第6話 / 極楽坂 / ライブの始まり! 事件の始まり!
一層は市民住居と物資生産拠点とを兼ねる。だから天井が高く、土地面積が広く、その移動には電気自動車が用いられる。ま、高価な代物であるからして専ら官公庁の人間しか使わないから、道路を走るのはシノブちゃんが運転してくれている一台だけだ。道路幅は都市計画機構が定めた標準規格よりも遥かに狭い。工事や施工に問題があるのではない。何処にも居場所がない難民が路上生活を営んでいるからだった。あの自治会長も或いはそれなり以上のやり手なのかもしれない。コンテナ、木箱、ともすると段ボールを再利用して建てられた難民住居は風が吹けば倒さそうなのにまだそこに佇立している。これはそのまま難民が不当に虐げられたり虐殺されてはいないことを意味した。
例えば難民を殴る蹴るしてはいけませんよ的な条例を施行したとしても実際にそれに従うかは住民のモラルに委ねられる。この層の住民は難民に対して複雑な感情を抱いている事もある。それが少なくとも表面上は手出しをしていないのだからあの自治会長の指導力は大したものだ。恐怖政治だろうか。私兵で武装していた位だ。住民はもしかすると今では難民よりも自治会長を恨んでいるのかもしれない。そこに付け入るスキはないか?
電気自動車――民間払い下げのこの手の電気自動車を福利厚生の為に更生した車だとして〝こうせい車〟と呼ぶ人もいる――は上下左右に激しく揺れる。道の整備がされていないからだ。路上生活者の中にはダンボール・ハウスすら手に入れられずに路地裏で雑魚寝をしている者もいた。彼らは時に『うるせえな!』とでも言いたげに僕に目線を投げた。もう何年も笑ったり泣いたりしていない顔だった。笑おうにも笑い方を忘れているのだろう。
僕は『ふむ』と思った。路上に意外に死体が少ない。
「第九エレベーターが陥落てから」
シノブちゃんが言った。「この一層の郊外に軍需工場がズラーッと建てられたらしいんですよ。目減りした生産力を補う為に。そこからの光化学スモッグが凄いそうで、今日はまだしもですけど、日によっては町中が赤い霧に飲まれちゃうとか。その霧を吸いながら一日十何時間も労働するからココの住民の平均寿命は二五歳に満たなくなりつつあるそうです」
「それは儲かっただろうね」
「ええ」シノブちゃんも僕も無感動だった。「今時は死体も貴重な資源ですからね。石鹸の材料にもなれば肥料の原料にもなる。〝ソイレント・システム〟の素材にもです。だからこの自治区では死体を見付けたと自治会警察に通報したら報奨金が出るそうです。疫病対策にもなりますしね。一時は『死体』がこの自治層の重要な産業だったそうです。当然、どう考えても昨日まで健康だった死体が量産されたこともあるみたいですけど、それも口減らしの人口調整として必要悪だと思われていた時期もあるようで。どこも変わりませんね。あ、そうそう、ここで死体が取り放題だったその頃、上のピンチケ農場では空前の大豊作だったらしいですよ」
車が中央広場の特設ステージ裏に滑り込んだのは開場三〇分前だった。僕が自分で車のドアを開けて降りるとシノブちゃんは吃驚していた。「律儀ですねえ」と言われた。「性分でね」と答えた。ステージ前にはザッと一〇〇〇人以上が駆り集められていた。へえと思う。広場の収容人数の上限ギリギリだ。あの自治会長は矢張り侮れない。
ところが専門家の意見は僕のそれとはまた違っていた。ステージ裏で、
「困りますねえ」と、軽井沢さんがこのご時世に福福しいお腹を叩きながら嘆いていた。
アイドルは歌って踊って殺し合う。が、歌って踊るためにはステージが必要で、そのステージは沸いては出てこない。ステージを組む為には場所や機材や労働力や食料飲料やそれらの移動や保管や配分が必要で、それらを確保するにも手配するにも人とお金が必要で、人とお金を確保して手配するのにも人とお金が必要になる。アイドル信仰に則れば〝現人神〟だとされるアイドルにも一人では出来る事が限られた。だからこそマネージャーに代表されるような専門職に存在意義がある。
通常、一人以上四八人以下のアイドルに満足なライブ活動を行わせようと考えたならば、
ライブを企画計画してその総責任者となるプロデューサーが一名、
ライブの現場責任者として実際のライブ運営指揮に当たるマネージャーが一名、
ライブ規模に応じてどこからどのようなファン・クラブ・メンバーをどのように集めるかを決める応援整理官が一名、
ライブ会場で最前列中央に立ってお手本のヲタ芸を示すと共に応援の統括を担当する応援管理官が一名、
