第7章 予想される襲撃を前にして
翌日。
昨日大使館から届けてもらったぬいぐるみを箱から出すと、子供が隠れることができるくらい大きなぬいぐるみがだいぶたくさん増えて、それこそ避難場所の教室がぬいぐるみだらけというくらいになり。
昨日運び込む時、大きな箱で箱数も多かったから、結構奮発してくれたなぁとは思っていたが、並べてみたらだいぶすごいことに。
これで、子供たちも隠れる場所には困らないし、取り合ったりする必要もあまりなさそうで、俺としては有り難いのだけど、大酋長選が終わった後も、ここはもうぬいぐるみ部屋になるしかなさそうな気がするな……。
もう一つの空き教室に移しておいた玩具の類いをまたこっちへ戻したとして、置く場所は大丈夫だろうか……?
その辺がちょっと心配といえば心配だが。
そんなわけで、昨日はちょっとした騒動からうまくいかなかった避難訓練を今日はもう一度。
例によって例のごとく、まず年長さん組から。
避難用の教室に子供たちがやって来て、ぬいぐるみがたくさん増えた教室の中を見るなり、みんな目を輝かせた。
一瞬みんな色めき立って歓声が上がったけど、俺と担任の教師が二人で「みんな、しーっ、ね?」って合図をしたら、みんなすぐに静かになった。
子供たちは俺が最初思っていたよりもずっとすごい。
きちんと教えたことを覚えているし、よく見ていると、「しーっだよ、しーっ」って、お互いに声を掛け合ってくれている。
昨日はぬいぐるみをめぐって喧嘩をした子供たちも、今日は十分に数が増えたこともあってか、それぞれ譲り合ったりする姿すら見られる。
子供たちなりに反省もあったんだろう。
俺も必要と思われる対策はしておいたけれど、子供たちもいろいろと考えるところがあったようだ。
ここの子供たちは、恵まれた環境で生まれ育った子供たちばかりという特性もあるのだろうけど、きちんと信用ができる大人に対してはすごく素直なところがあって、教師の言うことにきちんと従ってくれる。
これならきっと、もし何かあった時は全3クラス合同で避難することになるけれど、この子たちだったら俺が教えたとおり、年下の子たちを守ってくれるだろう。
そんな手応えを感じる訓練ができた。
年中、年少組の訓練もうまくいけば、明日は全クラス合同で避難訓練しておきたいところだ。
そこまで、何事も起こらないことを祈らずには居られなかった。
で、その日午前中、年長組に続いて、年中・年少組の訓練も目立ったトラブルもなく、スムーズに済ませることができた。
きちんと噛み砕いて教える必要はあるけれど、丁寧に教えてやれば、子供たちの飲み込みは早い。
むしろ、コツさえ掴めれば、大人を教えるより覚えは早いかもしれない。
子供たちに行動訓練を施したここ何日かで、そんな感想すら覚えるほど。
さて、そこまでできて安堵したところで、ひとつ、試していないことを思い出した。
これからしばらくお昼休み。
子供たちは食事の時間であると共に、貴重な自由時間でもある。
その時に、知らない怪しい男がいたら、どんな反応をするだろうか?
きちんと教えたとおりに行動するだろうか?
そこを案じた俺は、突発ながら一計を講じることにした。
一旦宿舎棟の自室に戻り、服を着替え、帽子を目深にかぶり、眼鏡をかけ、ついでに付け髭も付ける。
そして、おもむろに子供たちの教室のある教室棟の2階へとゆっくりと、少し顔が見にくいように伏し目がちにしながら足を踏み入れる。
さて、子供たちはこんな姿をした俺を見て、どうするだろうか?
そう思いながらちらちらと周囲に視線をやっていると。
とてとてとてと、俺の存在に気付いた子供が2人、こっちへ寄ってきた。
年長組のアンリとパトリックだ。
おいおい、おまえら、教えたろ?
