第二話 紅一点
屠龍館の門弟に、紅一点の美女がいた。
山本綾花。19歳。武家の娘さんで、お父上は京都町奉行の同心だ。
そのお父上が、若い頃、屠龍館で修行していた関係で、彼女は、僕が師匠に引き取られた時には、すでに門下にいた。
つまり『姉弟子』なる。
僕は彼女を『綾姉』と、呼んでいた。
その綾姉は、剣術も上手い。だが、驚くことに、華奢な体つきをしているが、異常に力が強かった。
綾姉が最も得意としているのは体術だ。
屠龍老荘流の『秘伝の受け身』を、綾姉は12歳で習得した。これには、師匠も驚いている。
綾姉には、お兄さんがいるのだが、今は江戸へ武者修行に出ていた。
その綾姉が、
「ちょっと、頼みがあるんだけど」
と、僕に言う。
その頼みとは、
以前から、綾姉に、しつこく言い寄ってくる男がいるらしい。
だが、その男も京都町奉行の同心なので、綾姉の両親も乗り気だという。しかも男は、安政の大獄のさい、志士の摘発で活躍したらしい。
綾姉は、その男のことが、どうしても嫌で、結婚の条件として、
「屠龍館の師範代と試合をして勝ったら、縁談を、お受けします」
と、男に言ったらしい。
「師範代って、誰のことですか?」
今、道場に師範代はいない。
「あなたよ」
「えっ、僕は、まだ目録ですよ」
「師範代ってことにして、アイツをギタギタにぶちのめしてよ。そうすれば、あたしのことを諦めると思うから」
「でも、なんで僕が、そんなことを」
「あたしの頼みを断るの。あんた昔、あたしのお風呂を覗いたでしょう」
「あっ、でも、それは子供の頃の話で」
「子供ですって、あたしが十四で、あんたが十二の時よ」
それを言われれば、僕は、綾姉の言いなりになるしかない。
そして、試合の日。
人気のない、夕暮れの川原。
僕は竹刀を携えて、綾姉と二人、その男を待つ。
「その人は強いのですか?」
「森孫六。北振一刀流だけど、心配しなくても勝てる相手よ」
綾姉は、そう言ったが、姿を現した孫六は、巨人のような大男だった。しかも竹刀ではなく、木刀を握っている。
だが、顔は不細工で、綾姉の好みではないだろう。
「師範代というから、どんな奴かと思えば、こんな小僧か」
と、孫六は僕を見て、鼻で笑う。
「だが、手加減はしないぞ!」
孫六は、いきなり、
ビュン。
上段から、木刀を振り下ろした。
サッ。
と、後ろに跳んで、避ける、僕。
力任せに木刀を振り回す、孫六。
ビュン。ビューン。
「綾姉、この人、僕を殺す気ですよ」
「じゃあ、殺される前に、やっつけなさい」
そう言われれば、仕方がない。
僕は踏み込んで、竹刀で、胴を打った。
ビシン!
「う、ウグゥ」
退くか。いや、孫六は簡単には、退かない。
「この、野郎が!」
また、上段からの一撃。
グオン。
僕は紙一重で、太刀筋をかわし、面を打った。
バシン!
勿論、手加減はしている。
だが、
「おのれ、武士の頭を打つとは!」
孫六は激昂した。
木刀を捨て、刀を抜く。
「まずい」
と、思った、瞬間。
綾姉が、孫六に飛びかかった。
組み付いて、投げ技を出す綾姉。
ドスン!
豪快な投げが決まった。
さらに、刀を絡めとり、奪った刀の切っ先を、倒れた孫六の喉元に突き立てる。
「あなた、本当に最低な男ね」
冷たい視線で見下ろし、言い放つ綾姉。
孫六の喉の皮膚が少し切れて、血が一筋、流れた。
怖い。本当に恐い人だ。綾姉は。
その後、当然、孫六は綾姉を諦めた。
そして孫六は、志士から、安政の大獄の恨みで命を狙われたため、京都から江戸へと転任になる。
だが、旅の途中、大勢の浪士に襲われ、殺害された。