第8章 先手必勝
そして、いよいよ大酋長選の前日となった。
そして、この日は俺がこの幼稚園潜入任務、最後の日。
前夜、ダイアー中佐に夕食に引っ張って行かれた後、幼稚園に戻った俺は、念のため、教室棟の隅々まで不審者が紛れ込んでいないか、確認して回ったが、特に何も見つからず。
最後の日の朝を迎えた。
いつも通りの登園風景。
子供たちを連れてくる人たちともそれなりに顔なじみになり、見ない顔が居れば俺にもすぐに分かるようになったが、特に不審な人物を見かけることもなく。
ある意味最も警戒していた時間帯に何事も起きず、むしろ不気味さしか感じない。
このまま何も起こらなければいいのだが……。
もしかしたら、諦めてくれたのだろうか。
だとしたら、どんなに有り難いか。
そんなことも一瞬頭によぎった、最後の日の授業時間中に、事件は起こった。
全クラス合同での避難待機訓練中。
突然、カシャーンという、窓が割れたような音がした。
反射的に、子供たちに「静かに!」と合図すると、子供たちは状況を分かったようで、元々訓練中でうるさくしてたわけではなかったが、その合図で完全に教室はシーンと静まりかえる。
バタバタバタと幾つもの足音が2階の廊下に響く。
強襲か……!
高い壁を乗り越えてきたか、それとも城壁から伝って降りてきたか……侵入経路はこの際どうでもいい。
それよりも、出入り口が開いている送り迎えの時間帯は園庭に教職員の目があって見つかりやすいが、逆に言えば、壁を越えたりどうにかして通用口を開けたりできれば、授業時間帯は園庭に人の目はほとんど無い。
そこを狙ってきたか。
俺はサッと入口のドア脇に張り付いて、耳を凝らして足音の数を確認する。
1,2,3……3人ってとこか。
通路の向こう、遠い方の教室から順にバタン、バタンと扉が開けられる音がする。
一部屋一部屋中を確認しながら、こちらへと向かってくるのが分かる。
チラッと子供たちの方を見る。
全員がぬいぐるみの間に伏せたり、影に隠れたりしつつ、俺や担当教師の一挙手一投足を固唾を呑んで凝視している。
怖がっている子や、普段から怖がりで知られている子の側には、こちらが何も言わずとも、年長組の男の子たちが手分けして側についてくれている。
えらいぞ、おまえら。
そんな彼らに、大丈夫と小声で頷いて、もう一度、静かに……と、合図。
子供たちもそれに頷いてくれる。
バタン!
隣の部屋の扉が開けられる音。
次は、ここだ。
さあ来い。
俺は拳銃を抜いて構える。
息を殺してドアの向こうの様子に意識を集中する。
ゆっくりとこちらに敵さんが近付いてくる。
おそらく、あちらさんにも子供たちがこの部屋にいるのはもう分かっているはず。
足音の近づき方も、今までとは違ってかなり慎重になっているようだった。
ドアのすぐ向こうに人の気配が感じられる。
……来るぞ。
かすかにドアノブが動いた。
その瞬間。
構えた拳銃からドアに向けて。
タン、タン、タン、タン、タンッ!
足元から順繰りにほぼ等間隔に胸くらいの高さまで、5発発砲する。
「グワッ!」
「ぎゃっ!」
「うおぁっ!」
3人のうめき声と、ドサッドサッドサッという、倒れ込んだ音が3つ。
銃を構えたまま素早くドアを開けると、倒れた3人は呻いたまま動けないでいた。
俺は3人に向けて銃を向けたまま。
「マリエル先生、警吏を呼んで下さい。それと、他の先生方、そこに立って下さい。子供たちからドアの外が見えないように」
俺の指示を受け、先生方が動いてくれる。
一人は俺の指示に従い、警吏を呼びに飛び出していき、他の先生方はドアと子供たちの間に立って、目隠しをする。
「あ、ジゼル先生! そっちに使ってないカーテン布があると思うんだけど、持ってきて」
「これですか?」
「ああ、それそれ! それを二人で持てば目隠しは二人で良いでしょ」
先生たちも上手いこと動いてくれる。
そして、手の空いた先生方が廊下に出てきて、手早く倒れた3人の侵入者を縛った上で介抱をしたりし始める。
そうしているうちに、こっちにいた先生の誰かが1階の職員室で息を潜めて隠れていた他の教職員を呼んできたらしく、数人の職員と共に、園長先生も駆けつけてきた。
「マット先生! 子供たちは……?」
「大丈夫です。子供たちには何事もありません」
「そうですか。中には入れますね?」
「はい、どうぞ。子供たちも安心します」
園長先生は子供たちのいる部屋へ入っていく。
子供たちは静かにしたまま待機していたが、園長先生が中に入ってくると、教室の中からはホッとした溜息が漏れ聞こえてくる。
園長先生が何か園児たちに離しているのが聞こえる中、今度はまた下から駆け足で上がっていく足音が聞こえてくる。
上がってきたのはマリエル先生と、軍服と思しき制服を着用した男たち。
マリエル先生が警吏を呼んできたのだ。
銃弾を受けて倒れ、縛られて猿轡を噛まされた侵入者3人の様子を見ると、その中の指揮官と思われる人物が、
「すぐに連れて行け。傷の手当ての後、尋問だ」
「はっ!」
