第20話 / 夜啼兎笑子 / ジャスト・コミュニケーション!(前編)
作戦会議であるからには密会である。密会にはそれ相応の然るべき場所を選ばねばならない。それ相応の然るべき場所と来れば〝天国荘〟を措いて他にはない。
〝天国荘〟はサンゴお姉様を初めに選り抜かれた生徒が暮らす寮、その名をずばり〝超人社〟は五階の屋根裏に建立された秘密基地で、出入口は唯一無二、お姉様の部屋の押し入れの戸を開けると天井板が一枚外されていて、そこから垂れているアイドル柔道着のアイドル帯を頼りにエイヤと這い上がるしかない。だから〝天国荘〟の存在を知るのは我々四人だけだった。屋根裏だからと言って嘗めてはいけない。二坪の空間の四方にはアイドル段ボールにアイドル画用紙を張り付けたアイドル自作壁が立ち、床は廃棄になったロハ台 (ベンチ) を解体して敷き、電気とガスも近くの配線をチョチョイと拝借して引き込んでいた。
潔癖にして青春不感症の私は此処に最初に案内された節、
『校則違反な上に法律にも抵触しているじゃないですか!』
などと生意気にも抜かした。何せ〝花嫁学校〟の設備を無断で失敬しているだけに留まらず、荘内には学校指定の靴、鞄、果ては〝セーラー服を脱がさないで装甲〟が大量に隠してあったのである。このご時世には電気もガスも靴も鞄も高級品、〝セーラー服を脱がさないで装甲〟に至っては軍用需品であるから国家財産であり、何をどうして八着も手に入れられたのか不明だが風紀委員に発覚すれば先生に通報からの放校からのアイドル裁判所行きは堅い。〝セーラー服を脱がさないで装甲〟はそれ一枚を制作する為にザッと二人か三人の下級官僚の年収が費やされるのである。
『青いですわね』仁王立ちのサンゴお姉様は言った。尤も天井が低いから中腰である。中腰の仁王立ちとはこれ如何に。お姉様は何をしていても絵になる方だった。その出で立ちは豪奢の一言、髪の金色は見る者を失明させかねない程に輝き、溌剌とした青い瞳に射抜かれたドブ川は浄化されて清流へと転じて、歩けば優雅、お姉様の足跡からは夢幻な花々が種を撒いてもいないのに無限に咲き誇ると噂された。これで本名が花子でさえなければ完璧だったのに。
『アイドル青い! 青過ぎる! だが信号機で言えば青は進め! この赤信号続きで渋滞した世の中に貴方のような青さは貴重! だから貴方はこの横綱の妹としてそのまま素直に人生を進みなさい! しかしながら青信号だと思っていても右を見て、左を見て、もう一度右を見てからでなければ信号無視の車に轢き殺されてグッバイ現世もよくある話、え、ここからでも入れる保険があるんですか、天運に恵まれたと思ってもそうはいかぬが世の定め、保障される額は安いわサービス内容は酷いわ接客態度はおファックDEATHわ、お話になりゃしませんの。てえ事は大事になるのは必然的に転ばぬ先の杖的な日頃からの備えな訳ですわね。よろしくて?』
『いえあの』私は顔面が引き攣るのを自覚した。『人間の言葉でお願いします』
『つまりはこうだ』緑さんが翻訳してくれた。ウェーブの掛かったフワフワの髪はお日様の色、眠そうにも泣きそうにも見える気怠げな目は垂れていて、ムニュッとした口元に悪戯っぽい性格が集約されているが、後輩に対する面倒見は抜群に良く、几帳面に握られたお握りのように角がない。彼女の喋る速度は常人の二分の一だった。
『〝花嫁学校〟は平和な花園とはとても言えないんだぜ。魑魅魍魎がゲーム感覚で権謀術数を巡らせている異界化された思春期の園だ。あ、今のフレーズいいな。書き留めておこう。でね、新入生ちゃん達よ、この学園で暮らしてると割と私物が無くなるのだよ。特に支給品の靴とか鞄とかがね。靴とか鞄なんて頻繁に失くすかね。妖精さんが持って行っちゃったか、脚が生えて逃げちゃったか、さもなければ盗まれたかであろう。学校の成績は〝卒業配置〟に直結する。首都の本社勤務になれれば楽だが、前線に配置されると死ぬ思いをする、ってか死んじゃうから、誰でも少しでも成績を良くしたいが、勉強しても超えられない相手もいるし、勉強してもしても教科書は山積みだし、それなら競争相手の成績を落としちゃえばいいじゃんてな発想になるのだよ。靴や鞄を一度でも失くすと素行点がガクッと下がる。磨き忘れただけで〝アイドルとしての心構えがなってない!〟と指導されるんだから当たり前なんだなあ。二度、三度と続けば学年主任に呼び出されるし、失くしたのがセーラー服となるとそりゃもう退学もあり得る訳だ。つまりはこの物資は保険だよ。盗まれたときに此処に来れば代わりの品が手に入るじゃん。いや、あのね、ここだけの話、どこの生活班でもここに似た拠点を築いてるんだよ。俯瞰的に考えれば〝天国荘〟も他の拠点も〝家族主義〟の延長線上にある』
私は尚も反発したが、この反発は三日と持たずに解消、解消されたのは朝起きたら靴と鞄が消えてなくなっていた事に起因する。私は不安に苛まれた。お姉様にも緑さんにも反抗的で挑戦的だった私である。その私が『靴と鞄が盗られてしまったらしくて』と相談した所で無視されるのが関の山ではないか。私は自動的に人を疑う自分を呪った。そもそも何を助けを求める前提で考えを進めているのか。あのような態度を取ってしまったからには二人を頼るのは論外、この件は自力で遣り繰りせねばならず、では何から着手するべきか?
