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絶対防衛アイドル戦線ピンク・チケット!!  作者: K@e:Dё
(1-0.5)+(1-0.5)=1章 / 誕生! 新たなるプリマドンナ!
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第25話 / 夜啼兎笑子 / キャン・アイ・セイ...(後編)

 当年取って一五歳の彼女は見目麗しく、タレ目の、太眉の、ポニテの〝お隣のお姉さん〟然としているが、胸元を彩る数々の略綬フルーツ・サラダが我々を当惑させた。一五歳にして二枚の会戦参加章、功労賞、テクニカル・マイクロフォン・メダルの受賞歴を持つのは並大抵のアイドルではない。


〝花嫁学校〟の一年生の年齢には、下はアイドル事務所への志願が可能となる一〇歳、上は強制デビューの対象となる一六歳、最大で半回りの開きがあった。足穂も我々より四つ上である。四つ上なのに我々を対等な友達として見做すのだから偉い。違う。友達自慢をしている場面ではない。一年ロ組にもシノブさんと同年配、ともすると年嵩の生徒が何人か在籍しており、その手の生徒の困惑は私のそれよりも根が深かった。現役アイドルで〝花嫁学校〟の教員を務める者の平均年齢は二五歳だからである。年下を師と仰ぐのは誰でも難しい。


 それにシノブさんの服装が服装でもあった。彼女は〝セーラー服を脱がさないで装甲〟の上に桃色法被を重ね着していた。略綬もセーラーに付けているものと桃色法被に付けているものとで分けている。アイドルでありマネージャーでもある〝二枚監察型アイドル〟はその絶対数が両手の指で数えられてしまう。だから、知識の上ではその存在を知っているのに、思考回路の方で『あれがあの』とならなかったのだろう。大体、〝二枚監察型〟はコンセプトこそ意欲的だがアイドルとしてもマネージャーとしても器用貧乏な仕上がりになりがちで、しかもコストが高い――マネージャーを一人育成するのに必要な額面金額は首都の中流階級の年収一五年分に匹敵する――割に〝偶像症候群〟の影響で勤続年数が短く、ペーパー・プランで終わったとの噂も実しやかに囁かれていた。


 だが、私達を真に驚かせたのはシノブさんの第一声だった。


「今日からこの学園で教養の授業と助教職を受け持ちます。よろしくお願いします。えー、私がこの授業を担任するに当たって皆さんにお願いするのはたった一つのシンプルな事、教科書を破り捨てて下さい」


 かなえの沸くが如しである。めく教室を、


「はいはいかしましいよ!」


 シノブさんは手を打ち合わせて黙らせた。「〝姦しい〟って字は女を三つ繋げて書くけど、三〇人から生徒が居るんじゃあ、これじゃあ超姦しいに決まってるね。栄えある〝花嫁学校〟の生徒であるからには君らも騒々しくしないように。了解したらとっとと破っちゃって下さい」


「先生」と、真面目なのではなく、単にシノブさんが気に食わないらしい生徒が言った。「教科書を使わないで何をどうするんですか?」


「じゃあ君はこの教科書を使ってどうするの?」


「どうするのと言いますと?」


「この教科書を」シノブさんは教卓の上に寝かせてあった教科書を手で床に払い落した。「使ってると馬鹿になる。この教科書を、前線から遥々呼ばれて此処に来る間に読んだけど、こう書いてあった。〝皇帝陛下は間違えない〟だそうです。嘘じゃん。皇帝陛下は間違えます。間違えてないなら〝エレベーター独立戦争〟はどうして起きたと思う?」


