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絶対防衛アイドル戦線ピンク・チケット!!  作者: K@e:Dё
(1-0.5)+(1-0.5)=1章 / 誕生! 新たなるプリマドンナ!
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1章最終話 / ブシドー / 地球最後の日に君と歌う人類最後の歌

次回更新は明日(11/16)の20~22時を予定しています。今後の更新や改稿の予定もそこでお知らせします。今後ともよろしくお願いします。

「お独りですか」


「ゑゑと」俺は咄嗟に挨拶に窮した。「後からもう一人来ると思います、多分」


 唐突だが俺は怒っていた。


 一層ではあの子らにさようならも言えなかった。ジャーマネの腕の中で気絶、次に目が覚めたら〝ピンク・チケット〟は上層のアイドル病院に入院していて、ペスト・マスクのアイドル医も看護師も随分と木目細やかに接してくれるから――『交換したばかりの手足はまだ動かし辛いでしょうから』だそうだ。何よりも先に一層のその後を聞いたら『何も心配しなくていいです』と教えられた――痛み入るわ恐縮するわ、いやいや、コクジョー・ブシドーはワルだから親切にされても『あ、どうもありがとうございます』とか何とか返事をしてはならないと思いつつも何事かある度に『あ、どうもありがとうございます』と答えてしまう自分に苦笑したが、それはどうでもいい、俺の知らない間にジャーマネと俺は英雄に祭り上げられているらしく、層内新聞を何社分か取り寄せたら肝を潰した。どの新聞のどの見出しにも『単独でSS級ルナリアンを撃破した天才アイドル』、『〝ピンク・チケット〟の巫女』、『単独撃破でヲリコン・チャート上位当確か』の金文字が躍っている。正直に言おう。怖かった。こんなに人に褒められるのは初めてだ。


『流石はコクジョー・キシドーの娘だ』と評論されているのを見たときはそれでも大変嬉しかった。ただ、『母親が偉大なアイドルだからと言ってその娘が自動的に偉大なアイドルに成長する訳ではない』と書いている別の評論を見たときの方が嬉しかったのは、今日も今日とて自分の人格を疑うばかりだ。やれやれだな。


 新聞以外も読んだ。アイドル省本社の暇人があの神楽ライブを早くも研究して省内雑誌に寄稿した所に拠れば、『アイドルがマネージャーの指揮を受けずに戦闘をしていたと見られる場面ではアイドルの戦闘力は著しく低かった』、『人口太陽を損傷せしめた件に関しては一切の擁護を認めない』などと書かれており、暴露すれば俺はこの記述に余程救われた気がした。あの戦闘は誰がどのように評価しても完璧には程遠い。それを誰にも責められないのが苦痛で仕方なかったからだ。


