第5章 教師(せんせい)のおしごと その2
そして、一日年長組、年中組、年少組の順に体操の時間、まず最初に昨日教えたことののおさらいをしてみたのだが、みんななんだかんだ、きちんと覚えていてくれたのはちょっとホッとしたところ。
そして、今日は、倉庫部屋になってる部屋で、ぬいぐるみの間に隠れるところを訓練したかったんだが……最初の年長組で、その訓練をしようとしたら、ぬいぐるみの取り合い騒ぎになっちまったんだよな……。
子供ってのは、統率が取れてる時はちゃんとこちらの言うことを聞いてくれるから、その騒ぎが起こるまでは、置いてある玩具にも手を付けずにみんな俺の話に集中できていたんだが、一度ぬいぐるみを巡って喧嘩が始まると、他の所でも同じような喧嘩が次々連鎖的に始まって、しかも、一旦場がカオスになると、関係ない子は集中が途切れてそれぞれ勝手に玩具で遊んだりし始めて……という感じで、時間が終わってしまったというね。
与えられていた時間が終わって、年長組の子たちをなんとか教室に帰した後、えらく散らかったその教室の中を眺め渡して、ひとり大きく溜息を吐いた……。
それでも、少しだけ冷静になって、幾つか取り合いになったぬいぐるみを見直してみると、大きく2つのキャラクターに分かれていた。
そのうちの片方は、昨日、アンジェが連れて帰ると言って離そうとしなかったぬいぐるみのキャラクターだった。
つまり、この2つは今子供たちの間で流行っているキャラクターってことなのでは?
年長の1クラスでこれだけ取り合いになってるとなると、この辺のキャラのぬいぐるみ、もう少し増やした方が良いかも……。
また取り合いで訓練ができないとかは避けたいし……もう少し大きめのぬいぐるみを増やして、子供たちを見つかりにくくしておきたいってのもある。
一応、必要経費ってのは大使館から出ることにはなってるけど……これ、申請通るかな……?
……仕方ない、自腹覚悟で買い集めておくか。
そんなことを思いながら、溜息を吐き吐き散らかった部屋を片付ける。
昨日は時間がなくて、余計な玩具を片付けていなかったのも結果的に良くなかったな。
ぬいぐるみ以外の玩具はある程度分類した上でまとめて箱詰めして、もう一つある空き教室の方に移しておかないと。
年長組の授業の後は空き時間なので、こういう作業をやっておくなら今のうちである。
ということで、粗方玩具類を分類して幾つかの箱にまとめ終わった頃。
軽くお茶でも飲むかとしゃがんだ体勢から起き上がって、窓辺に置いた水筒を取ろうとそちらの方に行こうとした時。
視界の隅に人影を感じて。
「誰だ!」
ある意味かなり条件反射で一瞬身構えてしまったが、そこにいたのは女の子が二人。
さっき、体操の時間中、ひとつのぬいぐるみを巡って最初に取り合い騒ぎを繰り広げたふたりだった。
俺の鋭い眼光と剣幕に、ちょっと怯えてしまったようだった。
「あ……あの……せんせい……さっきは、ご……ごめんなさい……」
怯えながらもそれだけなんとか絞り出すように俺に伝える二人。
「せんせい……やっぱり、おこってるよ……ね……? あの……ごめんなさい……」
二人とも、半泣きになりながらも、頭が冷えて反省したのか、わざわざ俺に謝りに来てくれたようだった。
それを、あの眼光ではね……。
「いや、怒ってはいないよ。誰も来ないと思っていたら、急に誰かいたからびっくりしただけだ。それよりも、今は教室でお勉強の時間じゃないのか?」
努めて落ち着かせるような声でそう二人に尋ねると、二人は、
「うん。でも、せんせいにわるいことしちゃったこと、ごめんなさいしたいって、リアンせんせいに言ったら、すぐにいってらっしゃいって」
そうか、それでわざわざ来たのか。
担任の先生も、授業よりも優先させる辺り、この幼稚園の指導方針もあるのだろうか?