「不敬!」生徒が鬼の首を取ったように言った。「その言い方は不敬ですよ、先生!」


「それだよそれ」シノブは頭を振った。「〝不敬〟で思考停止した教育で優秀なアイドルが育つでしょうか。〝家族主義〟には限界があります。親の言っている事が絶対に正しいとされるので、この学園を例に取ればお姉様、お姉様だよね、年長者に意見出来ず、教師にも意見出来ず、当然、前線に出てもマネージャーが明らかに間違っていても意見出来ない。〝絶対に間違わない皇帝陛下〟を正当化する為にどんな改竄かいざんでも平気でされるから、教養の教科書なのに、一ページ目と三ページ目でもう矛盾が生じている。ここね。このシャーリー帝の記述だよ。〝中央政府は各エレベーターを皇帝陛下を主体とした強力な指導力で統御して来た〟だってさ。嘘じゃん。そもそもね、私に言わせりゃあ、こんな遠い、宇宙から地球を見下ろしてだね、連絡を取るにも時間が掛かる、下から上に、上から下に異動するにも長いと数日掛かるような状況で、どうして中央政府がエレベーターを統御出来ると思ったのかが不思議だよ。親の目が届かない、届いても怒られるのが三日後なら、それまでに遊べるだけ遊ぼうとするのが人情じゃん。その結果があの独立戦争でしょ」


 沈黙だけが雄弁となった教室で、その沈黙と競り合うようにシノブさんは喋り続け、


「〝伺侯席〟の制度自体も間違ってた。人類社会に階級は存在しないとする〝万人司祭主義〟と明確に矛盾しているし、大体、〝権限移譲政府〟なんて最初から事実上の連邦制度、いや、荘園でしょ。富も人材も分散する。分散すれば〝NO-A〟計画の進行には支障を来す。中央政府は適当な時期に〝伺侯席〟にその権限を返上させるべきだった。それを封建制度的に保っちゃったから藤原だのみたいな家も出た。勿論、言うは易く行うは難しのルールってのがあって、あれこれとしがらみはあるんだろうけど、その柵をどうにかするのが社団国家の長としての皇帝の仕事なんじゃないの。だとすれば皇帝は怠慢だったってことになっちゃうでしょ。怠慢な人をどうして敬わねばならないのか。よしんば敬ったとしても従わねばならないのか。ザッとこれだけ見ても〝アイドル信仰〟だの〝家族主義〟だの〝皇室尊崇〟だのは間違っていると思うんだけど反論は。反論が提出されないなら私の勝ちだよ~?」


 で、シノブさんが勝った。私は混乱していた。このように(拗らせた唯物論者のように)考える人が居るのは知っていた。しかし、その考えをこうも大胆に開陳して憚らない人が居るとは夢にも思わなかった。世界には私の知らない事が無限にある。嫌になった。今にも〝イチジク機関〟の機関員が教室に乗り込んで来るのではないかとも思った。それでなくとも教員職を解かれてからの異端審問は間違いないだろうなと思った。そうはならなかった。シノブさんは、私も何度か引き合わされたが、アイドル省の甘木氏 (仮名) と密かに結ばれていた。甘木氏は少壮の高官、敵は多いが、皇帝陛下にお会いする栄に浴するのも頻繁であり、氏が『白!』と言ったら黒でも白になる権勢を誇っていた。


「君が夜啼兎さんちの笑子ちゃんか」


 放課後、サンゴお姉様の部屋に集まった私達を訪ねたシノブさんは、私を鑑定した。私は既にシノブさんに一定の好感を抱くと言うと偉そうだが抱いていたのだから仕方ない。


 顧問、助教、生徒の関係は頭脳と背骨と手足に喩えられる。前線の役割分担で言えばマネージャー、応援管理官、督応援官のそれに近い。顧問が考え、その考えを礎に助教が教え、生徒はひたぶるに学ぶ。いざとなると優先されるのは手足ではなく脳であるのも前線と変わらない。で、あるからには、顧問にせよ助教にせよ、生徒に対してある種の威厳を保とうと努めるのが常だった。命令する側がナメられていてはお話にならないからだ。(アイドルとマネージャーの理想の関係は愛し合う兄と妹、『僕の為に死んでくれ』、『お兄様がそう仰るならば』の図式だが、兄には兄の威厳があるだろう)