『やあ』ジャーマネが俺を見舞ったのは俺が目を覚ましてから正確に二時間後だった。やあじゃない。俺は混乱した。その手はどうした。


『ああ。これか。君を抱き留めたときの火傷を敢えて残しておきたくてね』


『敢えてって』消えない傷を負わせたのではないと分かった俺は安堵した。消えない傷を負わせた方がそれとも良かったか。馬鹿か。『何だそりゃ』


『この傷を見れば何が何でも君を連想するだろう。それだけさ。そうだ、君、何か欲しいものとか食べたいものはないか。いや、そもそも、君の好物は何だ』


『食べ物なら餅』


『餅?』


『名前が』顔が熱い。『名前が可愛いだろ。〝もち〟って。後、噛むとビヨーンって伸びるのが好き』


 俺は何を言っているのか。殺すぞ。殺してくれ。俺は慌てて、


『それからニコチンとタールは欠かせないな!』


『それはまあ退院してからだな。一カ月もすれば出られる。辛抱して下さい』


 冷静に返されたので我ながらションボリとしてしまったが、ジャーマネは俺の肩を叩き、『これから忙しくなる』と言った。『何がだ』と尋ね返すと『明日から一週間は寝る間もない程に報道陣に対応しなきゃならない』と言われた。実際、そこからの一週間は寝る間もない程に忙しく、俺は人格を切り替えるのに相当手間取ったが、要所要所で『疲れたろう』、『もうちょっとだ』、『同じ事を何度も聞かれて面倒だろうけど丁寧にね』とジャーマネに子供扱いされるのは嬉しく、朝昼晩の食事に必ず餅菓子だの御汁粉だのが添えられているので機嫌は悪くなかった。機嫌か。偉そうだな。下層の生活を目の当たりにした後で菓子類を貪るのには怖気付いたが、『それを気にしていると何も食べられなくなってしまう』とジャーマネに諭されたので、それもそうかと強引に割り切った。ところで餅料理はどれもこれもジャーマネが自腹を切って買い込んでくれた品であるとは俺は後になって知る。言ってくれれば良かったのに。度し難いですね。


 日一日と気が咎めるようになった。ジャーマネの手に怪我をさせた件だ。取材が落ち着いた頃、俺は何とかして自分の手にも火傷痕を付けられないかと試行錯誤したがアイドルの皮膚は堅牢にして失敗、せめてものつぐないだと翌日の昼食中に熱いお茶の入った湯呑を倒した所、


『大丈夫かい?』


 お茶が零れる前に湯呑を掴まれてしまった。ぐぬぬ。ぐぬぬぬぬ。乙女心の分からない奴だ。何が乙女心だ。誰が乙女だ。乙女ですって。きゃー。死ね。


 俺が官庁名鑑を密かに買い求めたのはこの翌日だ。総務省が発行しているそれには各省庁の幹部職員(課長待遇以上)がズラリと紹介されている。俺は好物は最後に箸を付ける主義だ。小春日和を探す。二等マネージャーだからか載っていない。あの野郎はどうだ。『なか』と云う名前なのに後半の方に載っていた。今はアイドル省尚書官房広報評価課の課長だそうだ。広報評価課か。何だそりゃ。調べたら窓際部署であるらしい。ざまあみろと思った。切なくもなった。


 極楽坂久太郎の欄をドキドキしながらキョロキョロしながら――わるいことをしているきぶん!――読む。三五歳か。現在の配置は〝ピンク・チケット〟支社の広報部次長だが、あ、ここでも広報か、まあいい、その職を拝命する以前の経歴は輝かし過ぎて失明するかと思った程だ。アイドル省に採用されてから三年目で頭角を現した当時のジャーマネは数えで二六歳、そこから担当アイドルのモモが引退する八年間で授与された勲章は三桁に上り、前線勤務から外れている時期はアイドル省アイドル運用局参事官、同局運用部参事官、作戦局参事官などの要職を歴任している。変わった所では運輸局の審議官として運輸企画に参画している。


 運輸企画とは首都から各エレベーターに、各エレベーターから各陣地へと運輸される予定の人や物を実際にどのような手順で運輸するかを企画する作業で、ジャーマネは特に食料部門にかかずらっていたようだ。アイドルのエネルギー源は究極的には炭水化物であり糖分である。食料供給が遅延すればアイドルはその力を発揮出来ない。が、広大に過ぎる塹壕に比べて輸送力は常に不足しがちで、又、運輸にアイドルを使う場合、荷物を運搬するアイドル自体が大量の食糧を(力仕事でもあるので)消費してしまう。(前線への運輸であれば護衛も付けねばならない。となると消費食料は更に増える。戦闘や事故で量が減ったり道が壊れる事も考慮せねばならない)


 本来、審議官であり運輸の門外漢であるジャーマネは運輸局では人と人の利害調整をする役割だったが、猫の手も借りたい会戦前の繁忙期には運輸計画の立案にも関与していた。理論値と現実の値の目利きが巧かったらしい。どういう事か。アイドルは日に最低でも一万キロカロリー、前線勤務であればその二倍、戦闘時には三倍を目安に摂取せねばならない。が、それは飽くまでも理想値であり、後方で待機しているだけのアイドルは数日であれば五〇〇〇カロリーでも差支えがなく、同様に前線勤務であっても戦闘に直接参加していなければ一万キロカロリーで凌げなくもない。だから各エレベーターから陣地への物品輸送が何らかの手違いで遅れてしまった場合、隣接する陣地や後方の陣地から徴発する手もあり、ジャーマネは『何処から何をどれだけ徴発すればこの地域で不足する物品を賄えるか?』を計算するのが得意だったそうだ。


