第2章 友好国エルフィンからの秘密依頼 その1
目的地のエルフィン首長国連邦の首都ガーラントは、我が国の首都、スチルフォードから船に乗って3日ほどの行程。
東西に大きく広がるメディテリア海を挟んで南の対岸側、深く南の大陸の奥まで切れ込んだ湾の奥に位置する都市だ。
国自体はそれほど大きな国ではなく、湾の周囲にひしめく様々な国に取り囲まれた小国で、主に海運を生業にする国家である。
それだけに、周辺国との外交関係が複雑で、特に湾の周辺の国との関係が悪化して湾内で封鎖行動を取られると死活問題となる。
そういった国家的背景があるためか、伝統的に海軍力には特に力を入れており、現在も強力な艦隊が幾つかこの周辺で勇名を轟かせている。
また、国内政治の特徴としては、国内30程に分かれた部族の首長連合という性格を持つ国で、その首長間の互選という形で、元首に当たる大酋長が選出される習わしになっている。
そのため、今ひとつ国が一枚岩になれないところが昔はあったようで、政情が不安定な時期も長かったのだが、20年程前からつい最近亡くなるまで大酋長を務めていた人物が、相当尊敬を集める人物だったらしく、そのおかげもあってか近年は大変政情も落ち着き、政情の安定を背景に大きく繁栄するようになった……というのは、情報部に身を置いていれば基礎知識として知っていること。
ただ、その大酋長がつい先日亡くなってしまって、これからどうなるか……。
詳しいことはまだ伝えられていないが、それでも、ここにこのタイミングで送り込まれたということは、今後のこの国の情勢について探れと、そういうことなのだということくらいは分かる。
それにしても、潜伏先が幼稚園とは……どういうことなのか。
その意味までは、その時の俺にはまだ分かっていなかった。
とりあえず、船着き場で船を下りた俺は、手近な乗り合い馬車を捕まえて、大使館へと向かったのだった。
我が王国のエルフィン首長国連邦駐在大使館は港から馬車で30分程。
距離の割にかなり時間がかかった感じがする。
スムーズに進んだのは港から10分くらいまでで、そこから先は大通りに人が溢れていて、進んでは止まっての繰り返しだったからな。
繁華街の賑わいは我が王国の王都も敵わんレベルだな。
活気があって良い街だ。
ただ、もうちょい道の混雑はなんとかならないものだろうか。
なかなか前に進まない道に少々難儀しつつ、繁華街を抜けた先にある官庁街の真っ只中に我が国の大使館がある。
王国の威容を見せつけるような奢侈な装飾が施された高い外壁に隔てられ、門の奥は広々とした、ゆとりある空間になっているのが特徴だ。
大使館の周囲はかなり建物が密集していて窮屈な感じの町並みなのだが、ここだけ高い外壁で内部が窺えないだけでなく、門から見える内部が広いという。
もちろん、大使館の中が外から覗かれてしまっては困るわけで、そのために高い壁が存在するわけだが、その壁の内部は広々とした空間にちょっとした宮殿といった感の本部棟に、左側には大使館員や出張要員が宿泊する宿泊棟、右側には大使公邸が配置されている。
もはや、ちょっとした城である。
ちなみに、公邸は動線が完全に区切られていて、大使館の大手門からは直接出入りができないようになっていて、本部棟を経由しなければならないようになっている。
大使やその家族の私的な外出や、出入りを秘密にしなければならない要員の出入りについては、大手門とは反対側に小さな出入り口がある。
