表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絶対防衛アイドル戦線ピンク・チケット!!  作者: K@e:Dё
(1-0.5)+(1-0.5)=1章 / 誕生! 新たなるプリマドンナ!
9/51

第7話 / 極楽坂 / 大爆発! アイドルの明日はどっちだ!?

 話は少々前後する。


 ブシドーのライブを僕はステージ裾から見守っていた。ステージは突貫工事で組み上げられた割にはキチンと頑丈だった。アイドル用のステージは人用のそれと構造材からして異なる。並のアルミや鉄筋ではアイドルの体重、飛んだり跳ねたりする過重に耐え切れずに崩壊からの瓦解してしまうから――ブシドーを例に取ると彼女は身長こそ一四五センチだが体重となると三五〇キロを優に超える――アイドルニウム合金製の平板を何枚か、これもアイドルニウム合金製のネジやビスで留めて組み上げる。アイドルニウム合金はアイドルの人工骨格に使われるぐらいだから軽量頑丈弾性にも富むが、とは言え、それは鋼鉄と比較すればの話で、常人からすればステージのパーツ一つ取っても尋常ではなく重い。


 だからこそステージ材の運搬やその組み立てを担任する建築スタッフは頭数が多い。足りない力は手数で補えの理窟だ。が、だとしても、平均的なスタッフであればこうも素早くこうも的確な施工を完了するのは無理だろう。それにステージには、子細に観察すると、ブシドーが強く踏み込まないであろう部分には〝手抜き工事〟が施されていた。その部分の部品固定は安全基準を満たしていない。強く踏み込まないのだから満たしていなくともこれぐらいでいいだろうの精神だ。そこを手抜きする分、ジャンプする場所であったり、バク転する場所であったりは念入りに固定されている。限りある時間の効果的な使い方だ。小春日和さん恐るべしである。何故ならば、と、僕が考えていると、


「あの子は歌がお上手なのね」


 タケヤリちゃんが僕の隣に来ていた。彼女自身は歌が〝お得意ではない〟事で知られる。その歌声を一言で纏めるならば『ぼえー』だ。それが可愛いと主張するファンも居る。何にしても彼女に『歌が下手だ!』と面と向かって言える者はアイドル皇帝陛下を除いて誰も居ない。ヲリコン・チャート四位の実績を持つアイドルともなれば神に等しいからだ。現に、彼女の容姿を『暗い』と批判、批判とも言えない批判だが、兎に角、批判したファン・クラブ・メンバーが彼女個人のファン・クラブである〝イチオクソウヒノタマ〟のメンバーに刺される事件が起きている。(教皇庁が『推したアイドルの尊厳を守る為に同胞を刺す気概はあっぱれぷに!』と称賛したので彼は無罪放免と相成った。刺された側は病院のベッドで二日苦しんだ末に死んだ)


「そうだね」僕は当たり障りのない相槌を打った。彼女がヲリコン・チャート上位であるのは彼女の出身も影響していた。彼女は〝伺候席(しこうせき)〟の一つに数えられる星空家の令嬢だった。冗談を真に受けられては今後の僕の人生設計に差し障る。


 時間稼ぎ(かたがた)インカムのマイクに声を吹き込んだ。「出入り口付近担当の督応援官。出入口付近担当の督応援官。篠田さん。篠田さん。そう君です。貴方から見て二時の方向のお客さんが応援をさぼってる。波風立たないように対処して下さい。丁重に。それから音響さん。はい。ブシドーの高音は少し癖がある。そう。だからサビでハウると思います。はい。エコー抑えて」


 タケヤリちゃんはヤマブキイロ=オカシの包みを開けながらポツリと呟いた。「働き者ね」


「それ」僕は苦笑した。「〝美味しくないから要らないわじゃなかったのかい?〟」


 タケヤリちゃんの手がピタッと止まった。が、僕が肩を竦めると彼女はプイッとそっぽを向き、


「気が変わったの」と、お菓子を不機嫌そうに頬張った。食べ方が拙い。端の方がボロボロと零れる。或いは偶像症候群が咀嚼力にまで作用しているのかと思ったがそうではないらしい。彼女は単純に食べるのが下手だった。その綺麗な顔で貪るようにして食べられると呆気に取られてしまう。お陰で無線――『極楽坂さん照明のキッカケ下さい』――を聞き落しそうになった。危ない。タケヤリと云う名前で危なくない筈もないか。