 これはどちらかと言えば輸送計画全体を俯瞰しながら監督する運輸局よりも輸送現場をじかに取り仕切る支社運輸部向きの能力だから、運輸局ではそう目立った功績は挙げていないものの、〝やろうと思えば何でも出来る男〟との評判が定着するのに一役買っている。尤もジャーマネ本人の評判は総合すると微妙だ。


 官庁名鑑の編集部に本名で問い合わせたら、『あの男と同じ戦場に投入されるとあの男と担当アイドルが全ての功績を独占してしまう』、『SS級以上のヲリコンの評価対象になるルナリアンのトドメを何が何でもさらっていく』、『タイマンでやってもH型を瞬殺するような化け物だったが人を利用して〝削らせる〟のが上手だった』などと褒めているのか貶しているのか判別に困る逸話を教えて頂いた。


 いいのだろうか。俺は俄かに不安になった。この人が俺如きのマネージャーで。


『人間はね』ジャーマネは俺が何も言わないのに俺の不安に気が付いた。『どうして人間と名付けられたか。人は一人では生きていけない。だが人と人が一緒になっても最初は〝あいだ〟がある。相手の事を何も知らない。歩み寄るのも難しい。何せ〝間〟があるからね。歩み寄ろうとするとその〝間〟に落ちてしまう。でも、相手の事を知らず、歩み寄るのが難しいからこそ知りたいと願い、歩み寄りたいとも思う。分かるかな。人はお互いの間にある〝間〟を少しずつ埋め合いながら近付くんだ。まだ僕らはお互いの事を余り良く知らない。それなのに不安に思っても仕方ないさ。いや、そもそも、君だけが不安になるのは不公平だ。二人の関係に関して一人で悩むのはズルだね』


『不公平か』俺は妙に気分が良かった。『ズルか』


『そうさ。何でも一人で抱え込むのは不公平でズルだ。僕だって君のマネージャーになっていいのかと悩ませて欲しいね。二人で一緒に悩むとしよう。ま、君は思い詰めると自分の手にお茶をぶっ掛けようとする位には不器用なブシドーだから、最初から完璧を求めずにゆっくりと意識を変えて行こう』


『ちぇっ』俺はわざとらしい舌打ちをした。『お見通しか』


 人間か。


 俺が人で居られるのは後何年か。


 人で居られる〝間〟にやりたい事は幾らでもある。


 同年代の友達は作れた。親友も姉妹も家族もだ。が、俺に全うな大人として接してくれるのはジャーマネが初めてだ。かあ様もあの野郎も江戸川先生も角野先生も大人としては駄目駄目だった。ジャーマネも彼を知っていく内に駄目駄目だと分かるかもしれない。それならそれだ。先ずは〝間〟を埋めなければならない。ジャーマネは暇を見繕っては――本社勤務の官僚の平均睡眠時間は三時間から四時間だと言われる。支社勤務で冗職だと時間は作ろうと思えば作れるらしい――俺を見舞い、ジャーマネは専ら学生時代の話とモモの話を、俺も主に学生時代とトロ子と足穂とお姉様と緑さんとかあ様の話をした。ウサギさんのお話もした。ウサギさんのお話を笑わずに聞いてくれたのはこれで四人目だ。俺は嬉しくなった。


 嬉しくなったからこそ何かの拍子に音楽の趣味が致命的に合わない事が発覚した折には、その場は話を合わせたが、後で一人で泣いちゃった。泣いちゃったではない。ジャーマネならば何でも分かってくれると思い過ぎたのか俺は。


 だがそこはジャーマネである。明くる日、またしても何も言っていないのに(エスパーかテメエは)俺が本当に好きなアイドル・ソングを話題に出したかと思うと、


『初めて聞いたけどあれは良い歌だね、ブシドー』


 エー、実にお恥ずかしながら、俺には兼ねてから一度でいいからやってみたかった事がある。


『やだ』と言う事である。


『やだ。やだ。やだ。なんだそりゃ。アンタは格好付け過ぎだ。ふざけるな。殺すぞ』


『そうかなあ。それは悪いね。許してくれるかい』


『許さない。謝ってくれなきゃ許さない。謝れ』


『悪いね』


『もっと謝れ』


『ごめんね』


『もっともっと謝れ』


『この通りだ』


『それから俺の事は芸名で呼ぶな』


『夜啼兎さん』


『やだ』


『夜啼兎氏』


『やだ』


『笑子ちゃん』


『呼び捨てで』


『笑子』


『うん。と、まあ、一度でいいから我儘を言ってだな、大人を困らせてみたかったんだけどな』


『ほう。どうだったね、笑子』


『それは――』


 笑子か。


『――とっても楽しいですね、これ』


 我ながら良い名前だ。

 

