第三話 帰らなかった丼部衛
うどん屋『里の帆』は、屠龍館の近くにあった。
僕は、時々、里の帆の手伝いをして、小遣いを稼いでいる。
店主は丼部衛。以前は屠龍館の門弟で、腕前は免許皆伝。 当時は師範代だった。
だが、今は剣術とは無縁の生活をしている。
丼部衛は、人柄が良く、いつもニコニコとしていた。店は常連客に恵まれて繁盛している。
その丼部衛が、
「お前さん、あの佐々木只三郎と試合をしたのか?」
と、僕に訊く。
「はい。凄い気迫でした」
「だろうな、あれは小太刀日本一と称される剣豪だ」
「えっ、そんなに有名な人だったのですか」
「しかし、お前さんも凄くなったな」
「いえ、凄くないですよ」
「いや、お前さんは自分の凄さをわかっていない。あの佐々木只三郎と剣を交えた。これは凄いことだ」
その佐々木只三郎の浪士組だが、どういうわけか江戸に帰ってしまった。
だが、浪士組のなかには、京都に残った連中もいて、彼らは京都守護職お預りの『壬生浪士組』(後の新選組)となった。
そして、その壬生浪士組の一人が、突然、里の帆に姿を現したのだ。
「昔の勝負をつけよう」
と、男は丼部衛に決闘を挑む。
その男は平間重助。浪士組では副長助勤という役付きらしい。
どうやら、丼部衛と平間には因縁があるようだ。
「いや、私は、もう剣術とは縁のない男でして」
と、低姿勢で頭を下げる丼部衛。
「せっかくですから、うどんでも一杯いかがですか」
「お前、府抜けたな」
平間は挑発するように、
ガシャーン!
店のなかの物を壊しだした。
「やめて下さい」
僕が止めに入ると、
バジン!
拳で殴り付けられる。
「お前は、下がっていろ」
丼部衛は、僕の腕を引っ張って、店の外へと出した。
「おい、昔の勢いは、どうしたんだ丼部衛」
「いや、本当に勘弁してください」
無抵抗な丼部衛に対して、平間は店を占拠するという暴挙にでる。
「ここを浪士組の分屯所とする」
と、宣言して、
翌日から仲間を四人連れて、店に居座った。
さらに近所の商店から金を無理やり借りて、昼間から酒を飲み大騒ぎを始める。
町の人からの通報で、町奉行の同心である、綾姉の父親が飛んで来たが、
「我らは、京都守護職お預りの浪士組である!」
と、一喝されれば、手出しはできない。
町の皆は、困り果てた。
この時、丼部衛は屠龍館に身を寄せていたのだが、
「刀を貸してください」
と、師匠に頼む。
「斬るのか」
そう言いながら師匠は、一振りの刀を手渡した。
「殺しは、しません」
そう言うと、
丼部衛は、道場から飛び出す。僕も後を追った。
そして、里の帆の前に立つ丼部衛。
「平間、出て来い!」
大声で怒鳴った。
店の中から、平間と四人が出てくる。
「お前たちは、手を出すな」
と、平間が言って、一歩、前へ出た。
丼部衛と平間。二人は無言のまま歩み寄り、対峙する。
僅かな時間、にらみ合あった、刹那。
サッ、
と、先に動いたのは平間だ。
素早い抜刀。だが、
ザシュッ。
丼部衛の抜刀術の方が、早かった。
血飛沫が飛び、平間の右手首は刀を握ったまま、切り落とされる。
見事な一撃だ。
「ウギャ!」
平間は悲鳴を上げて、逃げ出した。
「次はどなたかな?」
丼部衛は、残りの仲間に凄む。
「いや、我々は」
と、彼らはモゴモゴ言いながら姿を消した。
その事件の後、丼部衛は店をたたんだ。
そして何も言わずに丼部衛は、どこかへ行ってしまい、二度と京都には戻ってこなかった。
因みに、右手を切り落とされた平間も、浪士組には戻らず、そのまま失踪したらしい。
最後になるが、丼部衛のうどんは本当に美味しかった。そのうどんは、もう食べることはできない。