第三話 どうせならかわいい女のコがよかった
午前中に諸々済ませ、昼前に隣の扉を叩いた。
「ジュゼ! 行けるか?」
「すぐ行くよ〜!」
中から呑気な声がする。
「おまたせらっぴー。行こっか」
「離せって」
出てきたジュゼにするりと腕を組まれたのを振りほどくと、ジュゼは頬を膨らませた。
「ケチ」
ケチじゃねぇっっ!! お前は男で俺も男!! 腕なんか組まねぇっつーの!
「バカ言ってないで。行くぞ」
「はぁい」
かわいい返事やめろ。
一階に降りながら行きたいところはないかと聞くと、仕事場に行きたいと言い出した。
「親方心配してるんでしょ。顔出しておこうと思って」
確かにそうだけど。ジュゼのことをよく知る親方相手に大丈夫か?
「話し方。気をつけろよ?」
そう釘を刺しておいてから、ジュゼと二人で外に出た。
昼前とあって人通りは多めで。ジュゼの仕事場はすぐそこだけど、心の準備とか遠回りとかしなくて大丈夫か?
「…ジュゼ?」
黙り込んだままのジュゼに声をかけると、ジュゼは小さく頷いた。
「大丈夫。ちょっとどこかで一旦止まって」
今のはジュゼ、か?
通る人の邪魔にならないように脇に避けて、ジュゼが俺を見上げた。
「ラヴィ」
名前!! ちゃんと呼んでくれたってことは!
「ジュゼ!」
「大丈夫みたいだな。ラヴィの前でも普通に話せる」
俺を見てもう一度頷いてくれたジュゼに、座り込みたくなるほどほっとする。
ホントよかった…。外でまでらっぴーとか言われたら、正直どうしようかと思ってた…。
「とりあえず、外でなら二人で話してもいけるってことか」
俺がそう言うと、ジュゼは頷く。
「よくわからないけどそうみたいだな。ちょっと安心した」
ふっと、ジュゼが笑う。
「もうラヴィと出掛けられないんじゃないかって、心配してたんだ」
だからそれを―――って、いや、今のは普通にジュゼなんだからいいのか?
わけがわからなくなってきた。
とりあえず仕事場に行くと、ジュゼ目当てに昼を買いに来てた女の子達にあっという間に囲まれて。俺だけぽいっと輪の外に出される。
ジュゼは優しいし、邪険にしたりはしないから。おかげで女の子達が遠慮しないのなんの。
お店の邪魔になるから、と言って解散させたジュゼが、にこやかに手を振ったままぼそりと呟く。
「暇人が…」
女の子達の度が過ぎてくると、たまにこうして黒いこと呟いてるけど。気付いてるのは多分俺くらいかな。
話してくる、と店に入っていったジュゼを見送る。
どうして外なら二人で話しても大丈夫なのかはわからないけどホントよかった。
ずっとジュゼがあのままだったらって思うと。そのうち理性なんか吹っ飛びそうで、恐ろしくて仕方ない。
いっそジュゼがガタイのいい大男だったら俺はこんな思いをせずにすんだのに!!!
昼メシはサンドイッチとコーヒーを買って、中央広場のベンチで食うことになった。
広場前の屋台で売ってるこのサンドイッチ、値段の割には美味いし食べごたえもあって。ぶっちゃけ金に余裕のない俺達にはありがたい。
もちろん今日これを食うことに異論はない。天気もいいし、外で食うのも気持ちいい。
そう。問題はそこじゃない。
ベンチに並んで座る俺とジュゼ。そしてその隣、見知らぬおっさん。
何で俺は見知らぬおっさんとメシを食ってるんだ??
戻ってきたジュゼと、昼メシ何にしよっか、なんて言いながら歩いてた時だった。
向かいから来た五十代くらいのおっさん。目が合ったジュゼとおっさんが同時に足を止めて。
見つめ合ってにっこり笑い、固く握手を交わすジュゼとおっさん。
誰???
俺の疑問なんか置いてけぼりにおっさんと何か話してたジュゼが、お昼をここで食べようと言い出した。
で、こうなったわけなんだけど。
ジュゼとおっさんが話してる横、遠い目でメシを食いながら待って。
おっさんは食べ終わると、ジュゼともう一回握手をして去って行った。
手を振っておっさんを見送ったジュゼ。俺の視線に気付いて、後で話すからと告げた。
メシを食い終わって広場を出て。どうするかってジュゼに聞いたら、戻ろうって言われたから。
まっすぐ家に帰る途中、治癒所の前を通った時。
「ってっっ??」
後頭部に衝撃を受けて振り返ると、ジュゼが握り拳をさっとうしろに隠す。
「ジュゼ?」
今俺のこと殴ったよな?