 でだ。どうして俺が怒っているのかだ。


『晴れて退院の日には迎えに行くよ。そうだ。その足で〝ピンク・チケット〟の町で食事でもしようか』と約束していた。お陰様で俺は寝不足だ。それなのに当日になって急に『社長に呼び出されて込み入った話をしているもんだから悪いけど一人で退院を済ませてくれるかい。病院を出たらその下の層に行きたいお店があるんだな。名前は〝不景気屋〟だ。そこで落ち合おう』とはどう云う了見だ。畜生め。付箋で膨れ上がった〝ピンク・チケット・ウォーカー・ギャリア〟は病室に置いて行こう。せっかく美味しいお店を探しておいたのに!


 幸せで胸が痛い。トロ子は一人で寂しく死んだ。足穂はチョコレートを食べずに死んだ。『あの二人の分も幸せになろう』は単なる自己弁護ではないのか。私はジャーマネを好いている。だがそれは我儘を許してくれるから好きなのではないか。そうだ。それの何が悪い。誰にでも我儘を言いたいのであればジャーマネに申し訳がない。でも俺はジャーマネにしか我儘を言いたくない。それならばいいじゃないか。はあ。昨日も今日も恐らくは明日もわたしわたしだ。『二人で一緒に悩むとしよう』にはまだ時間が掛かりそうです。ご免なさい。ええい。謝るのは俺じゃない。約束を破ったジャーマネであるべきだ。


〝不景気屋〟は不景気だった。外観が不景気だ。内装も不景気だ。客入りの景気だけが妙にいい。〝ピンク・チケット〟の上層は〝地元の名士〟が集う町が多く、そこを難民に開放したら人口問題も解決するんじゃないかと疑わしくなるような土地の使い方をしている層もあるが、〝不景気屋〟は建物の過密なオフィス街の裏路地で世を忍ぶようにヒッソリと営業していた。或いは表のオフィス街を嘲笑っているのか。ネオン・サインのケバいピンク色は『真面目に働くよりも人生を楽しもう!』と主張しているようにも見えた。


「お独りですか」と、カウンターでシェーカーを振っていたバーテンダーが尋ねたが、これはバリトン・ボイスのナイス・ミドルだった。


「ゑゑと」俺は咄嗟に挨拶に窮した。「後からもう一人来ると思います、多分」


「新聞でお顔を拝見しました」と、バーテンダーは〝セーラー服を脱がさないで装甲〟に目をやりながら言った。


「はあ」久し振りに着るセーラーは下ろしたてだから気分がいい。「ありがとうございます」


「ウチはアイドル様であっても一人のお客として扱う方針ですので、それだけはどうか」


「ああいやいや」俺は手を振った。「お気になさらず」


「でしたら何かご注文は?」


 昔、トロ子と足穂が居なくなってしまったのに、習慣的に『〝どりこの〟を三人前』と注文してしまって往生したのを想い起していたら、


「待たせたね」ジャーマネが俺の隣に腰を下ろした。「オスモウの――」


「――ダブルをオン・ザ・ロックですね」


 ジャーマネは目を丸くした。「覚えておられる?」


「ええ」バーテンダーは何食わない顔で言った。「ウチが騒乱罪で首都を追い出されて〝ピンク・チケット〟に移転してからもう十年近いですが、だとしてもね、看板娘を引き抜いてアイドルに仕立て上げたマネージャーさんの顔は覚えています。その看板娘に入れ込んでウチに通い詰めていた大学生の顔もね。モモが居なくなってからはこの店も寂しくなった。覚えていますか。このカウンターに貴方と並んで座っていた彼です。彼は前線に取られて帰って来なかった。モモの歌をもう一度でいいから生で聞きたがっていた」


