第4話 / ブシドー / シュート・イット!
「――お名刺です」と、ジャーマネは言った。背筋を伸ばして、そのままの姿勢で腰を折り、両手で差し出された彼の名刺には『アイドル省ピンク・チケット支社所属広報部次長』の肩書と『勅任特等マネージャー』の階級が刻まれている。『社会人の基本は名刺交換だ』だそうだ。俺もアイドル刑務所のあの面会室で貰った。俺も名刺位は用意しておくか。CDを持ち歩いてサインして配るてのはどーよ?
「はいはいはいどうも」ジャーマネの名刺を受け取ったその男はそれを裏返したり透かして見たりしている。手付きや声色は丁寧だが、態度の方はと言うと〝底辺×若さ÷卑=コイツ〝の有様、とどのつまりが慇懃無礼で気に食わない。これが一層の自治会長だと言うのだから一層の住民も可哀想だ。
一層はエレベーター基部都市の最底辺に位置する。アララト型軌道エレベーターは全長六万キロ、直径四〇〇メートルの、数字で言われてもその大きさがイメージし辛い代物だが、所謂一つの基部都市はと言えばその基部 (根本) から地上五キロメートル地点まで縦に伸びた、計一〇〇〇階層の超構想建築を指す。それでもイメージはし辛いなうん。
『地上五キロて何処が基部やねん!』のハリセン・ツッコミが入るのは間違いない。実際、基部都市とは言うものの、都市はエレベーターのワイヤーを取り囲むように塔の形状を取る。旧時代の宗教だか何だかを研究している輩が『バベルの塔』と呼ぶ所以はそれだろう。多分。(半分氷河期の現代にはとんでもない突風が日常的に吹く。基部都市が塔の様相を呈するのはその風からエレベーターの機関部を守るためでもあるらしい)
さて、他のエレベーターが悉く陥落した只今、この一千階層こそが地球上に於ける唯一の人類生存圏である。と来れば、都市の高低差を利用した温度差発電、資源獲得、遺跡発掘の観点から、地表に接している一層は要衝であって然るべきだろう。少なくとも政府主導で厳重な管理がされているべきだ。されているべきなんだけどなあ。
一層は自治区である。何となれば人材が払底しているからだった。末期戦、小中学生さえも強制デビューさせたり徴兵したりしている現状、各層を管理させるべき高等教育を受けた中堅以下の官僚 (つまりは現場レベルを預けられる官僚) が育たず、足りず、そもそも育てる専門教育機関も教員となるべき人材も足りず、そこに第四次〝スタッフ・オンリー〟会戦での大敗北だ。
実を言えば、スタッフオンリーが陥落する迄、エレベーターが陥落したとしても人類は致命的な打撃を被らなかった。NO-A計画の発動初期にはエレベーターの陥落が視野に入った時点で、中期には陥落が有力視された時点で、エレベーター間を結ぶ鉄道をフル稼働させた人的物的資産業的資源の後方疎開並びに退避を実施していた為だ。土台、一三機もエレベーターを量産したのは――移民船を建造するだけならその半分でも事足りる――保険的な意味合いがあったのだから当然とも言える。『一番とか二番とかのエレベーターが陥落しても後半の番号でその補いが付くもんね!』だ。(無論、最終的には人類全体を救うための脱出計画なのだから、『死ぬまで戦うなんてナンセンス!』な見方も当時は根強かった)
ところが、計画発動段階での人類は、悪くしても第七エレベーター〝ウェルカム・ユー!〟が攻略される頃には地球脱出を果たせると思っていた。それが大間違いだった。ま、人類同士で延々と殴り合いをするだなんてな、予想が付いていたとしても、それを計画に織り込む事はできねえよなあ。『人間同士で戦争が起きるかもだからもっとエレベーターの数を増やすなり撤退基準を見直すなりしないと脱出は無理かもネ!』とか何とか計画の企画書に書いたら書いた奴は一発でクビだぜ。何かの間違いでその企画書が通ったら各エレベーターの権限移譲に『中央政府は俺たちを信用していない』と思われる。官僚機構ならではの〝なあなあ的事なかれ主義〟だ。政治だね。嫌だね。或いは現状は防げた惨劇だったのかもしれない。