プロデューサーとマネージャーの補佐と連絡に努めるマネージャー補佐が一名、
アイドルの護衛を兼ねつつそのスタイリングを決めるスタイリストが最低一名、
同様にアイドルの護衛を兼ねつつ化粧担当のメイキャッパーが最低一名、
ライブでの出費や消費物資を記録する収支担当官が最低一名、
応援中の離脱者や応援手順違反者を取り締まる督応援官が最低十六名、
ステージの組み立てや機材運搬に当たる建築スタッフが最低四〇名、
照明や音響の設営と管理運用に当たる専門スタッフが最低六名、
全スタッフの休養と栄養を管理するケータリング・スタッフが最低六名、
緊急時の医療に対応するライブ医務室要員が最低三名、
――の、少なくとも七九名が必要となる。凄いだろう。アイドルを五分間歌わせるだけで僕の基本給が人件費として飛ぶ。(因みに〝一人以上四八人以下のアイドルに〟と言ったのはそれが対ルナリアン戦闘の基本単位になるからだ。戦闘時は当然ながらアイドルを固めて運用する。具体的には二人から十人でユニットを組み、そのユニットを四つ前後集めてグループを組み、更にそのグループを四つ集めて〝フェスティバル〟に編成して、この〝フェスティバル〟単位でルナリアンとの戦闘を実施する。で、上記の七九名は、そのフェスティバルを管理運営するのに最低限必要な裏方スタッフの人数となる。基本的に見込みのあるアイドルにはマネージャーが付くから実際には一〇〇人以上の大所帯になることが多い。その場合、マネージャーの足並みを揃える為に〝筆頭マネージャー〟が置かれる)
軽井沢さんはこのスタッフ分けで言う所の応援整理官だった。今回は立場が立場なので自治会長に〝助言〟をすると云う建前でその任務を遂行している。
「何かお困り事ですか?」
「ええ」軽井沢さんは手にしたクリップ・ボードで頭を叩いた。四二歳の彼の持ちネタは『体重一〇五キロの軽井沢です』だそうだ。面白い。「応援に来ている年齢層がね」
「年齢層」僕は首を捻った。ステージ裏から会場を見渡す。会場が妙に殺気立っていた。得心した。「年配の女性が多いですね」
「流石ですなあ」軽井沢さんは満点だと言わんばかりに頷いた。応援整理官や管理官は優秀な一般職官僚の最終キャリアである。特に管理官はルナリアンの攻撃に晒されながらも応援の手を緩めてはならないと云う職責上、もうどうしようもない程のアイドル・マニアか仕事の鬼、若しくはもうどうしようもない程にアイドル・マニアで仕事の鬼でもある人が配置されるポジションだった。僕が軽井沢さんと、それから今回、応援管理官として派遣された郡山さんに敬語を使うのもそのような事情からだった。彼らは僕らよりも何倍も現場を知っている。(思い返せば、あの日、僕がまだ十九歳だった日、キシドーさんに命を助けられた日、誰も彼もが逃げ出す中で応援管理官だけが『アイドル皇帝陛下万歳ぷに!』を叫んで玉砕したではないか)
「女性が多いと困るですよ」軽井沢さんは頬を掻いた。「しかも今日は待ちに待った配給日の筈だった」
近年、ルナリアンから無尽蔵に入手可能な塩を除き、生活必需品と嗜好品はその大半が配給品に指定されていた。お金があっても配給切符が無ければ買い求められなくなっているのである。配給品が販売される日も毎日ではない。特に一層自治区は自治区であるからには他の層との外交関係 (と言うのも変だがまあそうしたもの) 次第で物資の流入量が変わってしまうから配給日が不定期になりがちだった。で、その配給日となれば、想像に難くない事と思うが、小売店の前には長蛇の列が成される。その列に並ぶのは家庭と台所を守る女性だ。(〝人類の為にアイドルになろう!〟が標榜されていて、現実に女性しかアイドルになれない昨今、女性の社会的な地位は相当高いが、だからこそアイドルにならなかった、なれなかった女性は家庭に閉じこもるか閉じ込められる傾向にある。酷い時には『生き恥を晒した』とか『命が惜しくなった非国民だ』と家に石を投げ込まれる事もある。なんとまあねえ)
ただでさえ女性の体力で何時間も並ぶのは大変だ。しかも〝|働かざるもの《εἴ τις οὐ θέλει ἐργάζεσθαι》|食うべからず《μηδὲ ἐσθιέτω》〟の国家総動員体制では女子供も何かしらの仕事がある。その仕事を抜け出すなり前日に片付けておくなりして並ばねばならないのだから辛い。更に言えば彼女らは数日何も食べていなかったりするのである。『今日はお砂糖が買えるけどお米は明日だから二日続けて並ばなきゃならない!』になればどうだろうか。『並んで並んで並んだのに前の人の分で売り切れになっちゃった』では?