「悪い事をしました」


「ええ。私達にはね。でもあの子は幸せだったでしょうから」


「そう言って貰えるならば」ジャーマネは目を伏せた。「ああ、笑子、君は何にする?」


「〝どりこの〟」と、反射的に言ってしまったのは疎外感を感じてしまったからだろうか。俺は速やかに提供された琥珀色の液体を前に言った。「控えろって言われてるんだよな」


「糖尿病か。でも控えろであって飲むなじゃない。一杯位はいいさ。祝杯だしね」


「それならまあ」ジャーマネのグラスと俺のグラスが触れ合った。涼しい音が立つ。〝どりこの〟はあの頃と同じ味がした。感じ入る俺にジャーマネが「平気かい」と尋ねる。俺は何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。人には人の歴史がある。俺がこの店とジャーマネの繋がりを知らないようにジャーマネは俺と〝どりこの〟の繋がりを知らない。人と人の〝間〟か。埋めたいな。埋められるかな。モモに嫉妬だ。でも、同じ人を(あちらは異性としてで俺は年長者としての差はあるが)好きになったのだから、嫉妬していてばかりではつまらない。


「それで」俺は訊き返した。「俺の事を放っておいて何をしてた。来たときから甘い香りをさせてたな。飲んで来たのか」


「うん」ジャーマネはオスモウを舐めながら説明した。「実はだね――」


「――ははあ」俺は呆れた。「派閥闘争か。なるほどなあ。今日もホモサピッてんなあ」


「ホモ・サピエンスをホモサピと略した上に動詞化するもんじゃない」


「うるせえなあ。まあいい。最前線だろうがアンタが行くなら俺も行く。勲章は貰い得だしな。でも次からは俺を置いて一人で何処かに行くんじゃねえぞ。連れてけ。放置するな。殺すぞ」


「分かった。分かった分かった。君は寂しがり屋さんだなあ」


「うるせえなあ」畜生め。大人はこれだから嫌いなのにどうして俺はニマニマとしてしまうのか。「笑子の子は子供の子だ」


「御歓談中に失礼なのですが」と、バーテンダーが切り出した。


「実は午後のショーに出演する予定だった歌手が急に来られなくなりまして」


「ああ」ジャーマネは気楽に言いやがった。「それならウチの笑子が一曲歌おう」


「あのなあ」と、俺は肩を落としたが、


「そうだな」ジャーマネはお構いなしだ。「僕のリクエストを聞いてくれないか」


「はいはい。はいはいはい。いいとも。いいですとも。マネージャーの命令なら聞こう。曲名は?」


「思い出せない」


「はあ?」


「思い出せないんだ。でも素敵な曲でね。希望に溢れた歌だ。昔のりゅうこうさ。君なら知っている気がする。君の声は素敵だからなあ」


「ンな無茶な」


「無茶かな?」


「仕方ねえから歌ってやるけどさあ」と、俺はヤル気マンマンなのにそう言った。


 俺は、こう狭いステージに立つのもこう至近距離から何十人かの客の注目を集めるのも初めてだったから不思議な気持ちになりながらも、俺が知る限り最も希望に溢れる曲を歌った。何だろう。歌い始めた途端に何人かが啜り泣きを始めた。「帰って来た」と誰かが呟いた。「違う子だよ」と誰かが剣呑な声を出した。「いいんだ。そうじゃないんだ。同じ人じゃなくていいんだ。アイドルだ。アイドルがこの店に帰って来たんだ」と最初の誰かとは別の誰かが遠くを見るような目で近くの俺を見ながら言った。


 ここで歌うのも悪くないかもなと歌い終えたときに思った。狭いが故に拍手と喝采が俺の鼓膜ではなくて肌を叩く。『喜んで貰えた』と感情ではなくて身体でるのは気持ちがいい。俺が何人かに求められるがままに握手をしてから席に復すると、


