第14話 / 極楽坂 / 敗北!? 頑張れアイドル! 負けるなアイドル!
「ヲタ芸の手順を間違えたものは私が射殺する」と、応援管理官の郡山さんは平たい板のような声で言った。桃色法被の背中には〝女死力〟の三文字だ。刹那、あの雪原に立つ一九歳に戻った僕は、今日までのアレコレがどれも夢だったらどんなに素晴らしいだろうかと考えた。素晴らしいものか。それではモモに逢えない。僕は親不孝者だ。父さんの死も母さんの死もモモに逢えるならば悼まない。僕も応援列ではなくてそれを監督する側に立った証だろうか。
「応援席からの無許可離脱者(AWOL)は極刑に処される。男子は腐刑。通常の腐刑ではない。ヤオイ・ペナルティが課される貴腐人刑がセットになっている。女子はアイドル・デビューを本人から三親等以内の親族ともども禁止される。この他、応援管理官の指示に従わない者は督応援官に射殺される、若しくは本会戦終了後に凌遅刑に処される。骨付きカルビにされたくなければ我々の言うことをしっかりと聞くように。では万歳三唱。神聖にして絶対キュート不可侵なアイドル皇帝陛下万歳! ストレンジラブ皇帝万歳! 聖アイドル帝国万歳!」
会場は見るからにやる気がない。『万歳!』に覇気が認められないとして再『万歳!』、それにも覇気が認められないとして再々『万歳!』、それにさえも覇気が認められないとして再々々『万歳!』、郡山さんは僕に目で問い掛けた。止むを得ないだろう。僕は目で頷いた。郡山さんは「その声量を維持するように」とステージ上から市民に命じた。妥協だった。
郡山さんは両手の指の間に計八本のショッキング・ギンギラギン・カワイイピンク色のサイリウムを挟み、神楽の開始を、天の高みで時を待つルナリアンを睨みながら待つ。慣れたものだ。脱力しているのに勇ましくすらある。対照的に市民はろりろりの体、私語が減らず列を乱すで督応援官に怒鳴られているが、士気が低いと言うよりもこの距離で対ルナリアン戦闘を応援させられるのが怖いのだろう。一キロは応援の有効射程距離の上限――と言うのは変だがまあそうしたものでこの距離以上に離れるとアイドルに応援力が届かない――であるが、SS級ルナリアンと来たら、あの位置からでもこの距離を攻撃可能なのだ。
何時からだろう。ルナリアンと戦うのが怖くなくなったのは。モモと組むようになってからか。違うな。モモが居てくれた間は何時も怖かった。
「小春日和さん」と、僕が呼ぶと、
「小春日和プロデューサーです」と、僕の方を見ずに答えた。
「確認です。あのルナリアンはブシドーが倒してしまって?」
「構いません」小春日和さんはムッとしながら言った。
一層にルナリアン出現の報が届いたとき、副社長が『本社は我々支社を点数稼ぎの道具としか思っていないのか』云々と愚痴っていたけれども、本社と支社の関係は実際にはもう少し込み入っている。現にこのように小春日和さんが派遣されて来たように、対ルナリアン戦闘や権限移譲政府内部で何事かあるとき、その解決の統括指揮は本社員が送り込まれて取る規則だが、その規則成立の背景には歴史的経緯がある。
人類が軌道エレベーター群に分散して生活するようになったとき、中央政府が憂慮したのは帰属意識の問題、要約すると『聖アイドル帝国と云う共同幻想的な枠組みである国家よりも実際に自分が暮らしている土地に人は愛着を持つのではないか?』だ。愛着を持つまではいい。中央政府もエレベーター間対抗で催されるスポーツ競技会〝オリンピア〟を推進し且つ促進するなどしている。エレベーター間でライバル意識を醸造、切磋琢磨してくれて増産に繋がるのであれば、それは中央政府からすればタナボタ的収穫だからだ。