げに配給は近年の社会情勢の縮図である。配給が遅れたり少しでも配給量が減るだけで民意は爆発、暴発、激おこぷんぷん丸となって権限移譲政府や中央政府への反感へと結晶化する。困った事に〝思想は輸出される〟のが世の常だ。一層でアイドル省が横暴な真似をした結果配給が滞った等と噂になれば他の層でも面倒が出来しかねない。
「配給日は明日にスライドされるそうですがねえ」
軽井沢さんは言った。「〝ライブなんかで配給日を潰してくれて〟と思っている主婦の方は多いですよこりゃあ。サイリウムを振ると疲れますしねえ。そりゃあ主婦層でも応援は出来ますよ。SSのルナリアンならば千人じゃあ多過ぎるぐらいでもあります。がねえ、しかしねえ、これじゃあ民意がねえ。作戦後の反動と反発が怖いですな」
「主婦層を中心に集めたのは自治会ですね?」
「ええ。私はそれは若くて健康な男にしろって言ったんですが工場を運転中だから無理だとね。演習を兼ねてるから男を出せって線で攻めてもみたんですが、それはどうしても無理だからと腰を低くして言われた上、工場にはラジオで中継するから演習にはなる、こちらで独自に演習はしているから差し障りはないとまで言われちゃあねえ。お分かりでしょう。〝ウチの住民を宥め賺せるのは自分だけ〟で自治権を守る腹ですよこれは」
「プロデューサーに相談します」と言って僕はその場を辞した。ステージ裏に配置されたライブ本部に入る。厳めしい名前だが本部は単なるプレハブに過ぎない。
本部には照明と音響のスタッフ数名の他に小春日和さんとタケヤリちゃんと伴奏神父とが開演を待っていた。開演二五分前だ。開演前に一度はブシドーと話しておかねばならない。ライブ前のアイドルはどんなに虚勢を張っていても緊張している。その緊張を解すのもマネージャーの仕事だ。
「小春日和さん」と僕は呼び、
「小春日和プロデューサーです」と、彼女はキツく言い直した。
小柄で華奢でショートカットの小春日和さんは二〇歳になったばかりの女性マネージャーだった。女性でマネージャーになる人は珍しい。大抵の女性はアイドルを志すし、民意や社会常識も暗黙の了解的にそれを後押しするから、女性が高等教育を受けられる機会は女性が受ける神聖視とは真逆に低下する一方だったからだ。おかしな話である。事実、アイドル省も三〇年前迄は女性マネージャーの採用数を極端に絞っていた。
その態度が一八〇度回頭したのはエレベーターが相次いで陥落した為に軍備を増強せねばならなくなり、アイドルが数万人単位で強制デビューさせられて、それが為にマネージャー数が不足した事に因る。告白するとそれでも女性マネージャーの待遇は悪い。アイドルからの受けが一般に悪いからだ。『何でアンタはアイドルにならなかったの?』である。であるからして、本社勤務の勅任二等マネージャーである彼女のような存在は珍しいの地平を超えて希少、希少であるからには自分の価値を守る為に突慳貪な態度を取るのも致し方ないだろう。
『貴方の方が階級も年次も上ですが』と、小春日和さんは先般の顔合わせの折に僕に言った。
『私の方が今は役職が上です。私の命令には絶対服従の事よろしくお願いします。私の命令は即ち神聖にして絶対キュート不可侵なアイドル皇帝陛下の命令です。よろしいでつか?』
小春日和さんの顔がカッと赤くなった。『よろしいでつか』である。噛んだ。でも『噛みましたね?』と尋ねると彼女は嫁が逃げ出したときのDV夫のようにキレ散らかしただろう。僕はグッとツッコミ欲を堪えた。偉い。それはどうでもいい。
