第七話 岡田以蔵 前編
屠龍館の門弟に新太郎という男がいる。
新太郎は背が高く、顔も美男子だ。しかも最近、免許の皆伝を受けた強者である。
道場では、僕の兄貴分のような存在であった。
当然、新太郎は町の娘さんからの人気も高く、実は綾姉も彼のことを秘かに想っているようだ。
だが、新太郎は農家の長男で、綾姉は同心の娘。身分に違いがある。
その新太郎が駆け落ちをした。
相手は、中條屋という呉服屋の一人娘で、歩実というらしい。僕は、この歩実には会ったことがない。
新太郎と歩実の双方の親は、二人の恋仲に猛反対していて、思い悩んだ新太郎と歩実は、駆け落ちした。
その直前に新太郎は、
「俺は、京都から出ていくよ。もう二度と戻らないと思う」
と、僕に言った。
大方のことを察した僕は、持っていた小遣いを全部、新太郎に渡す。
「餞別です。少ないけど、旅費にしてください」
「すまない」
新太郎は弟弟子の僕に、深々と頭を下げて姿を消した。
その数日後である。
新太郎と歩実が殺された。
死体は三条河原に捨てられていたという。しかも歩実の亡骸は、全裸であったらしい。
おそらく、乱暴された後に殺されたのだろう。
そして新太郎は滅多斬りにされ、絶命したようだ。
「十数ヵ所の刀傷がね、新太郎さんの体に残っていたらしいのよ」
と、綾姉が、悲しみと憤りに、心を乱して言う。
綾姉の、お父上は京都町奉行の同心だ。彼女は、お父上から、その話を聞いたらしい。
「本当に、女と駆け落ちなんてバカなことをするから」
綾姉は、涙を流した。
だが、新太郎は屠龍老荘流の免許皆伝だ。彼は剣客のなかでも、かなり強い方だろう。
その新太郎を殺すとは、下手人は、ただの無法者ではない。あるいは、大人数から襲われたのか。
この後、新太郎の実家と中條屋の間で、一悶着あったらしい。
門弟の不始末ということで、師匠は両家の争いに巻き込まれたようだ。
師匠は、
「両家とも、お互いに言いたいことを言って、相手を罵るばかりだ」
と、困り果てていた。
「まあ、子が殺されたのだ。親の気持ちもわかるが」
その数日後のことだが、
「新太郎殺しの下手人は、岡田以蔵ではないか」
そういう噂が広まった。
岡田以蔵。土佐勤王党の志士で、異名は『天誅の名人』
凄腕の人斬りだ。天誅と称して、数々の暗殺を実行したらしい。
猿の文吉や森孫六を殺害したのも、以蔵だといわれている。
その以蔵も、土佐勤王党の首領である武市半平太が、失脚して投獄された後は、
京の町で賊の仲間になり、盗みや強盗を働いていた。
綾姉は、その噂を聞き付けると、
「あたしたちの手で、岡田以蔵を捕らえましょうよ」
と、僕に言ったのだが。
「それは、綾姉のお父上の仕事ですよ」
僕は、断った。
だが、その後、僕は一人で、見廻り組の佐々木只三郎のところへ出向く。
唐突に屯所を訪問した僕だが、
只三郎は、快く自室に通してくれた。
「岡田以蔵の居場所を知りたいのですが」
単刀直入に言う、僕。
「あの、駆け落ちの若者二人が、殺された件か」
と、只三郎。
「君は、仇を討ちたいのか?」
「はい」
「殺すつもりか?」
「いえ、殺しは、しません。捕らえて、見廻り組に引き渡します」
只三郎は、僕の顔をジロリと見て、
「それなら良し。ニ、三日、待て。当方でも、密偵に以蔵の所在を調べさせている」
そして、静かな声で、こう続けた。
「だが、このことは内密にな」