第13話 / ブシドー / ショジョカイタイ・オペレーション!
怯えるぜ。
繭の表面に亀裂が入る。最初は小さな、一角の罅割れに過ぎなかったそれが、パリパリと音を立てながら表面の全域に広がる。俺は緊張した。緊張しなければオシッコをチビりそうだった。眩しい。右手を翳して日除けにしたが、人工太陽の光量は刻一刻と衰え、辺りは立ち所に暗くなった。目が合う。繭の中でお目覚め直後のルナリアンと。奴の目がニュッと細くなった。笑っているようだった。笑い返す。虚勢だ。虚勢でも笑っていなければ膝が笑いだしてしまいそうだった。――
子供達は俺を撃たなかった。撃とうとはした。引き金に指を掛けもした。自分で『撃っていい』と言いながら実際に銃口を突き付けられるとブルッた。だから俺は狙いが外れないようにリボルバーの銃身を握り、目線の高さを彼女らに合わせる為に腰を折り、腹も肝も度胸も据えた。子供達が俺の怯みを悟れば彼女らは迷う。迷わせてはいけない。俺はアイドルだ。アイドルは動じない。彼女達の為にも俺自身の為にもこれ以上ビビる訳にはいかなかった。
銃口が降ろされたとき、率直に言ってホッとしたが、その自分に劇的な殺意を抱きもした。
〝こうせい車〟で広場に戻った。広場には興奮から冷めたファン・クラブ・メンバーが何とも言えない気怠さと共に整列していた。自治会長も八人の男達も五民組の少女も自治会館に残している。ジャーマネはチャッカリと男達から爆弾の在処だけは聞き出していた。その情報を手土産にするのか、それだけで死刑判決を受けた連中を脱走させた罪が許されるのかと俺は半信半疑、少なくとも俺は何かしらの処分を受けるのだろうが――悪さをして処分されないだなんて間違っている――ジャーマネは巻き添えを食っただけなのだから許して貰えないか云々と考えていたら、そのジャーマネは平気な顔でライブ本部に出頭、小春日和に敬礼すると、
「復命。コクジョー・ブシドー、極楽坂の両名は、死刑囚の保護任務を終え只今帰還しました」
これには俺も驚いた。保護?
「保護だと」伴奏神父が呻いた。俺と同じ疑問を抱くな。「何が保護だ」
「緊急事態ですので独断で実行しました」ジャーマネはヒラリとスラリと言った。「事態が暴動に推移するかはあの時点では未知数でした。暴動になれば広場は大混乱に陥ったでしょう。市民が死刑囚を殺害、又は同情的に脱走を幇助する疑いがありましたので、囚人に最も近い位置に陣取っていた自分がブシドーに命じて保護を実行しました」
「馬鹿な!」神父は沸騰した。「そのような詭弁が通ると本当に思っているのか?」
「現在」小春日和が神父を無視して尋ねた。「囚人らは?」
「自治会館で預かって貰いました。あそこはこの層で最も安全ですから。そうだ。彼らがアイドルや神父様を殺害するべく工場に設置した爆弾の所在を突き詰めてました。と言うよりも前非を悔いた彼らが自発的に教えてくれました。これで罪を雪ぎたいと。爆弾解体の為に建築スタッフを何名か送って頂きたくあります」
俺は舌を巻いた。ジャーマネは何一つ嘘を吐いていない。この男は事実だけを並べて真実を捏ち上げてしまった。事情を察したらしい小春日和は苦笑しながら答礼したが、その答礼は本社式、ジャーマネのそれと対を成して――居住空間が支社のそれ以上に限られる本社では敬礼の際に脇を締める――いた。フゥと安堵の溜息を洩らしたのはシノブだった。タケヤリが小春日和の肩越しに俺とジャーマネを等分に見比べた。『貴方には過ぎたマネージャーね』と言われている気がした。
「この無法を認めるのか!?」
神父は熱された薬缶のように顔を赤くしている。ピューと頭上から湯気が出ている点もソックリだ。「それともコレはアイドル省の身内意識か?」
