間宮さんはまだ負けてない!!!
暇つぶしに書きました。
処女作なので生暖かい目で見てくだせぇ!
負けヒロイン!!!!!それはラブコメにおいて主人公と結ばれることが無かった。
つまり、ヒロインレースに敗北したヒロインの事を言う!!!!!
曰く負けヒロインは青髪である。
曰く負けヒロインは幼馴染である。
曰く負けヒロインは運動部に所属している。
曰く負けヒロインは主人公をヒロインの中で一番長い期間想っている。
曰く負けヒロインは主人公を勝ちヒロインの所に行くように呼び掛ける。
曰く負けヒロインは己から主人公に対し想いを告げる。
この条件が揃った時、フィールドにいるヒロインは負けヒロインとなり墓地に送られる!!!
しかし!俺は、この負けヒロインを愛でるの会会長(そんな会は無い)である山田太郎はそんな負けヒロインを救わずにはいられ無い!
この世に泣いてる負けヒロインがいる限り俺がきっと救ってみせる。
そんな決意の炎に薪を焼べ俺は自分の胸に手を添えながら深呼吸をする。
「葵、ごめん。俺は、俺は…!やっぱり!」
「慎二!」
「…!葵…」
二人の男女の息遣いが空気感が感情が扉越しから十分伝わって来る。時刻は午後5時。校舎全体が茜色に支配されており、遠くから運動部の掛け声が聴こえてくる。
告白には最高のシチュエーションだ。否、告白する為のシチュエーションだ。
「もう、茜。行っちゃうよ…。早く行かないと」
ああ、やめてくれ。頼む。お願いだ。そんな事言っちゃダメだ。
君は未だ聞いて無いじゃないか。受け止めて無いじゃないか。
「でも、俺!まだ葵の想いに!」
そうだ。そいつは君の想いに答えを出して無い。君には答えを聞く権利があるんだ。
「大丈夫!大丈夫…だからさ、慎二。もう知ってたから…。ね」
知ってたからなんだ。知ってたらわざわざ聞く必要は無いのか。
違う。そうじゃ無いだろう。知ってる事と分かる事は全くの別ものだろ。
君は分かるべきだ。そして納得するべきだ。
「さぁ、早く行きなよ。慎二」
「あ…」
思わず声が溢れてしまう。その言葉を俺は聞いてしまった。
その言葉は言って欲しくなかっただって、それじゃ、まるで君が君自身を負けヒロインだと言っているようなモノじゃないか。
「っ…。ああ、俺行くよ! 葵!」
「うん! 行ってこい! 慎二」
男はその言葉を聞くと同時に駆け出した。教室のドアを思いっきり開けて廊下を走っていった。
俺はその後姿を何の感慨も無く眺めている。いや、多分俺は彼を睨んでいたかもしれない。
「ふぅ…。…すぅっ…!」
教室の中から深呼吸する彼女の声が聴こえてくる。心を落ち着かせているのだろう。でも、その息遣いは隠し切れないほど乱れている。
「ぅ、ん…! ぁあ、はぁ! あぁぁあ!」
乱れた呼吸に声が乗り、震える声に感情が乗った。泣いている。彼女は泣いているんだ。
自分の好きな人と結ばれずましてや恋敵の所に行かせるような事をして悔しいのかもしれない、苦しいのかもしれない。否、俺がその感情に名前を付けるのは無粋だ。
俺はあくまでも第三者で彼女と密接に関わってる人間じゃ無い。でも、それでも、彼女が負けてしまったと言う事実をああ、そうですか、と認めたくない。
彼女が負けヒロインなんてそう簡単に彼女自身にも決めつけて欲しく無いんだ。
彼女があいつを想っていた気持ちは嘘だったなんて誰にも言わせなくないんだ。だから!
俺は自分の胸を拳で叩く。ゆっくりと息を吐く。
覚悟は決まった。俺がやるべきはとっくのとうに決まっていた。目の前にある扉に手を掛ける。
この向こうに彼女がいる。鼻を啜り声を溢している彼女が夕暮れの教室に立っている。
数秒目を瞑る。そして、カッと見開き俺は勢い良く扉を開けた。
耳をつんざく開閉音に彼女が身体を震わせ、次にゆっくりとこちらに視線を投げかけてきた。
青いセミロングの髪型に女優かと思ってしまうほどの整った容貌、陸上部で鍛えられたしなやかな肢体。
そんな振られる要素がない彼女が目元を腫らしながらこちらを見つめている。
「え、あ、その、や、山田…?」
当惑しながら俺の名前を読んでくれる彼女。俺の事を知っている事実に少し胸が暖かくなった。
俺は思いっきり息を吸い込んだ。この教室の空気全て取り込んでやろうとの勢いで、そして、息を吐き出すと同時に自分の想いも乗せる。
「間宮葵さん!!!!! 好きです! 付き合ってください!!!!!」
生まれて初めてこんなに大きな声を発したかもしれない。なんなら生まれて初めての告白だ。
掌の血液が止まっているのではと思うほど握り拳に力を込め、じっと目の前にいる彼女を見据える。
彼女は至極目を大きく見開いている。無理もない失恋した直後に大して知らない奴に告白されたんだから戸惑うのも必然だ。
数秒経った。彼女は俺の言葉の意味を漸く理解したのかを視線を床に落とした。
彼女の艶やかな髪が彼女の美しい容貌に掛かり表情が全く読めなくなる。カチカチ、時計の秒針が耳障りに思えるほど俺の意識をもたげる。
彼女はどうだろうか?
彼女の意識は一体何が支配しているのだろうか。告白された事による羞恥心か、愛し人と結ばれなかった事による悲嘆か。
分からない。俺に彼女が今何を考え、何を感じているのか分からない。分かろうとするのは烏滸がましい。
いつだって人が出来るのは人の気持ちを分かる事じゃなくて、分かったつもりになる事だからだ。
でも、人と言うのは愚かだから他人事である相手の気持ちを自分ごとにしてしまう。
そして、その自分ごとの気持ちさえ他人に押し付けてしまう愚かな生き物だ。
それは俺もそうだ。
俯いていた彼女が首を上げこちらを見る。平生鋭い眼光は更に磨きが掛かっている。睨んでいるんだ。
彼女はその眼光のまま歩を進める。俺と彼女の距離が一気に縮まった。
でも俺と彼女の心の距離はこれとは比にならない程遠かったと思う。だって、
パンッッ!!!!!
