかったが、わかりましたと返事をした。
(がーん。嘘つきだと思われた…。シュラ様に嫌われたってこと?ショックだなあ…。)
ヴィクトリアはシルヴィアの少し年上でありながら、シュラの側近として登用されるほどの女傑だった。シュラと同じく褐色の肌に、そして輝く金の瞳だった。容姿も申し分なく、シュラに近寄る悪い虫を日々蹴散らしていた。
(そう、アタシこそが将来のシュラ様の、嫁!!)
くぅ〜っと一人その響きに浸りきる。
「あの…。」
ヴィクトリアはおずおずと話しかけるその声に現実に引き戻されたと共に、自信なさげなその声がとても癇に障った。
「…何?」
シュラから敬語を使えとは言われていない。相談役、と言われただけだ。相談それすなわちタメ語の方がいい、とヴィクトリアは判断した。何より、自分より弱っちくて、ヒョロヒョロのモヤシみたいなシルヴィアに敬語を使えるほどヴィクトリアはプライドが低くなかった。むしろプライドの塊みたいなものだった。シュラが今、片時も離さない存在なのも気に入らなかった。むしろシュラがケーキを買いに行くとか似合わないこと言っていたこの隙にやっとくか???くらいの勢いである。
「人生で初めて、同じ年頃の、女性に会いました。こういう時何を話していいのかわからなくて…すみません。」
話のテンポおっそ。イライラする〜〜。ヴィクトリアの素直な感想はこれだった。
「人生初?話が見えないけど、とりあえず同じ年頃の女の子とする話って言ったら、恋バナでしょ!」
ビシッとシルヴィアを指差したヴィクトリアに、シルヴィアは面食らって固まっていた。
「恋…ですか。」
その後、ヴィクトリアの提案で中庭に場所を移した二人だったが、ヴィクトリアの興味は当然シュラとシルヴィアに何かがあるのか、ということだ。
「今、えーと、シルヴィアって呼んでいい?」
話を始めるヴィクトリアにシルヴィアはこくこくと頷く。
「シルヴィアはシュラ様と何かした?その、キス、とかさ。」
そう話を振られたシルヴィアは真っ赤になって否定する。
「そんな、とんでもない。武術を教えてもらってるだけです。あとは、私の境遇に同情してくださってるだけ、だと。」
シルヴィアはありし日のことを少し思い出してしまい、暗い顔をする。
「ふーん。そうなんだ。じゃあ、言っとくけど、アタシ将来シュラ様のお嫁になるの、応援してよね!」
それを聞いたシルヴィアは当然驚いた顔をしたが、自分の中の感情がまだうまく理解できていないシルヴィアには、そうですか、としか言えなかった。
「そこまで言い切れるヴィクトリアさんはすごい方ですね。」
シルヴィアは唾を飲み込んだ。この会話の中では幸い出て来なかったが、自分がシュラのことを呼び捨てで呼んでいると知れたら、今すぐこの場で首が飛んでいたかも知れない、と。
シュラ本人の意向で、シルヴィアはシュラに対する呼び捨てを許されている。だが、ヴィクトリアほどの近しい存在でも、やはりシュラは王であることに変わりはないのだ。
シルヴィアは考えた。どういう意味で自分はシュラからの呼び捨てを許可されているのか。自分が曲がりなりにも白龍の王族の血を引いているから?それとも、シルヴィアという存在に対するただの同情?それとも、特別な意味が?
(特別な意味なんて、ある訳ないか。ただ可哀想だと思われてるだけ、かな。)
シルヴィアは自嘲した。家族の身どころか、自分の身も守れないヒヨッコの分際で、誰かに想ってもらえるはずがないと。
ただ珍しい毛色のペットを飼ってみたくなっただけ。くらいの理由かも知れない。と、シュラやヴィクトリアの強さをみていると思ってしまった。
「おや、シュラ様。今日はどのケーキになさいますか?」
シュラは毎日自分用にモカケーキと、シルヴィアには違う種類のケーキを買っていた。というのも、年頃、と言ってもまだ子供だが。の娘の好みや感覚などがシュラにわかるわけがなかった。毎日違うケーキを買っては、感想や反応をみて、学習していっていた。これが経験値というやつか。シュラは毎日強さとは違う成長を感じていた。
(無縁だったからといって放置していいものでもないしな。シルヴィアは素直に反応をくれるからまだわかりやすくてありがたいが。)
「シュラ様をからかって無事に済むとは思いませんが、毎日根気よく通われるご様子といい、そこまで悩まれるご様子といい、ついによき方が現れましたかな?」
ケーキ屋の店主は、別に弱いからケーキを作っているのではない。という不思議な国がここである。この王都に店を構えるということそのものが、すでに強くなければできないことなのだ。特にケーキ屋などという商売はナメられやすく、何も知らないごろつきが冷やかしに来ることも珍しくはない。そんな輩も追い返しつつ、甘い夢の食べ物を生み出す。それがこの店主のなし得る業なのである。老練の店主からは、からかって済むとは思っていないが、この店を潰させるつもりもない、という強い圧を感じた。
「そうだな。単純にあいつの将来を見届けたいという思いはある。まだ子供だから庇護しているが、独り立ちできるようになる頃までは父親がわりも悪くない。」
どちらとも取れないシュラの答えに、店主はなるほど、と笑って見せた。お互い、これ以上探るなら覚悟しろよ、という火花を散らして。
シュラはシルヴィアに好感を抱いていることは確かだ。素直な性格や、飾らないところ、また、自分や他人のためにひた向きに努力できるという美点がある。マイナスなのは、自分に自信がないことくらいか。あとまだ今は弱い。しかしそれはじきにシルヴィアの努力によってカバーされることだろう。
まだシュラの中に明確に恋愛感情はなかった。ただ、初めて遭遇したその時に鮮烈な印象を残されたことは確かだ。
揺れる銀の髪、ぐしゃぐしゃに泣き崩れながらも懸命に父を気遣うその愛情深さに感銘を受けた。
シュラは家族というものを知らない。気づいた時には一人だったし、かかってくる奴は片っ端から蹴散らした。その結果が今の立場だ。王になったことに特に意味はなかったし、王になっても孤独からは解放されなかった。
だから、ある意味オルデンに敬意を抱いていたのかもしれなかった。今度はそれをシルヴィアに向けているだけなのかも?シュラもまだ自分の中にあるシルヴィアを助けた時の感情を整理できずにいた。
真紅の瞳が揺れる。
今はまだ、この感情に名前をつけずにいよう。
シュラは何事もなかったように帰路についた。