第2章 友好国エルフィンからの秘密依頼 その2
「なんか、すみませんね。訳の分からない買い物に付き合わせることになってしまって」
彼女に連れられて、大使館を出て、表通りを歩きながら、ミアさんにそう声をかけると。
「いえ。大丈夫ですよ。こういうことには慣れていますから」
そう言って、彼女はにっこりと笑う。
「やっぱり、こういうことって、結構あるんですか?」
「ええ、ありますよ。こういう職場柄、詳細を明かせない用事というのは多いものでして」
「やっぱりそうですか……」
「結構こういう事はありますから、慣れてますし、大丈夫ですよ」
ミアさんはにこにこ顔でそう言う。
「そう言って頂けると少し気が楽になります」
「いえいえ。私なんてその後ろにあることを何も知らないものですから、気楽なものですよ。むしろ、今日も単純にちょっとした冒険みたいに思って、お買い物を楽しみにしてるんです。自分のじゃないお買い物って、なんか楽しくありませんか?」
そういうミアさんは心底楽しそうだ。
「そういう感覚は、私にはピンとこないものがありますが、そう思って頂けるのであれば、とことん頼りにさせていただきます」
「はい。頼っちゃって下さい!」
そんなわけで、表通りから1本入った路地にあるお店に案内された。
「ここでよろしいでしょうか」
「僕はあまりこういうの詳しくないので……お任せします」
「分かりました。では、入りましょう」
彼女に連れられて、お店に入っていくと。
そこはかなりカジュアルな衣服を専門に扱っているお店で。
「やっぱり、幼稚園ですからね……。子供は泥遊びとかもしますし。こういうオーバーオールにTシャツかトレーナーみたいな感じの服装が良いんじゃないかと思いますね」
確かに、小さい子供たちと遊んだりするなら、こういう服装の方が良いかもしれない。
「中尉はどんな感じの色がお好みですか?」
「そうですねぇ……」
自分の趣味で選ぶと……。
棚からオーバーオールとトレーナーを一着ずつ取り出してみる。
すると、「え……」といった感じで、ミアさんはあからさまに顔をしかめてしまった。
「上下黒ずくめですか……?」
「……やっぱり、いけませんかね……?」
「黒は汚れが目立ちやすいですからね……あまり幼稚園で勤務するには向きませんよ。それに、ちょっと怖いです……」
「怖い……ですか……?」
「そうですねぇ……ちょっと厳つすぎますね。気の弱い子供だとうっかり泣かせちゃいそうですね……」
……俺って、そんなに怖い感じか?
目立たない感じとはよく同僚や上官にはよく言われていたが……。
厳ついと言われたのはあまり経験がないので、ちょっと面食らう。
「中尉は普段こういう感じのが趣味なんですか?」
「趣味というか……普段からあまり目立たない感じにするのが身についてしまっていて……」
特に、夜、闇に溶け込むには黒系はもってこいだからな……。
「そうでしたか……。でも、幼稚園で勤務するんでしたら、もっと、こういう明るい感じのが良いですよ」
そう言って、彼女が引っ張り出してきたのは、オーバーオールはグレー、そしてトレーナーは薄めの水色の組み合わせだった。
「ホントはもっと、オーバーオールなんかは赤とか茶色ではっちゃけても良いと思うんですけど、これなら多少落ち着いた感もあって、それでいて厳つくもならない感じで良いと思いました」
ふむ……なるほど。
やはり女性の服飾のセンスは鋭いものがあるな。
さりげなく、俺の拒否感の少ないところで、厳ついイメージが出ないような色の組み合わせをサッと選び出してくる。
「そうですね。では、これにしましょう」
俺も、彼女の意見に同意して、買い物籠にそれを入れる。
だが。