見当も付かなかった。蒲団を頭まで被って泣きたい衝動にも駆られたが、それをしてしまえば万事休す、寮内の心当たりを虱潰しに訪ね歩いた。もしかしたら本当に何処かに置き忘れたかもしれないじゃないですか。共有廊下には明り取りの窓が大きく取られている。その窓から射し込む光が忌々しい。朝の点呼は七時だ。六時半を回っても手掛かり一つ掴めない。私は迷った。地理的な心当たりは尋ね終えた。後は人的な心当たりだ。同級生で私の靴と鞄を盗みそうな人は?
その見当も付かなかった。ショジョカイタイ=オペレーションに先立っての問答――『苟もアイドルになるのに死ぬのが怖いんですか?』――で私は全同級生から腫物扱いを受けていた。犯人が朶寮の生徒である確証もない。だとすれば探しても探せる筈がない。盗まれたのが鞄と靴なのに今更のように生々しさを感じる。その二つなら私が怒られるだけで済む。同級生は私の醜態を見て笑っていればいい。これが〝セーラー服を脱がさないで装甲〟であれば話が大きくなり過ぎてしまう。緑さんは後に私にこう教えた。『悪意の匙加減を決めるのに計量スプーンは使えないんだ』
七時五分前、いよいよとなれば私も誰かの靴と鞄を奪うしかないかと私は発作的に計画、呆然とした。もういい。私は部屋に帰って点呼を待った。トロ子が何を言っても訊いても相手にしなかった。点呼は風紀員が二人組で各室を順に巡り、在籍と安否と服装を点検する手続きで、私の期待も虚しくその手続きはその日も遺漏無く執行された。三年生と二年生の風紀委員は私に靴と鞄はどうしたとキツい口調で尋ねた。私は失くしたと答えた。失くしたとは何事かと三年生が怒鳴ろうとした瞬間、
『すまん!』と、部屋に飛び込んで来たのは緑さんだった。
昨日、天文学的な偶然が重なり、私の靴と鞄とを緑さんが誤って持ち帰ってしまったのだ――と、彼女は風紀委員らに袖の下を渡しながら言った。風紀委員らは受け取ったお札を隠そうともせずに私の前で数え、それが充分な額であると分かると目で示し合い、私に『今回は注意するだけにするが次回からは気を付けるように』と申し渡した。ともすれば膝から抜けようとする力を必死に抑えながら私は、
『ありがとうございます』と、頭を下げた。誰が助けてくれと頼んだと思っていた。頼んでもいないのに助けてもらったのだからお礼を言わねばならないのは当たり前だ。
『いいよいいよ』緑さんは一仕事終えたとばかりに掻いてもいない汗を手の甲で拭った。
『それに私は品物を運んで来ただけさ。品もお金もお姉様が用意したものなのだよ。感謝し給え』
私はサンゴお姉様の慧眼に恐れ入った。が、今にして思えば、サンゴお姉様とても私の危機を遠く超人社に在りながら知れた訳がない。察するに、私の様子が変だと踏んで、トロ子がお姉様に連絡してくれたのではないか。真相をトロ子に聞き糺したいがしない。それが〝姉妹〟の絆だろう。〝姉妹〟の絆か。ふふふふふ。――
「ごきげんよう!」
〝天国荘〟にはお姉様と緑さんが先に待っていた。緑さんはオコトワリ・ブックを積み重ねて作った疑似卓袱台に向かって何事かを唸っている。その傍らではカセット・アイドル・コンロに鍋が掛けられていた。鍋の中には一本のお銚子がいい湯だなとばかりに寝そべっている。匂いからして吟醸を作業用の〝泉燗〟にしようとしているらしい。(泉燗とはお酒を沸騰させたもの)
私は今でも〝天国荘〟が嫌いだ。校則違反は校則違反である。が、世間は私の好き嫌いに斟酌せず、世は綺麗事だけでは自走しないと身に染みて分かったからもう何も言わない。それにこの秘密基地とも呼べない秘密基地の冷たい空気が人いきれで加熱される数分間の和やかさを私は愛していた。
「今日一日は何点でした?」
サンゴお姉様は訊いた。これに『八〇点だった』とか何とか軽率に応じると『ぶっぶーですわ速やかにお亡くなりになりなさい!』と殴り飛ばされる。『まだ夕方なのに一日の点数を八〇点だと決めてしまったら残りの二〇点分しか楽しめないですわよ?』
