第36話 / 極楽坂 / どきゅん! 政治の季節のはじまり!(後編)
社長室に到着する迄に三人の地方公務員から五度も握手を求められた。『僕はアイドルじゃないですけどいいですか』と一々断ったのだが、『それでもいい』、『自分は下層の出身です』、『貴方と貴方の担当アイドルさんには励まされた』と彼らは他愛ない笑顔を浮かべながら言い、求めに応じた僕の手を『これがあの』とシゲシゲと観察した。僕の手には一層でブシドーを受け止めたときの火傷痕がマザマザと残っている。消そうと思えば消せる。わざと残した。過去の自分を戒める為だったのにコレがどうにも変な宣伝効果を持ちつつある。手袋でも買うべきか。兎さんのワン・ポイントが入っているのとかどうだろうか。
「来たか」
社長は僕を古い蔑称で殊更に呼んだ。「英雄盗み」
社長、フル・ネームを玉城真希氏は目下四八歳、支社の社長席に座るにしては些かお若い。支社の社長職は本社の局長級職と同格だ。首都の〝優先搭乗権〟も大過を犯しさえしなければ最大で自身を含む家族三人に与えられる身分である。通常、この身分を勝ち取った官僚は更迭されないようにと一命を賭して社内政治に勤しむものだが、彼女は昨日も今日も社長室に閉じ籠るばかりだ。無論、最初からこうだった訳ではない。彼女がこの年でこの地位に就いているのは偏に伴侶の引きがあったからだ。三年前、赴任した当時の彼女は伴侶の名を汚したくない一心か歴代のどの社長よりも猛烈に働いたが、その伴侶が引退した直後から世間の何もかもを恨むように無気力になってしまった。〝引退〟だ。社長の伴侶とは彼女がマネージャー時代に担当していた某有名アイドルだったのである。
無論、公的な伴侶ではないが公然の秘密ではあった。
アイドルは恋愛禁止条例で異性との交際を禁じられている。下世話な話だが、異性と交際すれば肉体関係に至るかもしれず、至れば子宮が傷付くかもしれず、傷付けば子宮内のルナリアンに起きるか分からないからである。当然、多感な時期の若者は男であれ女であれ下半身的嗜好を思考から切り離すのは難しく、その欲求が薄い子でも恋愛に興味津々なお年頃であるから――マネージャーの中にはアイドルに下心を抱かないように美人なお姉さんや美形のお兄さんと個室で自由恋愛を楽しむ系の産業に入れ込む輩も居る。過度な入れ込みが祟って借金と病気に苦しめられる輩も絶えない――『異性が駄目ならば同性に』となるのは推して知るべしだ。
聖アイドル帝国では同性愛は御法度だとされている。構造主義的で唯物論的な言い方をすれば子供が増えないからだ。子供が増えなければ生産力の向上も望めない。だから〝エレベーター独立戦争〟の直前には国家を挙げての同性愛弾圧が行われていた。国民に禁止されているものを現人神であるアイドルにやられてはたまらない。〝教皇庁〟は一世紀以上も『百合営業を超えた同性愛は悪である』との見解を表明しているが、アイドルらはその見解を迂回するように『自分らとマネージャーはプラトニックな関係でプラトニックであれば何の問題もない。だって身体を傷付けないようにする為の恋愛禁止でしょ。どうせ私達は元から子供を作れないですしおすし?』的な反論を展開、売り言葉に買い言葉、水掛け論的な議論が続いている。ともあれである。条例違反でないのだから〝教皇庁〟は同性愛を取り締まれない。取り締まれないから〝お気持ち〟を表明している。社長に限らず女性マネージャーと担当アイドルの関係はこのような背景から公然の秘密として扱われるのを好む訳だ。勿論、〝教皇庁〟は何度も恋愛禁止条例の改正を企図したが、その度にアイドル皇帝陛下の裁可が降りずに(聖アイドル帝国の全ての法は『皇帝をそ欲す』と宣言しなければ成立しない)断念している。
無気力になってからの社長は叩かれに叩かれた。元々、地方公務員の流儀に詳しくなかった彼女は『何も分かっていないのに現場にクビを突っ込みたがる』と批判されがちだった。人は見たいようにしかものを見ない。内容的には同じ事を言っていても誰が言っているかで受け取り方を変える。だから地方公務員らは社長を一方的に『馬鹿な女で話しても無意味だ』と決め付けていた。が、全ての地方公務員がそうだったのではない。『社長も我々に歩み寄ってくれようとしているのだから』と社長のアクティブさに迎合する向きもあった。