「自治会長が貴方の所属や階級を〝首都〟に照会したそうよ」


 タケヤリちゃんは僕の手が空いたタイミングで言った。


「賢いね。名刺を貰った位で人の素性を信頼するべきではないからね」


「でも貴方はとても有名な人なんでしょ?」


「とても有名な人」僕は後頭部を掻きそうになって止めた。毛根が死ぬ。「どうだろう」


「特等マネージャーは名誉階級。一等マネージャーの中でも際立った功績を立てたが、諸般の事情で、プロデューサーに昇進しない者に便宜的に与えられる。違う?」


「違わない。でも有名だったのは僕でなくて担当アイドルのモモだ。アイドルの顔は覚えていてもその担当マネージャーの顔まで覚えているのは余程の精読者レズールでもない限り希だよ。後、僕が特等マネージャーになれたのは、僕は幼年学校、マネージャー養成学校卒でないから、学閥でハブられてプロデューサーになれなかったからだ。偶然だよ。まあ僕自身にその意思もなかったしね」


 タケヤリちゃんはお菓子をモグモグしながら――小首を傾げて『れずーる?』と呟いた後で――目だけで『どうして?』と尋ねた。喋り過ぎを自覚しながらも僕は「モモの為だ」と答えた。そのタイミングでブシドーが跳んだ。額から項から首筋から汗が跳ぶ。その汗が照明を乱反射してキラキラと光り、人々の視線がその光に吸われるように集まって、『自分もあんなに輝けたら!』と思うのが手に取るように分かる。アイドルは自走する夢と憧れのミラーボールだ。その実態が死を待つ身だと分かっていても誰にも憧れは止められない。観客の一割を占める少女たちはこのライブが終わったらその足で最寄りの事務所の門を叩くだろう。


 自治会長の指摘は当たっている。アイドルとは少女の自尊心と自己顕示欲をオートマティックに兵器化するシステムに過ぎない。


「アイドルの世界にはこんな警句がある。〝ファンの嫁は半年毎に変わる〟だ。ファン・クラブ・メンバーは正直だよ。〝割り当て〟で強制的に推されるアイドルとは別に本命の推しアイドルを誰だって持つだろう。割り当てアイドルと本命とでは応援の質に相当な差が開く。が、その本命も、数カ月置きに、新しい子が出るとそちらに目通リして変わってしまう。流行もあるしね。それこそキシドーさんのような〝例外の九人〟であるとかアイドル皇帝陛下でもなければ一過性の流行になれれば幸せなものさ。大抵のアイドルは何十人かに同情的で義務的な応援をされるだけで注目されることも話題になることもなく死ぬ」


「モモさんは」タケヤリちゃんは口の端に付着した食べ滓を舌で舐めとった。「そうじゃなかったんでしょ?」


「そうさ。でもだからこそだ。『永遠に貴方のファンであり続けます!』の誓いも、斬った張ったの修羅場なご時世と流行に洗われれば、その名残りを年表上に遺すばかりとなるのも珍しくはない。分かるかな。モモが生きている間はいい。歌っている間はね。でも、死に瀕したとき、死んでしまった後で、どれだけの人がモモを覚えていてくれるだろう。彼女は忘れられてしまう。忘れられてしまうなら最初から居ないのと同じようなものだ。だから僕だけは彼女の傍に最後まで居て、未練がましく、ずっとずっと覚えていてあげたかった」


「ふうん」タケヤリちゃんはお菓子をモグモグしながら言った。お行儀が悪い。「モモさんが羨ましいわ。あら御免遊ばせ。気分を害したなら謝ってあげてもいいわ。私、昔から漢字と空気が読めないから。でも本当に羨ましいの。私の担当マネージャーは私の事をちっとも気にしてくれないから。それにあの人は無能よ」