「いい感じです」と、私は答え、
「寝る前に考えます!」と、トロ子は答えた。
「よろしい」サンゴお姉様は重々しく頷いた。「駄目駄目な一日でも終わる間際に大逆転もあり得ます。それを肝に銘じるように。お座りなさい」
「今日は」身体を折り畳むようにして座りながらトロ子が言った。「緑さんも起きてるんですねえ」
「うむ」緑さんは鍵盤でも叩くように机の表面を叩きながら応じた。「今日は調子が良いのだよ」
緑さんはショジョカイタイ=オペレーションの適合率が低く、又、そのオペレーション自体もちょっとしたアクシデントで不完全なものとなってしまい、タナー段階の進行が尋常ではなく速い。学生のタナー段階は卒業時点で二未満であるのが望ましいとされるが、緑さんは既に三の最終盤、〝偶像症候群〟も進んでおり、数週間前に〝眠り姫症候群〟を発症していた。一度眠れば長ければ一週間、短くとも二日は起きられず、アイドルとしての障害調整生命年――その病気さえなければアイドルとして健康に歌って踊れたであろう年数――は目も当てられない数字を計上している。
通常であれば退学、〝廃アイドル院〟で余生を送るを余儀なくされるが、彼女はこうして学校に残っている。それは彼女がアイドルとは別の方面の才能に恵まれているからだった。
緑さんはカッと目を見開き、右手に万年筆を握ったが早いか、例の〝泉燗〟にされた御酒をお銚子からラッパで口に含み、含んだ酒をプーッと万年筆に吹きかけて、酒の乾かない内に一気呵成、一筆入魂、
「できた!」――と、僅か五秒で書き上げたのは一枚の譜面だった。
「おー!」と、トロ子が拍手をした。私も拍手をする。
アイドルは戦いながら歌う。〝専用曲〟は余程のアイドルにしか与えられない。作曲家も作詞家も慢性的に足りていないからだ。大抵のアイドルは過去の名曲をカバーするか、ユニットに対して一曲が与えられるか、悪くすると直前の戦闘で引退したアイドルの歌を『ほら』と投げ付けられてロクに練習もせずに本番を迎える。無論、それでやる気が出るかと問われれば微妙、ウォーク・ウーマン・ベルトは〝自らを推す力〟も戦闘力に変換するから〝専用曲〟の有無はアイドルの生死を大いに分ける。だからこそユニットやフェスティバルを組んで数で力不足を補う訳だが、今回、トロ子と足穂の雌雄はタイマンで決される。そこで緑さんの出番だ。
緑さんはそれだけでSRの〝特殊アイドル〟、分けてもSSRに相当する〝クリエイター系〟で、筆記用具に変えたマイクで一日に最大五〇曲を完成させられた。しかも彼女が書けるのは譜面だけではない。トロ子に手渡された譜面にも書き込まれているように彼女は歌詞も書けた。学園としてもアイドル省としてもこの逸材を手放す手はない。(ところで歌詞には何カ所か黒く塗りつぶしてある場所があった。字を間違えたり書き損じた部分だ。緑さんは書き損じを放っておくと『言霊が宿って悪さをするかもしれんからね』と丁寧に塗り潰すのだった)
「いやはや」緑さんは首の骨を鳴らした。凝っている。「可愛い後輩の為に一枚噛めて良かった」
「ありがとうございます」トロ子はホロッと笑った。「これで百人力です。あ、後でお礼に、何か甘いものでも差し入れますね」
「かたじけない」緑さんは首を垂れた。彼女は甘いものに目が無かった。大好物は饅頭をご飯の上に乗せて更にその上からお茶を掛けた饅頭茶漬けである。「でもお礼は君が勝ったら頂く事にするよ。ところでどうかね。対策は順調に練れているかね。相手は〝伺侯席〟に名を連ねる藤原の御嬢さんなのだろ?」
「ええ」私は肯んじた。〝伺侯席〟とは名門アイドル一家に陛下から下される最上位の名誉称号である。その起源は初代皇帝オスシ帝の御代に遡った。