閑話休題とする。何れにしても〝スタッフ・オンリー〟には、だから、アイドルもマネージャーも官僚も行政能力も産業もその全てが結集していた。これには二つの背後事情がある。一つは〝スタッフ・オンリー〟を対ルナリアン迎撃拠点に、〝ピンク・チケット〟を生産拠点にと、その機能を分散しないと何もかもが中途半端になってしまう事。もう一つは〝ピンク・チケット〟には対ルナリアン用の防備が殆ど成されていなかった事。それもそうだろう。〝ピンク・チケット〟にまで攻め込まれているようじゃ月への脱出なんて不可能だ。〝ピンク・チケット〟は初手からその都市機能を生産にガン振りしている。
あ、不可能とか言っちゃったが、まあいいか。どうせ無理なのは何年も前から皆が分かってる。〝ピンク・チケット〟が危なくなったら首都は俺たちを『止むを得ない犠牲だ!』と判断して一人で逃げ出すだろう。だから近頃はどいつもこいつもモラルが欠如している。『どうせ死ぬなら好きに生きよう』だ。
再び閑話休題とする。どうも話が逸れていけない
兎にも角にも、〝スタッフ・オンリー〟はそれまでのエレベーターと異なって徹底抗戦、その末に陥落した。第四次〝スタッフ・オンリー〟会戦には銃後を合わせて(この場合の銃後とは戦場になっているエレベーターに生活している人々) 八〇〇万人が参加した。八〇〇万人で〝ピンク・チケット〟に落ち延びたのは僅かに四〇万人を数えるばかりだった。戦後処理――難民対処や遺族への年金支給や今後の地球脱出計画の練り直しや資源確保のあれこれや――だけでも中央政府とピンク・チケットの権限移譲政府の行政処理能力は麻痺した。(余談ながら人類総人口はスタッフ・オンリー陥落まで一五〇〇万人で一世紀以上も横這いしていた。その人口で維持される社会を組み上げていたのだからそれが崩壊したら目も当てられない)
で、ここに至って話はようやく自治層に到着する。層を管理可能な人が居ない。金もない。ならば各層住民に自治をして貰えば負担が減る。そこまでは分かる。それでも一層のような戦略用地を手放した理由には足りない。その理由は単純で一層で自治権要求運動があったからだ。一層はその地政学的な要件から、ま、だから、ぶっちゃけちまうと難民が徒歩で侵入する事から〝スタッフ・オンリー〟が陥落して以来、その内部に不法移民だ闇物資だ犯罪だ疫病が蔓延していた。特に闇物資――闇米や闇肉や闇野菜や闇芋や闇砂糖や闇御馳走――は一層の物価を激しく乱高下させた。
ピンク・チケットの権限移譲政府は戦後処理でテンテコ舞のキリキリ舞で待てど暮らせど何も対策を講じない。ならば折りしもの層自治権獲得運動の波に乗って自分達でと言う訳だ。
過去、各エレベーターの権限移譲政府 (各エレベーターの自治政府だが中央政府からの指図をあれこれと受けねばならない立場) が自治権を要求したとき、中央政府は輸入規制を主軸とした経済制裁と弾圧とでそれに報いた。その結果があの人類間戦争だ。戦争の記憶がまた新しく生々しくもある中央政府はパニックを起こした。『ピンク・チケットが内戦になったらもうどうしようもない!』だな。中央政府はそれでも迷った。迷ったが、迷っている暇と余裕さえも無かった彼らは早々と折れて、一層はこのように自治権を獲得した次第である。――
