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絶対防衛アイドル戦線ピンク・チケット!!  作者: K@e:Dё
(1-0.5)+(1-0.5)=1章 / 誕生! 新たなるプリマドンナ!
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第29話 / 或る少女たちの物語 ――或いはかつて少女であった少女の物語――

 その少女らは――


 その少女らに関して語るべき事はそう多くない。その少女らには語られるべき価値も物語性も等しくれいだからだった。何せ筋金入りの下層孤児である。彼女らは気が付けば生きていた。気が付けば死んでいるのだろう。自分達が何時から一緒に居るのかも詳しくは覚えていない。そのような少女たちを語り尽くすには次の一文で充分だ。『幸せで不幸せ』


 少女らの取るに足らない人生で語るに足る事件があるとしたらそれは二つしかない。片や世にも奇妙なアイドル対ルナリアン戦闘を目撃した件であり、片やコクジョー・ブシドーに『撃っていいよ』、『殺していいよ』などと彼女の殺害を教唆されて辛くも思い留まった件である――と書くと浪漫に欠けるが、元来、人生は浪漫に溢れてなどいない。例えば彼女らははその全員が五歳未満で純潔を散らしている。場所はそれぞれで違うが、大抵は前線の塹壕内であり、彼女らは自分が何故に前線に居るのかを理解していなかった。違う。彼女らは前線が何であるかさえも理解していなかった。(時々、整列させられてサイリウムを振らされるのが、疲れるから嫌だった)


 オジサンに、時にはオバサンにも、『遊んでくれたら食べ物を上げるからね』と彼女らは朗らかに誘われた。こんなに朗らかに誘うのだからこの人は悪い人ではないのだろう。彼女らは自分が何をされたのかをその行為が始まる前にも終わった後にも了解していない。痛かったのは分かる。貰えた食べ物が虫なのも分かる。時には行為を済ませたオジサンかオバサンが突発的に泣き始め、『すまなかった』だの『ごめんなさい』だのと謝り、ポカンとする彼女らに約束外の虫を追加で支払ったが、その意味は分からなかった。虫は奥歯で噛むとプチッと潰れて、潰れた身体から滴る体液は甘くて、甘いのが嬉しくて『ありがとお!』と発音する彼女らを見たオジサンやオバサンの反応は十人十色、再び泣き始める人、笑ってしまう人、暴力を振るわずにはいられない人、――


 彼女らは学習した。『痛い事をされても我慢していれば食べられる虫が貰える』だ。学習した彼女らは塹壕内の随所にたむろしているオジサンやオバサンの服の裾を掴み、


『痛い事をしてくれる?』


 と、尋ねて回っては糊口を糊した。彼女らはオジサンとオバサンが行為中に顔を歪ませると期待する。『泣くかな?』


 勿論、このように忍び難きをそれと認識せずに忍ぶ姿を物語として消費するのが浪漫であるならば彼女らの人生は浪漫に溢れているだろう。他人事である限りは不幸よりも面白い娯楽は存在しない。事実、彼女らの一人が凍った金属――円匙カンタロウの金属部分――に素手で触れて手の皮膚を剥ぎ取られたとき、居合わせた大人は『馬鹿なガキだ』と塹壕の凍土を転げ回りながら笑った。


『幸せで不幸せ』だ


 少女らは自分が笑われているのがどうしてか分からなかった。


 解釈次第では優しい大人も居ないではなかった。或る日、或る所で、或るアイドルが彼女らに『痛い事をしてくれる?』と尋ねられた。アイドルは驚き、悲しむよりも先に苦しみ、彼女らに手持ちの糧食を振舞った。アイドルは少女らの貪欲な食欲に今度こそ悲しんだ。悲しんだからこそ自分を正当化した。彼女は以後も何度か少女らに逢った。お菓子を配り、自らをお母さんと呼ばせては、アイドルとしての自らの経歴を幾らか脚色して語った。その行為に罪はない。偽善ではある。それでも偽善で助けられる誰かが存在する限りそれは罪ではない。