「あ、ちょっと待って下さい。一着だけじゃとても足りませんよ。たぶん、最低でもあと2着分は必要かと。上のトレーナーはもっとあっても良いと思いますし、暑い日用にTシャツも選んでおかないと」
「えっ? ……あ、わかりました……」
まだまだ解放とはいかないようだった。
買った服のサイズ合わせをお店で済ませ、結構大きな買い物袋を抱えて大使館に戻り、軍服から着替えて、ダイアー中佐に見せると。
「うん、ちょっと地味な気もするが、まあいいか」
とりあえず、合格点は出たようだ。
ホッと胸をなで下ろす。
ミアさんには感謝だな。
当のミアさんは、俺をここまで通すとそのまま下がってしまって、もうここにはいないが。
時間帯としては、既に夕日もそろそろ落ちてしまう頃。
今夜は大使館の宿泊棟に泊まろうか等と考えていたくらいだったが。
「さて、バーンズリー中尉。身支度もできたところで、早速現地へ向かうぞ」
「現地……幼稚園へ、ですか」
「そうだ。不服かね?」
「いえ、決して」
「ならば、すぐに行くぞ」
有無を言わさぬ勢いで、すぐに部屋を出るダイアー中佐。
俺も急いで荷物をまとめて、彼の後を追う。
既に中佐は馬車を用意していて、彼に続いて俺も転がり込むように乗り込んだ。
俺の勤務する予定の幼稚園は、この町の中心となる城内にある。
当然、城内へ通じる城門では検問がなされていて、外から一般民は特に城内の誰かから招待を受けるなどしていなければ入ることができないのだが、友好国の大使館員はそこはフリーパス。
我々も、大使館の身分証を中佐が示しただけで、そのまま何事もなく通された。
そして、間もなく、馬車が停車する。
どうやら、目的地に着いたようだ。
金属の柵状の門扉に金の装飾が施された門の奥に、石造りの雰囲気たっぷりの建物。
どうやらこれが幼稚園の園舎のようだ。
ダイアー中佐が呼び鈴を押すと、園舎の方から事務員らしき女性が応対に出てきて、二言三言中佐が話すと、すぐに門が開けられ、中に通される。
園舎の1階のいちばん東の奥にある大きな部屋に通された。
「すみません。お待たせいたしました」
ダイアー中佐が奥の机に座る人物に敬礼する。
俺も慌ててその後ろで彼に倣う。
「お待ちしておりました。そちらの方ですか?」
奥の机に座っていた人物が、俺の方を見る。
「はい。本国から呼び寄せました。若いですが、潜伏任務の経験豊富な情報部員です」
そう言うと、中佐殿は小声で
「さ、自己紹介を」
と、俺を促す。
「本日からお世話になります。バーンズリー中佐であります」
もう一度姿勢を正して敬礼。
ただ、何しろ態がオーバーオールにトレーナーの出で立ちだ。
イマイチ格好が付かないなと自分でも内心苦笑する。
「その格好は?」
まあ、早速突っ込まれるよな。
「さすがに軍服で勤務……というわけにもいきませんし、幼稚園教師っぽい服装……ということで、大使館の秘書官の方に選んでいただいたものです」
正直にそう答えると、奥の机に座っている人物は、思わず苦笑い。
「そうですか……」
「やっぱり、ちょっと変でしたか?」
「いえ、まあ、悪くはありません。むしろ、そういう服の方がここで子供たちの世話をするには向いていますから」
そこで、彼はハッと気が付いたような顔をして。
「いけない。自己紹介が遅れました。園長を務めております、フェデリコ・タラリーコと申します」
そうか、この人が園長先生か。
多分そうだとは思ったけど。
「では、あとは園長先生にお任せします。必要なことはどんどん指示してやって下さい」
ダイアー中佐はそう言って、もう一度園長先生に敬礼。
そして。
「あとは君に任せた。しっかり頼むぞ」
ポンと俺の肩を叩いて、そのまま帰って行ってしまった。
え、ちょっと……!
今日俺どこ泊まればいいんですか?