 それをシノブさんは無視していた。生徒を呼び付けるのではなく、生徒の居る所へ自分から赴いたのだから、それだけでも凡庸な教師とは一線を画している。


「母親が凄いと大変だろうけど」あっけからんとシノブさんは言った。「私もキシドーさんのようなお母さんが欲しかったなあ」


 私はこれでシノブさんが大好きになった。我ながらチョロい。だがその選択は誤っていなかった。シノブさんの指導と授業は実践的だった。教養の授業では既存の詰め込み型から脱却、特定の議題に対するディベートを重んじて〝自分で考える力!〟を育ててくれたし、私の戦い方に癖があるのを見抜き、直してもくれた。「先手必勝を狙い過ぎる。笑子は臆病なんだね。それが良い働きをするけど悪い働きもする。先手を狙い過ぎるのは悪い働きかなあ。相手に何かされるのが怖いから先に倒そうって、それはいいんだけど、余裕がないんだね」


 勿論、〝自分で考える力!〟も功罪相半ば、シノブさんの薫陶を厚く受け過ぎたが為に反体制運動に身を投じた生徒も出、シノブさんは半期で学校を追われる。それにしてもその半期の密度は私の人生で特筆するべき濃やかさを示した。


 シノブさんからは悪い事もそれは教えられた。シノブさんは、


「学生なんだから遊べる内に遊んでおいた方がいいって」


 と、我々を闇酒場スピーク・イージーに連れ込んでは密造酒マウンテン・デューを飲ませ、これも社会勉強だとヴィクトリー・シガレットを吸わせた。酷くせた。煙草の何処が美味しいのだろう。ニコチンの効能と言われても分からない。「ワルだよワル!」と、下層育ちでウマが合うのか、妙にシノブさんに懐いているトロ子はここでも自前の不良論を担ぎ出した。「吸っているとそれだけで格好良く見えるんやよ。だから笑子ちゃんもワルを極めるときは吸ってみるといいと思うんよね。逆切れの笑子ちゃんはワルで売ろう!」だそうだ。人の売り方を勝手に決めないで欲しい。


 シノブさんの魔の手は足穂にも伸びた。〝ワル〟に伸るか反るかで言えば反る寄りの足穂もシノブさんに言い包められたのか何度か闇酒場に連行されて、


「私、本当はね、怖かったのよね、ひっく!」


 酔いに任せて言った。「笑子とトロ子は本当の姉妹のように仲がいいでしょ。羨ましかった。私はお姉様とは離れ離れだし、家が家だから友達も居ないし、私、二人に遊びに誘って貰ったときもビビッてたのよ。二人の間に上手く入れるか、二人だけで仲良くするんじゃないか、それを見せ付けられて嫌になるんじゃないかって、その、遊びに行く前日には何度も読み直したわ。『友達と上手に話すには?』の本をね。悪い事をしたわ。貴方達はこうして何時も遊んでくれるし、私、私、うぃーひっく!」


 意外なのはサンゴお姉様だった。お姉様は、年が近いのもあるのだろう、シノブさんと意気投合したまでは分かるのだが、二人で肩を組んで飲み歩き、ベロンベロンに酔い潰れては緑さんに『悪い友達が出来ちまったなあ!』と呆れられるなどし、『あの硬派なお姉様がねえ』と私に首を捻らせた。お姉様もお姉様で色々と抱え込んでいたのだと気付くのは私が三年生になってからだった。妹の面倒を見るのは想像の何倍も疲れる。私やトロ子のような問題児となれば猶更だろう。


