第15話 / 夜啼兎笑子 / ファック・ユー!
夜啼兎笑子はブシドーちゃんの本名であります。
読みは『よなきうさぎしょうこ』。
俺は。墜落しながら考えた。何の為に歌って踊っているのだろう?
このようにして無惨にルナリアンに殺される為か。馬鹿な。死ぬ為に歌って踊る奴は居るかもしれない。だが殺される為に歌って踊る奴は居ないだろう。誰だって生きる為に産まれて来たのだから。生きる為にか。そうだろうか。人は他動的に産まれる。なのに自発的に生きねばならない。『俺を産んでくれ』と誰が頼んだ。畜生め。親自殺主義の話はどうでもいい。
身体から力が抜けた。プールに飛び込んだときのような浮遊感に抱かれながら希釈される意識を想う。物心が付く前の出来事が無暗矢鱈と思い出された。
俺は――
誰でもそうであるように私が人生で初めて出会ったアイドルは母親だった。
かあ様は〝デアルラシカレ〟の輩だった。『アイドルはこのように生きねばならない』を愚直に貫徹、融通の利かない性格で、他人に厳しく、自分にはその何層倍も厳しかった。どの話をしよう。この話をしよう。かあ様はアイドルでありながら御歌所寄人でもあった。アイドルの格付け(ヲリコン・チャート を選考する本社の要職である。通常、アイドルは永久服役であり、他の官職に就く事はないが、何せ母は〝例外の九人〟、二〇年以上に及ぶ経験の豊かさを買われての補職だった。
かあ様は滅多に家に帰らなかった。偶に帰れば私は高揚、かあ様に『お歌を歌って!』とせがんだが、三度に一度は謝絶、一度は拒絶、一度は返事もせずに自室の襖をピシャリと閉てた。歴代アイドル皇帝の写真が大量に貼られた金張りの襖一枚、厚さにして数ミリのそれが私には越えられない壁に思え、義絶されたと感じる夜さえもあった。私は二重に愚かだった。何度落ち込んでも寝て起きれば気分爽快、性懲りもなくかあ様に『お歌を歌って!』を繰り返して呆れられたが、かあ様が何故に歌いたくないのかを考えず分かろうともしなかった。自分もアイドルになった今では考えなくとも分かる。歌を歌うのはツラい。況や希望の歌に於いてをや。
何時だったか。かあ様は襖の前で泣いてしまった私を見兼ねてか、
「お入りなさい」と、私を自室に招き入れた。後にも先にもかあ様の部屋で母と一緒に寝たのはこの時だけだ。畳敷きの四畳半。質素倹約を地で行く調度。かあ様はこれだけは贅沢な紫檀の文机で何か書き物をしていたらしかった。思えばかあ様はかあ様なりに私を甘やかしていたらしくある。私の部屋の装飾はかあ様の部屋のそれの何十倍も豪華だった。
「貴方も寂しいでしょう」かあ様は蒲団の中で呟いた。一緒に寝たとは言っても抱き締められたり頭を撫でられたりした訳ではない。添い寝に近かった。近いだけだ。添い寝は親の投げ槍な愛情を伴うものだろう。『ここに居てあげるからとっとと寝なさい』的な。かあ様はそうではなかった。かあ様は添い寝をするのにも真面目腐っていた。「ですがそれもアイドルの子に生まれ付いた者の宿命なのです。諦めなさい。受け入れなさい」
かあ様は私に淡々と言い渡した後で、
「私は貴方にお歌を歌ってあげられない。お話ならしてあげられます。聞きたいですか」
「聞きたい!」と私は即答、
「そうですか」とかあ様は笑った。かあ様の笑い顔を見たのもこの日が最初で最後だ。かあ様がしてくれた話はこうだった。自分も子供の頃は寂しかった。自分の母もアイドルだからだ。夜啼兎は〝伺候席〟にこそその名を連ねていないが幾度か〝聖界諸侯〟に挙げられた名門アイドルの家である。であるならば母が家に居なくて寂しくてもそれは致し方ない。そう自分に言い聞かせていたが、それでも寂しいものは寂しいので、どうにかして自分を励まそうと旧時代の本を読んだ。その本に『月にはウサギさんが居る』と書いてあった。『ウサギさんは寂しいと死んでしまう』とも。魂消た。〝夜啼兎〟だってウサギの仲間であるのに相違ない。だからこう考えた。寂しくて死んでしまいそうな兎は自分だけではない。人類が向かおうとしているあの月にも寂しくてたまらないウサギさんが居る。自分も立派なアイドルになり、ルナリアンを殺しまくり、月に行ってウサギさんとお友達になるのだ――
「笑子」かあ様は私の名前を呼んだ。「強く生きなさい」
そう言った直後、かあ様は急に難しい顔をして、したかと思うと私に背を向けた。照れていたのかもしれない。どうかな。私が何も言えずにいると、
「一度だけお歌を歌ってあげましょう」