「小春日和プロデューサー」僕は改めて呼んだ。「招集されているファン・クラブ・メンバーの年齢層が不適切だと応援整理官が言っていますが」
「把握しています。が、現時点では問題として取り扱いません。我々が対処すべきなのはルナリアンだけです。一層の内政には干渉する権限がない」
「しかしながらこれを放置すると後でアイドル省の看板に傷が付くような事態になるのでは?」
僕は慎重に言葉を選んだ。既定の事実としてではなく可能性として危険を示す。でなければ、小春日和さんがここで対処を誤ったとき、『貴方があんな事を言うから!』と責任転嫁の的にされかねない。これも政治である。嫌になる。
「それは我々の職分を超える判断です」小春日和さんは言った。「我々の目的は目下ルナリアン殲滅に限定されます。政治は政治家に任せればいい。第一、開演まで二〇分、ルナリアンの孵化にも数時間しか残されていないのに、今から客を入れ替えろとでも言うのですか、貴方は」
「そうではありません」僕は面倒な言い回しをした。アイドル省は殆ど軍隊である。だから上官の命令や質問に『いいえ』と答える事は許されない。規定に厳しい上官に対しては、その上官の言葉を否定する際、『はい上官いいえ。そうではありません』と云うような超遠回しでシャケナベイビーな言葉遣いを強要されるような場合もある。
「差し当たって民意を落ち着ける為にケータリング・スタッフが用意している食料を配給するのはどうでしょう。名目は緊急招集に応じてくれたことに対する謝礼としての〝かべす〟で」
〝かべす〟とはライブ会場で販売される菓子、弁当、スシの頭文字を取った業界用語である。
「しかし」小春日和さんは丸眼鏡を指先で弄んだ。「ブシドーちゃんとシノブちゃんとタケヤリの分だけでは二万人分にはとても」
話に乗って来た。もう一押しだ。「とりあえず会場の人間に配布出来ればいいのです。今日が正規の配給日だったのならば〝こうせい車〟を走らせば町の小売店には在庫がある。自治会館の在庫を解放させてもいい。ライブに並行して督応援官に配布させましょう。当然、暴動やドミノ倒しになりかねないので、応援整理官の助けも借ります」
小春日和さんの表情は却って曇った。織り込み済みだ。彼女は本社からこの事件 (ルナリアンの突発的なエレベーター内侵入) を解決する為にプロデューサー職務執行マネージャーとして送り込まれた。彼女の役目は僕ら支社の監視であり、支社に〝得点〟を稼がせない事であるから、僕が作戦に口出しし過ぎるのは宜しくない。だから露骨な手だが、
「事後報告書にはこの発案は貴方がしたと書きます」
「馬鹿な事を!」小春日和さんは激高した。生真面目な人なのだろう。が、一方で、肩の荷が降りたような表情を閃かせもした。「私はそのような姑息な手段を使ってまで――」
「ならん!」と、小春日和さんの台詞を遮ったのは、沈黙を守っていた伴奏神父だった。
アイドルは神聖にして絶対不可侵である。その神聖さを担保するには努力と工夫が必要だ。その努力と工夫を一手に担うのが〝教皇庁〟であり、この〝教皇庁〟が会戦や有事に現場に送り込むのが伴奏神父、小春日和さんとはまた違った形での現場の監視役だ。彼らは『アイドルの神聖さ』を守る為であれば何でもする。それが彼らの立場を守る事にも繋がるからだ。法規上、政教一致を取る我が聖アイドル帝国では、アイドル皇帝陛下の輔弼 (※政治や意思決定を助ける事) の優先権は教皇庁が他の省庁を圧倒的に優越する。