 時々、泥酔したお姉様は唐突に泣き出すのだと、シノブさんが笑い話にしていた。


 そうして、それを聴くときの緑さんは本当に本当に辛そうだった。「私じゃ駄目かあ」と。――


 この他、シノブさんには「お金貸して!」と頼まれる事もあった。シノブさんの給与はアイドルではなくマネージャーの方をベースとしていた。『マネージャーであるからにはアイドルである以前に国家公務員であり国家公務員であるからには人事院が定める給与基準を守るべし』なのだそうだ。無論、会戦時にはこれが『アイドルであるからにはマネージャーである以前に七生報国に尽くすべき義務を担う』となるのだから、シノブさんは『やってらんねー』とか何とか言って、ぶー垂れていた。


 実を言えばマネージャーの活計くらしもそう楽ではない。〝貧乏三等、やりくり二等、やっとこ一等〟と言われるが、江戸川先生のように配置に〝特典〟が付いていない限り、一等マネージャーでさえも借金苦に苛まれていたりするそうだ。二等以上のマネージャーともなると上司や同期との付き合い、人脈作り、所謂一つの〝ミニケーション〟が連日のようにあるからである。私は飲食規定カシュルートには抵触しないのかしらと疑った。飲食規定には『アイドルはお酒を良く嗜むべきではない』とある。


 シノブさんが言うには、ブリオン症を回避すべく肉食を控えさせたように、飲食規定は宗教的な意図よりもアイドルの健康維持とその増進とを重視するらしく、破ってもそう重い罰は受けず、今の自分はマネージャーだから飲食規定は適応されないのだそうだ。それに、アイドルがお酒を愛飲するとなると代謝機能的に鯨飲して、それが故に市場に流通するお酒が減り、減れば市民が暴動を起こすし、酒税を回収し損ねもするとの見解も中央政府にはあるらしい。(中央政府が必死になって価格を統制したり配給量を調整すれば、その分、闇酒場と密造酒は氾濫する一種のイタチゴッコが展開されていた)


 私は〝花嫁学校〟から貰う零細な給料とは別に実家から仕送りを受け取っていたので、迷いに迷った末、その後者をシノブさんに貸しては自己嫌悪に陥った。私自身は〝どりこの〟を好むようになっていた。それはバイオ・サトウキビから抽出した果糖とブドウ糖を主成分とする飲料で、仄かに酸味があり、水や炭酸水で割って飲むと元気になる。何度目かの街歩きの折、駄菓死屋でふと目に留まって飲んだらこれが美味しく、何よりも何時飲んでも同じ味がした。


 今でもそうだ。


 大人に近付くと味覚は変わる。


 でも、〝どりこの〟は、巡回の先生に門限破りが見付からないかビビりながら街角を曲がったときの、あの気怠さと緊張とを洗い流したくて飲んだのと、何時でも同じ味がする。


 天高くアイドルの肥える秋は深けて、覇鹵勝利ハロウィンではトロ子と足穂と三人で町中のトラックを横転させ、移り変わる木々の装いの、その赤さに見惚れては隣に立つトロ子の横顔にも見惚れて私の頬は紅葉、紅葉すれば踊る心の高揚は抑えがたく、この日々が何時までも続くのだと無条件に信じてしまった。


 現実は年の瀬と連れ立って押し寄せた。一日いちじつ、シノブさんの発案で社会科見学に出掛けた一年ロ組は首都外縁の貧民窟を散策、この時点で入学時の二割が〝引退〟していた我々は相当に肝が太くなっていたが、それでも目を背けたくなるような現実がそこかしこに転がっていた。或る人は、


「アイドル様、アイドル様、私は前線で何のお役にも立てませんでした。どうしても、次に誰かアイドル様にお会いしたときはひざまずいて謝りたかったのですが、どうかお許し下さい、ご覧のように私にはもう膝がないから跪けないのです。許して下さい」


 どう見ても五〇歳は下らない。その人が一二歳にもならない私に涙しながら許しを乞う。私は何も言い返してあげられなかった。こんな人も居た。「俺は昔はアイドルの恋人だったんだ』と彼は言い張り、「その証拠に俺はアイドルから貰った恋文を持っている!」と白紙の紙を見せびらかたかと思うと、