 罪があるとすれば、――彼女が死なずに生き続けている事自体が罪だったのかもしれない。


『ガキを飼ってるだなんてマネージャーに見付かったら大目玉だよ?』


 と、同期が忠告するのに彼女は、


『でも、あの子達だけが私の話を〝おはなし〟だと思って楽しそうに聴いてくれるの』


 と、答えた。


 罪があるならば罰がある。彼女はルナリアンに縊り殺された。人の親に憧れた彼女の享年は一五歳だった。


 話を急ごう。この手の話は聖アイドル歴の巷に限らず如何なる時代の如何なる巷にも転がっている。彼女らが目撃した奇妙な対ルナリアン戦闘の件だ。


 彼女らの事であるから、それが何時、何処で行われた戦闘であるかは不確かだ。それが塹壕内の出来事であるのは確かである。塹壕は死体で一杯になっていた。ガリバーがたルナリアンに防御線を突破されて、それに続いて塹壕内に突入、乱入、闖入したグレイ型に大暴れされたのだろう。何十匹かのルナリアンが生き残りを探している。少女らは大柄な死体の下に身を隠していた。血腥い。死体から流れ出る脂が少女らの髪や額に張り付くように凍結する。凍死せずに済んだのは方々で死体が燃えているからだ。


 その燃え盛る炎の向こうからそれは現れた。


 アイドルだろうか。ルナリアンと戦っているのだからアイドルなのだろう。だがその姿は世に言われるアイドルのそれとは懸け離れており、――


 凄まじい衝撃と閃光と音響とで少女らは意識を失った。その失った意識を取り戻したとき、少女らは、自分が何処に居るのか分からなかった。息苦しい。嗅いだ事のない匂いがする。何も見えず、身動きも取れず、何か喋ろうにも喋れず、死ぬのかな、死ぬともう痛くも辛くもないのかなと思っていると視界が急にひらけた。支援艦から降り注ぐサーチ・スポット・ライトの光が網膜を驚かせ、澄んだ空気とボソボソとしたものが鼻腔を内側から引っ掻いたから、少女らは一様にクシャミをした。その少女らの顔を真上から覗き込んだのは一人のアイドルで、無邪気で、それでいて凛とした顔立ちは野良猫を思わせる。


『アンタらは生きてるわね。よしよし。マネージャー、こっち、こっち、何人か生きてるから引っ張り上げるわよ?』


 生き埋めになっていたらしい。アイドルは少女らを丁寧だが手際良く救い出すと両手を叩き合わせた。手を汚していた土が地面に落ちる。


 土である。カチコチに凍っていて鋼鉄のような雪と灰を掘り返しても最初にお目に掛かるのはトリニタイトだ。これは砂が旧時代の核爆発で融解してから再結合した鉱物で、ガラス質だから脆いと思いきや、厚みがそれなりにあるので簡単には叩き割れず、アイドルの力を借りても叩き割り、土を見るのには様々な意味で骨が折れる。


 塹壕は様変わりしていた。教えられなければそこが塹壕だとは思えない程だ。塹壕は土と雪と灰とトリニタイトの破片が交じり合ったもので完全に埋め立てられていた。


 少女らはペタンと座り込んだ。心理面での衝撃はそう大きくなかった。衝撃を受けるには彼女らの知性は未発達に過ぎた。彼女らをそうさせたのは肉体的な限界だった。


『運が良かったわね』アイドルは少女らの髪をクシャクシャに掻き混ぜながら言った。『爆発があったんだから。ここでね。それはもう凄い大爆発よ。地面が抉れて、土砂が空中に舞い上がって、それがドバァーッと降り注いだからこうなっちゃったのね。本当に運が良かったわ。もう大丈夫だから安心しなさい。今、あたしのマネージャーが食べ物だの飲み物だの着るものだのを持ってきてくれるから』


『ヤマダ』――と、その食べ物だの飲み物だの着るものだのを抱えて来たマネージャーは担当アイドルの芸名を呼んだ。『この子達は何か見てたかい?』


『あのね』ヤマダは腰に手を当てた。目を三角にしながら彼女は言った。『今、死ぬか生きるかの瀬戸際から助け出されたばかりの子を質問攻めにしろっての。だからアンタは役所をクビになったんでしょ。元一等マネージャーだか何だか知らないけどね、江戸川、アンタも少しはウチの流儀を弁えなさい。そりゃあウチはイリーガルな仕事もするけど、それだって、〝失われたⅤ〟と〝皇帝の右腕〟をルナリアンよりも先に手に入れてこの戦争を終わらせるためでしょうに。救うべき人々を傷付けてどうするっての』


『はいはい』江戸川は無精髭の生えた頬を撫でた。桃色法被を着ているが、その右腕には〝私立〟と書かれた腕章を巻いており、法被の背には事務所名である〝すみうめ〟が染め抜かれている。『だがそれを言ったらね、君、何処で誰が聞いているかも分からないのに〝失われたⅤ〟だの〝皇帝の右腕〟だのを口にしていいのか。福音主義者だとバレてしまうぞ』