そっぽ向いたって、俺のうしろ、お前しかいないんだから。
じっとジュゼを睨むと、観念したのか溜息をついて。
「…思い出さないかと思って」
ぽつりとそう呟く。
「治癒所の前だから怪我してもすぐ直せるし」
「ジュゼ、お前…」
俺を見上げる、ジュゼの碧い瞳。
「アカリの記憶は俺の記憶でもあるんだよ?」
それはわかってるけど。何が言いたいんだ?
首を傾げる俺に、ジュゼは諦めたみたいに笑った。
アパートに戻ると、話があるから来てと言われる。
「ありがと、らっぴー」
ジュゼの部屋に入るなり礼を言われるけど。
……らっぴーに戻った…。
「とりあえず、ロブから聞いたことを話すね」
「ロブ??」
「一緒にお昼食べたじゃない」
おっさんのことか??
驚く俺にジュゼは頷いて。
「今日出てみてわかったんだけど、転生者同士は相手がそうだってわかるっていうか、感じるっていうか。気付くことができるんだよ」
アカリが俺のことをキョウちゃんだって言い張るのも、それでなのか?
…って待て、その前に。あのおっさんもテンセイシャってことなのか??
「ロブ、転生して長いみたいで。色々教えてくれたよ」
テンセイシャって他にもいたんだな…。
「ロブは前も今も男の人だったから、言葉で苦労はしなかったみたいだけど。なんかね、二人きりだって認識しなかったら大丈夫なんだって」
「だから外では大丈夫なのか」
そう、とジュゼ。
「それにね、そのうちわかんなくなるって」
「え?」
「私とジュゼの違い。男女だから時間はかかるけど、そのうち混ざって違和感なくなるんだって」
目の前のジュゼはそうあっけらかんと言うけど。
俺から見ればジュゼとアカリは全くの別人で。それがわからなくなるってことは。
「……アカリが消えるってこと、か…?」
「…消えるんじゃないよ。わかんなくなるだけ」
俺の前でちょっと笑って言ってるのは。
ジュゼなのか、アカリなのか。
「それに私はあかりでもあるけど、ジュゼなんだよ」
まるで自分に言い聞かせるように、ジュゼは小さく呟いた。
「あと教えてもらったのはね」
沈んだ空気を変えるように、急にジュゼが明るい声を出す。
「死んじゃった時のことは、ロブも覚えてないんだって。なんかね、思い出した時の年齢までのことはある程度わかるんだけど、その後はいつの間にか記憶にあるみたい」
矢継ぎ早の言葉は多分、また沈黙しないように、だろうな。
こういう気の遣い方はジュゼっぽい。
別人にしか思えないけど、こうしてジュゼらしいとこもあるんだよな。
「あとねぇ、ロブと話してると、時々めっちゃいい発音の英語が混ざってたから。こっちにない単語は元の言葉になるみたい」
エイゴ?
「私のいた世界はいくつも言葉の種類があって、私とロブは元々違う言葉を喋ってたの。つまりらっぴーがわからない言葉はそれぞれの転生前の言葉で聞こえるってことだと思う」
……正直よくわからん。けど。
テンセイシャじゃない俺には関係ない、か。
ジュゼは急に溜息をついて、宙を見つめた。
「ホント、転生してまで英語聞くことになるなんて思ってなかったよ…」
なんか滅茶苦茶嫌そうだし。
「しかもめっちゃネイティブ! 授業思い出すよ……」
「嫌な思い出なのか?」
何を言ってるのかわからないけど。遠い目をしてボヤくジュゼ。
「……英語も数学も。物理も化学もいらないよ………」
…よくわかんねぇけど。
テンセイ前も大変だったみたいだな。
一通り話したみたいで。一緒に出てくれてありがとうと礼を言われた。
夜までまだ時間はあるし、ちょっと休憩してからもうちょい家のことするかな。
「んじゃ帰るわ」
そう言って出ようとした俺の腕を、ジュゼが掴んだ。
「ジュゼ?」
「……ロブにはね、らっぴーは転生者に見えないんだって」
うつむいてジュゼが呟く。
しょんぼりしたその様子に、ちょっと悪いと思ったけど。
「だからそう言ってるだろ。俺には別の記憶なんかないって」
嘘をつくのも違うから。はっきりそう言った。
ジュゼはがばっと顔を上げて。碧い瞳が潤み始めてる。
「でもらっぴーは匡ちゃんなんだもん! 私にはわかるんだもん!!」
子どもがイヤイヤするみたいに頭を振って。ジュゼが抱きついてきた。
「…私がわかんなくなる前に、思い出してよ………」
絞り出すようなジュゼの声は、間違いなくアカリの本音で。
いつもの脳天気な様子は欠片もないその苦しそうな呟きに、俺には言葉をかけることも、抱きしめることもできなかった。