その向きこそが、下手に期待していただけに、今では誰よりも熱心に社長を嫌っている。『結果的に自分は間違っていたかもしれないが当時は賢い選択をしたつもりだ』の態度を取りたがる人間は何時の時代の何処の巷にも多い。副社長とは言っても地方公務員でしかない彼が巨大派閥を形成したのは彼らを取り込んだからだった。
一応、社長は最低限の決裁はしている。だから(他に叩ける点がないから)副社長派閥は非難の対象を社長の態度に定めている。愛想が悪いだの、食べている物が贅沢過ぎるだのを起点に『社長は社長の器ではない』と言い募っているのだが、能力ではなくて態度と人品でを決める事の愚を思え。〝いいこちゃん〟が組織のリーダーになれば何が起きるかを想像してみるといい。態度に問題があるからと言ってコロコロとリーダーを変えていたら如何なるプロジェクトも遂行されなくなってしまう。地球は綺麗事で回転しているのではない。
「そう呼ばれるのは一年振りですがもう何年も呼ばれていない気もしますね」
僕は勧められる前に椅子に腰を埋めた。社長は面白くなさそうにしているがそれがデフォルトの人ではある。社長室の椅子の座り心地は誠に|素敵《スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス》だ。椅子だけではなく、広さを取っても内装を取っても社長室は素敵だが、壁に掛けられている歴代皇帝陛下の肖像画だけはどうにかして欲しい。美少女にこうも雁首を揃えられると僕は緊張してしまうのでね。
「お前自身が呼ばれるのは一年振りでも首都では誰もがそう呼び続けていた」
社長は社長机の上に座り込んでいた。件の伴侶の名が染め抜かれた桃色法被を羽織っている。アイドルと連れ添っていただけに(偏見だな?)顔立ちは若く、声は小さいが、身体を動かす度に揺れる胸元のボリュームは大である。昔はその大きな胸の奥に更に大きな野心を匿っていたに違いない。
「ところで一層の件はご苦労だったな」
「自分に出来る事をしたまでです」
「一層には皇帝陛下直々に〝英雄都市〟の称号を与えられるそうだ。当たり前だな。あんなに素晴らしい応援は中々見られない。それに、層の工場を爆破してルナリアンの目を潰す、あのアイデアは層の自治会長が提出したそうじゃないか。『自分も層の住民も有害物質を浴びても住む家が吹き飛んでもアイドル様がルナリアンに勝てるならばお国のお役に立つのであれば本望です』と言ったそうだな。間違いないか」
「彼は素晴らしい自治会長です」
「これで一層の自治権も保たれるだろう」
「結構です」
「英雄都市を放ってもおけない。層にはこれも皇帝陛下の名で金一封が下賜される。層の経済状況、特に難民問題は、恐らくはこれで解決するだろう。住民の健康問題も皇帝陛下は憂慮しておられる。英雄都市の住民が梅毒だのペストだので死んではたまらない。首都に備蓄されていた抗生物質を下し置かれるそうだ。有害物質で健康被害を受けた者には追加で一時金を支払う」
「それはそれは」
「満足だろうな」
「何の事です?」
「ふざけるな。子供でも本当は何があったのかは読める。一層の件から既に一カ月が経ち、お前と担当アイドルの名を報道で聞く機会も減ったが、それでも〝ピンク・チケット〟の下層住人はお前と担当アイドルを救世主か何かだと思っている。明るいニュースは最近では希だから派手に報道されたのもあるが噂は人伝に伝わるものだからな。どうだ。一層が英雄都市になるならお前は英雄個人の称号でも新設して頂いたら。それか〝歩く英雄都市〟を名乗らせてやろうか」
「小職には何が何やら分かりません」
「馬鹿め」社長は吐き捨てた。壁際の本棚を指差す。「二段目の〝アイドル白書〟の裏にオスモウが隠してある」
「そうとなれば話は別です」