「無能ではない」僕は反射的に諭してしまった。「小春日和さんは末恐ろしいよ」


 タケヤリちゃんは口元を手で覆った。またしても目だけで『続けて』と合図する。僕は眉間を揉みながら、


「彼女の行動は迅速だ。ルナリアンが発見されてから緊急出動する迄が先ず速い。引越しの時を思い出して欲しいんだ。唐突に、仕事の都合で、明日にでも引っ越さなきゃならなくなった。そのとき、引っ越し先がどこで、どのような環境だからどう云うルートで移動すれば簡単で、安全で、手早くて、何を持っていけば良くて、手荷物はどれか、配送会社に預けるのはどれか、それを考えるだけでも一日掛りになってしまわないかい。彼女はそれをルナリアン発見から間もなく終えている。如何に有事対応のマニュアルがあると言ってもだ。

 ここで言う配送会社、ライブのスタッフを決めるのもプロデューサーである彼女の仕事だが、その仕事を見てごらん、丁寧なものさ。日頃から使える人材をリスト・アップして何時でも使えるように根回ししておいたんだな。じゃなきゃ軽井沢さんや郡山さんのように優秀な人はパッと使えないよ。だってそうだろ。彼らは臨時編成の名目で他部署から引き抜かれてココに居る。他部署の人を『一日貸して!』するには人脈が必要だ。人脈を作るには馬鹿らしいけど接待とか飲みにケーションとかいろいろしなきゃだしね。

 恐ろしいよ。本当に恐ろしい。彼女の仕事は彼女でなくとも優秀な人ならまあ普通にこなすだろう。が、彼女程に素早くて周到となると話は別だ。あのステージの図面だって彼女が描いてるんだぜ。ブシドーの体重や運動能力のデータが頭に叩き込んでなければこの短時間で図面は描けない。多分、主要なアイドルのデータがどれも頭に入ってるんだろう」


「ふん」タケヤリちゃんは腕を組んだ。僕は笑いを堪え切れなかった。我ながら酷い読み違えをしていたらしい。タケヤリちゃんは頬を赤く染めている。『あの人は無能よ』は本音ではなかったのだ。彼女も所詮は一四歳である。構って欲しいのに自分を構ってくれないマネージャーに思う所があるのだろうと言うと何様過ぎるか?


「でも」と、タケヤリちゃんは更に反駁した。もっと私のマネージャーを褒めての意図が見え隠れしていた。「貴方が提案しなければ〝かべす〟の配布なんてしなかったでしょ?」


「しなかったろうね。でもあれは僕の提案も悪いんだ。嘘じゃないよ。〝一対二九対三〇〇の法則〟と呼ばれる法則がある。〝ハインリッヒの法則〟だね。一つの重大な事件の背後には二九の小さな事件があり、三〇〇のヒヤッとするような体験があるって法則なんだが、事前計画に無い突発的な行動を取るとこの法則が適応されて、しかもバタフライ・エフェクト的に無制限に拡大する恐れがある。『本当は右に曲がれば駅なんだけど何となく遠回りしたいから左から行こう!』で迷子になって、路地裏の不良に掴まってカツアゲされて、挙句の果てに助けてくれた王子様が詐欺師だったりするかもしれないだろう。それと同じだよ。

 事前計画を無視するのは事前計画よりも代案の方が優れているとの確信が持てた場合だけだ。代案の為に事前計画を捻じ曲げるのは気軽にしていい事じゃない。大体、今回は上手く行きそうだからいいけど、例えば僕の見当が間違っていたらどうだ。商店や自治会倉庫にお砂糖やお菓子が十分に貯蔵されていなかったら。予算が足りなかったら。買い集めるのに人手を使ってしまった事が後々で不味い結果を招かないとも限らない。今回は〝かべす〟の配布だけだから何人かを使い走らせればそれでいいからいいが、彼女がこれから出世したら、『この思い付きを試したい!』で何千人が動く事になるかもしれない。思い付く側は何時だって気楽さ。でもそれを実際に実行するのは大変だ。長期休暇の宿題が決してスケジュール通り進まないように。何千人を動かした思い付きが失敗したら目も当てられない。

 だから彼女が慎重だったのはこれからの事を考えても今だけを切り取って考えても絶対に正しい。彼女も言ったように彼女の職務はルナリアン討伐だけだ。僕の方が職責を超えてやり過ぎたのさ。むしろ、その出過ぎた真似を採用してくれた彼女の度量に感謝したいよ、僕としては」


