第九話 佐渡市物語
その日、僕は師匠の使いで町に出ることになった。
帰りは夕方になる予定なので、奥さんが、
「たまには外で食べてらっしゃい」
と、言って小遣いをくれる。
そして夕刻、僕は一軒の店に入った。
店は混雑していて相席になる。その席には目の不自由な指圧の先生が、一人、座って酒を飲んでいた。
僕が席につくと、
「兄さん、剣術をしていますね」
と、指圧の先生。
「わかりますか」
「まあ、目が不自由だと、勘だけは良くなりまして」
そこへ、僕の注文した魚料理が、盆に乗せられ運ばれてきた。
「おっ、豪勢な匂いだ」
「ええ、小遣いをもらいまして、今宵は贅沢をしますよ」
「そりゃいい。でもね、兄さん」
「何ですか」
「剣術は、そこそこにしたほうが、いいですよ」
「えっ?」
「ほら、兄さんは、すごく良い人みたいし」
「そんなことは、ありませんよ」
そこへ三人組の男が入ってきた。博徒風だ。
その内の一人は、腰に脇差しを差している。あとの二人も棒を携えていた。
「兄ちゃん、ちょっと邪魔するで」
と、脇差しの男は僕を押し退けて、指圧の先生の前に腰を下ろす。棒の二人は囲むように立った。
とりあえず僕は、自分の盆を持って退く。
「俺は、この辺りの賭場を取り仕切っている、虎太郎って者や」
「はあ、その虎太郎さんが、何の、ご用ですか?」
「お前、ずいぶんと賭場を荒らしてくれた、そうやないか」
「いえ、あっしは賭場荒らしなんて、とんでもない。ちょっと遊ばしてもらって、運良く勝っただけです」
「何を言うんや。一人勝ちして、賭場の金、ほとんど持っていきよって」
「あっしは、お行儀良く博打をして、勝たせてもらっただけですよ」
「まあ、ええわ」
虎太郎は、一旦、そう言って、
「でもな、賭場で遊ぶには、仕切っている者への挨拶ってモンがあるやろ。挨拶ってモンが」
「これは、申し遅れました。佐渡市と申します」
佐渡市はペコリと頭を下げた。
「違うやろ、金や、金」
「金?」
「とぼけるなや、挨拶として金を置いていけば、今回は勘弁してやるって話や」
「こりゃ、驚いた。こんな所で、追い剥ぎですか?」
「ふざけんな!」
「まあ、お静かに、他のお客さんも、沢山いますし、この店の迷惑になりますよ」
「黙れや!」
虎太郎は立ち上がり、椅子を蹴り飛ばした。
ガタンッ!。
にぎやかだった店が、静まり返る。
と、その時、佐渡市の声色が変わった。
静かだが、威圧感のある声だ。
「うるさいのは、あんただよ」
「なめんなよ、コラ!」
怒鳴る虎太郎。
「叩き殺すぞ!」
脇差しを抜いた。
「あっしを斬るつもりかい?」
「このボケが!」
あとの二人も、棒を振り上げる。
瞬間。
佐渡市は、懐に隠し持っていた、短刀を抜いた。
グサリッ。
虎太郎の胸を、一突き。
虎太郎が、声もなく、
ガタリッ。
と、倒れる前に、
残りの二人も刺し貫いていた。
「うっぐ、ヴ」
「あが、アッ」
三人は、おそらく即死。
胸骨を断ち切り、正確に心臓を一突きにしている。
恐ろしい剛の剣だ。
「な、兄さん、剣術なんて、やるもんじゃねぇだろ」
佐渡市は、そう言った後、しゃがみ込み、手探りで虎太郎の着物の端をつかんで、短刀の血を拭った。
「いやぁ、皆さん、お騒がせしました」
立ち上がり、深々とお辞儀をする佐渡市。
「おいくらですか?」
と、勘定をすませて、佐渡市は杖を突きながら、店から出ていった。
夜、道場に帰った僕は、一応、そのことを師匠に話した。
「それで、名前は?」
「確か、佐渡市とか」
「市さんか」
「お知り合いですか、師匠」
「昔、房総で会ったことがある。彼は好い男だ。私は市さんを快男児だと思う。だけど彼は、博徒の親分の義兄弟になった。博徒には博徒の生き方しかできない」
風の噂によると、その後、佐渡市は生まれ故郷の会津で、殺されたらしい。大勢の博徒から襲われ、滅多斬りにされたそうだ。