オスモウとは低軌道ステーション艦隊、又は単に低軌道艦隊と呼ばれるアイドル支援艦運用艦隊の〝ドスコイ・フリート〟で製造されているお酒で、原料はとてもではないが人には言えないものの、その味は無類である。何故無類か。それもとてもではないが人には言えない。本棚にはそのオスモウの一五年物とアイドル・ジルコニア(アイドルの遺灰から精製されたダイアモンド)が鏤められたグラスが幾つか眠っていた。
「で」僕はここぞとばかりにオスモウをグラスに注ぎながら言った。「自分の役割は?」
「話が早くていい。ところで、お前、酒は上司のグラスに先に注げと新人研修で教わらなかったか」
「僕の教官は出渕さんでした。ご存じですか。皮肉屋で有名な」
「知っている。あれは私の部下だった事もある。企画課の課長をやっていた頃の。で、私の分は」
「ご自分でどうぞ」
「歌囀の言っていた通りの性格だ」
「歌囀さんを個人的にご存じですか?」
「個人的にご存じでない国民は非国民だ」
「イチジク機関とはやはり?」
「〝イチジク〟だ。漢字で書くと〝九〟だ。九と言えば我が国では〝例外の九人〟以外には有り得ない。あの機関は本来は〝例外の九人〟を極秘運用する為の機関だ。それにしてもあの人も相当顔が変わった。痩せたしな。それでも現役時代を知っている身としては一目で分かる。オオルリ・ウグイスはルナリアンの撃破総数で歴代一位だ。それだけではない。歌も踊りも歴代一位だ。〝トップ・オブ・アイドル〟だぞ。見間違えるものか。上層部に歯向かいさえしなければ今でも現役でスコアを伸ばしていたろうに」
「僕は世代がズレているので一層の件が片付くまでは気が付きませんでした」
「変な所でニブいな」
「モモにもそう言われました」
「担当アイドルか」社長は溜息を吐いた。「悪い事を言った」
「いえ」僕は社長にグラスを渡した。「お気になさらずに」
「〝ご自分でどうぞ〟では?」
「貴方の気持ちが僕にも少しですが分からなくもないですからね。担当アイドルを失うのは辛い。伴侶となれば尚更でしょう。僕は貴方の立場と貴方の派閥が嫌いです。が、貴方個人であれば理解も出来る気がする。気がするだけですがね。それにそう言っておけば少しは心証が良くなるかもしれないとも計算しています。大体、貴方とこうして話すのはこれが初めてですから、どう攻めれば効果的なのか探っているんですよ、正直」
「寄越せ」社長はオスモウのボトルを僕からひったくった。「そう悪い事にはしない」
社長は空のグラスにオスモウを叩き込むと僕に手渡した。有難く頂戴する。オスモウは今日もガソリンと核燃料の味がする。
「本題だ」社長はグラスの縁を指で弾きながら言った。「会戦が近い」
「それは」僕は戻ったばかりの椅子から腰を浮かした。
「これを見ろ」社長は社長机の上に散乱していた資料を掴むと僕の方に投げた。床に散らばった資料をオスモウを舐めながら集める。軽く目を通すだけで事の重大さが分かった。
「B級」僕は唸った。「B級ルナリアンですか」
ルナリアンには等級と型がある。
等級とはSSS級やSS級であり、型とはグレイ型やヒル夫妻型であるが、ではその序列はどうなっているのか。勘違いされがちだ。SSS級はSS級よりも強いと。
そうではない。SSS級はSuper Special Soft の略である。SS級はSuper Soft だ。何が〝柔らかい〟のか。実は現生人類が最初に遭遇したルナリアンは大型だった。大型は装甲で全身を固める。だから硬くて攻撃が通らない。従って、他のルナリアンを観測した人類がルナリアンを分類する必要に迫られたとき、大型を〝H級〟、即ちHard級と名付け、それに対応する形でS級、SS級、SSS級――と区分した。
このように級はルナリアンの純粋な強さを表すと思って欲しい。弱い順にSSS、SS、S、H、A、B、C、D、Eとなる。Hから上がアルファベット順なのは偶然だ。それらしい単語を割り振ったらアルファベット順になったに過ぎない。(因みにA級から上はエレベーター独立戦争の前後に初めて観測された)
では型とは何か。そのルナリアンの規格や使用戦術が型で区別される。