伴ってきた数人の部下に命じて、彼らを運び出させる。
侵入者3人が運び出されていき、改めて現場周辺を見渡せば……。
2階通路は割れたガラスの破片があちこち散らばってる箇所があったり、床には血痕も。
ちょっとこれは子供たちを部屋から出す前に、掃除をしないといけないかな。
「とりあえず、掃除するか……」
掃除用具を取りに、一旦その場を離れようとすると。
「君。ちょっと待ちたまえ」
指揮官が俺を呼び止める。
「何か?」
「一応、大まかな話は聞いているが、君にも取り調べをする必要がある。勝手にどこかへ行くことは許さぬ」
「そこの用具置き場に掃除道具取りに行くのもダメですかね? ここ、この有様なんで、片付けないと子供たちを部屋から出してやれないのですが」
そう言うと。
「よかろう。ただし、逃げようとするなら射殺するぞ」
「分かってますよ」
背中に突き刺さるような視線を感じながら、俺は用具置き場へ行って掃除用具を取り出し、窓ガラスの破片を集め、全体を綺麗に掃いた後、床を拭いて、綺麗にした。
これで、子供たちを部屋から出せる。
マリエル先生に頷いて合図すると、彼女は教室のドアを開ける。
すると、園長先生に続いて、子供たちがぞろぞろと避難待機していた教室から出てくる。
年長組のアンリやパトリック他、数人が俺の所に来て。
「先生……すごいね……。先生って、ホントはいったい何者なの?」
そんなことを尋ねてくる。
「ははは……まあ、それは秘密だ」
まあ、訊かれたところで教えられるわけなどないのだが。
「うわ、ずりーよ……」
「先生、もったいぶらないで教えてよ」
子供たちは不満そうに口を尖らせるが。
「ほら、おまえたちはさっさと自分の教室に戻った戻った。まだ今日は終わってないぞ」
俺は話を打ち切って、子供たちを教室へ向かうように促す。
「そうよ、あなたたち。これから教室に戻って、算数のお稽古の時間よ?」
年長組担当のジゼル先生が、パトリックたちにそう言うと。
「ちぇ~っ! しかたない、もどるか」
「うん……そうだね……」
子供たちは残念そうに、その場を離れて行こうとする。
その時。
「あ、お父様!」
その子供たちの一団の中にいたアンジェが声を上げた。
顔を上げると、通路の向こうにヴィルトール卿の姿が。
大急ぎで駆けつけてきたらしく、その顔は緊張感からか幾分こわばった感じがあったが、無事なアンジェの姿を見て、その顔が少し緩む。
「みんな、無事だったか……」
目の前に居る子供たちは、どの子もかすり傷一つなく、その様子に彼はだいぶ安堵した様子。
「大丈夫です。全員、無事ですよ」
「そうか……」
ホッと安堵の息を吐くヴィルトール卿。
彼の登場に驚いたのは警吏の指揮官である。
彼は驚いた顔をしつつも、慌てて姿勢を正して敬礼する。
子供たちを教室へ向かうように促しているところで、ちょうどその場に居合わせてしまった形のジゼル先生は、子供たちを促しつつ、自分も子供たちと一緒にそっとその場を去って行った。
その場はヴィルトール卿と、俺と、警吏の指揮官の3人だけになった。
「大酋長代理。そろそろ私もこの辺で失礼致します。そこの彼を尋問しなくてはなりませんので」
そう言って、もう一度敬礼の後、俺の腕を掴んで連れて行こうとするが。
「待ちたまえ。それには及ばん」
ヴィルトール卿がそれを制止する。
「彼は、私がこの幼稚園の子供たちを守ってくれるように依頼した者だ」
「えっ……!」
彼は単なる幼稚園の襲撃案件と思って処理しようとしていたようだったから、まさかこれが国の暫定トップが直々に噛んでる案件というのは想定外だったようだ。
「で、襲撃犯は確保しているのかね?」
「はっ! 彼から銃弾を受けて怪我をしているので、手当の後、尋問の運びとなっておりますが……」
「よし。どこへ連れて行った? 私が身柄を引き取り尋問する。案内せよ」
「か……かしこまりましたっ!」
警吏の指揮官は、命令を受けて改めて姿勢を正して敬礼した後、ヴィルトール卿を伴ってその場を離れていく。
ヴィルトール卿も、彼と一緒に引き上げたが、去り際に。
「あともう少し、アンジェのこと、よろしく頼む」
そう、俺に耳打ちして出て行った。
わざわざ、俺に言い含めるように、耳打ちした。
それに、その台詞……「子供たち」とは言っていない。
「アンジェのこと」と言っていた。
……!!
そうか……彼が大急ぎでここまで出張ってきた理由。
それは、俺をこの場から剥がさないようにするためということもあったのか。
今日一日、それこそ子供たちを帰宅させるまで、油断ができないということか。
まだ、これで終わりではないのだ。
しかも、今回はアンジェ個人を名指しで俺に頼んだ。
……ということはだ。
まだ、アンジェはもう一度狙われる可能性が高いと彼は見ているいうこと。
幼稚園の強襲は失敗した。
この後、ガードの薄い時間帯といえば……。
そうか、そういうことか!
俺には、ヴィルトール卿が俺にわざわざ耳打ちしていった、その真の意味が飲み込めた。