『周辺五キロには誰も居ないわ』


 ヤマダは少女らに厚着をさせたり熱い飲み物を啜らせたりしながら呟いた。『この子ら以外は死に絶えてる。恐ろしいわね。これが噂の〝BKA(ベーケーアー)〟?』


『そうだ。四八人の直進する、怯まず、弛まず、歌い、踊り、直進し続けるアイドル、〝逢いに逝けるアイドル〟、天国にライブをくものたち者たち、――ほら』


 江戸川は土に埋もれていた何かを掘り起こした。それは旧時代に五円玉と呼ばれていた硬貨に酷似している。表面に〝BKA〟と可愛らしい丸文字で刻印されている。


『戦術核弾頭の爆発でも少しも変形していない』江戸川は硬貨を握り締めながら言った。『〝核のパスタ〟で作られた五円玉だ。アイドル省の切り札だよ。手強いぞ』


『ふん』ヤマダは一三歳の割に﨟(ろう)けた面持ちで言った。『何でもいいわ。敵になるなら誰だろうが速やかにぶち殺すだけよ。それよりもこの子らを安全な所に連れて行ってあげないと。〝スタッフ・オンリー〟はもう駄目でしょ。首都も今からじゃ無理か。〝ピンク・チケット〟は気が進まないわね』


『気が進まなくてもそれがこの子らの運命だ』


『運命』ヤマダは溜息を吐いた。『運命ね』


『そうだ。〝月は無慈悲な夜の女王(イコノクラスム)〟計画だ。世界を取引するアイドルを――』


 少女らは難しい話だからと一連の話を聞き流していた。


 その少女らを〝ピンク・チケット〟は一層自治区の難民居住区に送り届けたヤマダは膝を折る。江戸川は元野戦憲兵の男どもと話している。江戸川と男どもはこれが初対面、江戸川は子供らを厄介払いする先として適当な(適当に人情に溺れそうな)相手だと思い声を掛けたのだが、言葉を交わすとこれが中々の上玉、全身に漲らせている迫力は信頼にも信用にも足りると判断した。江戸川が此処で持ち出した話が後に〝自治会長暗殺計画〟の草案となるのだがそれはまた別の物語となる。


 ヤマダは少女らと同じ目線で朗らかに言った。


『今日を生きるのは辛いでしょうけど、いい、今日の辛さが種になって、涙を吸い込んで育って、どれだけ重い土でも持ち上げて花を咲かせて実を結ぶの。諦めちゃ駄目だからね』


 ヤマダは何一つ間違っていない。何一つ間違っていないからこそ間違っている。


 今日を我武者羅がむしゃらに生き抜かねばならない人に明日は要らない。だからこそ少女らは難しい話を聞き流す。少女らと対照的にヤマダは明日を作ろうとしている人だったが、明日を作ろうとしている人の仕事は、その理想を説き、諭す事でも同情する事でもない。同じ目線に立ってくれた所で苦しみを共有していない人に何が癒せるだろう。苦しむ人が欲しがるのは同情ではない。〝明日の社会の在るべき姿〟を説かれてもそれは押し付けだ。


 明日を作る人が成すべき仕事は何か。今日を我武者羅に生き抜く人に明日を考える余裕を与える事だ。理想である。理想は叶わないからこそ理想と呼ばれる。実際、明日を考える余裕を与えられたとしても、人は〝明日の社会の在るべき姿〟を考えはしない。考えるのは『自分が誰以上に豊かに生きているか?』だろう。歴史がそれを証明している。〝余裕〟が在り来たりなものだった時代に人々が何を成し遂げたか。究極的には〝エレベーター独立戦争〟は〝余裕〟と〝押し付けられた明日〟の代償として勃発したのではないか。


 結局、人は人に優しくあろうとすればする程、他人を分からなくなるのかもしれない。


『優しくあろう』、『人を傷付けてはいけない』、『明日は今日よりも良くなる』――


 それらの発想の裏側には『人生は悪いものではない』とする前提が無意識に自働的に存在しているからだ。


 この世に正しいものなどないのだろう。物事はそれを見る人の立場次第でオセロの駒のように簡単に白黒を変える。自分一人で生きていけるならばそれを忘れてしまってもいい。だが人は一人では人の物語を織り成せない。それが分かっているのに人は往々にして相手の立場だけを忘れる。