グレイ型はSSS級だが、SSS級には例えば他に〝マーズ型〟が居て、この〝マーズ型〟は複数の触手のような脚を器用に操る。主にルナリアンの巣の中で物資整理等の仕事に従事している型だ。そうだ。SSS級とは本来はその程度の(雑用を任される程度の)ルナリアンに過ぎない。が、その程度のルナリアン相手にさえも人類は手を焼いている。一層でブシドーと対決したのはSS級だったが、トップ・アイドルに比肩するブシドーをして、SS級の撃破は困難である。無論、あのSS級はアイドルから生まれたので並のSS級より強かったのはあるが、それを差し引いてもSS級は一般的に強敵だ。包み隠さずに言おう。人類が勝てるのはH級迄である。
A級ルナリアンから上は字義通り人知を超えている。
エレベーター独立戦争の直前、当時のアイドル皇帝であったのは〝シンデレラ帝〟で、彼女は副帝の〝オズ帝〟と二人でユニットを組んでいた。シンデレラ帝は珍しいタイプの戦術級アイドルで、〝靴〟と呼ばれるセット・リストを使いこなす、帝流に言えば〝履き替えて履きこなす〟事で全戦況に対応可能だった。それもその筈だ。シンデレラ帝の〝靴〟とは〝ハイヒールの踵に刃が付いたもの〟だの〝マシンガンを内蔵した義足〟だの〝ミサイルを括り付けたブーツ〟だのだったのである。
で、このシンデレラ帝がオズ帝のセット・リスト――〝魔女の箒〟と呼ばれる超高高度単独捜索飛行ユニットに同乗して成層圏を飛行した記録が残されている。シンデレラ帝はエレベーター独立戦争が勃発してしまう前に(つまりは勃発の回避は不可能だと考えていたのだろう)一部でもいいから人類を月に移住させられないかを検討していた。その一環として〝星間飛行可能なアイドルが誕生すれば可能となるのではないか?〟をアイドル省を動員し、又、自らとオズ帝を被検体に研究遊ばしていた。偉大な方だ。
マネージャー研修の締め括りにその研究記録を見せられた。
最終日のそれにA級とB級とC級が映っていた。
A級は鳥に似ていた。尤も全長二キロな上に成層圏をマッハで飛行する鳥を鳥と呼ぶならばだ。A級の半径二キロ以内では古典物理学はその効力を失う。A級は核弾頭を撃ち込まれても無傷だった。重力の働くベクトルを自在に操作するらしい。A級に撃ち落されたシンデレラ帝とオズ帝は避けられない死を目の当たりにしながらも気丈に記録を続ける。
B級は歪な巨人だった。それは軌道エレベーターに手足を生やしたような外見をしていた。違う。していたのではない。しているのである。
陥落した軌道エレベーターにルナリアンが何等かの細工をしたらしい。軌道エレベーターの表面に人のそれに似た皮膚が張り付き、シャフト内には内臓が鈴生りに形成されていて、生物のように呼吸さえもしている。シンデレラ帝とオズ帝はその余りの荒唐無稽さに爆笑、『二足歩行する電柱のようだ』、『頭の部分は大気圏の上に飛び出ている』、『手も脚もあんなに細長いのにどうして自重で潰れない?』などと会話していたが、その会話は唐突に途切れる。
C級を発見したからだ。
C級は大陸だった。
空に浮かぶ大陸だ。
後に旧時代の人工衛星、地球の輪に衝突もせずに奇跡的に無事だったそれを駆使して――現代、人工衛星は静止トランスファ軌道から静止軌道に遷移させる有効な方法がないので新規に打ち上げられなくなっている――観測した結果、C級ルナリアンは地球の南半球を覆い尽すサイズの生物だと分かった。生物だ。馬鹿げている。C級はルナリアンの生活拠点にして輸送機でもある。その体の一部を分離させて飛行機のように使えるのだ。だから〝Carrier〟級でC級となる。ああ、A級は人類が戦えば絶対に負けるだろうから〝ACE級〟でA級、B級はパンチ一発で軌道エレベーターを破砕するだろうから〝Busuter級〟でB級である。やれやれだな。シンデレラ帝とノア帝は泣き始め、「嫌だ」を連呼しながら五秒後に墜落、生前、片時も離れた事が無かったと言われるように二人一緒に仲良くお隠れになられた。二人こそが同性愛者だったのではないかとの説もある。
〝例外の九人〟の〝例外〟とは〝人知の例外〟を意味する。