教室に乾いた破裂音が響く。不自然で必然の音だ。俺の視野から彼女が消える。それと同時に頬が熱くなっていくのを感じた。
叩かれたのだ。一片の迷いもなく頬を叩かれた。
「私の…、私の…気持ちを! 揶揄わないで」
彼女の方を見る。彼女は目に大粒の涙を溜めてこちらをキッと睨んでいる。
そして、俺の顔など見たくないと言った様子で足早に教室から出て行ってしまった。
教室には俺一人になった。頬が未だ痛い。短く嘆息して近くにあった椅子に腰掛ける。暫くの間、ぼうっとした時間を過ごしていた。
最終下向を知らせるチャイムが校舎全体に響いたのを聞くと俺はゆっくりと立ち上がり、帰ろうとした。
未だ頬は痛かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
翌日。普通だったら、普通が何かわからないが、女子に告白して振られてしまったら羞恥心で学校に行けないだろうが、俺はそんな事など全く感じず堂々といつも通りに登校した。
なんなら、昨日の出来事を俺は未だ振られたと認識していない。だって、俺は別に、ごめんないとか付き合えません、なんて言われていないからだ。
確かに頬を叩かれたがもしかしたらあれがOKの意味が籠ってないのもなきにしもあらずだ。いや、普通に無いな。
教室の扉を開けるとクラスにいた生徒が一気にこちらを見つめてきた。そして、近くにいる同級達とコソコソ話し始めた。俺をチラチラ眺めながら。
その様子を一瞥して俺は自席にスクールバックを置き席に着く。
俺が席に着いたのを見計らってか、前の席の奴が身体をこちらに向け、ニタニタと見つめてくる。
「んだよ」
その気持ちの悪い笑みを問いただす。
「いやぁ、別に。ちょっと見直したつーかさ」
「はっきり言えよ。てか、もう知ってるんだろ」
「まぁ、まぁ、物事に順序ってもんがあるんだから、落ち着けよ。山田」
ニタニタ男もとい小澤が両手で落ち着けのジェスチャーをする。俺は馬かなんかか?
「まず知ってるか?一条慎二と佐久間茜が付き合ったてのは?」
「いや、初めて知ったけど、まぁ、だろうなって感じ」
「いやぁ、やっぱ佐久間がヒロインレースに勝ったかぁ!」
小澤が競馬場にいるおっさんみたいな反応をする。
「別に一条が誰と付き合おうが俺らには関係無いだろ」
「お、お、マジすか。それ言っちゃいますか?
大丈夫そんな事言っちゃって?」
殴ってしまいたくなる程ムカつく煽り方をする小澤。
「なら、言っちゃおっかなぁ。いいか、心して聞けよ。山田太郎が間宮葵に告白したらしいぜ。そして、振られた」
ほんと毎回こういう噂話を聞くと思う事だが、一体何処から情報が流出しているんだ。特に昨日なんて周りに誰もいない事を確認したはずなのに。監視カメラでもあるんじゃないかと疑ってしまいたくなる。
「いやぁ、ダメだよ、山田。そんなに焦っちゃったら。確かに一条と佐久間がくっついたって事は間宮が振られたって意味になるけどさ。だからと言って振られた直後に告るのは悪手以外の何物でも無いよ」
「悪手って、お前なぁ」
俺が呆れ顔で小澤を見つめるが、当の本人は得意げな顔で話を続ける。
「いいか? こういうのはな、相手が振られて一週間ぐらい時間を置くのが良いんだよ。振られた事に対する悲嘆と前向きに進もうとする希望の間で揺れ動いている時に告る! これなんだよなぁ。大事なのは!」
一度も告った事がない奴が何を語っているだ。それに、
「未だ、振られてねぇだろ」
「え!おいおい、マジか。山田、お前神経図太いなんてもんじゃねぇな。だって思いっ切り頬叩かれたんだろ? それで未だワンちゃんあるとかちょっと尊敬するまである」
俺が叩かれた事まで広まってんのかよ。プライバシーなんて学校では無いと同じってか?
「はぁ、いや、そう言う事じゃなくて「おい!噂をすればだぞ!」って、人の話聞けよ」
平澤が俺の話を遮って教室前方を指差す。仕方なくそちらに目を向けると3人の男女が教室に入って来ていた。
確かに噂をすればだな。そこにはさも俺たち青春してますよオーラを漂わせているイケメンと言っても過言じゃ無い男、一条慎二と二人の美女、佐久間茜と間宮葵が仲睦まじく話をしていた。
「あれ? 3人で来たのか? 付き合ったんだからカップルで来るかと思ったんだけどな」
「そんな今まで3人で登下校してたんだから、いきなり一人さよならってのは可笑しい話だろ」
「でも、気まずくね? 自分が好きだった人が完全に人の物になっちまったんだぜ」
気まずい。そうかもしれない。俺は3人の様子を観察してみる。パッと見はいつも通りだ。いつも通り3人仲良く会話をしている。
でも、なんと表現するべきか適当な言葉が見つからないが、何となくぎこちない、そう感じてしまう。
でも、そのぎこちなさが感じるのは一人だけだ。
間宮葵。彼女だけが少し距離を取っているそう見えてしまう。
「でも、やっぱ二人ともスッゲェ美人だな。何度見ても見慣れないほど」
平澤が恍惚という様子で呟く。
「うん。だな」
俺も同意する。二人とも10人すれ違ったら11人目が振り返るほどの美人だ。
間宮葵は陸上部に所属している事もあり、纏っている雰囲気が爽やかでしなやかな体躯やキリリとした容貌から美しい系の美人だ。
対して佐久間茜は穏やかな雰囲気が身体を支配しており、柔和な表情が対面する人全員を心の底から癒す、可愛い系の美人。
両者ともベクトルは違えど絶世の美人だ。
「あ! おい、あの二人教室出たぞ。なんだろう! キスでもすんのかな!」
一条と佐久間が仲睦まじげに教室から出て行った。
「中学生かよ、お前は」
高校生がするにはあまりにも稚拙な邪推だ。
「でも、まぁ、付き合ってんなら二人っきりになるのも普通だろ」
一条と佐久間は付き合ってる。二人が教室から出る、つまりは自然と間宮が一人になるという事だ。
別に間宮は俺みたく友達が少ないわけじゃ無いから既に他の女友達と仲良しげに話しているがやっぱりその表情にはぎこちなさが宿っている。
その表情を眺めていると口の中が乾いていくような感覚に俺は陥ってしまう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
以前までなら一条、佐久間、間宮の3人は弁当を一緒に食べ青春ラブコメをぶちかましていたが、これからはそうもいかない。
一条と佐久間は付き合っているんだから。自ずと昼休みという時間は二人にとって貴重なモノへと転換する。
それは間宮自身も気付いているのだろう。