「もしかしてアンタは俺の恋人じゃないか?」


 トロ子に詰め寄った。「間違いない、おお、間違いない、今でも俺はお前を推しているよ!」


「ありがとう」と、トロ子は言い、その人が求めるままに抱擁を交わした。


「慣れてるんだあ」トロ子は後で私にだけ教えてくれた。「住んでた下層ではね、ああいう人は沢山居て、私、〝アイドル様の娘〟だったから」


 私の胸はキュッと締め付けられた。


 彼らのような難民が貧民窟には幾らでも暮らしていた。住んでいたエレベーターが陥落して行き場を失った人々だ。〝窟〟と字には書くが、その実情はスラム街、路上生活者がひしめき、大半の住民は家を持たず、生活必需品は買うのではなく〝損料そんりょう〟と通称される店で借りる。長期的に見れば買った方が安上がりだが、一括購入するだけのお金が、彼らの手元にはない。


〝日済まし〟のお金を建築関連の肉体労働で稼いだり借りたりして木賃宿に泊まればその日は上出来、雨風を凌げずに栄養失調で死んだ者が道端に放置されていたりもしたが、死体を長く放置すれば疫病を呼ぶ――からではなく、売れば金になるからと、少しずつ少しずつ、目とか指とかの単位で持ち去られて、数日で跡形も無くなるそうだ。最も実入りの良い仕事は〝手紙を書くアルバイト〟だとも聞いた。前線で戦う無名のアイドルに『私は貴方のファンなので頑張って下さい』云々と代筆する商売である。


 無論、難民の中には読み書きが出来ない人も居るから、彼らは渡された見本をそれらしく映すだけで、何を書いているかは理解していない。その手紙を受け取り、その気になって、それでルナリアンに殺されるアイドルはどんな気分なのか。手紙を受け取らなかった方が幸せなのか。それとも一通でも受け取って、ああ、自分でも推してくれる人は居たと自分を騙しながら死ぬ方が幸せなのか。


 首都にこのようなものがあるのを『好ましくない』と表明する市民も多いが、現実問題、〝スタッフ・オンリー〟と〝ピンク・チケット〟だけでは難民を収容し切れなくなっている。〝低軌道艦隊〟に属するアイドル支援艦に定住している難民も居るのだ。中央政府は彼らを救済しない。貧困者を救済する恤救じゅっぺい規則きそくは制定されているが、それは首都の人間だけが申請可能で、彼らは難民であって首都の市民ではないとの言い分からだった。〝万人司祭主義〟が破綻し、通俗道徳、〝貧困するのは人並に努力しなかったからだ〟との考え方が支配的なのもその言い分を補強していた。〝家族主義〟の悪い面である。『貧しいのであれば政府の援助ではなく家族で助け合うべきであり、もしも助けてくれる家族が居ないのであれば、それは家族を失うような真似をした自分が悪いのである。誰もが家族を慈しんでいるのにどうしてお前は家族を大事にしなかったのか。その報いがその貧困ではないのか?』


 だが、難民相手にその理屈がどうして通用するだろう。これがエレベーターの基部都市に逃げ込んだのであればまだしも救済されるらしい。。特権意識の強い首都の市民は難民を〝敗北者〟だと見做している。『皇帝陛下の為に死ぬ事さえしなかった者どもだ』である。尤も難民を片端から救うのは現実的ではない。〝花嫁学校〟の顧問と助教制度が崩壊しているのと変わらない。中央政府も前向きな改革をするだけの人と物を持っていないからだ。


 制限選挙制を改めればいいのではないかの声もある。選挙権を有するのは人類総人口の一パーセントに過ぎないからだ。貧民の声が内閣ウォー・キャビネットにも皇帝陛下にも届いていないのではないかと言う訳である。(その内閣に言わせれば『議会とは家庭で言えば父親や母親が議論する場所で制限選挙と〝家族主義〟とは矛盾しない』そうだ)