 二割がお世辞で八割は本気だった。自治会長との折衝に僕が当てられた事実だけを見ても小春日和さんは有能だ。重要な折衝は自分で纏めたがるのが人情である。が、彼女はそうせずに、自分の能力を過信せずに、僕にその役割を与えた。それだけでも称賛に値する。あの年であれだけの分別があれば上等だ。


 タケヤリちゃんは頬を膨らませていたが、その内側の空気をプゥと吐き出すと、


「そう」と言い、前髪を指に絡ませながら、


「そう」と更に言い、


「そう」と、尚も言いながら含羞はにかみ、


「ウチのマネージャーがね。そう。ふうん」と言ったかと思うと、


「ねえ」――と、唐突に表情を動から静へと切り替えて尋ねた。


「貴方は何時からそんなに大人なの?」


 この質問には弱り果てた。絶対に大人になれない少女が僕に『私は貴方のような大人になれるかしら?』と尋ねているのだ。僕は面食らった。訳の分からない蘊蓄を披露しているときは饒舌でいられるのに人生の話となると途端にこれだ。僕は君が思う程に大人ではない。三五歳でも五五歳でも人間は永遠に子供だ。僕は長く液体美女アルコールと睦んでいないのを不意に思い出した。オスモウ・ウィスキーをロックで飲みたい。


「忘れちゃったな」と、僕は答えた。それが一番彼女の機嫌を損なわないと思った。


 モモ、僕はね、君を守る為に処世術とか組織内政治とか呼ばれるものを必死で身に着けたつもりだったけれど、ただただ性格が悪くなってしまっただけなのかもしれないね。僕は明日死ぬかもしれない女の子に優しくしてあげることも忘れてしまったんだ。君は僕がこんなに無様になってもまだ生きているのを知っているのかい?


「貴方には悪いけれど」と、無機質な声でタケヤリちゃんは言った。


「私はあの子が嫌いよ。ブシドーがね。キラキラしているもの。本気で歌って踊ってる。あんなの馬鹿だわ。どうせ人類はルナリアンに勝てない。人類が月に行けても私達は月には行けないんだもの。『月の舞台で逢いましょう』なんて嘘よ。『挫折の先に夢がある』も嘘よ。何が『ときめけ★ずっきゅんハート!』よ。あんな恥ずかしい歌を全力で歌う彼女が嫌い。大嫌いよ。

 いいの。何も言わないで。ただ聞いて。私は養子なの。昔は下層に暮らしてた。ここの人たちと同じように。〝人生は捨てたもんじゃない〟と人生を捨てた人たちが言っていた。捨てるしかなかった人たちがね。誰かに捨てられた人たちがね。私はそんな引き取り手もない死体から時計とか服とかを盗んで売る仕事をお兄様としてた。

 時々、大きな獲物があると、お兄様が苦労してそれをお金に換えて御馳走を買ってきてくれた。お芋とかだけどね。虫ばかり食べていたからそれでも御馳走だったのね。私はそのお芋を食べるのがとてもとても悲しかった。だってお芋もこんなにピカピカして生きてるのに。せっかく生きてるのに。それを殺してしまうだなんて。お兄様が何十キロも歩いて、何度も危険な橋を渡って、それでようやく手に入れたお金がこんなジャガイモ一つに変わって、それを食べると考えると涙が出た事もある。食べちゃうの。お兄様の苦労もお芋の命も食べてしまえばそれで無くなっちゃうの。でも食べちゃうの。お腹が減ればガツガツ食べちゃうの。

 今でもそう。食べ物が目の前にあると何だかんだ手が伸びるわ。美味しくないと思っても食べずにはいられない。明日食べられるかも分からないんだから。私は綺麗事が大嫌い。毎日死んでしまいたいとも思う。そこに『頑張れば何とかなる』の歌を聴かされると泣いちゃうわ。それは私だけじゃないと思う」


 金属が擦れる音がした。見れば彼女が錆びた懐中時計の蓋を開けたり閉めたりしていた。大切な品なのだろう。そうでなければトップ・アイドルはこんなに大時代な懐中時計を持ち歩かない。「私が何人殺したか知ってるわね?」と彼女は訊いた。僕は頷いた。