が、愛着とは常に他者への差別に通じる。折りしもエレベーターでの分散生活が始まったのは〝万人司祭主義〟の全盛期、初代皇帝オスシ帝の遺言――『|世界は調和すべし《Harmonia Mundi》』――が効力を保っていた時代だから、極端な話、最前線で徴収された税が後方の社会福祉費に充当される場合もあった。となると最前線では、当然、『何もしていない奴らの為にどうして金を払わなきゃならない?』からの『中央政府が悪い!』からの『中央政府を倒せ!』と思考が進み、この思考から生まれた思想が世紀単位で膨張、かの悪名高い〝エレベーター独立戦争〟が勃発する要因の一つとなるのだが、それはまあさておきとしよう。(エレベーター独立戦争の勃発原因と要因とは他に幾つもあるので一元的にこれが原因にして要因だとは言えない)
中央政府としても憂慮するだけではなくあれこれと策を巡らしてはいた。実を言えば〝アイドル皇帝〟と云う象徴が強調されるようになったのもその一環だ。『自分はアイドル皇帝に仕える赤子』であるとの自覚を国民に抱かせて反乱を予防しようとの企みである。切実だ。切実にもなる。エレベーターに反乱を起こされては自分達の立場が危ない。地球脱出の悲願も果たせるか怪しくなる。
中央政府は各エレベーター政府が握る権限を極めて小さなものに留めおく事で彼らを抑え込もうとした。だからエレベーターに置かれる政府は中央政府の指導抜きでは何も決められない権限移譲政府であると定められたし、支社の人事も首都の本社が握ったし、〝エレベーターが各個に保有可能なアイドル数の規制に関する法〟も立法されたし、ここでの本題である『対ルナリアン戦闘や権限移譲政府内部で何事かあるときその解決の統括指揮は本社員が送り込まれて取る規則』も作られた。
僕自身も本社勤務時代にはそうだったが、本社から支社に送り込まれた人間は支社の人間を便利使いの使い走りの走らせまくり、現場に一切介入させずお茶汲みだの雑用だのを命じるのは朝飯前、支社のアイドルを自爆させてルナリアンを瀕死に追い込みトドメは自分、功績は独り占め、――の例さえもある。
〝帰属意識〟は土地以外にも働く。それとも〝選民意識〟と言うべきか。本社の人間は支社の人間を見下している。支社の役人はそのエレベーターが独自に設けた試験に受かった者 (現地採用された者) だが、本社勤務の役人は(僕のように)国家が定めた試験に受かった者、若しくは支社で抜群の成績を収めた者であり、『お前らとは格が違う!』てな具合に。特に昨今では首都で生まれて首都で育って首都の役人になった人々も居る。その人たちは地球を知らない。地球を知らないから彼らは様々な意味で地球を見下している。経済的な問題もある。エレベーターには高等教育機関がもう満足に残されていない。となると中央政府の役人になるのは首都の金持ちのご子息ご息女ばかりだ。悪循環である。上が下を蔑むように下も上を蔑むからだ。(僕が支社内で派閥に属していないのは言ってしまえば僕が本社出身の外様であるからでもある)
自己矛盾でもある。ルナリアンの脅威から人類全体を守り、人類全員でお手々を繋いで地球からオサラバする為に軌道エレベーターを建築したのに、その軌道エレベーターの力を中央政府自ら弱めているのだから、これを自己矛盾と呼ばずに何と呼ぶのか。『世界は調和すべし』であるのに締め付けてばかりでどうする。中央政府が〝調和〟を遵守していたら〝エレベーター独立戦争〟は防げたかもしれない。(言うまでもないかもしれないが、独立戦争が中央政府の勝利で幕を閉じた後、各エレベーターに対する締め付けは更に強化された)