「特等マネージャーさんねえ?」
自治会長は首の骨を鳴らしながら言った。この自治会長室は成金趣味に過ぎる。野郎がふんぞり返っている執務机は遺跡から発掘したものらしい。本来であれば博物館行きの代物だ。どうも俺の性分としては許せない。『お国と皇帝陛下と人類の為なら私利私欲は捨てなさい』とママに教わらなかったのか。畜生め。その教育を施されたのは俺だけか。そのまま首の鳴らし過ぎで死ね。
「特等」ジャーマネはその言葉に拘った。漢字を変えれば〝禿頭〟だからだろうか。「何でしょうか?」
「階級と役職が釣り合っていないなと思いましてねえ。勅任で特等で支社の次長ですか。それも広報部の。広報部なのにアイドルのマネージャーと言うのもおかしいでしょう。マネージャーとは戦術指揮官で運用部所属のお役人さんでしょ?」
「特例措置です」
「自治権のある我が層に何の事前通達もなく乗り込んできたのも特例措置ですか?」
「相手はルナリアンですから。対ルナリアン戦闘となれば話は別です。権限移譲政府に内政優先権と交戦権が認められます」
「確かに。戦闘に関してはそのように自治憲章に規定されていますねえ。でも、〝アイドルを自治区に展開する〟事に関しては規定がない。規定がないなら事前に話し合って貰わないと。これは主権侵害になるのではないですかねえ。どうですかねえ。ああ、それから、〝向日葵の園〟にルナリアンが居るとして、もしそれに損害が出たらどうしてくれるんです。いいえ、貴方達が、自治権を回収する為に向日葵の園を攻撃しないと言い切れますか。あれの修復技能は政府が独り占めしてますからねえ」
大人の話は難しい。俺は煙草を咥えた。火がない。それで話の切れ目を見計らって、
「火」と、敢えて自治会長に言った。
「あらやだ」と、自治会長は眉間に皺を寄せた。
「彼女はアイドルです」ジャーマネが俺に〝でかした〟の目線を寄越した。「自治権や主権に関わらず陛下の赤子であるからにはアイドルには忠誠を誓い尽して頂きます」
「ふん」自治会長は背凭れに体重を預けた。「何がアイドルよ。あたしらの生活には何の関係もありゃしません。難民問題だってこっちで処理したのよ。アイドル様はお綺麗なものしか見えないようだから。困るわ本当に。何がアイドルよ。何がアイドルよ。半分はルナリアンじゃないのアンタら。可愛いだけで何の役にも立たないわ」
「可愛いは暴力です」ジャーマネは眼鏡のブリッヂを中指で押し上げながら言った。「可愛いは暴力です。暴力であるならば人だって異星人だって殺せる。可愛いは凶器になり得る」
「ええ。狂気にもね。狂気の凶器よ。どいつもこいつもどうかしてるわ。年端も行かない女の子の自己顕示欲を利用して。ルナリアンの幼体を子宮に――」
ジャーマネが動こうとした。自治会長はそれを手で制して、
「それに!」と、疳高い声で言った。窓硝子がカタカタと揺れた。基部都市内は全層空調で気圧と気温を操作されている。が、だからこそ、基部都市外との気圧気温差で低層には風が吹くのだった。この暴風の中での生活は堪えるだろう。ルナリアンの電磁波(EMP)兵器に備える為に低層では電化製品の普及も遅れているのだ。「私達にもルナリアンと戦う手段があるのよ。それもアンタらのそれよりずっと人道的な手段がね」
自治会長が指を鳴らした。と、自治会長室の扉が開き、屈強と言えないこともない男共が雪崩れ込んできた。俺とジャーマネを取り囲む動作には無駄がない事からして軍隊上がりか。練度は確かにまあまあ高い。手にした銃はルナリアンの光線銃を独自に改良したもののようだ。俺は拍手した。「茶の一杯も出ねえからそろそろ来る頃かと思ってたんだ。でも茶請けに虫を出すのは勘弁してくれよ。飲食規定で食えねんだわ」