 彼女は戦略級アイドルだ。それは彼女の服装からも分かる。前線で戦わないアイドルには〝追加装甲〟は要らない。だから作戦級以上のアイドルには〝セーラー服を脱がさないで装甲〟は与えられない。(〝セーラー服を脱がさないで装甲〟は高価なので必要のないアイドルにまで配ってはいられない)


 戦時、彼女は最前線の遥か後方で戦況を監視、それが不利と見るや自身のセット・リスト(武器)の大火力を行使して敵を滅却する。状況が予想だにしない方向に推移しては困るから、その際、考慮されるべきは一に速度、二に速度、味方の退避完了を待たずともよいとされる。では大火力とは何ぞや。アイドルがその気になっても防ぎ切れないような火力なのか。アイドルがその気になっても防ぎ切れないような火力なのである。例えば恐れ多くも畏くも現在の皇帝陛下、ストレンジラブ皇帝陛下に於かれましても戦略級アイドルであらせられるが、陛下のセット・リストの二番にはこう書かれている。〝水爆〟と。


 平たく言えばタケヤリちゃんは味方殺しだった。


 彼女は過去に七二万八〇〇〇匹のルナリアンを抹殺している。が、少なく見積もってもその半数のアイドル、ファン・クラブ・メンバーを殺害していた。その中には彼女の友人も含まれるだろう。もしかしたら家族でさえも。


「お願いがあるの。本当はそれを言いに来たの。いい?」


「断る理由も権限も僕にはない」


「私にココの人たちを殺させないで」


「分かった」 


 ところにブシドーのライブが終わった。万雷のような拍手に背を押されるようにブシドーが帰ってきて、


「ジャーマネ、お前、俺以外の女と何を楽しそうに話してんだ?」


「これだからこの子は嫌いなの。品がないから」


「なんだとコラ。てめえコラ。チャートがよくて実家が財閥だからって調子乗るんじゃねえぞコラ」


「止めなさい」と僕が命じると、


「はいはい」と、ブシドーは渋々と従った。聞き分けがいい。ブシドーは猫のように見えるがその実は犬である。


 握手会の前に一五分の休憩時間が設けられた。歌って踊った後のブシドーはヘトヘトに消耗している。体質上、興奮したり運動したりすると激しく発熱するから、それを冷ます必要もあるし、妊娠糖尿病の彼女にはインシュリンの定期注射も欠かせない。


 これがライブ後だからまだいい。戦闘の後だったら彼女の体温は限界突破、血液が沸騰しそうになったり、それで血中のビタミンが壊れるなどするから、各種点滴や透析や何やらの管が鼻だの静脈だのともすると(人前では言えない)にまで突き刺されて、本人も指先一つ動かせない状態になって最低一週間は寝たきり、シモの世話さえもこの年で他人の手を借りねばならなくなる。これがアイドルだ。こんなものがアイドルだ。反吐を吐くのと同じ口で自分達が決して手に入れられない五年後の歌を歌うんだよ。分かるか?


 誰も分かっちゃいやしないさ。僕でさえも。だって僕はアイドルじゃない。


 握手会は時間との兼ね合いでチョッパヤ・スケジュールで開催された。所はステージの上に設けられた特設ブース、握手は一人一回五秒厳守、違反者には罰則と宣言すれば、誰も無理はしたがらない。それに、そう宣言してから特定の相手に重点を絞って、それこそ将来アイドルになりたがっている子供だとか感動ポルノの題材にされるぐらいしかもう生きている価値がない老人だとかに長めに時間を割いて対応すれば、『アイドルの心はかくも温かい!』との宣伝にもなる。ステージの裾でタケヤリちゃんと話しながら僕はその〝特別対応〟の候補者を選んでいた。


 五人組の子供たちがその第一候補だ。彼女らはブシドーの歌と踊りにもうメロメロ、両目を爛漫と輝かせていたから、会場整理の督応援官に頼んで握手待ちの列の最初の方に陣取らせた。この措置も人次第では『アイドルは子供を優先する』と好意的に捉えるだろう。『人気取りをしている!』と思う輩が五人増えても好意的にアイドルを推してくれるファン・クラブ・メンバーが一人でも増えるならばお釣りがくる。人は人から受けた好意を他人に話さずにはいられないからだ。(ところでファン・クラブ・メンバーとは国民の別称である)