或いは、その体制下で出世した僕が体制批判をするのは烏滸がましいかもしれないが、〝アイドル信仰〟を軸とした政治体系に無理があるのかもしれない。アイドル皇帝は世襲制ではない。それが空位となると〝教皇庁〟の一存で次の帝が即位する。帝に依存しないようにと議会があり、各省庁も機能しているが、皇帝に最終決定権が集約されていて、しかもその皇帝の任命権が〝教皇庁〟にあるのでは政治の一貫性はどうしても微妙なものにならざるを得ない。要するに、数年に一度、早ければ数カ月に一度のペースで帝が交代し、交代の度に主力政策と首脳陣が変わるので行政と立法の組織が何時まで経っても幼いままなのである。――
「私はタケヤリを想っています」
その点、高潔と呼ぶに値する小春日和さんは言った。「ですが、だからこそ、貴方達を踏み台にするような形で功績を稼がせたくはない」
「しかし」僕は挟むべきではない口を挟んでいた。「タケヤリちゃんは寂しがっていますよ」
「私は過去に担当アイドルを二人喪って」と、言い差して、彼女は言葉を選び直した。「過去に担当アイドルを二人殺してしまいました。一人は自爆型でした。一人は戦死したマネージャーからの引継ぎで最初からタナー段階が高かった。勘違いしないで下さい。だからタケヤリと馴れ合わないのではない。自分を守る為にそうしているのではない。タケヤリの為です。〝マネージャーの為なら何時でも死んであげるわ〟は歪です。私は彼女に人として生を終えて欲しい。ご存じのように戦略級アイドルは力が大きいが故に寿命も短い。爆発的な流行を見せたアイドルは一瞬で廃れてしまうように。皇帝陛下のように〝例外の九人〟であるならば話は別としても」
「その言い方は不敬ですね」
「不敬でもいい。国家は国民が共有する幻想に過ぎません。アイドル皇帝陛下もそうです。私はタケヤリを守れればそれでいい。だから、貴方の行動について、神父の前ではああして弁護しましたが、ライブが終了したら精査します。貴方の行動に違法性があると判断すれば上に報告もします。私は貴方を絶対に庇いません。いいですね?」
「小春日和さん」
「プロデューサーです」
「小春日和プロデューサー」
「何でしょうか極楽坂マネージャー」
「お好きなお酒は?」
「〝甲死園〟のドラフト・ビールを休日に嗜むのが趣味です。あれはドえらか美味――はい?」
〝甲死園〟は旧時代の故事に因む生ビールだった。〝甲死園〟とは、〝大忘却〟以前のジャポンに存在していた巨大ビール会社であり、どうしてそれがビール会社であると分かるのかと問われれば、『甲死園では日に数千杯のビールが売れた』との由が記録されているからである。ビールを売っているのだからビール会社以外である筈がない。
では何故に〝生〟なのか。甲死園では一年に一度、神無月の頃、〝ドラフト会議〟と呼ばれる詳細不明の謎の会議を開催していたらしく、ビール会社で〝ドラフト〟と言えば〝生ビール〟であり、〝生ビール会議〟で何を話し合っていたのかは分からないが、兎に角、そんな名前の会議を開催していたのだから甲死園の主力商品は生ビールだったのだろうとの推察が成り立ち、ではそれを一つ再現してやろうと現在の甲死園が公営販売されるに至る。
旧時代の人間はビールが大好きだ。或る文献には『優勝したのでビール掛けをした』との記述もある。〝優勝〟とは〝美味しいものを食べる〟の意であり、〝ビール掛け〟は、まさか本当に頭からビールを被る必然性は何処にもないから〝浴びるように飲んだ〟的な意味だろうが、何にしても、旧時代には『美味しいものを食べるときにはビール!』だったのだろう。羨ましい。〝スタッフ・オンリー〟が失陥して以来、〝甲死園〟の土壌も失われてしまい、今では良く似た味の模造品が出回るに過ぎない。