 が、選挙権を全市民に認めれば、『1+1は?』に『11!』と答える市民にも選挙権が認められてしまう。〝認められてしまう〟とは酷い言い方だが事実なのだから他に言い方がない。その手の市民はダース単位で容易に買収される。政治家は〝優先搭乗権〟を与えられるから、何が何でも再選を狙い、恐らくは選挙制度を改正してもロクな事にはならない。実際、〝エレベーター独立戦争〟期、僅かな期間だが事実上の独立を果たした第一〇軌道エレベーター〝ノー・エントリー〟では全市民に選ばれた為政者が君臨していたが、その選挙は不正の温床、投票用紙も市民の教育水準が低いのを良い事に、


筒香つづかおりがこのエレベーターの指導者でいいと思いますか。はい/いいえ』


 と、書かれており、しかも〝いいえ〟の文字は〝はい〟の五分の一の大きさしかなかったと言われる。


 戦時下である。


 素敵な環境で素敵な生活をしていたから忘れていた。一歩、学園の外に出、一歩、〝世間〟に密着すれば其処は地獄だ。私は如何に恵まれていただろうか。その日を生きるのに必死な人からすれば自己嫌悪に悩むのはとてつもない贅沢だろう。私はアイドルになりたいのではなかったか。人を笑顔にしたいのではなかったか。自分ばかりが笑っていなかったか。ほら。これだ。また直ぐに自分の話だ。


 シノブさんは言った。


「人は意図的に鈍感になれなきゃ生きていけない。ファンに親身に接するのはお勧めしないな。君達には覚えていて欲しい。万人の幸福は一人の甚大な苦しみを相殺出来るのか。一人の莫大な幸福は万人の苦しみを相殺出来るのか。アイドルは何万人もの犠牲の上に歌い、踊るけれど、その歌が誰かを救うだろうか?」


 どれだけ拒んでもかあ様の言葉を思い出した。『歌は所詮は記号、それを聴いた人が過去の自分の記憶、感情を〝思い出す〟事で、思い出したその感覚と現状を照らし合わせる事で感動する、その手助けをする存在に過ぎません。アイドルは偉くないのです。アイドルを見て『明日も生きていこう!』と思えるのであればそれはそう思えた人が強いのです。貴方が強いのではない』だ。強くあらねば、と、私は願った。


「それで私の所へ来たって訳かい?」


 角野先生はニタニタと笑った。街角の居酒屋を訪ね歩いたら三軒目で見付かった。彼女がお酒を飲みたがる理由が私にも少しは分かった気がする。カウンターだけの小さな店だった。店主は無愛想、出る料理は得体の知れない内臓の煮込み、酒の程度も知れていて、ガソリンの匂いがするそれに大量の一味唐辛子を叩き込んで飲む。そうでもしなければ飲める味ではなかったし、唐辛子で身体を暖めれば酔いが早く回るらしく、これも生活の知恵と呼ぶべきなのか。


「だが私はね、キシドーの娘、お前が嫌いなんだよ。分かるだろう。見てりゃ苛立つし、お前に物を教えてやるだなんて考えるとねえ、殺意よりも先に希死念慮が芽生えちまうさね。それとも何か。私が喜んでお前に『よしお前を強くしてやろう』とでも言うと思ったかね。お前は私がお前を嫌っている理由が分かっているのか?」


「分かります」


「ほお」角野先生は組んでいた足を解いた。袖を捲る。露出する腕は白く、肌には傷、傷、傷で、入れ墨か何かを焼き消した跡があった。「良かろうさ。そうまで言うなら当ててみろ。当てられれば教えてやる。外れたら殺す」