 勿論、ヤマダは主観的な正論と綺麗事以上に人を傷付けるものはないのを重々承知している。承知していても何か言わずにはいられなかった。自己満足である。彼女は酷い自己嫌悪に陥る。その自己嫌悪も見る人が見れば自己満足か自己陶酔となる。『万人を幸せにしたい』と主張する人間が信頼されない理由がこれだ。だがだとしてもこのヤマダを誰が責められるだろう。誰でも人の為と謳いながら先ずは自分の為に生きている。自分を幸せに出来ない人間に他人を幸せに出来るだろうか。


 主役の座を返そう。ヤマダの激励から何らの感銘を受け取らなかった純粋な少女らに。


 少女らは前線帰りである。前線は氷点下三〇度の世界だ。氷点下三〇度ではウィルスだの細菌だのも大人しい。だから前線帰りの免疫能力は概して低下している。現に少女らの何人かは梅毒に侵されている。彼女らの〝父親〟を自負する男どもは、ペストで愛娘を失っている彼らであるから、どんな手を使ってでも少女らを守ろうとした。


 それでなくとも層住民からの抑圧は厳しい。〝ピンク・チケット〟と〝スタッフ・オンリー〟では文化的な差異があるのもそれを助長している。十年以上も対ルナリアン戦闘に明け暮れていた〝スタッフ・オンリー〟育ちの男どもは、元は肉体労働者であり、寒い前線で体温を保つ為にそうしていたこともあり、ルナリアン由来の塩――闇物資として流通していた――を大量摂取するのに微塵も抵抗がなかった。それが下層とはいえども前線から最も遠かった〝ピンク・チケット〟の下層住民の目からすれば野蛮に見える。野蛮に見えれば同じ人には決して見えない。


『お前らに物を売りたくない』程度であれば男どもも耐えた。道を歩いていて石を投げられても大人が子供の盾になればいい。だがそれが『病気を持っている子だから早く始末してしまえ』となればどうか。層住民にも幾らかの正当性はある。不法に滞在している難民が無法にばら撒いた病気で家族を奪われた層住民には特に。


 それでも男どもは戦った。少女らは男どもが何をしているのか分からなかった。彼女らは〝意識〟とか〝感情〟とか呼ばれるものを悉く忘れてしまっていた。生き抜く為にはそれらは邪魔でしかないからだ。少女らは――そうすると〝集客率〟が良いのだと抽象的に学習していた――二人一組で男どもの裾を握ると上目遣いに尋ねた。『痛い事をしてくれる?』


 男どもは更に激しく戦った。少女らは更に男どもが何をしているのか分からなくなった。彼女らは男どもを恐れた。〝痛い事〟をせずに食べ物だけをくれる意図が彼女らには分からない。少女らは度々脱走した。梅毒、栄養失調、〝ヴィーナスの病〟に苛め抜かれている彼女らはそう遠くには逃げられずに連れ戻されたが、何度でも連れ戻そうとするのだから男どもの親切には裏があるのだろうとの本能的な不安が深まる。


 男どもは善良である。善良であるけれども人である。身を挺して守ろうとしている少女らにこうも袖にされては痺れを切らしたり魔が差したりするのも仕方がなかった。彼らは少女らを叱責し、殴り、怖いからではなく痛いから泣き、泣きながらでもどうにかして身を隠そうとする少女らに幻滅したが、不思議だが普遍的な事実だ、幻滅したからこそ以前にも増して彼女らを愛おしく感じるようになった。


 少女らと男どもの間にあるわだかまりはどのように解消されたか。


 事件らしい事件が起きたのではない。先に述べたように少女らには語られるべき価値も物語性も等しく零である。時間が全てを解決したのだった。


 男どもは何カ月も辛抱強く少女らに愛情を注いだ。用法用量を守らないそれは時に少女らを却って傷付けた。が、少女らの内面に愛情に対する耐性が形成されると、少女らは何時しか男どもを『お父さん』と呼ぶようになった。それだけの事だ。大抵の蟠りはこのように丁寧に時間を掛けさえすれば(日常の中で少しずつ手近な所から手直しすれば)自然に解消される。それを今直ぐに解消しようとするから無理が生じるのだ。人間関係に限った話ではない。政治でも経済でも何でもそうだ。これも歴史が証明している。