知らん奴に近付いてっちゃだめだって。
内心、これはマズいな……と思っていると。
「ねーねー、せんせー。なにしてるの?」
「へ?」
「マットせんせー、それ、変装ごっこ? 俺達も仲間に入れてよ!」
なんか思いっきりバレてた……。
思わぬ展開に、どうしようかと一瞬固まっていると。
後ろから肩を叩かれた。
「マット先生。あなた何をやってるんですか?」
振り向くと。
「園長先生……」
園長先生が怪訝な顔で立っていた。
「いや、あの……それは、ちょっと後ほど説明を……」
「わかりました。園長室へ来なさい」
「はい……」
ということで、園長室へドナドナされることになってしまった。
ちなみに、声をかけてきたアンリとパトリックの二人は、このやり取りで俺が怒られるということを察したらしく、園長先生に半ば引きずられるようにして連れて行かれる俺のことを、どこか哀れんだような視線で見送っていたのが印象的だった。
そして、連れて行かれた園長室で、この格好の理由を説明すると……。
少し呆れたというか、気が抜けたというか、そんな顔でひとしきり苦笑いした後。
「先生。よくわかったんじゃないですか? 子供は大人よりもごまかしが利かないんです。ちゃんと、あなたのことを観察してますよ。だから、あの程度の変装では見破られてしまうんです」
そんな説教を受けてしまった。
いや、本当にそこは園長先生の仰るとおりで。
まだまだ子供たちを侮っていた部分があったのかもしれない。
「ただ、確かに先生の言うとおり、実践を確認できていないことがあって不安が残るというのも分かります。でもね、私たちにできるのは、最後は子供たちを信じてやることです」
「子供たちを、信じる……ですか」
「そうですよ。先生が一生懸命毎日教えて訓練していることを、子供たちはきちんと守って行動しています。そうですよね?」
「はい……」
「あなたが丁寧に毎日のように教え込んでいることは、子供たちの心にちゃんと届いているんですよ。だから、最後はそこを信じましょう」
園長先生は、その言葉に力を込めていた。
「私たちも、子供たちに何から何まで事細かに教えて、それをその通りにできるかどうか、すべてを確認できるわけではありませんからね。ですから、大事なのは、教えたことが子供たちの心に届いているか、そこをいつも見るんです。子供たちの心にちゃんと届いていれば、子供たちはそこから大きくズレた行動はしないものですよ」
「そういうものですか……」
まだこの現場で曲がりなりにも教員として子供たちと接し始めてたったの数日の俺にはなかなかピンとこないところもあるが、園長先生のその言葉には、長年の経験からくるであろう実感がこもっていた。
確かに、すべてのシチュエーションをテストできるはずもないというのはまあもっともな話で、だとすれば、俺もそこは子供たちの心に届くように丁寧に教え続けるしかないと腹を括ったのだった。
それから、子供たちの訓練も順調にこなしつつ、無事に1日、また1日と経過していく。
毎日が気が抜けないが、その日一日無事に終わるとホッとする。
また、あの会見の日以来、ヴィルトール卿が夕方にアンジェのお迎えに来る彼女の母親を通じて、連日首長関係の情勢の連絡を届けてくれていて、大酋長選にまつわる動向を知ることができているが、その連絡内容を見る限り、いつ子供たちが狙われてもおかしくないという切迫感しかない。
そうして気が付くと、大酋長が決まる評議会まであと2日になっていた……。
選挙戦の様相は相変わらず両陣営互いに横一線で一進一退、それこそ、現在、大酋長の事務を預かるヴィルトール卿がその立場上、中立を保っているが、彼の動向が大酋長選の鍵を握る状況となり、俺の中ではある種の確信が生まれていた。
おそらく、アンジェは狙われる……と。
子供たちが帰宅した後、教室のある2階へ一人上がって、今一度各教室、さらにそれぞれの出入り口や窓など開口部の位置関係を丁寧に測定して、見取り図に仕立てる。
教室の扉は教室側に向かって開く開き戸になっている。
そして、一番奥の教室の中に入って、侵入路となるであろう扉を見つつ、自分の中でいざという時の戦い方をイメージしておく。
扉の材質は、板張りだが、ノックすると結構響く。
多分、中に空洞があるはず。
扉は防御面ではあまり期待はできないだろうな。
だが、襲撃する側としては、明確に特定の狙った獲物が居るはずで、無闇に子供たちに無差別に手出しはしないはず。
迂闊に狙った獲物以外の子供を傷つけでもすれば、もしかしたらそれまで味方だった首長が敵に回るかもしれないからだ。
あくまで、特定の獲物だけ捕獲して、脅しの材料に使うのが目的だろうから、それは避けたいはずだ。
そこが、俺の付け目だ。
しばらく戦い方を一人で幾つか検討した後、俺は一旦幼稚園を出て、大使館へ向かった。
大使館には駐在武官が主に日常の訓練の一環として行う射撃練習用の部屋がある。
そこで、念には念を入れて、何度も反復練習を繰り返す。
そうしてどのくらいが経ったか忘れた頃。
「精が出るな、バーンズリー中尉」
少し疲れて、小休止とばかり、拳銃を卓に置いた時、不意に背後から声をかけられる。
上官のダイアー中佐だった。
すぐさま向き直って姿勢を正し、敬礼する。
ダイアー中佐はゆっくりと答礼した後。
「大酋長選まであと2日……明日が幼稚園への張り込みも最後かか。……やはり、襲撃はあるかな?」
その問いかけに、俺はハッキリと。
「いつ来てもおかしくありません」
そう答える。
「だろうな」
ダイアー中佐も俺の言葉に頷く。
「戦が近いと神経が高ぶるものだが……少しは落ち着いたか?」
「そうですね……多少は……」
「まあ、そろそろこのくらいで上がっとけ。もうかれこれ1時間以上撃ってるぞ」
「え……?」
驚いて中佐の背後にある掛け時計に目をやると……本当だ。
「気付かなかったのか。だいぶ入り込んでいたようだな」
中佐殿はそう言って、俺の後ろの的に視線をやる。
「……きれいに中央に弾痕が集まっているな。さすがだ」
少し感嘆混じりの賞賛の言葉が彼の口を突いて出る。
「恐れ入ります」
「こんなに綺麗に弾痕が集まるのは、狙撃兵か諜報員かだとはよく耳にするが、その名に違わぬ腕前だ。俺らじゃこうは綺麗にまとまらん」
そう言うと、ダイアー中佐は、的の方のスポットライトのスイッチを落とし。
「ところでバーンズリー中尉。今夜はメシは食ったか?」
そんなことを尋ねてくる。
「いえ、まだであります」
俺がそう答えると。
「仕方のないヤツだな。腹が減っては戦はできんぞ。俺もこれからちょっと外で食ってこようと思っていたところだ。せっかくだから付き合え。今夜は俺のおごりだ」
ダイアー中佐は、そう言うと、「ほれ、銃、片付けてこい」と、卓に置いた練習用の銃を俺に押し付けて片付けさせ、そのまま強引に俺を引っ張って夜の街に連れ出したのだった。