「先生は」私は深呼吸をしてから言った。「先生は私を見ていると昔の自分を思い出すのでしょう」


 先生は表情を殺した。鼻を鳴らす。私は、


「シノブ先生から聞きました。角野先生は、セット・リストの三番が〝増殖〟だと分かったとき、『これで人の何倍も努力出来る!』と喜ばれたと。〝花嫁学校〟の入学成績はドベ、初年度の成績もドベ、何か問題を起こすと直ぐに自分が悪いのだと考えるタイプだったと」


「そうだとも」先生は杯をグイッと干した。「お前のように恵まれてるのに悲壮ゴッコをしているガキを見ると我慢ならない。家柄が良い。顔も良い。歌も上手い。実力もある。それなのにどうして自分は世界で一番不幸だと云う顔をするのか。大人げない? 結構! 大いに結構! 大人だって人間さ。嫌いなガキは殴り飛ばしてやりたくなるものさ」


「そうです」私は頷いた。「私は、先生、〝例外の九人〟は人間ではないと考えていました。〝増殖〟だなんてどんな人生を送れば発現するセット・リストなのかと。でも、考えれば、貴方も私も人間です。同じ人間です。同じ人間なら――」


「いいだろう」先生は口の端に滴る赤い酒を舌で舐めとった。「そんなに殺されたいなら殺してやる。一緒に来い。今日から毎晩だ。毎晩、アデノシン三リン酸を使い果たすまで叩きのめしてやる。愚痴ったり、嫌がったり、少しでも私を馬鹿にしたりしたら二度と面倒は見ない。それからもう一つ条件がある」


 先生は言った。「そんな事は万に一つも無いだろうが、もしも、もしもだ、私がお前に物を教えてやるようになったとしたら、卒業後、ルナリアンに殺されるんじゃない。酒が不味くなる。いいね。返事は要りゃしないよ。アイドルは喋るのにじゃなくて歌うのに口を使えばいいのさ」


 角野先生は容赦を知らなかった。アイドル鉄下駄を履き、大アイドル養成ギブスを装着してのアイドル階段ダッシュは私の足首、膝、腰をバキバキに破壊したし、腰骨が折れた状態で強要される兎飛びは悪夢の一言、「夜啼兎なんだから兎飛びぐらいピョンピョンと跳ねろ」と言われても困る、困っても愚痴ったり嫌がったりはしない契約だ、跳び、跳んで、ついにはトロ子のように、足穂のように麻酔無しでの手術を受ける羽目になったが、それがむしろ私のずっきゅんハートに火を点けた。


 これでようやくだ。


 二人と同じスタート・ラインに立てた。


 サンゴお姉様からも技を教わり、シノブさんに喧嘩殺法を習い、トロ子に毎晩手を繋いで貰い、足穂からは気分転換に料理を学んだ。緑さんのタナー段階はこの数カ月でグッと進行していた。寝ている日が増え、起きる度に、「何もしてやれんくて済まんね」と謝られると私は涙を飲み、飲んだ涙の数だけ強くなり、来る冬、一面の銀世界と化した校庭を走りながら脳内に反芻されるのはこの期に及んでかあ様の言葉、『強く生きなさい』だ。生きるとも。頼まれずとも生きるとも。


〝遠足召集〟――


 サンゴお姉様、緑さん、私、トロ子、それから足穂に二線級戦場での実地訓練が言い渡されたのは春の訪れを待つばかりとなった如月だった。我々四人が一組なのは分かる。そこに足穂が付随するのは何故なのか。引率の江戸川先生でさえも分からないらしい。〝上からの通達〟だそうだ。二線級とは言え、対ルナリアン戦闘がそれなりに行われている地域であるから、もしかすると実戦に参加するかもしれない。角野先生は私をあの狭い居酒屋に引き摺って行き、景気付けに飲めと唐辛子酒を呷らせたが、咳き込む私をニタニタと笑いながら、