「え! 葵ちゃん、今日は別の子と食べるの?」
佐久間が至極残念そうな口調で間宮に尋ねる。
「ごめんね! 茜、部活の子達との先約があるんだ」
顔の前で手を合わせ謝罪をする間宮。その様子を見て佐久間が悲しげな表情を浮かべる。小動物らしい庇護欲をそそられる表情だ。佐久間の隣に立っていた一条が言う。
「茜、今日は二人で食べよう。葵には葵の用事があるんだし」
子供に話しかけるような優しい声音だ。
「そうそう! それに二人は付き合ってるんだから私が居ない方が良いでしょ。おじゃま虫はいない方が、あはは!」
「もう! 葵ちゃん! そういうのは無しって約束したじゃん。私たちどんな事があっても3人一緒で仲良くって!」
間宮の自虐に佐久間が頬を膨らませて抗議する。3人仲良く。それは無理だ。
現に一条と佐久間が付き合っているのだから、それを無視して二人と行動を共にするなんて心臓に毛が生えてるなんてもんじゃ無い。
それに本当に3人仲良くを心掛けるならば佐久間と一条は付き合うべきじゃなかった。それぞれ想いを胸の内に秘めて欺瞞でありながらも心地良い関係性に浸るべきなんだ。
「冗談だってばぁ。もう、怖いなぁ茜ったら」
間宮が笑いながら佐久間の肩を優しく叩く。2回叩いたら彼女は、それじゃ時間だから、と言って手ぶらで教室を出て行った。弁当を持たず。
「ういー、田中。今日学食行かね。弁当忘れちゃってよ」
「悪い、俺ちょっと先約あるから一人で食べといて」
「え、」
俺はそう言うとそそくさと教室から出て行き廊下に飛び出した。左右を交互に見る。間宮は居ない。
彼女の教室に出て行く時の表情を思い浮かべる。拳を握り締め、ぎこちない笑み。泣くのを我慢した表情だ。
俺は大方の目星を付けて学校内を探検した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ふぅ、俺の推理は完璧だな。将来探偵になれちゃうかも」
俺は冗談めかし言いながら薄暗い階段に腰掛けている間宮に近づく。
場所は屋上に出る為の扉がある階段の前だ。うちの学校は屋上の出入り禁止の為わざわざこんな所に来る奴はいない。絶好の泣き場所だ。
間宮は俺の声を聞くとビクッと身体を震わせた。そしてゆっくりと垂れていた頭を上げる。
「田中……」
俺の名を呼ぶ声音は刺々しい。俺を見つめる瞳は鋭い。しかし、その目元は赤く腫れておりついさっきまで涙を流していたのは明白だった。
間宮は俺を認識すると直ぐに腰を上げ何処かに行こうとする。俺は彼女を止める意味を込めて声を掛ける。
「そんな目腫らして、なんて言うつもりなの?」
「……!」
彼女が息を呑むと同時にこちらを振り向く。まるで親の仇でも見るかのような目付きだ。
「アンタ。何なの?」
「何って?」
「何の目的が有って私に近づいてるの? 私を困らせて面白がってるの?」
「まさか、自分の好きな人を困らせたいわけ無いよ。小学生じゃあるまいし」
「それが困らせてるんでしょ。大して好きでも無い奴に告白してさ」
「いやいや、大して好きじゃない奴に普通告白しないでしょ」
「はぁ、そんなの嘘よ。アンタ私が慎二に振られたのを見て、傷心してる私に告白すれば付き合えるとか思って告白してきたんでしょ」
押し問答。堂々巡り。イタチごっこ。間宮は俺の話している事を全く信じようとしてくれない。意を決した告白だったのに関わらず。
「ほら、だんまり。図星って事でしょ。自分の突発的打算で私に空っぽな告白をしてきた。言っとくけど、私がアンタと付き合う事も好きになる事もありえないから」
そこまで言われてしまうか。一大決心の告白をしたと言うのにそれを空っぽと言われしまうなんて。徹頭徹尾己の恋心を否定されては流石に悲しい。
「でも、俺は間宮さんの事が好きですよ」
「そんな吹けば飛んでしまう恋心なんか欲しくないわ。私昨日言ったわよね、私の気持ちを揶揄わないでって。それなのにアンタは」
吐き捨てるかのように言う。
「いい、私はね心の底から慎二を想っていたのよ。その気持ちを蔑ろにするような告白をしたアンタを私は許せない」
「そんなの俺には関係ない事でしょ。それこそ間宮さんが俺の恋心を空っぽって言うように、間宮さんのその気持ちももしかしたら空っぽかもしれないのに」
その言葉を聞いて彼女の表情が一変する。
「ふざけないで!」
間宮さんが一喝する。鋭く突き刺さる声だ。鬼気迫る形相だ。もし近くに包丁でも有れば刺し殺されていたに違いないと錯覚してしまうほどだ。
「私の、気持ちが空っぽですって!ふざけるのも大概にしてよ。アンタには、アンタみたいな奴には死んでも言われたくない」
間宮さんが絞る出すように声を振るわせる。彼女が口から大量の息を取り込む。そして、
「いい、私はね慎二をずっとずっと想い続けていたの。小さい頃から常に側に居てあいつの隣に居続けた。その為に色んな努力だってしたの。それだけ私の気持ちは本物なの! それなのにアンタは」
捲し立てるように自分の感情を気持ちを俺にぶつける。全てぶつけ終わったのか間宮さんは深く息を吐いた。俺はそんな彼女を只々眺めた。
彼女は落ち着いたのか呼吸も穏やかになっていた。俺を一瞥すると振り返りその場から立ち去ろうとした。俺は又しても彼女の後姿に声を掛ける。
「なぁ、もしアイツらに言ったらどうなるかな?」
俺の意味深な質問に歩みを止めて間宮がこちら訝しげに見つめる。
「どういうこと?」
「アイツら。一条と佐久間にさ、間宮さんが泣いてたって言ったら。アイツら自分らの事責めちゃうのかなって思ってさ」
俺の言葉を聞いた途端、彼女の瞳に驚愕の感情が駆け巡った。そして顔を引き攣らせながら俺を責め立てる。
「アンタ! そんな事したら許さないわよ! あの二人に余計な事少しでも言ったら、本当に…」
「ああ、やっぱり、アイツら責任感じちゃうかぁ。自分らの幸せが大切な友達の悲劇から成り立ってるなんて知ったら。そりゃあ苦しいよな。もしかしたら、別れちゃうかも。あ、でもそれなら間宮さんワンチャン一条と付き合えるんじゃね」
突如、身体が思いっ切り壁に叩きつけられた。間宮が俺の胸倉を掴みかかってきたのだ。思わず息が詰まってしまう。
しかし間宮はそんな事知らずに俺を睨みつける。
「ふざけるんじゃないわよ。あの二人にさえちょっかいを掛けるなんて、アンタ反吐が出るほど最低よ。今すぐ、あの二人に関わらないって誓いなさい」
美少女とこんな近距離で触れ合えるなんて中々に素晴らしいシチュエーションだが、今はそんな事を堪能している暇は無いらしい。