「ありがとう」ジャーマネは雨の日の樋のように澄んだ声で言った。


「僕の聴きたかった曲とは違った。それは間違いない。でも、今、僕が求めていたのはこの曲だったよ。ありがとう」


「なんだそりゃ」俺は小首を傾げた。「アンタは此処でモモと知り合ったんだよな?」


「そうだね。当時はお店は首都にあったけどね。可愛い子だった。見掛けは地味だったけどね」


「俺とは違った?」


「何もかもがだ。君のように見るからに美少女ではなかったし、歌も君よりかは下手だったが、でも、可愛らしかった」


「ふむ」俺は〝どりこの〟の注がれたグラスを手の中で転がした。「忘れられないだろうな」


「忘れられない。悪いけどね。駄目かな」


「駄目な訳があるか。俺もかあ様やトロ子を忘れられない。妬ましくはあるけどな。でもいい。アンタの親切も情熱も愛情も向こう何年かは俺が独占する訳だからな」


「君は優しいな」


「モモだって優しかっただろ?」


「我儘だった。あれが欲しい、これが欲しいとるが、手に入れると満足してしまって捨てたりもした。だから僕は彼女の物になろうとしなかったのかもしれない。捨てられるのが怖かったんだな。馬鹿だった。でも本当にモモは我儘だったよ。〝アイドルになりたい〟だぜ。僕がマネージャーになって自分をマネージメントしろだぜ?」


「あれだな」俺は肩を竦めた。「かぐひめみたいだ」


「輝夜姫か。輝夜姫ね。そう言えば輝夜姫は月に帰っちゃうらしいなあ」


「ふうん。じゃ、月に行ったらモモに逢えるかもな」


「それは」ジャーマネは目を細めた。「そうだといいね」


「おい。良い年をした大人が泣くな」


「そうだね。泣かないさ。でもありがとう。君は本当に優しいな。君もきっと逢えるさ」


「月のウサギさんに?」


「それもそうだしね。君のお友達やお姉様やお母様もだ。こう考えよう。彼女らは先に月に行ったのさ」


「そりゃ」俺は目を細めた。「そうだといいな」


「笑子」ジャーマネは言った。


僕は半身を失った((1-0.5))君も半身を失った(+(1-0.5))その二人が()コンビを組むんだ()


 人は――


「僕はもう二度と誰も失いたくない」


 人は誰でも泣いたり笑ったりした過去を持っている。


「だから君を絶対に死なせない。徹底的に推す。誰が何と言おうとだ。皇帝陛下でさえも意見はさせない」


 その過去を礎に、支えにして、――


「そうだ」


 望んで生まれた訳でもないのに今日を生きている。強く。強く。


「君が僕のアイドル皇帝(プリマドンナ)だ」


 忘却は人を救う。


 だが忘却してしまえばそれまでだ。


 俺は何も忘れない。忘れたとしても思い出す。


 思い出しさえすれば何も問題はない。 


「ジャーマネ」俺は依頼した。「〝どりこの〟を三杯頼んでもいいか」


「いいよ。でも三杯か。三杯もどうする?」


「置いておく」


「置いておく?」


「うん。置いておく。駄目か」


「駄目じゃないさ」


「それからもう二つだ」


「何なりと」


「また必要なときに手を握ってくれ」


「お安い御用だ」


「それから最後に」


 俺は何度も補修しているから実は裏地がボロボロになっているスカジャンから煙草の箱を取り出した。一本咥える。


「火を点けてくれないか。煙草に。それから〝ずっきゅん★ハート〟に」


「僕に点けられるなら」


「貴方にしか点けられません」


「そうか」ジャーマネも一本咥えた。二人で吸う約束だったからねと言いながら自分の煙草に古びたジッポで着火する。


 ジャーマネが俺を手招いた。躊躇はしない。ジャーマネの顔に顔を近付ける。


 俺の煙草の先端とジャーマネの煙草の先端が触れた。


 ジャーマネの煙草から俺の煙草に火が移る。


 ともった。


 だから会いに行く。


 月のウサギさんに。あの人達に。絶対にだ。


 人類は月に行けるとか行けないとかじゃない。


 月に行く。行くんだ。


 月の舞台で逢いましょう。

≪絶対防衛アイドル戦線ピンク・チケット!!≫

(1-0.5)+(1-0.5)=1章

『誕生! 新たなるプリマドンナ!』


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