第4章 新米教師とお姫様 その1
この幼稚園は、各地域の首長やその一族の子女専用に整備された幼稚園であるため、通う子供たちはそれほど多くはなく、教室も学年毎に1つずつ。
他に、予備の教室が2つ、それと、大きな部屋が2つで、講堂と室内運動場を兼ねたものと、楽器などが置いてある音楽室となっていた。
これらが園舎の2階と3階にあり、その他、1階に職員室と、給食厨房があって、給食厨房側で職員寮に繋がっている構造。
ちなみに、給食厨房は職員寮1階の職員食堂にも繋がっており、職員食堂の厨房も兼ねた作りになっている。
園児数が少ないこともあり、コンパクトにまとまった構成の園内。
園児の頭数からしたら、それでもゆとりのある園内ではあるが。
さてと……全員を集めてじっと隠れさせるのにどこが最も適しているか……。
一つ一つ部屋の場所と中の様子を確認した上で、2階の一番奥にある空き教室を選んだ。
そこは、今は物置的に使われている部屋で、2階の一番奥、端っこにあるので動線的にも片側からしか入って来れないから、気をつける方向は一方向で良いし、部屋の中にはぬいぐるみや玩具などがたくさんしまってある。
ガチャガチャ音がする玩具は別なところに片付けなくてはダメだけど、ぬいぐるみとかは大小含めてたくさんあって。
特に、大きいぬいぐるみは子供たちがその間に身を隠すのにはもってこいだ。
そうでなくても、子供たち、特に怖がりの子たちはぬいぐるみを抱きしめたりすることで少しは落ち着くことだろう。
園舎内を一通り見て回って、大まかにそんな計画を考えたところで、今度は園庭に出る。
園庭は園舎と表通りに面した高い壁とで囲まれた空間。
ぐるりと表側の園舎から、幼稚園のをぐるっと見渡す。
ここは、城内の北西の隅に位置しているので、北と西の2面は園舎の倍以上の高さまでそびえる城壁が園の背後に控えていて、東側と北側に園舎があって、空いている南側から東側の園舎の背後を壁で区切っている位置関係。
そして、幼稚園の周囲を囲む壁の高さは2階と3階の中間くらいの高さまで達しており、周囲には3階建ての建物は至近距離にはないため、外から2階にある各教室を覗くことはできないようになっている。
ただまあ、侵入が不可能かというと、簡単ではないと思うが、なかなか完全に防ぐというわけもいかないだろう。
あくまで、タダの壁でしかないからな。
園舎の表口側の面は、ちょうど各学級の教室などがあるわけだが、タイル張りの滑らかな壁にベランダがない作りなので、壁をよじ登って侵入してくるのは難しそうだ。
園庭自体はそこそこ広くて、園庭スペースの隅の方にはけっこう大きな物置小屋があったりするが、それでもまだまだスペースに余裕がある。
これなら、子供たちが全力で走り回ったりボール遊びをしたり、存分にできそうだ。
有力者の子弟が集う施設だけあって、かなり良い環境が整えられているといった印象だ。
その立場故、狙われやすい子供たちを守るという点においても配慮がかなりされている。
園児がここにいるのは基本的に昼間だけだから、その辺の誘拐目的の賊は、城内で、しかも表通りに面した目に付きやすい場所にあるこの立地で、中の様子が窺えないこの園内には手が出しにくいだろう。
問題は、今回、襲われるとしたら、それは恐らく首長間の勢力争いに端を発する案件なわけで、襲う側もたぶん首長の関係者。
てことは、襲ってくる連中も基本的に城の中に住んでいる訳だし、何なら園舎の内部だって知られている。
対峙する側としては厄介なこと極まりないが、唯一の救いは、見境なく園児を襲うようなことはないだろうということ。
恐らく、その目的から考えて、来るなら明確にターゲットがいるはず。
だから、全園児ごちゃ混ぜ、しかもぬいぐるみの間に隠れた状態というのは、それなりに相手側としては地味に厄介な状態だと思っている。
うっかりターゲット以外の子供に危害を与えた場合、下手すりゃ味方だったその子供の親が敵に回るということだってあり得るからな。
そんな感じで、園舎内を一通り巡って、いざという時のための行動計画を大急ぎで頭の中で詰めていったのだった。
そんなこんなであっという間に幼稚園教師としての初日は過ぎていき、そろそろ園児たちが帰る時間が近づいてくる。
特に担当クラスが決まっていない先生たちは、園庭に立って子供たちをお見送りするのが通例になっているそうで、俺も当然それに倣って園庭に出る。
2階の教室から、それぞれのクラスの担当の先生の話す声と、帰宅を前にした園児たちのざわめきが聞こえ始めた頃、門が開いて次々と迎えの馬車が入ってくる。
先程幼稚園の中を見て回った際に、園庭が随分と広いなと思ったが、こういう事も想定されていたということか。
一度に馬車を二十台以上収容してスムーズに転回させるとなれば、納得の広さだ。