「じょ、条件がある」
詰まる息を無理矢理吐き出して俺は彼女に提案を持ちかける。
「条件ですって…?」
「そうそう。俺の要求というかお願いを聞いてくれるなら二人にはちょっかい出さない」
自分でも引く位の悪役っぷりだな。美少女に脅しをかけ要求を通すなんて、漫画やアニメでさえこんなあからさまな嫌な奴いねぇぞ。
しかし、こんな陳腐な脅しでも本人には効果的面らしい。暫しの逡巡の末、間宮は首肯した。
「分かった。アンタの要求を聞いてあげるわ」
「マジで、やったー」
「ただし!」
間宮が強く言う。
「あの二人に少しでもなんかしてみなさい。その時はアンタ殺すわよ」
殺す。ありふれているが現実味のない言葉が彼女が言うと妙なリアルを感じる。
「分かってる、分かってるって」
俺はおちゃらけて応える。その様子に間宮は眉を寄せる。嫌悪感なんて全く隠す様子もなく。パッと掴んでいた胸倉を離し数歩距離を置く。
「で、何? 要求って」
「簡単だよ」
首元を摩りながら言う。
「ただ、これから一緒に昼飯を食べようってだけ」
要求にしては余りにも気の抜けた内容を聞いて更に間宮は眉を寄せる。その状態のまま、
「は……」
と冷たく言い放った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
要求を告げた日から俺と間宮の一緒に昼飯を食べる日々が始まった。
「あ、待ってたよ、間宮さん。お、今日はしっかり弁当持ってきたんだね。昨日持ってくるの忘れてたから心配してたんだよ」
「おお、間宮さんの弁当美味そうだね。卵焼きなんか絶対美味いでしょ。因みに間宮さん卵焼きは甘い派? 俺はダシ派なんだよねー」
「てか、聞いたよ。陸上部全国大会出場だってね。スゲェな。確か間宮さん陸上部だったよね? もしかして、大会で走ったりするの?」
全く反応がない。まるで屍のようだ。俺の親切な話題提供をとことん無視。俺なんて眼中に無いといった様子だ。もしかしたら、本当に見えてないのかもしれないと不安に思ってしまう。
「ちょっとぉ、何で無視するんだよ」
唇を尖らせて文句を言う。構図としては構ってもらいたい彼女と面倒くさがってる彼氏と言ったところか? 彼氏もとい間宮があからさまな溜息をこぼし見る。
「要求はアンタと昼飯を食べるだけで、話す道理は無いでしょ」
「いやいや、それでもお互い無言ってのもおかしいでしょ。折角一緒に食べてるんだから、楽しく話そうよ」
「そ、ならアンタが勝手に話せばいいんじゃない。私は無視するから」
どうやら彼女が俺に心を開くには中々の道程が必要らしい。
間宮が俺とまともな会話をするのには圧倒的な時間がかかった。まず俺が話しかけても基本無視、それでもめげずに話しかけると、うっさい、の一言で一蹴。
そして又しても無視。心の距離が離れているのなら、物理的な距離を縮めようと思い、間宮の隣に座ってみる。思いっ切り蹴られてしまった。彼女曰く2メートルを超えたら蹴るとの事だ。伊達に陸上部に所属してるわけじゃ無い彼女の脚力を受けるのは命の危険を感じてしまう。
こんな日々が長く続いた。
俺と彼女の日々が少し好転したのは1ヶ月が経った頃だ。キッカケは何の変哲もない唯の質問からだ。
「間宮さんはさ、何で陸上やろうと思ったの?」
どうせ無視されるだろう、と思った。しかし、違かった。
「別に。なんとなくよ」
「え……」
俺が零した声を聞いて彼女が不満げな表情をする。
「何よ?」
「あ、いや。何でも」
急いで釈明する。間宮は僕を横目に見て鼻を鳴らす。そこからはいつも通りの彼女になった。ほんの短い会話だった。会話とも言えないかもしれないけど、彼女は僕の質問に応えてくれた。
なんて事は無い。別に喜ぶようなモノでも無い。しかし、少しだけ本当に少しだけだが俺たちの関係が動いたように感じた。
その日から俺と間宮は少しずつ会話らしい事を積み重ねた。と言っても俺が話しかけてほんのたまに彼女が返答するぐらいだが、それでも会話と言っても良いだろう。
ジワジワ、少しずつ、にじり寄って、俺は彼女に質問し続ける。彼女がたまに返答する。そんな日々。
亀の歩みの日々で彼女について色々分かった事がある。
中学生の時に陸上を始めた。陸上の短距離走をやっている。休日は読書をしており、好きな本のジャンルは恋愛。得意科目は現代文。卵焼きは甘い派。好きな本は美しい夏。犬派。座右の銘は求めんと欲すればまず与えよ。etc...。
10聞いて1応えてくれる。まさに日進月歩。でも確実に俺は間宮葵という人間に近づいている。
そう確信している。彼女は何処にでもいる普通の少女。それが分かった事でも十分と思おう。
「あ、来たね。よし、食べますか」
俺はやって来た間宮に声を掛ける。
「ん」
間宮は返事なのか分からない返事をする。ガン無視を決め込まれていた時からしたら大きな進歩だ。
俺が階段の一番上に座り、彼女が一番下に座る。いつもの距離感。極限に離れた状態だがこれ以上離れないだろうという安心感がある。
「そういえば、来週大会でしょ。陸上の」
来週の日曜日は陸上の全国大会がある。陸上部に所属している間宮は恐らく出るだろう。
「そうだけど」
何の感慨もなく応える。緊張とかはしないのだろうか。
「俺、行っていい。応援させてよ」
別に何の接点も無い奴の試合ならわざわざ行かない。彼女だからだ。それなりの間一緒に昼飯を食ってきた仲だから。応援したいと思うのも必然だろう。
「間宮さんが嫌なら行かないけど」
付け足す。俺は彼女が部活をやっている姿を見た事が無い。その為、彼女からすると俺にそんな姿は見せなく無いかもしれない。
それに、当日には恐らく一条と佐久間がいるはずだ。俺があの二人に会うのは条件に反する。間宮は前を真っ直ぐ見ている。俺からは後姿しか見えない。彼女は背中越しに言葉を投げかける。
「別に……。勝手にすれば」
淡白な返しだ。でもその淡白さに彼女特有の優しさが滲んでいた。だから、俺は
「ありがとう」
と告げる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
大会当日。
「やっぱ、人スゲェな」
流石は全国大会だ。応援団も居たりする。
「えっと……。もうすぐかな」
腕時計を眺めながら呟く。あと30分程で試合が始まる。それまでに見やすい場所を探さなければならない。
俺は首を左右に振り丁度良い観戦場所を探す。
「あれ? 田中か?」
「は?」