「お姉ちゃん凄く綺麗だった!」


 と、回らない呂律で例の五人組のリーダー格が言った。痩せている。それなのにお腹だけが奇形的に膨張していた。辞書で『栄養失調』と引いてもこうも見事な見本は出てこないだろう。別の子は梅毒性発心が顔中に斑な凹凸を作っていて――嫌なものを思い出してしまった。『ルナリアンの銃弾って食べられるの?』――早急な治療が求められるだろうが、ペニシリンの大部分が前線で消費される近年、梅毒の治療にはマラリア療法しかない。マラリアはあの病気のマラリアだ。マラリアに敢えて感染させて、その高熱で、梅毒の菌を殺すのである。栄養失調の欠食児童ではマラリアの高熱に耐えられずに憑り殺されてしまうだろう。助からない子供ならばせめてアイドルのイメージ・アップに利用しなければ。


「ありがとうね!」


 と、ブシドーは愛想がいい。キャラ作りもブランディングも完璧だ。キャラ作りか。それは。まあいい。僕は歌囀さんとシノブちゃんを伴ってブシドーの後ろからその様子を見守っていた。伴奏神父がその僕らを更に見張っているのが背中に感じる圧だけでも分かる。彼はその自分が小春日和さんに見張られていると分かっているのだろうか。


 ブシドーとオコチャマズの会話は二分の長きに及んだ。かてて加えて、オコチャマズは『もっとお姉ちゃんとお話がしたい!』とごね、その対処に窮したブシドーが僕に「握手会が終わるまで一緒に居てもらっていいかな?」と尋ねた。素晴らしい。勿論、僕は満面の営業スマイルで、「ブシドーは仕方ないなあ」と言った。場内、是、拍手喝采である。馬鹿どもめ。


 それにしてもブシドーが追加で子供たちに自分用のお菓子を与えてしまったのは不味かった。『子供たちだけズルい!』と思う大人は一定数居るだろう。子供たちは「これなに?」とか「たべもの?」とか「はじめてみた!」とかで盛り上がっている。子供はいい。色々な意味でいい。今にも死のうとしている貧しい子供に嫉妬するな。みっともない。ほらね。『子供たちだけズルい!』と思う大人はこの僕のように一定数居るのだ。対策せねば。


 第二候補は片足の無い爺様だ。彼はブシドーと握手――握手と言ってもブシドーの手はまだ熱いから厚手の手袋をしているのだけれども――すると矢庭に啜り泣き、


「私は私の家族も友達も誰も彼もアイドル皇帝陛下とお国の為に死んだのに片足を失うだけでおめおめと生きて帰って来てしまいました!」


「大変でしたね」と、ブシドーは爺様の手を包み込むように両手で握り、


「でも銃後には銃後でやることが沢山ある筈です。そう人生と未来を悲観しないで。頑張ればきっと良い事がありますから!」


 二度目の拍手喝采である。僕は戦々恐々としていた。ブシドーは規則と台本では『頑張ればきっとアイドル皇帝陛下がお情けとお恵みを与えて下さいますから!』と言うべきところを独自にアレンジした。気持ちは分かる。伴奏神父の前でそれをやるのは肝が据わっている所の話ではない。伴奏神父が遠くで咳払いをした。歌囀さんが笑い、シノブちゃんが「あちゃー」と言ったが、君ら、もう少しでいいから真剣に仕事をしてくれないか。真剣と言えばタケヤリちゃんはどうした。会場の端でぽつねんとしていた。自分が殺すかもしれない人々と触れ合いたくはないのだろう。


 第三候補、耄碌しているこれも爺様が手紙を取り出して、「これはアンタから貰った手紙だ覚えてるだろ?」と宣った。付き添いの娘らしいオバサンが「もう何年も前からボケていて」と恥ずかしそうに言ってから頭を下げた。「何のお役にも立たないのにただ生きていて申し訳ない限りです」とも言った。爺様曰く、