「アイドル様の為に用意された食品を愚民どもに分け与えるなど言語道断ぞ!」
『ぞ!』と言われてもなあ。伴奏神父は僕に照準を合わせて怒鳴り散らした。「貴官は何を考えているのか。聞けば貴官はあのモモ様のマネージャーだったとの由。モモ様を無謀な撤退戦闘で引退せしめた件だけでも万死に値する。それを陛下の温情にお縋りしておめおめと生きながらえておきながら更にこの期に及んで聖なる食物に手を付けるとは聖恩を忘れたか。伴奏神父としての権限で貴官にハラキリ・アポロジーを申し付けてもいいのだぞ」
僕はムッとした。僕自身が何を言われてもそれは事実だから仕方ない。が、そのダシにモモを使うのだけは許せない。僕が反論しようと口を開きかけたとき、
「いらない」と、割って入ったのはメゾ・ソプラノだった。
それは部屋の隅に佇んでいたタケヤリ・ツキコちゃんの声である。床に届いて尚も丈に余りがある超長髪、装いは黒のゴシック・ロリータ、数年前の戦闘で眼球を損なった右眼窩からは黒い薔薇の花が咲き誇る。黒、黒、黒、黒、黒、黒尽くめの全身の中で肌の色だけが病的に白い。ヲリコン・チャート四位入賞を果たした実績を持つ一四歳の黒い花――
「あのご飯は美味しくないから要らないわ」タケヤリちゃんは言った。「見るのも嫌。捨てといて頂戴」
「あ」と、居合わせたシノブちゃんも便乗して言った。
「私もあれ口に合わないのでパスでよろしくお願いシマウマ」
神父は目を見開いた。奥歯を噛み締め、拳を握り、ワナワナと震えたが、
「プロデューサー!」と叫び、
「マネージャー!」とも叫んだ。
「アイドル様がそう仰っている。だが忘れるな。貴官の名は我が大脳新皮質に刻まれたぞ、極楽坂君」
後を呆れ顔の小春日和さんとシノブちゃんとに任せてブシドーに顔を見せに言った。ステージ裏の簡素な楽屋で出番を待っていた彼女は、
「敵を増やしてどうするんだ」と、言った。
「聴こえていたのかい」
「アイドルは耳がいいスからね」と、言ったのは歌囀さんである。今度のライブの人事は過半が本社側で決められていたが、唯一、マネージャー補佐職だけは僕の側で選べた。とすると僕には歌囀さん以上に頼りになる人が思いつかなかった。案の定とでも言うか、歌囀さんはブシドーと顔見知りで、出会い頭にブシドーの頭を撫でて神父の顰蹙を買っていた。(それで実質的なマネージャー補佐をシノブちゃんに代わって貰って歌囀さんはブシドーの傍に置いた)
「ジャーマネ」ブシドーは静かに言った。粧された彼女は年相応に可愛らしかった。「俺はアンタを信頼してるぜ」
「そうかい」僕も静かに答えた。静かにしか答えられなかった。
〝かべす〟が配布された事も手伝ってブシドーのライブは恙なく進行した。応援管理官の郡山さんは今年四九歳、バーコード・ハゲで痩身でトンボ眼鏡の〝区役所の市民窓口に居そうなオジサン〟だが、指の間に計八本のサイリウムを挟み、僕が知る限り最速でのヲタ芸を披露した。まさか、いや、でも、だから、その、人があんな風に動けるとは……。
ブシドーが歌う彼女の母親から受け継がれた歌、『ときめけ★ずっきゅんハート!』は僕を含む往年のキシドー・ファンを沸騰させたが、ブシドー独自のアレンジが入ると会場は微かに盛り下がった。『母親の方が上手かったね』の声を何度も督応援官が消していた。ブシドーはプロだった。ステージ上の彼女は笑顔を一度も笑顔を崩さなかった。
……で、彼女の笑顔を崩すその大事件はライブが終わってからの握手会中に起きた。