私は飛び上がって喜んだ。静かにしなさいと叱られた。叱られるのがあんなに嬉しかったことはない。かあ様が小声で歌ってくれたのは『ときめけ★ずっきゅんハート!』だった。私は歌に合わせて拙い踊りを踊った。かあ様は「そんなにその歌が好きならその歌は貴方にあげましょう」と言った。私は改めて飛び上がって喜んだ。静かにしなさいと叱られた。かあ様も叱るのをこのときばかりは楽しんでいるようだった。「でもいいの?」と私は尋ねた。「お母さんはその歌が好きではないのです」と答えられた。「どうして?」と私は追及した。「その」とかあ様は口籠り(口籠り!)、唇をモニュモニュと波打たせてから、「恥ずかしい歌なので」と言った。
「それはもう貴方の歌です。早速歌ってみなさい。好きなように」
我ながら拙いを通り越して下手な歌だった。歌いながら私は恐れた。かあ様に失望されるのを。
「練習すればいいのです」と、かあ様は案外に優しい事を言って下さった。
「料理と同じです。練習です。そうすれば上手になります」
「でもかあ様はお料理がお下手ですよね」
翌朝は御馳走で、かあ様はそれを自分謹製だと言い張ったが、『いただきます!』から二分で家令の吉野が拵えたものだと自白した。好きだった母が大好きな母になったのはこの瞬間だった。私はかあ様が『喉から血が出るまで歌えば上手くなる』、『剣は一日一万回素振りをすれば上達する』と言っていたのを真に受けて、次にかあ様が帰って来るまでの間、約二週間、家令や執事に『御寮人様も何もそこまでしろとお望みではないかと存じます』と心配されながらも喉から血を出しまくり、その血を全て集めればリットル単位、アイドルでなければ売血で一財産築けたかもしれない。
「呆れた」と、かあ様は喉を枯らして手を潰した私に言った。
「本当に喉から血が出るまで歌う人が居ますか」
かあ様は、しかし、叱るだけ私を叱ると――私はかあ様が家令や執事を叱らないのが嬉しかった。彼らの忠告を聞き入れなかったのは私だ。だから私が叱られるべきなのだ。かあ様が叱っていいのは私だけだ――、「馬鹿と天才はリバーシブルだとも言います」と私を褒めた。多分褒めたのだと思う。私はだからそれからも弛まず喉と掌から血を流し続けた。歌わずにはいられなかった。だってそうだろう。大気すら震わせられないのに人の心を震わせられる筈がない。
私は時々出張をした。私の屋敷は首都の〝アイドル区画〟にあったが、それは高所得者住宅に隣接していたので、そこに暮らす子供達相手に歌と踊りを披露しに。私が歌えば彼らは楽し気に笑った。これがアイドルなのだ、と、私は合点した。人々を笑顔にする職業だ。素晴らしい職業だ。かあ様の職業だ。
時に私が〝花嫁学校〟に入学する前年、〝スタッフ・オンリー〟で第三次の会戦があり、人類はそれに辛勝、その勝利の立役者だとしてかあ様に勲章が贈られた。その勲章とはダブル・ゴールド・プラチナマイクロフォン・ダイアモンドクロス・メダルである。かあ様は〝例外の九人〟には他に一人しかいない戦術級アイドルであり、であるからして、従来の戦術級アイドルの枠に収まらない莫大な戦果を挙げていた。勲章の方がかあ様の功績を称えるのに追い付かず、かあ様は若さを誇る一七歳で戦術級アイドルに授与される最高位の勲章、ダブル・ゴールド・メダルを獲得してしまったので、以来、かあ様に与える為だけに勲章が新設された。〝ダブル・ゴールド・プラチナマイクロフォン・ダイアモンドクロス・メダル〟はその最後の一つ、かあ様が受け取った最後の勲章であり、誰にも二度と授与されないであろう勲章でもある。だって授与基準が『戦術級アイドルにしてルナリアンの撃破数が五万を超えたもの』なんだもの。一〇匹のルナリアンを倒せば普通はエースなんだもの。かあ様の為の勲章なんだもの。
授与式典を終えた帰宅したかあ様には一週間の休暇が下し賜れた。前半の三日はかあ様のタニマチ、歴代のマネージャー、アイドル省の幹部が駆け付けて乱痴気騒ぎの大騒ぎ、人々の間を左褄を取りながら縫うように歩くかあ様の姿に、私は娘として以上に一個の女として憧れた。私もかあ様のようにあんな風に綺麗な大人になりたいと。
面妖な苗字、それは揃さんと云うのだが、アイドル省事務次官だったそのオジサンが宴会の席をウロチョロする私を捕まえて、
「君は幸せな子なのだよ」と、教えた。