突然、背後から自分の名が呼ばれた事に驚く。今日俺がここに来るのは間宮ぐらいしか知らないはずなのに。俺は振り向く。
「やっぱり、田中だ」
「一条!」
「ふふ、私も居るよ。田中君」
「佐久間も……」
私服姿の一条と佐久間が近づいてくる。
「お前も来てたんだな。もしかして、葵の応援か?」
「あ、いや」
マズい。会うのを想定していなかったわけじゃ無いが、まさか向こう側から話しかけてくるとは。てっきりは俺の事なんか知らないと考えていた。この場面を間宮に見られれば彼女の怒りを招くかもしれない。
「まぁ、偶々暇だったから寄ったんだよ」
「へぇ、そっか。ならさ一緒に見ないか?」
「は」
「俺ら、トラックがよく見えるとこ見つけたんだよ」
一条は後ろを指差しながら俺を誘う。
「いやいや、別にいいって。それに二人の邪魔しちゃあ悪いだろ。二人は付き合ってるんだしさ」
俺は二人を交互に見る。間宮に二人といるところを見られるのは困る。カップルの間に入るのも気不味い。逃げるための口実でもあるが、俺はごく当たり前な理由を述べる。
「あ、えー。うん…」
俺の言葉を聞くと一条が物言いたげな雰囲気を醸し出した。隣にいる佐久間もなんだか気不味げな様子。何だ? 何か琴線に触れるような言葉を発してしまったのかと不安になる。
「な、何?」
思わず聞いてしまう。
「あー、そのさ。そういう気遣いはさ嬉しいんだけど」
一条が後頭部に手を当てる。
「ちょっと、困るっていうか。やめて欲しいっていうか……」
「え、やめてほしいって」
「いや、別に嫌だっていう事じゃ無いんだ!」
一条が急いで弁解する。
「嬉しいし感謝してる! な! 茜」
「う、うん! そうそう。全然迷惑とかじゃ無いから!」
佐久間がブンブン頷いてそれに同意する。まるで赤べこだ。だがすぐにその可愛らしい顔に影が差す。
「でも、葵ちゃんとは明らかに遠くなちゃった」
泣きそうな声だった。寂しそうな声だった。苦しそうな声だった。佐久間と間宮は他人の俺から見ても仲が良い。まさに親友を思わせる関係性だった。
そんな隣にいて当たり前、傍に居て安心する関係性を築いていたのに、それがふっと無くなってしまう。それは一体どんな気持ちなんだろうか。生憎、俺には親友と呼べる奴が居ないのでその気持ちは計り知れないが、きっと深く重く粘りつくような喪失感なのかもしれない。それに、目の前の彼女にこんな声をさせたのは俺だ。
「茜……」
俯く佐久間を励ますように一条が名を呼ぶ。佐久間が儚げに微笑む。そんな二人の様子を眺めて俺はこの場から去るのに少し抵抗を感じた。
別にこいつらが何を考え、何を感じてるかなんて俺には関係ない。ああ、そうですか、と言ってしまえばそれでおしまいだ。
さっさと踵を返せば良いだけだ。
しかし、この二人がこんな表情をするのはもしかしたら俺のせいかもしれない。そう思えてならない。その思いを無視するほど俺は自分を嫌ってはいない。
「分かった。一緒に見ようぜ。何処だよ、よく見える場所ってのは?」
仕方ない。間宮に見つかりそうになったら急いで身を隠そう。俺はあからさまに周囲を見渡す。俺の言葉を聞いて二人は一瞬目を点にする。だが直ぐに口角を上げた。一連の動作が同じだ。似たモノカップルだな。
「こっちだよ、田中。着いてきてくれ」
初めて友達が出来た小学生みたいに喜びを隠さずに一条が向こう側を指差し、歩みを進める。苦笑を浮かべながら俺はそれに着いて行く。そんな嬉しそうな反応をされちゃあ、ますます断り辛くなってしまう。不安と仕方ないの二つの気持ちを抱えながら足を進める。
「田中くん。葵ちゃんが走る姿を見るのは初めて?」
隣から佐久間が嬉々として尋ねてくる。
「ああ、そうだな」
俺が知ってる間宮葵はいつもブスッとして間宮葵だ。部活で懸命に汗を流したり、勝負に闘志を燃やしたりする姿は見たことは無い。いや、あの告白の日。俺も一種の勝負だったのかもしれない。
「ふふん。なら楽しみにしておいてね。葵ちゃんの走ってる姿すんごくカッコいいんだから!」
さも自分の事みたいに佐久間が自慢、いや、他慢する。その声音も表情も邪なモノを感じさせない。純粋に友達を誇っている。
「ね! 慎二くん!」
「ああ! そうだぞ。葵は昔っから足が速くてなぁ。俺なんか勝った事無いんだぜ」
一条も間宮を素直に褒め称える。佐久間といい一条といい。ここまで他人を心の底から尊敬するなんて凄い事だ。普通だったら何処かに嫉妬や嫌悪が内在してしまう。それだけ二人が「良い奴」って事だろう。
「うん。楽しみにしとく」
二人は満足したのか笑みを浮かべる。そしてごく自然に当たり前のように手を繋いだ。手を繋いだ二人を俺は横目で眺める。
お似合いカップルだ。傍目から見ても分かる。見てるこっちが幸せな気分になってしまう。
でも、彼女、間宮はこの二人を見てどう思うんだろうか、ふとそう思った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あ! 葵ちゃんだ。おーい! 葵ちゃーん!」
「ば!」
俺は間宮の視界に入らないように急いで身を隠す。
「ふふ。手振ってくれたぁ」
「おい、田中何んでしゃがんでんだ?」
しゃがんでいる俺に当然の疑問を投げかける一条。
「いや、ちょっと靴紐が解けてなあ」
間宮に見られるのはマズイ。二人に近づかないのは俺と彼女の大事な約束だ。それを反故にするのは危険だ。もう反故してしまっているけど。
「ほら! 二人とも。葵ちゃんが走るよ、走るよ。ちゃんと見ないと!」
俺と一条に佐久間が急いで話しかける。俺は恐る恐る腰を上げる。間宮は完全に集中しているのかこちらを全く見ようとしない。
目を瞑り深呼吸をしている。その姿は真っ直ぐで鋭くて静かだった。一流のアスリート。まさにそれだった。
「これより高校女子100メートル決勝を始めます」
アナウンスが会場に響き渡る。第一レーン、第二レーン、第三レーンの選手が順々に紹介される。
「第四レーン。間宮葵。ーー高校」
間宮が片手を上げ周りに頭を下げる。俺を含め周りが拍手を送る。
「葵ちゃん。がんばれ!」
佐久間が両手をぎゅっと握り応援する。走者全員が紹介された。選手がスターティングブロックに足を乗せる。指を地面に付く。
会場が静寂に包まれる。先程までの騒々しさが嘘みたいに。自然と息を忘れてしまい、トラックを見つめる。極限まで張り詰めた空気。
「セット」
走者が腰を上げる。真空状態になったのではと一気に空間が膨張する。そして、その膨張し切った空気は、
パンッッ!