 故に、〝事件らしい事件〟が起きねば解消されない蟠りを抱えている人を不幸と呼ぶ。コクジョー・ブシドーのように。


 その不幸せなコクジョー・ブシドーが歌うのを、笑い方を、泣き方を、人生には確かに良い面もある事を、――〝意識〟と〝感情〟を思い出した幸せな少女らは見た。


 少女らは感動した。身も蓋もない言い方をするならば彼女らはコクジョー・ブシドーと自己を同一化していた。この時点で彼女らは〝父親〟が自治会長から任されていた盗掘作業を手伝うようになっていた。地下の〝遺跡〟に通じる坑道は、正規の物と違って盗掘用であるからして狭く、狭いからには子供の独壇場だったのである。盗掘作業に従事していたのは彼女らだけではない。他の難民とその子供らも同じ坑道を利用していた。


 坑道内には粉塵が充満していた。だから何かの拍子に――円匙が地面と擦れるとかで――火花が散れば爆発事故に繋がった。間近で火花を見た子はいい。『綺麗!』と無邪気に喜んでいる内に、自分が死んだと気付く前に、さっさと死ねるのである。巻き添えで生き埋めにでもされればたまらない。違法な仕事だから誰も助けてはくれない。酸欠で徐々に徐々に苦しみながら死ぬのは誰でも御免だ。少女らはその危険性と残酷さをその目で見たから知っていた。日々の労働は、感情を取り戻す前ならばいざ知れず、取り戻したからこそ死の恐怖をそれまでの何倍にも感じるようになった少女らを苦しめた。


 そうだ。


 自分らもあのアイドルのように、撃たれても飛び続ける事を選んだ鳥のように、息を切らしても身体が痛くても歌い続けるアイドルのようになれたならば!


 彼女らは〝アイドルの立場〟を忘れている。アイドルは過酷な商売だ。『なれたならば!』でなれたとしても三日と続かないだろう。だがそれも別に罪ではない。憧れはその実態を知らないものにしか抱けない。アイドルはアイドルで無責任に憧れられるのが本懐だ。その意味で彼女らはお手本のようなファン・クラブ・メンバーだった。彼女らの憧れは彼女らの〝父親〟をコクジョー・ブシドーが助け出した事でこの上なく高まった。彼女らはコクジョー・ブシドーを『アイドルだ!』と思った。


 彼女らがお手本のようなファン・クラブ・メンバーから逸脱したのは、あろうことか、そのコクジョー・ブシドーが父親らに暴行を働き、自治会館に連れ込み、何やら危ない橋を渡らせたらしいと分かったからだ。何故だ。自分らを助けてくれたアイドルがどうしてお父さんらを虐めるのか?


『撃っていい。お父さん達を殴られて、蹴られて、酷い事をされて、それで私を殺したいと思うなら、殺していいよ。目を狙えば少なくとも痛がらせる事は出来る。六発全部撃ち込めば殺しさえできるかもしれない。いいよ。貴方達ならいい。撃ちたいなら撃ちなさい』

 少女らは撃つ気だった。撃鉄を起こした。引き金に指を掛ける。狙いを定めた。コクジョー・ブシドーの目に。


 コクジョー・ブシドーの目に?


 それはコクジョー・ブシドーの目ではなかった。アイドルの目ではなかった。


 一人の少女の目だった。


 だから少女らは撃たなかった。


 分かるだろう。分からなくてもいい。少女らは〝アイドルの立場〟とは何であるかを理解したのだ。コクジョー・ブシドーが人として抱える不幸と自分らが享受している幸せを理解したのだ。物質的にはそれはコクジョー・ブシドーの方が少女らの何十倍も恵まれているだろう。だがそうではない。人はパンのみに生きるのではない。


 喝采を。


 今、少女らは語られるべき価値と物語性とを有するに至った。


 ならば〝少女ら〟の名はもう相応しくない。


 リボルバーを握らされた子、五人組の少女らの代表者の子、――この時点では固有の名前を持たないが、近い将来、憧れから目標へと変わったアイドルの名を借りて〝唱子しょうこ〟と名乗る彼女は、アイドルがルナリアンに敗れたのを目の当たりにして思った。どうしよう。どうすればいいか。何か出来る事はないか。現実的に考えればない。