とにかく、いずれにせよ、ふたりはちゃんと褒めてやらないと。
「そうか。えらいぞ、ちゃんと謝りに来てくれたんだからね。先生も、もう怒ってないし、そうやって来てくれて嬉しい。反省しているのはよく分かったから、もう教室に戻って良いよ」
そう言うと、二人の女の子はちょっと不安げな顔で。
「ほんと?」
と、尋ねてくる。
俺はそんな彼女たちに。
「ホントホント。それより、もうあんなつまらないことで喧嘩なんかするんじゃないぞ。仲良くな」
努めて笑顔でそう二人に諭すと。
「うん、わたしも、クロエちゃんとけんかするの、かなしくなった……もうしない」
片方の女の子……最初、取り合いになったひとつのぬいぐるみを独り占めしようとして、喧嘩の原因を作ってしまった女の子が、心底後悔したという感じでそう告白する。
「そうか……。やっぱり、仲良しさんと喧嘩するのは悲しいよな」
「うん」
これなら、この二人は大丈夫そうだ。
「じゃあ、ふたりとも、仲直りはできたね?」
「うん!」
ふたりとも、手を繋いで仲良く元気にお返事。
「じゃ、このことはこれでおしまい。さ、教室にお帰りなさい」
「はーい!」
今度は二人とも屈託のない笑顔で頷いて、教室に揃って帰って行った。
さて、お茶は飲み損ねちゃった感じがするけど、少し身も心も休まったことだし、作業の続きを急ごう。
空き時間終わるまでに大方は済ませておきたいからな。
午前中の年中組・年少組の体操の授業も、昨日の訓練のおさらいを重点的にやり、昼食時間からは、その後に子供たちはお昼寝の時間に入るので、子供たちのお昼寝の時間が終わって帰宅する時間の前までの間は俺の教員としての業務的には融通が利く時間。
この間に、ぬいぐるみの調達依頼する件も含め、ここまでの報告に今日は大使館に行くことにした。
大使館までは歩いても城を出て10分そこそことほど近い。
すぐに大使館の門は見えてくる。
そして、そのまま普通に中に入ろうとした時。
「おい、止まれ!」
いきなり門衛に腕を掴まれた。
「ここはアマルランド王国の大使館だ。そのような格好で、何の用だ? 来るところを間違ってないか?」
あ……そうか。
幼稚園でのオーバーオール姿のまま来てしまったからな。
またすぐに戻らなくてはいけないから、軍の制服には着替えていなかったのだ。
間違えて迷い込んでしまったように見えても仕方がないだろう。
ポケットから身分証を取り出して、門衛に見せると。
それを見て顔写真と俺の顔を見比べるなり、機械仕掛けの人形のように、その場で跳ねるみたいにバチーンと直立不動になって敬礼する。
「し……失礼致しましたっ! どうぞお通り下さい!」
そんなちょっとしたトラブルもありつつ、大使館内に入った俺。
受付で用件を告げ、関係者用の通路から駐在武官室へ通される。
上官のダイアー中佐は俺の姿を見るなり。
「お、バーンズリー中尉か。無事にここまでたどり着けたか」
「いや、実はさっき……」
先程の門衛との一悶着を話すと……。
「はっはっは……。まあ、そうだろうな。そんな格好で大使館に用がある奴ってのはあんまり思い付かんからな。まあ、それは置いといて、報告を聞こうか」
「はっ。では、こちら、報告書です」
報告書を提出し、ここまでの状況を大まかにかいつまんで口頭でも報告する。
報告書を見ながら俺の報告を聞いたダイアー中佐は。
「ふむ。まあ、なかなか順調じゃないか? 最初がかなりひどい目に遭ったみたいだが」
そう言って、彼は苦笑する。
「で、ぬいぐるみが足りない……と」
報告書越しに、ギロリと目がこちらを射貫く。
「さ……さすがに経費では落ちませんよね……」
そう言う俺を一瞥すると、ダイアー中佐はチンチン……と、ベルを鳴らす。
すぐに隣の秘書室から一人女性が入ってくる。
「何か御用でしょうか?」
「うむ。ときに、ミアくん。きみは子供さんが2人いたね? まだ幼稚園生だったよな?」
「はい。そうですが……?」
いきなり子供の話を振られて、ミアさんの周りに「?」のマークが乱れ飛ぶ。
「そしたら、最近、子供の間で流行っているキャラクターとか、分かるよな?」
「はい、一応……。うちの子基準でよろしければ……ですが」
ミアさんはそう言って頷く。
「それで構わん。頼みたい仕事というのは、実はその年頃の子供向けのぬいぐるみの調達なのだ。少し大きめのものを10体くらいは欲しいところ……で、いいんだな? バーンズリー中尉」
「はい。人数がいるので、それくらいは」
俺が頷くと。
「と、いうことだ。ミアくん、お願いできるかね?」
「かしこまりました」
「品物は、幼稚園の方に届けさせてくれたまえ」
「はい。承知しました」
そう言って、ミアさんは部屋を出て行った。
「さて、これでいいかね? バーンズリー中尉」
「はい。ありがとうございます」
「礼はいい。必要なものだ。それより、君も早めに幼稚園に戻りなさい。今日はお呼ばれもあるんだろう?」
「はい、そうであります」
「粗相のないようにな。私から言うべきことはそれだけだ。中尉を呼んだのは、おそらく、あの方だろうから……」
意味深な台詞を吐くダイアー中佐。
「あの方……とは……?」
「ああ、それは、会えば分かるだろう。もしかしたら、俺の予想とは違ってたりするかもしれないしな」
中佐殿も、大方の予想は付いているというのに、それを俺に教えてはくれなかった。
なんか、消化不良感……。
まあ、仕方ない。
どちらにせよ、こちらはとにかく会うしかないみたいだし。
気にしても仕方ないか。