アイドルの調達と運用とを一手に担うアイドル省とアイドルの神聖さの護持を皇帝から預かる〝教皇庁〟とは往々にして犬猿の仲である。アイドル省からすれば重要な現場に嘴を突っ込んであれやこれやと(対ルナリアン戦闘の素人にも関わらず)指図をする〝教皇庁〟がいけ好かない。〝教皇庁〟からすればルナリアンに勝てばそれでよしとアイドルに無茶をさせるわマネージャーの裁量を大きく認め過ぎるわなアイドル省の作法は以ての外である。首都のアイドル省本社と各権限移譲政府に設けられた支社も〝ルナリアン討伐の功績=点数〟を争って犬猿の仲ではあるが、縦の系列が同じである分、横の系列に該当する〝教皇庁〟を相手に喧嘩をする際には、歴史的に見ても団結する傾向にある。
「拡大解釈は困ります」小春日和は言った。「極楽坂マネージャーの行為は正当であったと私は判断します。異論がある場合には作戦後に法廷に申し出て下さい。現在、優先されるべきはルナリアン討伐であり、又、極楽坂マネージャーの行動がライブ行動に悪影響を与えていない現実を同様の前例と併せて鑑みると、この場で彼の行為を裁く必要は認められません。何と言っても極楽坂マネージャーとコクジョー・ブシドーちゃんは本ライブの中心人物です」
「コクジョー・ブシドーちゃんと極楽坂マネージャーがだ」神父は神経質に言い直した。「マネージャーを先に言うな。次にマネージャーを先にしてみろ。不敬罪を適応するぞ」
「私は」小春日和は言い返した。「職務に忠実であろうとしているだけです、神父。どうか誤解なさらないように」
「督応援官の件は」神父は米神に青筋を浮かべながら尚も言い募った。「極楽坂マネージャーの話を鵜呑みにするならば子供を撃った督応援官をブシドーちゃんに殴らせたのは彼だ。衆人の保護を優先したと言うが、督応援官を攻撃する意味はあったのか、督応援官の警告を無視して撃たれた子供達までついでとばかりに保護をしたのは?」
「神父」小春日和は無味乾燥に言った。
「アイドルは優しく、強く、優しくあらねばなりません。そうですね。では、あの状況で、撃たれた子供を無視するアイドルを民衆はどう思うでしょうか。それに市民感情を刺激するなとは事前に極楽坂マネージャーからも私からも通達してあった事柄です。警告はしたでしょう。その警告を無視したのも事実でしょう。が、無力な子供相手に発砲、更に一部市民の証言に拠ると射撃した子供達への暴言も認められます。非があるとすれば、私自身はあの解決方法は暴力的に過ぎるとは思いますが、督応援官の方であります。事実、広場で市民が暴れたのは、彼が不必要であると現時点では考えられる発砲を行った事が一つの原因です。神父、失礼を承知で申し上げますが、それらの罪状の精査は感情的になってしまう現在ではなく、且つルナリアンの覚醒が間近に迫っている現在ではなく、ライブ後に行われるべきです」
神父は喉の奥で唸った。『覚えていろ』と言いたげだった。小春日和は俺とジャーマネに「急ぎお色直しを」と命じた。
本部に隣接する楽屋に移動、メイキャッパーが超臨界流体のファンデーションを俺の頬に塗りたくる間に応援整理官の軽井沢がツラツラと、
「広場の混乱は小春日和さんと郡山さんが収拾しました。鮮やかな手際でしたよ。タケヤリちゃんが歌って踊って耳目を集めてから小春日和さんが民衆を説得しましてね。理路整然と喋るし、容赦がない、暴れ続けると何罪がどう適応されるとあんなにすらすらと説明されたらねえ。ま、民衆の一部は小春日和さんに気圧された、説得されたと言うよりも、白けて暴れる気も失せてしまったんでしょうがね。あ、今のはオフレコでお願いしますよ。それでも酷く暴れる奴らは郡山さんが督応援官を上手に使って制圧しました。問題はアイドルが、これは貴方達を責めるんじゃないですが、難民の肩を持ったように見えるもんだから、市民の士気が下がり、応援力が低下している事ですな。それでも一〇〇〇人以上が広場を中心に町中でブシドーちゃんを応援します。出力不足で押し負けるのは避けられるでしょう」
