第16話 / 夜啼兎笑子 / コネクト!
〝アイドルの学校〟は二種類に大別される。トーシロをアイドルに仕立て上げる補充学校と既存のアイドルに専門的な教育を施す実施学校だ。補充学校は全一四校、首都と各エレベーターに一校ずつ置かれていたが、その中で最高峰に位置付けられる首都のそれが〝花嫁学校〟と呼ばれていた。(各エレベーターの補充学校は一般に〝分校〟と呼ばれる)
補充学校の門は〝花嫁学校〟に限らず狭い。
そもそもアイドルになる方法は各地の事務所に志願する、スカウトされる、強制デビューの召集令状を送り付けられるの三つが主流で――私のような〝子弟枠〟は傍流である――、どの方法で採用されても最初にあるのは精密適性検査だ。〝精密〟の二文字が付くのは年に一度、一〇歳から一八歳の非アイドル女子を対象として行われる〝適正検査〟と区別する為で、適正検査では初潮の有無を確認、ショジョカイタイ=オペレーションに耐えられる体質か否かを検めるだけだが、精密検査となると運動神経、精神力、知能指数、歌唱力、思想、嗜好、愛国心の程度、その他一〇〇に上る項目を検査されては判定される。
補充学校の受験資格が与えられるのは精密適正検査の判定が〝甲〟だったものに限定される。後の者は有無を言わさずに各地のフェスティバル (四八人で構成されるアイドルの戦闘単位部隊) に配属されて、フェスティバル隷下の〝コア化〟されたグループに所属、実地で〝研修生〟として戦いながらアイドルとしてのイロハを学ぶ。
ここだけの話、ヲリコン・チャートにランク・インするのは補充学校の卒業生が十中八九、研修生出身の叩き上げアイドルがチャート入りするのは基本的には異常事態だった。研修卒組の力量が補充学校卒に見劣りするのは、彼女らは力の使い方を弁える前に実戦に投入されるから無茶をすれば無理もする、無茶をして無理をすればタナー段階が早く進んでしまい、タナー段階が進めば進むだけアイドルの戦闘力が低下する、彼女らにはマネージャーが付かないか付くとしても数人を一纏めにして一人、甲判定を受けたアイドルと乙判定を受けたアイドルの間にはそれだけの潜在能力の差がある、――であるとかを筆頭に様々な要因があった。
アイドルとして大成したいのであれば何としても補充学校に入らねば御話にならない。故に甲判定を勝ち取った者は是が非でも補充学校に入学しようと躍起になる。躍起になっても三人に二人が落第した。補充学校の側でも敢えて採用人数を絞る事で学校に付加価値としての権威を持たせようとしていた。(尚、補充学校は三年制、一学年の定数は一〇〇人とされる。全一四校の年間卒業者を合わせると平均九八〇名、これは年間にデビューする全アイドルの一割に満たず、補充学校卒研修生卒とを問わず新規アイドルの二割が五年以内に引退する)
実力と待遇の格差は選民意識に転じる。マネージャーの世界がそうであるようにアイドルの世界にも補充学校卒と研修生卒の間にも確執や対立があった。蔑みだの妬み嫉みだのと言った方が正しいかもしれない。アイドルは儚い花である。花であれば美しく咲きたい。が、徒花として生まれた花が、どうして桜の美しさを凌駕するだろう?