それを尋ねる間すらなかった。
……参ったなぁ……。
中佐殿の出て行ったドアの方を見たまま、固まっていた俺だったが。
「では、バーンズリー中尉」
園長先生に呼ばれて、ハッと我に返る。
「はい」
もう一度園長先生の方に向き直る。
「当幼稚園のことについてはどの程度説明を受けていますか?」
そう尋ねられ。
「はい。国内の首長やその一族の子女が通っていると伺っております」
正直に答える。
「他には?」
「他には何も。聞いているのはそのくらいです」
そう答えると、園長先生は「そうですか」と相づちを打つ。
「そうすると、細かいことはあまり聞いていらっしゃらないということですね。分かりました」
そう頷くと、園長先生はこの幼稚園のことについて、説明する。
最初に聞いていた通り、この幼稚園は各地域の首長やその一族の子女が通うために設立された経緯があり、教職員は政治的な活動などに関与することは禁止されている。
今回の大酋長選にまつわる一件でも改めて浮き彫りになった通り、この国は緩やかな首長連合という側面があり、首長間の政治的な争いは歴史的に珍しいものではなく、国内のあらゆる立場の首長の子女を一手に預かる場であり、子供たちの安全を最優先する以上、教職員がどこかの勢力に肩入れするということはあってはならないということなのだ。
そのことについては、俺もこの場でしっかりと釘を刺された。
とはいえ、俺はあくまでこの国の人間ではなく、よそ者であるから、中立でいやすいが。
他の、ずっとここに勤めている教職員は、それぞれに出身部族がある以上、場合によっては放っておいても難しい立場に陥りそうだな……ということは理解できた。
それからもうひとつ、子供に対してはどの子に対しても同じように接するようにということも、注意を促された。
大人と子供の間でも、どうしても性格的に合う合わないはあるもので、仲良くなりやすい子と合わない子と、できてしまうのは仕方がない。
ただ、子供はとても扱いの差には敏感なので、扱いには絶対に差を付けないことは気をつけて欲しいと、そういうことだった。
おまけに、ここは有力者の子弟ばかりが集まる幼稚園。
そういうことをその子供の親に知られると、大変なことにもなるからだ。
それと、もう一つ。
この幼稚園の教職員は本来は城内を自由に出入りすることが許されない身分の者であるため、当然のことながら、住居を城内に持っていない。
同時に、通っている子女の情報を保護する観点から、教職員は基本的に外から通勤するのではなく、園内に併設してある職員寮に起居する事になっており、俺の部屋も既に用意されているとのこと。
……そういうことは最初に言って下さいよ、中佐殿。
なお、買い物は毎日城の御用商人が御用聞きに来るので、その時に言っておけば、翌日にはだいたい必要なものはそこで手に入るとのこと。
その話でちょっとホッとした。
今夜の宿もどうしようかと思っていたからな……。
「では、早速あなたの部屋に案内しましょうか」
「すみません」
「では、こちらへどうぞ」
園長室を出て、隣の棟へ渡り、その棟の3階の一室が、俺に宛がわれた部屋だ。
部屋は一人用のコンドミニアムの一室といった感じで、シャワールームやトイレはもちろん、キッチンの設備もしっかり整っていて、自炊もできるようになっている。
「一応、日常の生活に関することはこの部屋でだいたい完結するようになっていますが、足りないものなどもあるでしょうから、そういうことについてはいつでも私に相談して下さい。それと、食事は自炊も可能ですが、1階の職員食堂で朝と夜の2食出ます。お昼は子供たちと一緒に給食になります。職員食堂を使うのであれば、前日の夕方までに職員室で申請を出しておけば大丈夫です。今夜と明日の分は、私の方から申請しておきましたが、明後日の分からはご自分で申請してください」
「ありがとうございます」
「では、あとはまた明日の朝に。朝食を済ませて、8時にまた園長室まで来て下さい。今夜はゆっくり休んで、明日に備えて下さいね」
そう言って、園長先生は「それではまた明日の朝」と言って、帰って行った。
怒濤の一日が終わった。
……そう言えば、夕飯がまだだったっけ……。
どうしようか……?
………………ん?
さっき、園長先生がサラッと言ってたっけ?
今夜の分、申請出してくれてるって……。
一応、行くアテも他にないし、行ってみるか。
1階だって言ってたな……。
一旦部屋から出て、1階に降りてみると、職員食堂はそこだけ明るくてすぐに分かった。
夕食営業の時間も終わり近い時間になってしまっていて、メイン料理は余り物の2~3皿くらいしか残っていなかったが、早めに来れば日替わりで5種類くらいのメイン料理の中から選べるようになっているようだ。
その他、サラダや付け合わせ料理、スープ類が幾つか用意されていて、自由に持って行くことができる他、パンも酒類が10酒類くらいあって、これも好きなだけ持って行って良いことになっている。
これが職員は無料で利用できるのだから、自炊できなくても安心だな。
職員食堂に入った時間がだいぶ遅くなってしまったから、あれこれ売り切れは多かったものの、大満足だった。
そんなわけで、おなかも膨らんだので、その日は翌日に備えてさっさとシャワーを浴びて、早めにベッドに入って休むことにした。