軽井沢はエビスのような腹をポンと叩き、ジャーマネと俺に一瞥ずつくれてから、楽屋を辞した。
「難民がこの層に持ち込んだ病気は――」とのジャーマネの台詞を、
「――ペストだな」と、俺は横取りした。メイキャッパーがマスカラを塗ってくれている。「〝難民のせいで俺の家族は死んだ〟は強ち間違いでもない。そりゃあ憎い相手を助けた俺を真心込めて応援するのは難しいだろうぜ。だがそれでもいいさ。それだけの事をした自覚はある。それにアイツらは誰も悪くない。悪いとすれば――」
「――〝スタッフ・オンリー〟を守れなかった僕らだ」
台詞を横取りし返された。俺は笑った。笑うしかなかった。
「俺はあのオッサンらに自治会長を殺させてやるべきだった。やるべきだったんだ。でも駄目だった。俺は親友も友達も母親もルナリアンに殺されて、殺されまくって、それに慣れちまったが、あのオッサン達は違う。違った。俺はあのオッサン達をアイドルにしたくなかったんだ。エゴだな。酷いエゴだ」
「それは大人である僕らの責任さ。今だって僕はその責任を痛感している。大体、ルナリアンと戦うのが君だけだと云うのがおかしい。SS級相手であれば他に二人か三人は援護のアイドルが欲しい。二人か三人なら大した人数ではない。でも上層部はそれを出し惜しみした。全て政治的な都合だ。大人の都合さ。〝対抗派閥のアイツに討伐実績を稼がせたくない〟だの何だのとね。大人の都合で君のような子供が割を食う」
「訊いてなかった。訊いていいかも分からなかった。一層でのこの仕事、失策れば責任が重いし、成功しても事前にルナリアン出現を予知出来なかったんだから旨味は少ない。なのにアンタはこの仕事を引き受けた。どうしてだ。断れもしたろ?」
「それが君には分かっていると思う。僕は君のお母さんを殺した。だからだよ。――ところで」
ジャーマネは話頭を転じた。メイキャッパーとスタイリストが同席しているこの場で込み入った話をしたくないのだろう。お色直しは終盤に突入していた。アイドルとしての俺のエンジンが本格的に始動していた。化粧はアイドルの起爆剤だ。弱い自分を覆い隠して強い自分へと変わる為の。
「サンゴちゃんとは誰だ?」
「先輩だ。〝花嫁学校〟のな。俺の〝お姉さま〟だった。学校を史上三番目の成績で卒業した〝学生横綱〟と言えば分かるんじゃねえか?」
「あのサンゴちゃんか。デス相撲トーナメント〝DEATH乞〟の初代王者の。〝マジ万死〟の」
「そうだ。最近だと〝短刀恋〟で知られているあのな。〝DOS濃〟とも呼ばれるように電子戦のエキスパートでもある。〝戦術データリンク〟で密かに連絡を取って上の層に暮らしている自治会長の娘に接触して貰った。頼りになる先輩さ。このライブが終わったらアンタにも紹介してやる」
「それは有難いね。でもその前に、ライブが終わったら、祝杯を上げないか。積もる話もある」
「そうだな。飲食規定で公には飲めない。般若湯で頼む」
お色直しが早く終わって欲しかった。永遠に終わらないで欲しかった。――
繭の中でルナリアンが動いた。それに合わせて繭の表面に凸凹と凹凸が生じる。ルナリアンは繭に生じた亀裂の隙間に繭の内側から両手を突っ込んだ。ドロッと粘液のようなものが隙間から溢れる。オムレツを割るように繭を割るつもりらしい。俺は肺の中の酸素を一度総入れ替えした。
『ブシドー』ジャーマネが俺を呼ぶ。俺は人口太陽の真下に立っている。ジャーマネが居るのは戦闘指揮所を兼ねた広場のステージ上だ。直線距離で一キロ近く離れている。骨伝導無線様様だなと思った。真横に居るように声が聴こえるから不安が軽くなった。『聴こえるか?』
