第一話 佐々木只三郎
「剣術の修行は、剣術のために、するものではない」
これは、師匠が僕に語った言葉だ。
「心身を鍛え、それを人生で活かし、よりよく生きるために、剣術の修行はするものなのだ」
僕が17歳になった頃。京の町では、天誅という名の暗殺が横行していた。
最近も、猿の文吉と呼ばれる目明し(役人の手先)が殺され、亡骸が三条河原に晒されたそうだ。
その京の町のはずれに、小さな町道場『屠龍館』がある。
僕は7歳の時に両親を亡くし、この屠龍館に引き取られた。
そして、子供のいない師匠夫婦は、僕を本当の子供のように育ててくれたのだ。
師匠は現在、五十代。
奥さんは、四十代だ。
師匠は、よく奥さんに、
「あまり可愛がり過ぎると、駄目な人間になるぞ」
と、言っている。
僕は、この十年、内弟子として修行したが、免許の皆伝は受けていない。
やはり奥さんに優しく育てられ、剣士としての強さが育っていないのか。それとも僕には元来、素質がなく、師匠は期待していないのかもしれない。
この屠龍館は『屠龍老荘流』という剣術を教えていた。
門弟の少ない貧乏道場だが、師匠の『湖龍斎』は、知る人ぞ知る名人達人である。
その道場に、ある日、一人の侍が訪ねてきた。
侍は、佐々木只三郎と名乗り、
「こういう、ご時世ですから」
と、江戸から、徳川将軍の警護のために上洛した『浪士組』の一員らしい。
「ご高名な、湖龍斎先生の道場があると聞きまして、ぜひ一度、ご指導を受けたく、参上致しました」
只三郎は、師匠に深々と頭を下げた。道場破りの類いではなさそうだ。
師匠は奥の間に只三郎を通す。僕は茶を出した。内弟子の僕は、師匠の後ろに控える。
「屠龍老荘流には、龍をも葬る奥義があると聞きますが」
と、只三郎。
「実際には、龍を倒すことはありません。そもそも人と龍が、出会うこともないでしょう」
「では、そのような奥義は無いのですか?」
「我が流派の奥義は、研鑽です」
「研鑽?」
「研鑽に研鑽を重ねれば、業が高まり、龍をも葬る域に到達するということですな。ですが、龍と戦うことなどない」
「確かに、そうですね。それで」
「業が、その域に達したとして、その業を使うことはないのです。つまり無駄な努力」
「奥義が、無駄な努力、ですか」
「まあ、剣術は人を斬る術ですが、人など斬らぬ方が良いでしょう。では、なぜ、我々は研鑽するのか」
「禅問答ですか」
「いやいや、そうでは、ありません。佐々木殿。せっかくですから、当流の内弟子と一手、お手合わせを、お願いします」
と、師匠は言い、
僕は只三郎と試合をすることになった。道場に入り、防具を着け、竹刀を構える。
「始め!」
師匠の声で、試合が始まった。
バジン!
バチーン!
竹刀を撃ち合うと、やはり只三郎は強い。
「セイ、セイッ!」
と、野太い気合いを発する。
彼の気迫に、圧倒されそうになる僕。
「この人は、とてつもなく、強い」
そう思った、瞬間。
只三郎の目が、ギラリと光った。
「イヤアーッ」
凄まじい気合いを発する、只三郎。
僕も、前へ踏み込んだ。
「セイアーッ!」
バジン!
紙一重。
決まったのは、只三郎の強烈な面打ちだ。
「そこまで!」
と、師匠が止めた。
試合が終わり、面を外した只三郎が、
「君は免許皆伝ですか?」
と、訊く。
僕は、大きく首を振った。
「いえ私は、ようやく目録です」
「そうですか。湖龍斎先生の先程の、お話、私にも、少し理解できたような気がします」
そう言って、佐々木只三郎は帰っていった。
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