「お黙り!」自治会長は床を強く蹴って立ち上がった。「見なさいこのファビュラスなグッド・ルッキング・ピーポーを。これぞ我が自治層が誇るキラー・エリート。立てば芍薬! 座れば牡丹! 戦う姿は薔薇の花! ルナリアンの武装を入手するのには骨が折れたわ。でも、これさえあれば、ルナリアンを殺せるのは間違いない。生まれたばかりのルナリアンならまだ卵でしょう。その状態なら我々でも殲滅可能よ。違うくて?」
「どうですか」ジャーマネは銃口を突き付けられても動じない。いいね。プロだね。「万が一、戦闘になった場合、層に被害が出るかもしれません。貴方達の武器が誤射するかも」
「あり得ないわ」自治会長は言下に否定した。「ここは一層なのよ。全ての建物の建材は遺跡から出土したものを転用しているの。ルナリアンの銃でも攻撃でも破壊は不可能!」
ジャーマネは溜息を吐いた。ちらりと俺を見る。「ブシドー?」
「あいあい」出番だ。煙草のフィルターを噛みながら立つ。銃口が一斉に俺に向いた。一斉にではない。一挺はジャーマネの目元を狙っている。マネージャーはアイドル程でなくても身体改造を受けていた。眼球でもなければ銃で打撃を与えるのは難しい。訂正する。こいつらの練度はまあまあではない。充分に高い。国家の為に役立つコイツらを傷付けるのは気が引ける。でもコイツらが仕事であるように俺も仕事だ。
「身長と体重は?」俺は手近な一人に尋ねた。野郎はビクともしない。鍛えられている。元は野戦憲兵か応援管理官かもしれない。「一八五センチか。体重は九二キロ。何を食ったらそんなに大きくなるのやら」
「何をするつもり?」と、自治会長は聊か狼狽気味に尋ね、
「この建物の建材も大忘却以前の?」と、ジャーマネは尋ね返した。
「え?」
「この建物の建材も遺跡から発掘された建材ですか?」
「そ」どもった。勝ったな。「そうよ! そうなのよ! だからアンタらが何をしようと――」
「ブシドー」ジャーマネは静かに言った。「住民を刺激したくない。隣の建物までだ」
「あいあいさー」
悪いな、と、胸中で呟きながら手近の彼を蹴り飛ばした。いかさま、ぶ厚く頑丈な壁だが、
「嘘でしょ?」
その気になればぶち破れない事はない。
一層は人口超絶過密地帯だ。だから街並みは旧時代の九龍城を彷彿とさせる。自治会館の隣にも数センチ間隔で民家が犇めいていた。
それにしても、あちゃー、マジで悪い事をした、蹴り飛ばした彼は執務室の壁をぶち破り、お隣さんの壁をぶち破り、家族団欒中の居間に飛び込んだらしい。土間である。壁はコンクリが打ちっぱなしだ。これのどこが『全ての建物の建材は遺跡から発掘されたものだ』だ。自治会館だけじゃねえか。
食卓を囲んでいたらしい八人家族が何事かと目を剥いていた。蹴り飛ばした彼はまさにその食卓に突っ込んだらしい。頭に芋虫が這っている。ピクピクと動いているから死んではないだろう。だからそれはよし。家族の方はどうするか。笑って誤魔化すか。俺は手を降った。ご家族は茫然としたまま手を降り返してくれた。よし。よしなのか?
「さて」俺は振り向いた。キラー・エリートの諸君も流石にたじろいでいる。その合間を縫って自治会長の前に立った。「火」
自治会長は震えながら俺の煙草に火を点けた。ライターも遺跡から出土したものかよ。ちっ。
「一合戦」ジャーマネは念を押した。「ルナリアン退治に協力してくれますか。してくれれば僕らを恐喝した件は上に伏せておきますが」
「はい」と、自治会長は百点満点の笑顔を作った。「喜んでー!」