『聴こえてンぜ』と、声帯が痙攣しないように、敢えて吐き捨てるように言った。
『ルナリアンは繭から出た直後に大きなスキを見せる。そのスキを叩いて一撃で決める。ここは風が強い。だからセット・リストは三番ではなくて二番で行く。今からじゃ君の加速は間に合わない。脳天を狙え。唐竹割だ。もしも攻撃に失敗したら〝向日葵の園〟を足場にしていい。二度目のアタックを敢行する。マイク命数には気を付けろ。君に託したマイクはアイドル・ミリタリー・スタンダードを満たしていない最近の量産品だ。三回も武器に再構築したら使い物にならなくなる。いいな。他に何かあれば随時指示する。では――』
変身だ、と、ジャーマネは低く言った。
俺は勇気を分けて貰う為に今の今まで着ていたスカジャンを脱いだ。綺麗に畳んでから足元に置く。スカジャンの背に描かれた桜の色が俺を奇妙に励ました。黒セーラーのスカートの内側に収納されていたカセット・テープを取り出し、腰に巻いたウォーク・ウーメン・ベルト、それに内蔵されたAI(名を〝カレル2〟)に起動せよとの念を送りながら、何の前触れも理由もなく思い出す。『ショジョカイタイ・オペレーション』と黒板に書き殴った先生を。
あれは〝花嫁学校〟の入学式直後に行われるホーム・ルームの席だった。大部分の生徒が早くも疲弊していた。〝花嫁学校〟の通学路は健康にして清冽な精神を涵養するべく〝殺人通学路〟として整備されているからだ。俺のように、と言うと自慢のようで嫌だが、アイドルの家系に生まれ育った子でない限り底に硫酸の溜まった落とし穴だの出題されるクイズに答えられないと百万ボルトの電流が走る装置だのには不慣れなのだから、入学初日に疲弊するのは当たり前だった。(入学式も入学式でハードだった)
その疲弊が嘘のように吹き飛んだのは、登場した担任が誰でも知っている有名人で、その腹が臨月の妊婦のように膨れていたからだった。
『ショジョカイタイ・オペレーションとは何か?』
担任は悪の組織の女幹部のような出で立ちだった。血色の悪い肌、袖の長く余った白衣、黒セーラー、ボサボサの髪の毛、――
『もう知っているだろうとは思う。でも改めて説明しておこう。君たちはこれからお母さんになる。ルナリアンのお母さんにだ。ルナリアン、過去に捕獲に成功した個体をクローニングした幼体、それを君たちの子宮に植え付ける。アイドルが女の子で処女でなければならない最大の理由はそれだ。子宮が少しでも傷付いているとルナリアンが上手に定着しないんだよ。君たちは問診票と事前の触診で全員が気娘だと確認されているが、もしも虚偽申告をしている者が居たらこの場で正直に教えて欲しい。死ぬよ』
教室は毫も動揺しなかった。まさに〝もう知っている〟からだった。担任は秋晴れの空を見上げているかのように清々しく笑った。『ショジョカイタイ=オペレーションを受けるともう人間には絶対に戻れない。君たちはアイドルになる。アイドルとはこれだ。このボクの腹がその性質の全てを代表して代弁している。ルナリアンは君たちの子宮の中ですくすくと育つ。特に変身すると急激に成長する。ショジョカイタイ=オペレーションを受けた者は長くとも一〇年しか生きられない。ルナリアンが育って子宮を内側から引き裂いて表に出るからだ。アイドルから生まれたルナリアンを〝クライスト型〟と呼ぶ。クライスト型は何でか知らないが普通のルナリアンよりずっと手強い。だからアイドルは、タナー段階と呼ばれる段階が五に達した時点で、つまりは腹の中のルナリアンが一定まで成長した時点で速やかに引退、ま、腹の中のルナリアンと共に殺処分される訳だなあ。ところで、今、一〇年と言ったが、私の年齢は諸君らも知っているように四〇を超える。ショジョカイタイ=オペレーションは妊娠適齢期である一〇代に受けるべきだとされていて、事実、私も一二歳でアイドルになった。これは矛盾だな』