「恋愛禁止なのは分かってるが俺とアンタは恋人だよ」


「長く逢えなかったが俺は今でもアンタを愛してる」


「アンタも俺を愛してくれているだろう」


「その証拠に今でもこうして手紙をくれるものなあ」


「ありがとうよ!」


「ありがとうよ!」


「この手紙に励まされて俺はこんなになってもこんな時代でも生きてるよ」


「思い出すのさ」


「これを読むと生きている意味を。希望を。笑い方を。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 娘さんは淡々と告げた。「この手紙は祖父が自分宛に自分で書いて自分で差し出しているものなんです」


「いいえ」ブシドーは笑顔で言った。「この手紙は確かに私が出したものです。本当に。――ね、こんなに長く愛してくれていてありがとうね!」


 爺様は泣き崩れた。場内三度目の大喝采である。僕は困惑していた。ブシドーのファン・サービスは常軌を逸している。まさかとは思う。けれどもあれでは本当に相手の事を思い遣っているようだ。馬鹿な。万人に平等に愛を注げるアイドルは少年と少女の空想の中にしか存在しない。アイドルはファンに優劣を付けるのが普通だ。笑顔で握手をしても心の中では『面倒だな』とか『早く終われ』とか『このファンは気持ち悪いな』とか何とか考えているものだ。それはブシドーは家柄的に食うためにアイドルになったのではないだろう。なるべくしてなったのであれば気持ちの面で他のアイドルよりも強いものはあるかもしれない。が、同じようなモモでさえ、どうしても塩対応はあった。モモにさえ成し得なかったことをこの一三歳の小娘に――


 我ながら迂闊だった。事件は僕が余計な事を考えて注意力散漫になっている折に起きた。自意識過剰か。僕が注意していても起きたかもしれない。それでも僕は現場の責任者だ。


「何がアイドルだ!」と、耄碌爺様の後ろに立っていた壮年の男が怒鳴り、ブシドーに殴り掛かったのである。常人のパンチがアイドルに届くなど有り得ない。その有り得ない事が起きてしまった。ブシドーが自分から殴られに行ったからだ。場内は一挙に騒然とした。僕は郡山応援管理官――いざという時は督応援官の統括も兼ねる――に場を鎮めて出入口を固めて必要とあらば発砲して対処するように命じながらブシドーに駆け寄った。思えばコレも判断ミスだった。


「マネージャーから殺れ!」と、ブシドーを殴った男の仲間だろう、列の中の誰かが叫んだ。


 銃声だ。身構えた。マネージャーの体が銃弾で貫かれることはないにしても〝戦うか逃げるか反応〟はある。僕は逃げる側の人間か。内臓を抉られる程度は覚悟したが、その痛みは何時まで経っても訪れず、それもそのはず、シノブちゃんが僕の盾になっていた。彼女の額を叩いた拳銃弾が高い音と共に跳ね返る。拳銃弾ならばそれでいい。ライフル弾となるとアイドルでも急所、目玉、喉に突き刺さればそれなりにダメージを受ける。そのライフルで武装した数名が列の中から踊り出した。手荷物検査は何をやっていたのだと考える暇もない。数挺のライフルが同時に火を噴いた。更に同時に歌囀さんと数名の督応援官がライフルを撃った男らを取り押さえた。


 弾丸の九割はシノブちゃんを逸れた。が、残りの一割が〝地球の輪〟の引力係数の悪戯で不可解な軌道を描き、彼女の喉に飛び込んだ。


 生暖かい液体がシノブちゃんの首筋から僕の全身へと飛び散った。


 場内が青ざめたように静まり返った。僕は顔に付着した白濁液を手の甲で擦った。擦っても落ちない。伸びる。ヌメヌメしている。


「大丈夫ですか?」と、シノブちゃんは訊き、


「ああ」と、僕は答えた。


 シノブちゃんの全身からタコの脚に似た触手が飛び出していた。それが彼女の全身に巻き付いている。肉厚の、ブヨブヨとした、〝火星人の脚〟と呼ばれるその触手に弾丸が食い込んでいるが、シノブちゃんにダメージは無い。強いて言うならば額に掠り傷があって軽く出血している。その血の色が()()。青いと言えば前髪の一部もだ。彼女の〝タナー段階〟から考えるとこの変貌は一時的なものだろう。