何があったのか人には分かりたくても分からない。半世紀前、A級ルナリアンの組成の一部が第一〇軌道エレベーター〝ノー・エントリー〟の地下遺跡――〝深層真相領域コキュートス〟と呼ばれる遺跡だ。何が真相なのだろうか――から発見された。旧時代の人類が手に入れたものだろうか。それは隕石の欠片のような形状をしていたが、兎に角、その組成の一部からA級のクローンが培養された。〝例外の九人〟はそのクローンの幼体を子宮内に宿している。人の身にA級を宿すのは〝こうせい車〟に熱核エンジンを積むようなものだ。アイドルであっても数十万人に一人の割合でしか適合者は見出されない。
〝例外の九人〟だけがA級ルナリアンに対抗可能だ。現に過去の会戦で〝九人〟は九人合同で三体のA級を仕留めている。B級から上はどうだ。
無駄だ。
B級はストレンジラブ皇帝陛下の水爆でさえも殺せない。正確には、水爆を数発連続で叩き込めばその活動を停止させられるが、細胞の一つでも残っていれば数週間で再生する。全長数百キロの物体をどうすれば細胞一つ残さずに滅却可能だろうか。B級から上に死の概念はない。C級に至っては水爆の熱と衝撃を吸収してその質力を増した。馬鹿げている。奴らはプランク単位の世界に生きている。一説ではB級以上のルナリアンは真空の相転移をエネルギーに変えているとかで、理論上、宇宙が存在する限りその存在を止めないそうだ。
分かるだろう。この戦争――いや、ルナリアン側は僕らとの戦いを戦争だと認知していないだろうし、軍事学的に言えば人類側からしてもこれは戦争ではないのだが、現状を戦争と呼ばないならば何と呼ぶのか――に勝ち目はない。ルナリアンが本気を出せば人類は瞬殺だ。瞬殺されていないからこそルナリアンは人類ではなく地球に用がある――との仮説も真実味を帯びている。
それにしてもルナリアンの生体にはつくづく謎が多い。グレイ型とマーズ型でさえも形が違い過ぎる。ルナリアンは自己を繭に還元して進化する力を持つが、それにしても、あれだけの多様な姿が存在していて一つの社会を作れるものだろうか。人は生まれた場所や肌の色が違うだけで争うと言うのに。
これではまるで神話の世界の生き物だ。
ルナリアンとはもしや――
「そのB級がだ」社長が言った。「動こうとしている。C級からB級付近、正確には〝カモン・ベイビー〟を母体に産まれたB級の付近にルナリアンの戦力と物資が送り込まれているのが低軌道艦隊の観測で分かった。明日明後日ではない。だが来年の今頃、聖アイドル歴五一九年の冬、奴は確実にこの〝ピンク・チケット〟に来襲する。だが、現在の体勢では、つまりは私と副社長が睨み合い、首都で次官と尚書が喧嘩をしているような体勢ではB級を迎え撃つのは不可能だ。足の引っ張り合いになってルナリアンと戦う前に自滅する。何もかもご破算だ。〝教皇庁〟も邪魔だ。一層のときのように現場に出てこられると迎撃策が完璧でも口を挟まれて台無しにされかねない」
「今が好機な訳ですね」
「そうだ。反物質エンジンがもしも首都の推進システムとして採用されるような事があれば、いや、採用しようとの運動があるだけで尚書派は激おこぷんぷん丸だろう。〝地球を捨てて逃げる気だろう〟とな。次官と尚書は近く対決する。その場で尚書派を叩く」
「どのように?」
「先ずは論戦だ。尚書派は『新しい技術の発見で技術が後退する事も有り得る』を既に主張している。現状、我々は旧時代の文明の一割しか理解していない。核パルス・エンジンでさえも〝動くから動く〟の理窟で運用している。それでも手に入れた技術を実用化するのには、安全かどうかを検証するだけでも、作家が原稿を何度も読み返すかのように検証に次ぐ検証が不可欠だ。時間が掛かるだけではない。金も掛かる。潜水艦特許問題もある。知ってるな?」
「発掘された段階では何に使うか分からなかったからとりあえず取得された特許が、後になって有用だと分かって、まあ色々と面倒になるあれですか」
「そうだ。だからこそ〝選択的な技術停滞〟もあった。ノア号には敢えて新しい技術を採用しなかった歴史がある。その歴史と併せて、特許料の諸々を含めた金の出所は誰だと、奴らは言いたいのだろう」