担任の笑顔の性質が変わった。彼女は美しい小鳥を明るい森の中で散弾銃で撃ち殺すときのように笑い、
『〝例外の九人〟だ。ショジョカイタイ=オペレーションに高い適合率を示す者。A級ルナリアンをその身に宿した者。アイドルの中のアイドル。自分で言うのもなんだがねえ。でも事実だから仕方がないねえ。君たちもそうなれるといいねえ。〝花嫁学校〟はどうして〝花嫁学校〟と呼ばれるか。アイドルはルナリアンと結婚して花嫁になるからさ。幸せな結婚生活は長く続いた方がいいからねえ。そうだろう?』
二週間後、〝花嫁学校〟付属アイドル病院、同病室、病床に横たわる俺に先生が言った。
『君はキシドーのクローン、それもデナイナーズ・クローンなんだってねえ、そうだろ。期待してたんだ。〝例外の九人〟が〝十人〟になるのをね。でも期待外れだったな。そんな事だろうと私は思っていたがね。君もそうだろう。人間は創造主には勝てないのだよ』
更に数週間後、先生のタナー段階は五を迎え、〝殺処分〟の現場を俺を含めた生徒一同は見学する。それは附属病院の解剖室で行われた。ルナリアンを薬剤で先に殺す。殺したルナリアンを取り出して液体窒素に漬ける。母体を始末するのはその後だ。最初の薬剤を注射されるとき、麻酔を掛けられているのに先生は、
『やめろ!』と、叫んだ。
『やめろ! やめろ! やめろ! 私の子に手を出すな!』
先生の股からは青い血が流れ出ていた。解剖室は吹き抜けの二階建てになっていた。見学室はその二階部分にあった。何人かがゲエゲエとゲロを吐いた。ショジョカイタイ=オペレーションに失敗、成功したがルナリアンが定着しなかった、〝その他〟の理由で生徒総数は既に入学時の三分の二に減っていた。執刀医が後で『タナー段階が進むと胎内のルナリアンに特別な愛情を抱いたりする倒錯的精神状態になりがちです』と俺達に教えた。『君らはイイコだからそうなる前に潔くハラキリ・プロトコルを申し出ましょうね。アイドルは死ぬのも仕事です。分かりましたねえ?』
解剖の翌日、幾つかの机の上に遺影と黒い花の活けられた花瓶が置かれている教室に、
『やあ』――と、お腹の大きい先生が現れた。教室は瞬時に凍り付いた。先生は何事も無かったかのように出席簿の底を教卓にトントンと打ち付けながら言った。『私の前任者は無様な死に方をしたようだ。新しい私はそうならないように努めるつもりだよ。どうしたね。諸君は誰も彼もが聾唖になってしまったのかな。アイドルだよアイドル。私も君たちもアイドルなんだ。まだ分かっていなかったのかね。アイドルになると云う事は死ぬとか生きるとか尊厳であるとかさえも搾取されて消費されるって事なんだ』
先生は満開の花のように笑った。『胎児よ胎児よ何故踊る。 母親の心が分かって恐ろしいのか。もう引き返せないからね。皆で仲良く死のう。皆で仲良く不幸せになろう!』
『変身シークエンスを起動』と、AIが無機質な合成音声で告げた。
震える。手も指も心もだ。震えても泣いても〝もう引き返せない〟のならば意味がない。俺はベルトのテープ挿入口にカセットを叩き込み、
「ノイズ・キャンセラー始動」
『ノイズ・キャンセラー始動』
「音程変更。低音に二。ボーカル・ブースト」
『音程変更。低音に二。ボーカル・ブースト』
「マイク・オン。ミュージック・オン。イントロ・カット。音量全開!」
『マイク・オン。ミュージック・オン。イントロ・カット。音量全開』
「リップシンクッ!」
『変身の為の合言葉は?』
「――ッ!」
俺は死ぬ。だがそれは今日ではない。そう思った。そう思っていた。
数秒後、ルナリアンに敗北するとも知らずに。