スタートを知らせる合図により破裂する。
会場が一気に喧騒に包まれる。各々が選手に声援を送る。
「葵ちゃん!」「葵!」
一条と佐久間も例に漏れず声の限りに応援する。トラックを見る。走者全員が僅差でせっている。追いつき、追いつかれ、追い越され。その中でも間宮は一位、二位を行ったり来たりしている。
「がんばれー!」
佐久間が声の限り応援する。するとその時、間宮が先般よりギアを上げてスピードが増した。一位の選手を思いっきり追い抜き一位を独走した。ゴールまではあと少し。そのまま突き進めば、
「え……」
その呟きは誰だっただろうか。一条か、佐久間か、俺か、もしかしたら間宮だったかもしれない。その瞬間世界の時間が止まった感じがした。まるで写真の一場面を眺めている感覚に陥った。しかし今は圧倒的現実であり、絶対的な事実だ。
俺が再び現実を認識した時、間宮はゴール目前で身体を投げ出していた。その表情には苦悶の文字しか浮かんでおらず、額に脂汗が浮かんでいるのが分かる。
「あ、葵ちゃん……!」
佐久間が焦燥が混じった声を出す。苦しんでいる間宮の横を他のライバル達がどんどん抜かしていく。足を攣ったのか? いや、違う。肉離れか。すると突然、間宮が己の脹脛を思いっきり殴り付けた。そして、ゴールをキッと見据える。
「……間宮さん」
そして、息を荒くしながら足の脹脛を庇いながら間宮がゆっくりと立つ。未だ、走る気だ。諦めていない。しかし、そんな中他の選手はどんどん抜かしていく。今更巻き返すのは不可能だ。足を引きずりながら走る。他の選手がゴールし始める。トラックに残っているのは間宮だけだ。でも彼女は走る。走り続ける。諦めない。まだ、負けないと言った様子だ。そんな必死で懸命で諦めない彼女を見た俺は
「行けぇぇ! 間宮さん!」
声を掛けずにはいられなかった。叫ばずにはいられなかった。だって彼女が諦めていないから未だ負けていないから。俺は声を振り絞らざるおえなかった。その後、試合の結果がどうなったかは言うまでも無い。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「どうだった?」
会場の出入り口から出てきた一条と佐久間に問いかける。二人は浮かない顔をする。
「肉離れだってよ。そこまで酷くは無いらしくて、数日安静にしとけば治るらしい」
「そっか」
俺は呟いて視線を中空に投げる。オレンジ色と黒色が鬩ぎ合う空模様。黄昏時だっけたしか? そう言えば今日の晩御飯は一体なんだろうか? 今日は何だかカレーが食べたいなぁ。
そんな場違いな事を考えてしまう。
「葵ちゃん……。落ち込んでた」
佐久間が悲しげな表情で言う。それはそうだろう。全国大会で肉離れなんて、神の悪戯を考えてしまうほどついていない。落ち込まない奴の方が異常だ。
「気にするなって言ったんだけどな……」
それは無理だろう。二人の様子を暫く眺める。見るからにうなだれており、心から今回の結果を悔しがっている。
「もうそろそろ帰ったほうが良いんじゃないか? 暗くなり始めてる」
腕時計、次に空を見て俺は呟く。
「え、そんな。私たち葵ちゃん待つよ!」
佐久間が帰るのを拒否する。友達を待つ。それは傍目から見れば素晴らしい事だと思うが、今回に関しちゃ少し悪手だ。
「やめといた方がいいだろ」
「何で?」
一条が問い掛ける。溜飲が下がらない様子だ。こいつも間宮を待つつもりだったのだろう。
「普通に考えてみろよ。間宮さんは多くの衆目に晒されて、そんな中で己の実力を発揮しきれなかったんだ。周りの嘲笑や後ろ指を受け取っちまうし、きっと羞恥心や劣等感を感じちまう」
「そ、そんな! 私そんな事しないよ!」
「でも、本人がそう思っちまったら意味ないだろ。俺らの意思は関係ないよ。だから今日は一旦は帰って、後日ゆっくり話せばいいだろ」
「で、でも……」
佐久間はまだ納得しきれてないみたいだ。一方一条は口元に手を当てて俺の話を聞いて熟考している。
「……分かった。そうしよう」
「慎二くん!」
佐久間が驚く続けて反論しようとするが、一条がそれを遮る。
「茜。田中の言う通りだ。今俺らが葵に対して何か言うのは返って逆効果だよ」
「え、あ……」
佐久間が釈然とせず声を溢す。そんな彼女に一条は優しく言う。
「大丈夫。明日は学校がある。その時葵とゆっくり話そう。な」
穏やかで安心する声音だ。こいつがモテる理由が少し分かったような気がする。暫くの沈黙の末、佐久間は静かに頷いた。
「悪いな、田中。なんか付き合わせちゃってさ」
「いいや、別に。暇だったからな」
視線をわざとずらして謝辞を受け流す。そんな真っ直ぐ感謝されたらどんな顔をすればいいか分からなくなってしまうから。
「サンキューな」
重ねて一条が感謝を告げる。
「ああ……。ほら、バスが来たぞ。乗れよ」
「あれ? 田中は帰らないのか?」
一条が至って当然の疑問を呈する。
「俺はちょっと会場に忘れ物しちまってさ。ちょっとそれ取ってくるわ。先に帰ってくれ」
俺は疑問を嘘で答える。一条と佐久間は俺の言葉を信じたようで別れの挨拶を告げると小走りでバスに近づき乗り込んだ。俺はバスが視界から消え失せるまでジッと待った。
バスが行ったのを確認すると俺は短く嘆息する。そして会場の壁にもたれ掛かりもう暫く待った。20分程だろうか。世界は完全に暗闇になり、夜の帳が下りている。自然の光はなくあるのは人工的な灯りだけ。もうそろそろ会場が閉門する時間じゃなかろうか。
すると、コツコツと不規則な足跡が聞こえる。足を引きずっている歩き方だ。その人物は次第に近づいてきて、俺に気づかず通り過ぎようとする。
「間宮さん」
その人、間宮はピタと歩みを止める。そしてゆっくりと振り返る。いつもだったら嫌悪感が混ざっている視線を向ける筈だが、今回はいつもと少し違う。興味が無く、なんの感慨も抱いていない目だ。
「アンタ、未だいたの」
「まぁね」
俺はそう呟き彼女の右足を見る。そこには包帯が巻かれており、恐らく湿布か何かの上から巻いているんだろう。
「一人で帰るのキツイでしょ。その足じゃ。荷物持つよ」
俺を数秒見つめた後彼女は前を見て、否定を表した。
「そっか、んじゃ帰ろっか」
俺はそう言って彼女の隣に立ち、歩き出した。彼女のペースに合わせて。バスは1時間に一本しか来ないらしい、待つのも面倒だから彼女は歩いて駅に行くと言った。俺は止めずに彼女に着いていく。
未だ足が痛むらしく、時折顔を顰める間宮。坂道で転けそうになったのをそれとなくフォローする。彼女は俺に話しかけない。俺も彼女に話しかけない。沈黙だ。足音だけが聞こえる。途中公園があった。俺はそこで休憩しようと言った。怪我をしたばかりなのに動かし続けるのは良く無いからだ。彼女は一瞬渋ったが、直ぐに同意した。やはりまだ痛むらしい。
街灯の冷たい光がポツンとある寂しい公園だった。彼女は近くにあったベンチに腰掛ける。右足をさする。俺はその様子を暫く眺める。向こう側に自販機があるのに気づいた俺はそこでお茶を2本買った。一つは俺の、もう一つは彼女のだ。俺は買ったお茶を彼女に渡す、彼女はそれをジッと見つめて、手に取った。珍しい。拒否するものと思っていた。
俺もベンチに腰掛ける。彼女と一定の距離を置いて。そう言えば明らかに2メートル以上近づいてるのに何も言われないな。もしかして、それは無しになったのか。それだったらこの上なく嬉しいな。でも、彼女は今足を怪我してるだけだからかもしれないな。