そちら側はちょっとした森林公園になっていて、昼間でも静かで人通りも少ないため、目立たずに済む上、夜は明かりを消せば真っ暗になるので、そういった用途にはもってこいなのだ。
まあ、よくできているものだなー……。
そんなことをぼんやり考えながら、俺は馬車を降りて、大使館の門をくぐった。
受付で閣下から受け取った命令書を渡して、中と取り次いでもらう。
しばらく待たされてから、受付嬢が戻ってきて。
「お待たせいたしました。こちらからどうぞ」
受付の後ろ側にある、職員用の入口を開けて中に入れてくれる。
「この階段を2階に上がって左方向、8号室です」
「ありがとう」
受付嬢の簡潔な案内通りに進んでいくと、目的の部屋の扉はすぐに見つかった。
扉には8号室を示す「8」の番号のプレートが取り付けてあり、その下に「駐在武官室」の表札が掛けられていた。
静かにノックすると。
「入れ」
部屋の主から声がかかる。
「失礼します」
サッと部屋に入って扉を閉め、敬礼する。
「バーンズリー中尉、着任いたしました!」
「ご苦労だったな。私が駐在武官のダイアーだ」
執務机に据わっていた駐在武官の中佐がゆっくりとした動きで敬礼を返す。
「早速任務について話をしよう。そこに掛けたまえ」
「はっ!」
言われたとおり、応接用の椅子に掛ける。
ダイアー中佐は、傍らの事務机にいた秘書官と思われる女性に手で席を外すよう合図をすると、彼女は静かに立ち上がって、一礼して部屋を後にしていった。
「さて、君にこれからやってもらう任務だが……」
ダイアー中佐は資料の入ったケースを棚から出してきて、そこから幾つかの図面を俺の前に並べる。
「これが、君が表向き教師として勤務することになる幼稚園への地図と、内部の見取り図、それから、幼稚園の周辺を拡大した地図だ。これは持って行っても良いが、しっかり頭の中に叩き込んでおくように」
幼稚園に潜り込むのはいいとして……ここから何を狙うのか、任務の意図を探ろうと、周囲に何があるか、地図を見るが……ここは……城内か?
城内には各地方の首長たちの屋敷があって、各首長たちが首都に出仕する際の滞在場所となっているだけではなく、必ず一族の誰かはここに常駐しているし、多くは妻子をここに住まわせている。
ということは、俺が潜り込む幼稚園は、そういった首長やその一族の子女が通う幼稚園ということだ。
そこの幼稚園の教師か……確かに、子供を通じて送り迎えの母親とかメイドとかには近づきやすいかもしれないな。
つまりは、その線から首長たちの動きを探れ……ということか。
地図で幼稚園の立地を見た時に、瞬間的にそこまで頭の中で繋がった。
なるほどという感じで自然と頷いてしまう俺の様子を見て、ダイアー中佐は。
「バーンズリー中尉、何か腑に落ちたかな?」
「あ、いえ。城内潜伏なんですね……と。親との接触もできそうですし……」
「ふむ。君のことは、若いがなかなかやり手の情報部員だという話は聞いているが、なかなか察しが良いようだね。確かに、そういう方面からの情報収集も任務の一つではあるのだが、今回は別にそれよりも重要な任務がある」
情報収集に打って付けの環境で、それよりも重要度の高い任務か……考えられるのは、要人警護とか、その類いだろうか?
そこまでするほどの要人か……。
幼稚園だろ?