 一息吐く。触手はスカートの間からも飛び出ているから、スカートの布が跳ね上がって、アダルティな下着がモロ見えだった。下着を見た料をこの場に居合わせた全員から徴収するべきだろう。畜生め。冗談が言える位には正気を回復した僕は、


「状況を報告」と、郡山さんに宛てた。


『異端者は制圧しました』郡山さんは顔相応に区役所の人のような声で答えた。『人数は八。全員が男性で四〇代の工場労働者です。武器は押収。手荷物ではありません。この日に備えて何年も前から広場の床板を剥がしてその下に武器を隠していたようです。督応援官の視線の死角のスキを突いて武器を取り出したようなので協力者はまだいるかもしれません』


「会場封鎖は?」


『仰せの通り実施しました』


「分かりました。お世話様です。現状を維持して待機して下さい。警戒は怠らずにと言うのは慣例であって貴方を疑うわけではありません。以上」


 ブシドーからの視線を感じた。彼女は銃弾が子供達に当たらないように、シノブちゃんが僕にそうしてくれたように、盾になっていたらしい。これも美談になるだろう。僕は親指を立てた。ブシドーはホッとしているようだったが、しかし、まだ何かを思い詰めているようでもあった。それが何かを僕は考えない事にした。異端者に関して小春日和さんと伴奏神父の判断を仰がねば。


 こんなに計画的な犯行が一幕で終わるとは思えない。四〇代の労働者で一層住民で『何がアイドルだ』と叫んだならば娘をデビューさせられた恨みでの犯行だろうか。だとすれば土地勘がある。徴兵も経験しているだろう。そう言えば銃の腕はそれなりだった。〝それなり以上〟ではなかったのだから彼らは徴兵されても前線には送られていなかったのだろう。送られていたとしても内勤の野戦憲兵か。それだって全員がそうではないだろう。大抵は銃を使うのが演習のときだけの工場勤務だったに違いない。だから今でも軍隊時代のスキルを活かしての工場勤務か。それなら工場に何か細工をされているかもしれない。年齢と体力を照らし合わせて考えてもその可能性は高い。少し頭が回るならこの会場内での銃撃が失敗したときの予備案を考えるはずだ。違うな。そもそもコチラが予備案か。陽動だ。本命は工場か。工場を自爆でもさせられたら僕らをお陀仏させられるからな。調査するべきだろう。〝少しでも頭が回る〟のは武器を何年も前から隠していた事からも分かる。(何年も隠していた武器が正常に動作するのは定期的な点検がされていたからだろう。そこまで気が回る相手をアイドル相手に小銃で挑んだ馬鹿だと決め付けるのは危険だ)


「神父。神父。伴奏神父?」


 僕は苛立っていた。何度呼んでも伴奏神父が無線に応じないからだった。


『小春日和です』


「どうして伴奏神父を呼んで小春日和さんが出るんです?」


『伴奏神父は治療を受けています』


「被弾したのですか?」


『いいえ』小春日和さんは溜息を吐いた。『銃声に驚いて逃げ出した途中で転びました』


 笑いを堪えるのが大変だった。


 さて、事件の第二幕は考えもしなかった形で始まった。捕らえた八人の処遇を小春日和さんと神父が協議する間、ちょっとした事件が起きて八人の身に危険が迫り、その場にあのオコチャマズが割り込んだのだ。「お父さんたちに乱暴をしないで!」と。お父さんか。そう来たか。しかし、無論、丁重にお帰り願ったが、彼女らは譲らず、重ねて丁寧にお帰り願っても譲らず、対応に当たった督応援官がついに銃を使った。撃ったのである。子供を。本当に。脚を撃ったとは言え撃った事に変わりはない。会場を封鎖しているのだから衆人環視の前で――である。馬鹿な事をしたものだ。会場内は暴動一歩手前に荒れ狂った。


 で、ブシドーが件の子供を撃った督応援官に激昂、その督応援官をボコした挙句、


「とっとと逃げるぞ!」


 八人と五人を連れて逃亡してしまった。あらら。あららじゃない。何せ僕もそれを幇助したのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