「反論可能ですか?」
「だからお前が説得するんだろうが」
「ですよね」
「駸駸乎として英雄に祭り上げられたお前の言う事であれば少なくとも下層の人間は聞き入れる。下層の人間が聞き入れれば地方公務員も聞き入れるだろう。尚書派は力を失う。それに皇帝陛下も使う。『今度のエンジンは有用だから採用したい』との旨を表明して頂く」
「不敬ですよ」
「不敬でいい」社長はオスモウを呷った。袖で口元を拭う。「私が頼む。私だってサクラのマネージャーだった事もある。皇帝は知らない訳じゃない。それにお前の担当アイドルはキシドーさんの娘だろう。都合がいい。何もかも都合がいい。別に反物質エンジンが採用されようとされまいとどちらでもいい。私達が勝ち、尚書派が負ける、そのシナリオが必要だ」
「もしも陛下が裏切ったらどうします?」
「不敬だ」
「不敬で構いません」僕はオスモウを舐めた。「陛下に裏切れればそれまでではないですか」
「だから手筈は整える。先ずはお前を昇進させる。今は勅任だな。親任にしてやる。それからお前の担当アイドルには勲章をやる」
「ああ。なるほどね。勲章授与式と認証式を使う訳ですか」
「話が早い。勲章授与の際、皇帝陛下は、『勲章の他に何を望む』と尋ねる」
「キシドーさんが一度だけ『生きた証が欲しい』と答えた事もあるとか何とか」
「原則的には『名誉だけで充分』と答えるのだがな。有難い。キシドーさんが〝前例〟を作っていてくれるから我々がこの手を使っても誰にも非難は出来ない。いいか。皇帝陛下に『何を望む』と言われたらお前の担当アイドルはこう答える。『陛下の寵愛を』だ。神聖な授与式で嘘は吐けない。吐いたとなればアイドル皇帝の権威が下がる」
「しかもアイドルが望むものをアイドル皇帝陛下は与えねばならない。僕の認証式では何を?」
「『エンジンをどうか採用して頂けますように』と念を押せ。それから『会戦の際は〝教皇庁〟に黙っていて欲しい』とも」
「大役ですね」
「大役だ。だが見返りもある。一層で元野戦憲兵の男どもを助けたな。アイドルを銃撃した犯人だ。自治会長を殺そうとした男どもだ。アイドルを銃撃したからには異端審問は免れない。ああ、いや、既にホッペタ=オデンが確定しているらしいが、次官の方で待ったを掛けている。陛下にお頼みしよう。あの男どもに恩赦をお与え下さい、と」
「完璧ですね。僕には断れない。ブシドーもでしょう」
「断らせるつもりもない」
「〝教皇庁〟に、いや、尚書派に僕とブシドーに狙われるであろう僕らの身柄はどうなります。今は〝エレベーター独立戦争〟時代とは違う。対人戦闘が想定されていなかった時代とは。人殺しや内乱に関する法整備も進みました。〝教皇庁〟はその抜け穴を良く知っているでしょう」
「転任して貰う」
「何処に?」
「最前線に」
「最前線ですか」
「そうだ」社長は舌打ち混じりに言った。
「第五一二一警戒陣地。そこでお前はプロデューサー職務執行マネージャーになって貰う。新設の陣地だ」
「五一ニ一陣地と言えば」
広報部次長だったから新設陣地には詳しい僕である。
「敵の真正面」
「週に一度はルナリアンと戦えるぞ。愉快だな。S級とH級の目撃証言もある」
「実に愉快です」
「敵には近いが首都からもココからも遠い」
「なるほどね」
僕はウィスキーの水面を見下ろした。僕が映っている。どうしてだろう。憂鬱なのに僕は笑っている。
「条件があります」
「言え」
「資材と人は好きに使わせて欲しい」
「可能な限りは充当する。〝例外〟は流石に無理だ。それ以外ならば」
「それから首都の小春日和二等マネージャーとタケヤリちゃんに穏当な処分が下るように」
「ああ。神父を蔑ろにした件でお前を庇った要領の悪い奴か」
「ええ。出来れば二人も僕の指揮下に。それからこれだけは絶対に譲れない。僕が死なない限りブシドーは誰にも渡さない」
「いいだろう」社長は杯を掲げた。「乾杯だ」
「何に乾杯です?」
「尚書の完敗に」
「はあ」僕も仕方がないので杯を掲げた。「尚書の完敗に」