「帰ってきたらまた遊んでやる」と、言った。


 帰って来られないかもしれないとは口が裂けても言えない。だが、同期の何人かは同じような〝遠足〟から二度と帰って来なくなった。誰が言い出したのでもないが自然と催されたのは食事会で、転属の決まっていたシノブさんの送別会を兼ねるそれにきょうするべく、私は包丁を手にした。料理の才能が私にはどうも欠けているらしい。それでも、それだけを何度も何度も何度も(止めようとしては『後悔するわよ?』と足穂が脅してくれたので)、カレー・ライスだけはそれなりに作れるようになっていた。


『料理と同じです』


『練習すれば上手くなります』


 かあ様は正しかった。


 だから私はかあ様宛に入学してから初めての手紙を書いた。私にも〝家族〟が出来、〝姉妹〟には良くして貰っているし、〝友達〟もこの上なく素敵だから何も心配はしないで欲しい。書きながら感傷的になった。ずっと家族に憧れて――『どうして他の子と違ってウチにはお父さんが居ないの』――いた。私の〝家族〟は本物の家族ではない。疑似家族である。父親は今でも居ない。金輪際居ないだろう。それでもいい。お姉様と緑さんとトロ子と足穂が居ればそれでいい。


 かあ様は間違っている。


『どうして他の子と同じように遊んじゃいけないの?』


『どうして他の子と違ってウチにはお父さんが居ないの?』


『受け入れなさい。諦めなさい。悲しむのも止めなさい』


『どうして受け入れなくちゃいけないの?』


『それは貴方がアイドルに生まれ付いたからです』


 アイドルに生れ付いても他の子のように遊べるし、他の子のそれとは違っても家族と団欒していられるし、足掻き、藻掻き、諦めず、悲しむ事は出来る。出来るのではない。していいのだ。私は悟った。皆が助けてくれたから悟れた。私が歌って踊っているのは――


 手紙の末尾にこう書き添えた。


『かあ様はお元気でしょうか。何時もかあ様を想っています。私をこの世に生み出してくれてありがとうございます』


 食事会の席で緑さんが舟を漕ぎ始めた。すかさず私は、


「何時もの話をしましょうか?」


「何時もの話?」緑さんは小首を傾げた。「なんじゃらほい?」


「ほら、あの、月のウサギのお話ですよ」


「月のウサギのお話」緑さんは目を瞬かせた。「それは初めて聞くなあ」


 私は話した。月にはウサギさんが居るんですよ。ウサギさんは寂しいと死んじゃうんですね。だから、私、月に行ってそのウサギさんと友達になるんです。なってあげたいんです。なって欲しいんです。私も、昔、寂しかったんです。今は皆が居てくれて凄く幸せですけど、でも、ウサギさんにも同じ幸せを味わって欲しいじゃないですか!


 緑さんは話の途中で寝てしまった。寝てしまっても私はその寝顔に語り掛けた。サンゴお姉様が席を立ち、シノブさんがその後を追ったが、長く帰って来なかった。


「ねえ」トロ子が気分を転換しようと訊いた。「足穂ちゃんは、そう言えば、どうしてアイドルになりたかったんだっけ?」


「それは前にも答えなかったかしら。ほら、家柄が家柄で、お姉様との約束もあったから」


「本当にそれだけなのかなあ」


 ゲヘヘ、と、トロ子は下世話に笑った。下品に徹して場を盛り返そうとしているらしい。健気だ。


「それはその」足穂は口籠った。「笑わない?」


「笑わない笑わない!」


「絶対?」


「絶対絶対!」


「その」足穂は眉を八の字にしながら言った。


「一度でいいから、その、ほら、ね、住んでた地域では手に入らなかったし、アイドルになれば出撃功労シートを溜めると貰えるって聞いたし、だからその、ね、一度でいいから食べてみたかったの」


「何を?」


「チョコレート」


 トロ子はトロッと笑った。〝笑わない〟の約束を破ったが、それが余りに柔らかい笑い方だから、足穂は怒らなかった。


「素敵だね」トロ子は言った。「食べられるよ、沢山」


 

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