 だがしかしである。


 彼女らに現実的に考える知性は備わっていない。


「なにかしなきゃ!」唱子 (仮) は叫んだ。彼女らは〝父親〟らと共に自治会館前に留まっていた。アイドル対ルナリアン戦闘になれば何だかんだこの建物が層内で最も安全だからである。父親らはこうてた。なにかしなきゃと言われてもなにをすればいいか。彼らは大人である。大人だから現実的に考えられる。現実的に考えるならば自分達がアイドルにしてやれる事はない。精々が応援だろう。応援だとしてもアイドルは既に敗北している。応援しようにも此処からでは声が届かない。届かない声は応援にはならない。現場に馳せ参じるにはそれなりに時間が掛かる。応援に行った所で大事件を起こした自分らを素直に応援させてくれるかどうか。『負けてねえでとっとと立ち上がって俺らを救えやコラ』とは彼らとても思う。大人なのに情けない。情けなくとも子供らの命を優先せねばならない。子供らだけでも助けられないかと〝父親〟らは協議した。


 と、


「あのね」


 自治会長が危うい足取りで現れた。自治会館の壁に背を預ける。彼の登場に身構える男どもに、〝ラッキー何たら〟を吸いながら自治会長は、


「層内放送用のスピーカーは自治会長執務室から遠隔操作可能なのね」


「遠隔操作?」


「そうよ。知らなかったかしらね。それを使えばアイドルにアンタらのガキンチョの応援を届けられるかもだわ」


「どうしてそれをよりにもよって俺達に教える。俺たちはアンタを殺そうとした。今でも殺したいんだぞ?」


「決まってるでしょ」自治会長は遠くを見ながら言った。物理的な意味での遠くではない。時間的な意味での遠くだ。「私もアイドルに憧れてたの。アイドルになりたかったわ。でも男の子じゃ駄目だって言うじゃない。女の子になりたいとも思った。思っただけよ。なろうと本気ではしなかった。だからここでこうしてるのよ。大人なら分かるでしょ?」


「そうか」父親である以前に大人である男どもは頷いた。「だが感謝はしない」


「馬鹿ね」自治会長は口元を歪めた。


「ま、アンタらには私の立場は分からないでしょう。自治会長ってのはね、気苦労ばかりが多くて、誹謗中傷はされても感謝はされない職業なのよ」


 このようにして唱子 (仮) と仲間たちと一時的に子供に戻った父親らと自治会長は歌い始めた。


『嫌なこと 辛いこと 悲しいこと いろいろあるけど

 悔しいこと 泣いちゃうこと 切ないこと たくさんあるけど

 ここで頑張れたら

 きっと(いつか)

 きっと(ずっと)

 笑顔になれるから』


 この恥ずかしい歌を。


『ほら 頑張って 頑張って

 あと一息!

 ずっきゅん★ハートに火をつけて❤

 ほら 頑張って 頑張って

 負けないで!

 挫折の先に夢はある!』


 まともな神経をしていたら歌えないこの歌を。


『月の(次の)

 次の(月の)

 舞台で会いましょう

 煌めけ僕らの笑顔!

 輝け僕らの希望!

 ときめけ! 

 僕たちの未来!』


 この時代に、懸命に生きても報われずに、絶望ばかりが襲い掛かる時代にどうして希望の歌を歌えるだろう。決まっている。知性が未発達だからだ。馬鹿だからだ。馬鹿でなければ希望の歌など歌わない。歌われない歌に意味はない。歌われる歌であれば何であれ意味を持つ。この歌は今まで誰にも歌われなかった。コクジョー・キシドーもコクジョー・ブシドーも心の底ではこの歌の歌詞を疑問視していた。


 本当に馬鹿らしい。が、アイドル・ソングとは常にそうなのかもしれない。


 ファンが歌う。ファンによってしか本当の意味では歌われない。


 改めて喝采を。


 昔、今日を我武者羅に生きる事しか出来なかった少女達は、今、〝明日の希望〟を考えている。

 

 だが、コクジョー・ブシドーとしてはそれでいいのか?


『そんなにその歌が好きならその歌は貴方にあげましょう』――


 遠い昔、コクジョー・ブシドーになる以前の夜啼兎笑子は、このどうしようもない歌をコクジョー・キシドーから貰った。


『誰でもそうであるように私が人生で初めて出会ったアイドルは母親だった』――


 夜啼兎笑子はコクジョー・キシドーのファンではなかったか?


 それなのに、そのキシドーから貰った歌を本当の意味で歌うのが自分でなくていいのか?


 いい筈がない。


 遠からん者は音にも聞け。


 近くば寄って目にも見よ。


 コクジョー・ブシドーは蘇る。

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