「君にまずお願いしたいことは、その幼稚園に通う園児たちを警護してもらいたい」
「園児たち……とは、警護対象は一人じゃないということですか?」
「一人じゃない。全員だ」
ダイアー中佐は表情を変えずにそう俺に告げる。
「君に潜入してもらう幼稚園は、君もある程度察しているかとは思うが、この国の各地方の首長たちやその一族の子女が通う、専門の幼稚園だ。そこに通う子供たちの安全を確保してもらいたい」
「園児の安全確保ですか……。それをなぜ私に?」
「実はな……」
ダイアー中佐は大まかな背景を説明し始める。
これまで20年間に渡って人望を集めていた大酋長が亡くなったことで、急遽後任の大酋長を決める首長総会が近く行われることになるのだが、全国の首長が大きく2派に分かれて激しい選挙戦を展開しているのだという。
ここまで、両派が激しく競り合っていて、勝敗がどちらに転ぶか分からない状況、選挙戦は過熱気味の様相で、近頃は一部の首長への脅迫紛いな出来事も散見されているらしい。
そんなわけで、いつ何時、首長たちの家族がこの争いに巻き込まれてもおかしくない状況で、特にそういった首長たちの一族の幼い子供たちの安全を守りたいということで、この国のさるお方から大使館に相談があったという。
特に、その中でも亡くなった大酋長の孫娘がこの幼稚園に通っており、最も狙われる可能性が考えられるという。
なんでも、現在亡くなった大酋長の地盤を引き継いだ長男が、現在は暫定的に大酋長の事務を担っており、その立場も考慮してどちらの派閥にも肩入れしないようにしているのだが、逆にそれ故に、また、国内でも5指に入る有力首長であることもあって、どちらの派閥からも狙われていて、親族周りにも脅迫やら襲撃やらといった事態が増えているという。
いずれにせよ、子供たちに大人の争いは関係ない。
幼稚園の中は、大人の対立構造とは関係なく、子供たちが入り乱れて呉越同舟状態。
それが逆に幸いしているのか、今のところはまだ子供たちが園内で襲われるというような事態は起こっていないが、そもそも幼稚園の中はほぼ無防備状態。
何かあった時に、子供たちを守れる人間が欲しい。
そういうことだそうだ。
「理解できたか? バーンズリー中尉」
あちこち、開示できない情報を伏せているのは説明の中身からも察したが、それでもなんとなく、中立的な立場で守ってくれそうな者を国内で見つけるのが難しそうだな……というのは見当が付いた。
「はい」
そう頷くと、ダイアー中佐は俺の格好を見て。
「ちなみにバーンズリー君。君は私服は持参してきているかね?」
「私服……ですか?」
「そうだ。さすがに今回の任務はそのナリでやるわけにはいかんからな」
確かに、軍服のままで幼稚園教師って訳にもいかないだろう事は、俺にも分かる。
「とりあえず、持参しているなら見せてくれないか?」
「は……」
持ち歩いてきて、席の傍らに置いていたトランクを開けて、座っていたソファーの上に私服の類いを並べていく。
言われた通りにしつつ、ちらりとダイアー中佐の様子をちらりと盗み見てみると……どうも反応が芳しくない。
「う~む……」
中佐殿はあからさまに渋い顔だ。
どうやら、お気に召さなかったようだ。
「これだといけませんかね……?」
「そうだなぁ……。中学や高校の教師とかならいけるんだろうがなぁ……。今ひとつキッチリし過ぎているな。もういい。資料も一緒にしまいたまえ」
「はっ」
命じられた通り、服と渡された資料をトランクに片付ける。
「小さい子供たち相手だからな。もっと汚れてもいい服装でないとな。そうでないと、明らかに異質な人物だとバレてしまう」
中佐殿はそう言って、俺が資料などの書類や私服を片付け終えたことを確認してから。
チリンチリンと、ベルを鳴らした。
そうすると、先程席を外した秘書官の女性がすぐに戻ってきた。
「ミアさん。一つ仕事を頼んで良いか?」
「はい、何なりと」
ミアさんと呼ばれた女性は、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「ここにいるバーンズリー中尉を連れて、服を買いに行ってもらえないか? 幼稚園教師っぽく見えるヤツを」
ちょっと一風変わったオーダーに、彼女は少しばかり首を傾げる。
「……幼稚園教師っぽい服……ですか……?」
俺と中佐殿を見比べながら、そう尋ねる彼女。
「そうだ。詳細については話せないが、彼はそういうのに向いた服を持っていないようなのだ。頼めるか?」
「はい、かしこまりました」
ミアさんは恭しくお辞儀をして、中佐のオーダーを請け合った。
「では、こちらのバーンズリー中尉をこのままお連れしてもよろしいのですね?」
「ああ、頼む」
「わかりました。では、バーンズリー中尉、一緒に参りましょう」
「すみません。よろしくお願いします」
ミアさんに促されるまま、俺は彼女について、部屋を出た。