そして、子供たちの迎えの馬車が出入りする間、それが途切れるまでの間は門扉は開きっぱなし。
幼稚園内が最も無防備になる時間帯だ。
クラス担当のない教師が総出で園庭に配置されるのは、その警戒のためでもあったのだ。
そんなわけで、今日は初日ということもあって、園舎の出入り口の前で、園長先生の横に立つことに。
馬車が止まると、それぞれから迎えに来た人たちが降りてきて、玄関前でそれぞれの子供が出てくるのを待つようだ。
迎えに来た人は服装でだいたいお母さんなのか、メイドなどの使用人なのか、なんとなく分かる。
その一人一人と顔が合えば、
「ご苦労様です」
と、会釈するのだが、そんな彼女たち(ほとんどが女性なので)の俺を見る目は、明らかに怪しい人物を見るような視線で、目も合わせずに素通りされてしまう有様。
全く見ない人物が今日になっていきなりそこにいるわけだから、そりゃまあ仕方ないか。
おまけに、そもそも男の先生自体がここでは珍しい。
園庭に出ているのは俺と、もう一人だけ。
あと、もう二人いるけど、その二人は年少組と年中組の担当で、教室の方にいるからここにはいない。
あと、他に先生は10人ほどいるが、園長先生以外はみんな女性。
こんなに男の少ない職場ってのは初めてだ。
こういう職場環境の中で、人間関係うまくやっていけるか、そっちの方でもちょっと心配なところはあるが。
それは一旦置いておいて。
そんなこともある上に、もちろん俺はこの国に元々いる人種じゃないから、迎えの親御さんなどからの視線がとにかく痛い。
こっち見てひそひそ話まで何かされちゃってる始末。
これ、あんまり良い状況じゃないな……。
話すらできそうな感じじゃないぞ。
情報を引き出すにしても、話ができなきゃどうにもならない。
思いの外悪い状況からのスタートに、任務を無事全うできるか心配になってきた。
そんな俺の内心の焦りをよそに。
「皆さん、こちら、新任のマット先生です。体操や運動の指導を主に担当します」
園長先生が玄関前に集まってきた迎えの親御さんその他に対して、俺のことを軽く紹介する。
「見慣れない風貌ですけれど、どちらの方です?」
一人の、けっこうな身分とおぼしきマダムが尋ねる。
「アマルランド出身のヒューミニア種族です」
「ああ、なるほど、それで……」
そのマダムはジロジロと俺の顔を舐めるように観察する。
この国の種族であれば当然のような、尖った耳がないからな。
物珍しさも手伝ってか、俺を観察するその視線は、まさに珍獣を見るような目、そのもの。
「それにしても、珍しくありません? 外国から先生をお招きするというのも……」
そんな声が上がった。
まあ、確かに、普通の幼稚園でも、教師を外国人から採用するって、あんまり聞かないよな。
「まあ、そこはたまたまと言いますか。特に他意はないですよ。彼は、留学期間中の生活費を稼ぐ必要があったみたいで」
園長先生からのとんでもない出まかせが飛び出て一瞬ぎょっとした。
「あら。どちらの留学生でいらっしゃるのかしら?」
「アマルランド王国の外務省が毎年送り込んでくる留学生ですね。いずれは外務省に入省されるんですよ……ね?」
最後の「ね?」の所は、有無を言わさぬ勢いの強い調子と視線でこっちに振られてきたため、こっちも。
「あっ、ハイ。そうですね……」
と、思わず頷いてしまった。
「そんなわけですから、彼の身元にはアマルランド大使館の太鼓判が押されていますから、どうぞご心配なく。あなたも、大使館、ひいては国家の信用がかかってますものね。下手なことはできないでしょう?」
「……そ、そうですね……」
園長先生、穏やかそうに見えて、こりゃ実はとんでもないくせ者だぞ……。
平然と出まかせ言って、マダムたちを納得させると同時に、俺に思いっきり釘を刺している。
たいした肝っ玉だ。
このやり取りに、マダムたちも。
「あら、そうなの? アマルランド大使館の身元保証があるなら確かに安心ですね」
「先生。しっかり勉強して、将来は両国の関係の発展に是非貢献して下さいね」
「あ、は、はい……」
園長先生の出まかせにすっかり納得してしまっていた。
さすがにこういう所の園長任されるくらいだから、かなり信用のある人ではあるんだろうけど。
「園長先生、いきなりあんな大嘘やめて下さいよ……。こっちまでびっくりするじゃないですか」
一通り俺の紹介にまつわるやり取りが済んで、マダムたちがそれぞれ他の話題のお喋りに移った後、そっと目立たぬように園長先生に耳打ちすると。
園長先生は笑いながら。
「まあ、こういう事になりましたんで、先生もそういう設定でよろしくお願いします」
そういう設定でって……。
つまり、ナチュラルに出まかせなんですね……。
思わずこっちが苦笑いだ。
設定忘れないようにどっかメモっておかなきゃな。