「皇帝陛下が勲章を授けるとき、必ず、授けられる者に『貴様は何か他に望むものはないか?』と尋ねるんだな。儀礼的なものだ。だから返事も『名誉と声援以外には何も』と答える。ところが君のお母さんが、あれはどの勲章を貰ったときだか忘れてしまったが、そう、確か一晩で一〇〇〇匹のルナリアンを殺したときだったかな、こう言った。『自分が生きていた証を遺したい』と。君が造られたのはその直後だ」
これは今でも何故だか分からない。大好きなかあ様を、私は、この話を聞いてから徐々に嫌いになり始めた。
私はかあ様のグッズを蒐集していた。かあ様の芸名を延々とノートに書き殴っていた事もある。かあ様が昔話をしてくれると――それは子供相手に聞かせるような話ではなかった。前線で食べ物が無くなり、誰もが飢え、死に、革靴を煮て食べた事件であるとか、仲間の一人がルナリアンに顔面を殴られて表情筋がブチブチと音を立ててそれから全ての表情を失ったとか、ルナリアンが桃の皮を剥ぐように人間の頭皮を剥くだとか、また露わになった頭蓋骨が実際に血に塗れていると色といい形といい桃にそっくりなのだとか、原初のアイドルであるグチヤマ・ピーチのピーチはモモの意味だから人の頭蓋もモモの形に似るのだとか――それだけで全宇宙を自分の胸の中に捕まえたような気分になっていたのに、少しでいい、普通の親子のように、例えばかあ様の新しいお洋服に褒め言葉を強要されるであるとか、恋愛の話であるとかで盛り上がってみたくなった。
かあ様との対立が決定的になったのは入学二ヵ月前の晩、かあ様の下層慰問ライブの前座として歌わせて頂いた後で、
「思い上がらないように」
と、叱られてからだ。
「貴方は貴方が歌えば人が笑うと思っている。驕って歌っている。確かに貴方の歌は巧い。踊りもです。昔とは見違えました。が、歌は所詮は記号、それを聴いた人が過去の自分の記憶、感情を〝思い出す〟事で、思い出したその感覚と現状を照らし合わせる事で感動する、その手助けをする存在に過ぎません。アイドルは偉くないのです。アイドルを見て『明日も生きていこう!』と思えるのであればそれはそう思えた人が強いのです。貴方が強いのではない。それを勘違いしないように」
人と人の関係は歯車に喩えられる。人はお互いに噛み付き合い、議論や意見や主張を戦わせ、まさに〝噛み合う〟事でお互いを回転させるのだろう。私にはそれが出来なかった。言いたいことは幾らでもあった。かあ様は狡いと詰りたかった。私をその気にさせたのは貴方じゃないか。『練習だけしていろ』としか言わなかった癖に人前に引っ張り出してさあ歌えと言うから歌ったら『思い上がるな』とか何とか後出しジャンケンも甚だしいじゃないか。私は口を開き、思いの丈を思うがままにぶつけようとしたが、現実に言葉として編まれたのは何の変哲もない、「はい」、「ごめんなさい」の二つ、「はい」と言いながら「そうだよなあ私は思い上がっていたよなあ」と掌をクルン、「ごめんなさい」と言いながら「かあ様は何でもお見通しなんだなあ」と感心、――
私はかあ様を嫌いになった。かあ様が大好きな私が嫌いになったから。無論、それでいて、かあ様を中傷するような奴が何処かに居たら許さず、又、何処へ行ってもかあ様の自慢話ばかりをするようになった。だって私の自慢話なんてツマらないもの。かあ様がかあ様なのは私だけなのだもの。畜生め。
私はピノキオだ。かあ様を褒められると嬉しくなって、心にもない嘘を吐いて、鼻が無限に高くなる。高くたっていいさ。アイドルだもの。むしろ望む所でしょ?
かあ様は私に経験を積ませてくれようと行く先々に私を召喚、ライブの前座を任せ、タナー段階の都合でどうしてもライブを休まねばならないときには私に代役を任せさえしたが、
『母親ではなく娘の方だとはな。私らはキシドーさんの歌が聞きたいのだよ。クローン娘のオママゴトを聴きたいのではない』
『偉大な母からこの子が生まれるか』
『才能はある。だが努力が足りない。君は喉から血が出るまで歌ったことがないだろう?』
私はかあ様が大嫌いになった。
〝花嫁学校〟に入学する前日、かあ様は予定にはなかったのに帰宅、
「入学式には出てあげられないから今日の内におめでとうを言いに来たのです」
私にウサギのチャームの付いた髪留めをくれた。「学校生活は辛いでしょう。ですが貴方は一人ではない。ウサギちゃんがここに居ます。二人もです。強く生きなさい。頑張りなさい。私は親として百点満点ではなかった。欠点だらけだったでしょう。そんな私を原型に生まれたのに貴方は自慢の子に育ってくれました」
私は素直に感動しながらこうも思った。
親として欠陥だらけだと分かっていたならばどうして子供を儲けた?