そんな事を心中で考えていると、彼女が呟いた。
「なんか……。言わないの? アンタ……」
「間宮さんはなんか言って欲しいの?」
意地悪な質問をしてしまった。
「別に」
間宮が即答する。だが付け足す。
「でも……。普通は言うでしょ。励ましたり」
励ます。俺がもし彼女の言う通り励ましたら彼女はどう思うだろうか? 気にしなくて良いよ、なんて言ったら彼女は何を感じるだろうか。俺だったらどう考えてしまうだろう。
「励まされても、煩わしいだけでしょ」
向こう側にある自販機を眺めながら言う。間宮は何も言わない。
「気にしなくて良いよ、なんて言われて気にしないわけがないし、頑張ったよって言われても、頑張ってない筈が無いと思う」
「結果が全てだから……」
彼女が応える。その言葉は赤の他人が言うのと重みが違いすぎた。
「そう、結果が全て。結果が出ない時他人は励ましてくれるけど、結果が出ないと自分を励ます事は出来ない」
「自分を……」
「頑張ったのは自分が知ってる。悔しい気持ちは自分の物。それを他人にどうこう言われるほど煩わしいモノは無いよ」
俺が偉そうに語っているコレもきっとそうだ。
「だから、言わないよ。言わないし言えないし言う資格は無い」
最後はそれとなく決めてみるが、間宮は何も言わない。その沈黙に居心地の悪さを感じてしまい。
「ま、言ってるんだけど」
空気を茶化す。しかし間宮は反応しない。ただ真っ直ぐ前を見据えている。これ以上何か言うのはやめておこう。手に持っていたお茶を喉に流す。安っぽい味だが妙に美味いと感じた。俺の嚥下音が虚しく響く。
「私……嫌な奴だ」
間宮が溢す。独り言だろうか? 俺は暫く様子を見てみる。
「私、茜と慎二に励まされた時、うるさいって思っちゃった」
その表情は暗がりのせいでよく見えない。
「本当に……嫌な奴だ」
間宮がまた繰り返す。独り言だろう。己を卑下する言葉は往々にして己に向ける言葉だから独り言だ。だから俺も独り言を溢す。
「そんなの関係無いよ。間宮さんがどう思っていようがそれが二人に聞こえることは無いんだから。間宮さんの感情は間宮さんだけのモノだからさ。人は思ったよりも人の感情を理解できていないよ」
それは俺もそうだし。間宮もだ。出来るのはいつだって理解したつもりだけ。それは他人に対して、そして自分に対しても。
「それでも自分を嫌な奴だって思うなら、明日謝ればいい。一条達のために謝るんじゃ無くて、自分の気持ちを区切るために謝るんだ。謝られて許すのは誰かじゃなくて、その人本人なんだから」
彼女が考えている事は否定しない。むしろ肯定する。でも口が過ぎたかな。隣に座る間宮を一瞥する。やはり表情は窺えない。
「さ、て、と」
勢いよく立ち上がる。もう良い時間だ。
「帰りますかな」
「田中」
間宮が俺の名を呼ぶ。少し驚いてしまう。彼女が俺の名を呼ぶのはいつぶりだろうか。ああ、告白した日以来か。
「ありがとうね」
立ち上がりながら感謝を告げる。ずっと窺えなかった彼女の表情が月光により判然とする。穏やかに微笑んでいた。月光で照らされているせいか分からないが、彼女の微笑はゾッとするほど魅力的でドキッとするほど魅惑的でハッとするほど魅了的だった。息を呑んでしまう。
「ありがとうね」
もう一度感謝を述べた。俺はやっとこさ己の声帯を震わせようと努める。
「ありがとうが一つ多いよ。俺には一個で十分」
感謝とは大切に使わなくてはいけない。感謝を重ねれば重ねるほど感謝の質量は軽くなってしまうから。
「ううん、大丈夫。二つで合ってる」
しかし、彼女は俺の忠告を優しく否定する。今まで彼女が俺に向けていた冷たく鋭く固い雰囲気はいつの間にか胡散霧散していた。
「一つはさっきの……。それでもう一つは試合中掛けてくれた言葉」
「言葉?」
「行けって、言ったでしょ。あれ助かった」
言った。確かに言った。聴こえてないと思ってたがしっかりと彼女には聴こえていのか。良かった、嬉しい。そんな暖かい感情が浮かび上がる。間宮は先程とは違う笑顔を浮かべる。快活で爽やかな笑顔だ。
「三つ目は言わないよ」
「二つで十分。大豊作ですよ」
彼女が笑う。俺も笑う。大豊作だ。彼女の笑顔を見れたんだから。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
後日、学校、昼休み。いつも通りの場所。階段に腰掛け彼女を待つ。
漠然と考える。彼女とのこの日々の終わりを考える。もう良いだろう。いや、まだだ。まだ大事な事をやる必要がある。人の気配を感じた。
「こんちは。間宮さん」
「うん」
今日も来てくれた彼女。最初は嫌で嫌で仕方がない様子だったのに、今では普通の友達程度の関係性にはなれただろうか。そう思いたい。
「どうだった。二人は」
「大丈夫だよって、私が葵ちゃんを嫌いなるわけないよって、慎二も気にしないって言ってくれた」
予想通りだ。あの二人は優しい。煩わしさを待たれた程度で誰かを嫌うはずがない。
「そっか」
「そう」
間宮はいつもの場所に座る。俺が1番上で彼女が一番下。いつも通りの距離感。遠いけど、これ以上遠くならないという安心感を抱かせてくれる距離感。
彼女の顔は見えず後姿だけ、彼女も俺の姿が見えない。これが俺と彼女の関わり方。
「ねぇ、来週の日曜日って暇?」
「はい?」
急になんだ? 続けて間宮が問い掛ける。
「ねぇ、田中って。私の事好きなんだよね?」
「はい?」
ん? ん? 何だ? 急に何だ?
「どうなの?」
間宮が少し強く聞く。
「あ、はい。来週の日曜日は暇で、間宮さんの事が好きです」
「なっ!」
間宮が突然甲高い声を上げる。聞いた事もない声だ。彼女が暫し沈黙する。沈黙してる間彼女の身体がぷるぷる震えていたのは勘違いだろうか。間宮が長く息を吐く。そして決心でもするかのようにバッと立ち上がった。後姿で仁王立ちする彼女は闘気みたいなオーラが漂っていた。
「田中!」
彼女が振り返る。拳をギュッと握りしめて、鼻息が荒く。そして、いつもは眩しいほど白い肌を真っ赤に染めて、
「デート! するわよ!」
と言い放った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
待ち合わせ場所で俺は腕時計を眺めながら待つ。
デート。その文言を聞くだけで浮き足立ち、勘違いしてしまいそうになる。しかし、彼女からデートのお誘いを受けた後、理由を聞いてみると、どうやらこれは罪滅ぼしだったらしい。
彼女曰く、今までつっけんどんな態度をしたのは少し反省する行いだと感じたそうだ。今後の対応も変える必要があると思った。しかし、それでいきなり仲良く話しかけたりするのは自分の勝手が過ぎるから、まず俺に対する反省の意を込めた何かをしてあげたいとのこと。
それが今回のデートらしい。勿論、女の子のデートを喜ばない奴はいないが、それを罪滅ぼしとするのはなんだか味気ないような気がする。
兎にも角にも、デートというのは事実なんだから今日は心から楽しんでみよう。
「お、お待たせ……」
来た。ふぅ、昨日のうちにラブコメラノベを読み漁っといて良かったぜ。女の子にお待たせと問われたら、ううん、待ってないよ、と言うのが鉄則らしいからな。ここはクールに、
「ううん、待って……た」