さてこそ以上、〝花嫁学校〟に集うのは自意識過剰な乙女どもであり、
「あ、このお魚さん、泣いてる」
と、ピトッと、味噌汁のお椀に耳をくっ付けながら呟くような少女は白眼視された。
「泣いている?」私は訝しんだ。〝花嫁学校〟の食堂で昼食を摂っていたときだった。食卓には私と彼女と他に二人が着いていた。一人は食べながら眠っていて、一人は茶碗に山盛りのご飯を掻き込んでおり、卓の中央に飯櫃が横たわっていた。このように〝花嫁学校〟の食事は飯櫃方式だった。各自が好きな量のご飯とお菜を自分で取り分けて食べる。これは体格差を考慮せずに食事量を一律で定めていた時代、食べ残しが増えたり体格差が拡大したから採用された方式だが、建前と実態は違う。花嫁学校では国策と連動する形で年次が重んじられた。だからどうしても下級生が上級生に遠慮して食べたいだけ食べられない事態、上級生が下級生の食事を分捕る、横領する、取り上げる事態、少なくとも下級生が上級生の給仕をする、給仕に不始末があれば怒鳴られる殴られる位の事態はどの生活班でも起きていたが、私達の班は例外中の例外、漫画飯を食べ終え、「ごっつぁんですわ!」と言うが早いか爪楊枝をシーシーと使い始めた〝お姉様〟が私の目から見ても過剰に平等を唱えていたから、他の班のように『食事の時間が辛い!』と嘆く事はなかった。お姉様、サンゴお姉様が私達に上級生らしく命令したのは次の一点、即ち、
『課題曲を歌うように食べるんじゃありません!』――だった。だから私達の班では食事中の私語が大いに許されていた。
「うん」と、笑いながら答えた彼女は、
「ほらほら」と、私の耳に例のお椀を押し付けた。
「あのね」私は呆れた。「これは熱湯を注がれたお椀の漆が軋んでいる音ですよ」
「そうなんだなあ」彼女は小首を傾げた。パッツンな前髪が傾げた側に寄る。「私にはそうは聴こえなかったけどなあ」
「貴方にどう聴こえても事実には何の関係もありません」
基部都市では十年以上前から食料不足が叫ばれており、最前線ともなれば量産の容易な虫食が推奨、アイドル省の役人が挙って率先躬行に励んでいた砌であるが、〝花嫁学校〟はその点では大盤振る舞いだった。『アイドルの健康はキャベツとリンゴが支える』と言われるように採食中心であり、ご飯は〝国策炊き〟であったものの、彼女の椀の中に見出されるようにバイオ・シンカイギョとは毎食のように何等かの形で鉢合わせたし、時にはバイオ・モーモーの鍋が饗された。(バイオ・モーモーは、エレベーター独立戦争時代、ウシ海綿状脳症に罹患していたモーモーから作られた血液凝固剤がアイドルにプリオン症を蔓延させてから此方、飲食規定で極力食べるべきではない食品に指定されていた)
「おかしい!」と、彼女は叫んだ。
「今度はどうしたの?」と私が呆れに呆れながら尋ねると、
「またお菜が余っちゃった!」と、彼女は心底不思議そうにしていた。彼女は入学から間もない頃、食事中に唐突に泣き出して、何事かと思ったら『自分だけご馳走を食べて』、『それも税金で!』、『実家の家族は何日も何も食べてないのに』、『自分だけ美味しいものを食べるなんて辛いんよ』、『それも税金で!』と宣い、以来、私は彼女が若干苦手になっていた。それでも〝姉妹〟なのだから仲良くしなければならない。アリバイ作りのように他人に優しくする自分が少し嫌な私だった。
「貴方は本当に元気ね。貴方みたいな人が前線に出ても長生きするんでしょう。私よりも長生きしたら私の骨を実家に届けて下さいね」
「あー」彼女は顎を摘まんだ。表情をキリッとさせながら言う。「お腹が空いて食べちゃわなきゃね?」
私は溜息を吐いた。これがトロ子だった。トロ子とは〝トロいからトロ子〟と安直にして残酷に命名された彼女の渾名だった。頬も、こう、トロッとプニッとしているのだから、そちらを由来にしてあげればいいのに。
この平和な食卓を風紀委員長の足穂が襲うのはトロ子が今度は「地元では薬学的芸術って言って薬を飲んで泣いたり笑ったりする娯楽が流行してるんね」とお国自慢だか何だか分からないものを開陳しているときだった。食堂の壁には標語の書かれた何枚ものポスターが張られていた。その中の一枚にこう書いてあった。
『夜嵐のさめて跡なし花の夢』――