第六話 龍神伝説
屠龍老荘流の宗家は、代々『湖龍斎』を名乗った。
この名の由来は琵琶湖の『龍神伝説』に、あるらしい。
その伝説というのは、
昔、一匹のカエルが古井戸に棲んでいた。
古井戸の中にいれば安全なのだが、カエルは外の世界が見たくなり、古井戸を飛び出してしまう。
何日もカエルはピョンピョンと跳ね、ついに琵琶湖に、たどり着いた。
広大な琵琶湖を目の前にしてカエルは、
「世の中とは、こんなにも広いものなのか」
と、感激して、意気揚々と湖に飛び飛び込む。
カエルはスイスイと泳いだが、すぐに大な鯉に見つかり、喰われそうになる。
そこを助けたのが、琵琶湖に棲む龍神だった。
「龍神さま、どうも、ありがとうございます」
「お前は、見かけないカエルだな」
「オラは古井戸に棲んでいたカエルです」
「なぜ、琵琶湖に来たのだ?」
「広い世界が、見たかったのです」
「そうか。だが住み慣れれば、古井戸も良い所だろう」
「いえ、いくら住み慣れても、古井戸は良い所では、ありませんよ。龍神さまは素晴らしい湖に居るので、そう、おっしゃるのです」
「そうだろうか」
「それは、そうですよ。オラは、暗くて狭い古井戸の中しか知らなかった。龍神さまとオラでは、全く棲む世界が違います」
「だがな、カエルよ。私も所詮は湖に棲む龍だ。この琵琶湖の外の世界は、知らない」
「でも、琵琶湖は広し、大きい」
「いやいや、世の中には、もっと広い海というものがある。私は海を知らない。お前も海を知らない」
「はあ」
「大海を知らない私たちは、同じようなものだ」
龍神はカエルに、そう言ったと伝えられている。
湖龍斎の名は、
「この龍神のように、常に己を知り、謙虚であれ、という戒めである」
と師匠は言った。
また常々、師匠は僕に、こう語る。
「剣術が優れているからといって、優れた人間であるとは限らない。先ずは剣の業よりも、人間として、自己を研鑽しなければならない」
屠龍老荘流は精神に重きを置く。
それゆえに、時々、
『説教剣法』
と、揶揄されることもあった。
今は乱世であり、世相は不穏だ。
こういう時代には、実戦に強い剣術が求められる。
とくに京都の市中では、人斬りが暗躍し、毎日のように誰かが殺され、屍が晒された。
それでも師匠は言う。
「人を斬ることを、新しい時代の為、と、言う輩がいる。だが、そういうことは、そういう輩に、やらせておけばいいのだ。関わらなければいい」
さらに、
「人を傷つけることは、何をどう言っても良くはない」
とも、言っていた。
その頃に、あの佐々木只三郎が、再び京都に現れた。
「お久しぶりです」
と、道場に顔を出し、師匠に挨拶する、只三郎。
彼は今、京都の治安のために、幕臣により結成された『京都見回り組』の隊士であるという。
「私は、あの後、江戸で清河八郎という男を斬りました。お役目でしたが、それでも、あまり良い気はしない。やはり人など、斬るものではありませんね」
只三郎は言ったが、
「そうですか」
師匠は、そう言っただけで、茶を口にする。そして二人の間には、気まずい沈黙がながれた。
それでも只三郎は、江戸の剣術道場の話など、しばらく雑談をした後、
「では、また機会があれば、ご指導を、お願いします」
と、深々と頭を下げ、帰った。