「いえね」僕は鼻の頭を掻いた。「貴方は素敵な人です。本当に。全てが終わったらお礼にお酒でも届けようかと思いまして」
「ふん」小春日和さんは頬をリンゴ色に染めながら腕を組んだ。「噂に聞いていたよりも貴方は卑しい人のようですね」
ブシドーが変身を終えたのはこの会話から正確に二分後である。『頑張れ頑張れあと一息!』と、ファン・クラブ・メンバーが歌いながらサイリウムを振りまわしているが、声量も音程もヲタ芸もこれではない感が強い。それでもブシドーは変身を終えた。終えられた。応援力が足りていなければ変身は成し遂げられない。郡山さんと軽井沢さんに感謝するべきだろう。彼らの考課表にもその旨書いておくべきだ。何せ督応援官らはやる気がないメンバーの間を絶え間なく歩いて檄を飛ばしているし、サイリウムを振る人数は、予定されていた千よりも若干多い。助かる。
変身で黒セーラーが再構築されて、ピッチリとした黒いインナーの上に巫女装束にも似た衣装を纏ったブシドーは、右手に身の丈よりも大きな剣を握っていた。キシドーさんの使っていたそれと寸法も形状も完全に一致する。ルナリアンに逢えばルナリアンを斬り、アイドル皇帝陛下に仇成す者は仏でさえも叩き斬る、対ルナリアン用戦術抹殺斬奸刀〝仏陀斬りソォード〟である。僕は知らない間に拳を握っていた。
ルナリアンが繭を内側から引き裂いた。体長は三メートル、スペードのエースに相似する頭部、浮遊する身体と巨大な両手、黒いドレスのようにヒラヒラとした胴、ありとあらゆる意味で奴は物理法則を超越しているが、しかし、鈍く黄色く光る両目には生気が欠けた。〝寝起き〟のルナリアンは低血圧で身動きが取れない。今ならば一方的に殺れる。
ブシドーが跳躍した。僕は小春日和さんの盾になるように彼女の前に立った。我ながら〝点数稼ぎ〟には如才がない。跳躍の際に吹き荒れた台風顔向けの暴風が、一キロ程度の距離ではその勢いは幾らも減衰していない、ステージ上を襲った。顔を腕で隠さなければ砂だの塵だので視力を一時的に失っていたかもしれない。応援列から悲鳴があがった。この暴風を見越して組んだ今回の応援列は、最前列 (被害担当列) に風除けになるような看板を立て、且つ健康な若者を集中配備しているから、辛くも誰かが飛ばされるであるとかの損害を免れた。それにしてもブシドーの身体能力は素晴らしい。あの若さで既にトップ・アイドルの域に達している。
空中、ルナリアンより高く舞い上がったブシドーはグルリと一回転して余計な勢いを殺しつつ姿勢を制御、そこから更に駒のように回転した。傍から見るとバズソーのようだ。回転で生じた突風、先程の暴風よりも遥かにマシだが僕のなけなしの前髪を痛め付けるには違いない風が地上を吹き、清め、ルナリアンの頭上を唐竹割に割るかに見えた。
ルナリアンが動いた。右手を軽く振っただけに僕には見えたが、それはその動きが余りに高速だからであり、実際、殴られたブシドーはサイレンのような消魂しい音を立てながら超高速で真下に落下、落着した瞬間、地面から大量の砂埃が吹き上がり、その砂埃を衝撃波が搔き消した。落下で生じた地震と衝撃波は強く、応援列を守る看板は砕け、その破片を浴びて負傷する者、衝撃波で空高く打ち上げられる者が相次ぎ、僕も立っていられなかった。誰かが人のものとは思えない悲鳴を上げた。この声は神父だろう。
輝いている。人工太陽に負けない眩さでルナリアンの目が輝いている。
奴は僕らを睥睨、その目をヌッと細めたが、これはまさに獲物を見付けたケダモノの目だ。ブシドーは何を呼び掛けても応じない。どうする。決まっている。奴の強さからしてシノブちゃんでは埒が明かない。タケヤリちゃんを頼るか層自爆装置を起動するしかない。