思わず肯定を示してしまった。でもそんな事一切気にならなかった。何故なら俺の目の前にいる女性が、俺を呼びかけてくれた彼女が余りにも美しかったから。
「な、何? そんなジッと見て」
気まずそうに間宮が視線を逸らす。対して俺は視線を釘付けにされる。その一挙手一投足が全て計算され尽くしているような魅力があったからだ。
服装は至ってシンプルだった。真っ白いワンピースに麦わら帽子と言う。初夏であるこの時期には最適な格好だ。でもそのシンプルさが彼女が元来持っている魅力を顕著にしている。まるで一枚の絵画を眺めているような錯覚にさえ陥ってしまう。
「その、変、だった? やっぱりこういう可愛いやつは似合わないでしょ」
彼女が服を摘んで自虐的に笑う。
「まさか、スッゲェ可愛い」
「……っ!」
俺の率直な感想に彼女は顔を真っ赤にする。俺に羞恥心は無い。逆にこの場で自分が思った気持ちを告げない方が嫌だ。彼女はどんな反応をすれば良いのか分からない様子で視線を泳がせる。視線をドルフィンキックされ俺をキッと睨む。
「う、うるさい! もう! 行くよ」
そう言って、踵を返した。俺は謝罪しながら彼女の後をついていく。こうして俺と間宮のデートがスタートした。
と、ここで俺と彼女のキャっキャっウフフなデートの詳細を事細やかに記してもいいんだが、実際そんな事は誰も興味がないだろう。実際そこまで初々しく瑞々しいデートは送っていない。一緒に飯を食べて、ゲーセンに寄って、本屋に寄って、という色恋を何も予感させないモノだった。少し違う点と言えば彼女が何度か赤面したぐらいだ。理由を聞いても、うるさい、の一言で一蹴されてしまったが。
というわけで俺と彼女のデートももうクライマックスだ。夕方で空はオレンジ色に染まっている。普段は感じない心地よい疲労感を覚えながらベンチに腰掛ける。
「はい」
自販機で買ったお茶を彼女が手渡してくる。それに感謝を告げてありがたく頂戴する。俺が買ってくると言ったのだが、間宮は食い下がらず自分で自販機に向かった。
「いくらだった?」
「いいよ。この前、田中が買ってくれたんだから、おあいこよ」
「でも」
「いいって、言ってるでしょ」
これ以上はやめとこう。俺はプルタブを開けて中身の液体を喉に注ぐ。うん、美味い。
「ありがとう。今日は付き合ってくれて」
間宮が真っ直ぐ前を見据えて言う。
「こっちの方がありがとうだよ。デートに誘ってくれるなんてさ。好きな人とデートなんて感謝以外の何物でもないね」
「それ、もういいよ」
「へ……」
変な声が出てしまった。彼女が一体何を言っているのかよく分からなかったからだ。しかし、彼女は俺の方を見ずにずっと前を眺める。
「もういいよ。ありがとう」
「え、あの、間宮さん? 何の話すか?」
ここでやっと間宮が俺の方を向いた。穏やかな微笑。彼女は良くこの笑顔を俺に見せてくれるようになった。なんだか彼女が俺を認めてくれた感覚がして、その笑顔を見るといつま心が温まる。
「私の事が好きなんて嘘つかなくていいよ」
「………何を、嘘だなんて」
「田中は私の事を思ってそんな事言ったんだよね」
「そう! 俺は君のことを想って!」
「私が、慎二と茜を嫌いになっちゃはない為に」
「……!」
声が出ない、息も詰まる。俺の表情は今驚愕の一文字がデカデカと書かれているだろう。極めて穏やかな彼女とは対照的だ。
「あの日私の告白を聞いてたんでしょ。それで私が振られたと同時に告白してきた」
「最初は、何、こいつって思った。私が失恋した瞬間告白するなんて非常識甚だしいって思ってすぐ嫌いになった」
「次会った時なんか、私を脅迫してさ。コイツなんかに二人の幸せを壊されてたまるかって思って嫌いになった。それで条件として一緒に昼ご飯を食べようなんて、訳が分からなくて、また嫌いになった」
「しつこく話しかけてくるし、冗談は笑えないから嫌いになった」
「私の足をたまにいやらしい目で見てくるから嫌いになった。私に近づいてこようとしたから嫌いになった」
「嫌いで、嫌いで、すんごく嫌いになった」
「でも、私が陸上部の大会に出るのを凄いって言ってくれたのは嫌いじゃなかった。私が好きな本を読んでくれたのは嫌いじゃなかった。私の心に踏み込みすぎない態度は嫌いじゃなかった。大会で声を上げてくれたのは嫌いじゃなかった。私の事を思って自分の考えを言ってくれたのは嫌いじゃなかった」
「それでいつのまにか嫌いが嫌いじゃなくなった」
間宮が一拍置く。言う事を考えているのか、言うのを憚っているのか分からないが一瞬黙る。しかしそれは本当に一瞬だった。
「……思ったんだ」
「何を」
彼女の声を聞くのに精一杯だったが、やっとこさやっとこさ声を絞り出す。
「田中は良い奴だって」
「もし私が今まで通り慎二と茜のそばに居たら私二人のこと嫌いになってたかも。ううん、なってた。でも、田中はそれを止めてくれたんだよね。私の嫌いを自分に向けてさ」
分かってた。彼女は気付いていたんだ。
「でも、もう大丈夫。私の嫌いにならなくていいよ」
その言葉には何が込められているんだろう。希望だろうか、将又諦観だろうか。
「一条の事は好きじゃなくなった?」
我ながら嫌な質問だ。分かり切っている質問をするほど相手に対する侮辱はない。間宮が俯きながら呟く、呟きながら俯く。
「ううん、好きだよ。何年もの間好きだったもん。そんなすぐには吹っ切れない。でも、もう意味無いから」
「どうして?」
「もう慎二は茜と付き合ってさ。私が戦う術は無い。私が戦う理由は無い。私は……負けたから」
彼女は諦めたんだ。負けたから諦めたんだ。諦めたから負けたんだ。ゴールテープを切る前にゴールの前で立ち止まってしまったんだ。
「違う……」
フラッシュバックする。諦めない彼女がどうしてもフラッシュバックする。だって君は、
「まだ負けてない」
「何言ってるの? 負けたよ」
負ける。その文言が重く圧し掛かる。本人が負けを認めたんだ。ならば、そのはずなのに、直感的に違うと思ってしまう。
「君はまだ負けてないだろ」
なんて身勝手な思い込みだ。俺が彼女の気持ちを理解しているはずないんだ。それはただの思い込みでなんの根拠も無い。他人に自分の感情を決めつけられるほど嫌なモノはないと、あの日彼女に言ったはずなのに。俺は自分の考えを彼女に言う。否、こんなの自分の考えですらない。醜く、身勝手で、無遠慮な願望だ。
「だから、慎二と茜はもう付き合って」
そうだ。あの二人は付き合っているじゃないか。間宮が入り込む隙は無いはずだ。理性が理路整然と一般論をぶつけてくる。なら、一条と佐久間の気持ちなんか考えずに自分の想いを貫き通せと言うのか、そんな嫌われるような事をしろとお前は言うのか? 知性が批判する。正しい。言い返す術が無い。それでも、そう思っていたとしても!
「君が負けを認めてないじゃないか!」
吐き出してしまう。彼女の感情なんて彼女の気持ちなんて全て度返しで自分のエゴをぶつける。
「……」
彼女は何も言わない。しかし、俺は言う。
「君は大会の時、周りの選手が抜かしている中、勝つなんて絶望的だったのにまだ走ろうとしたじゃないか!」
「………」
彼女は何も言わない。しかし、俺は言う。
「どうして! 今回は諦めるような事を、負けを認めるような事を言ってるんだ!」
「……だって、そうでしょ。二人は付き合ってる。こんなはっきりとした勝敗はないじゃない」
絞り出すように彼女が言う。声が震えている。
「なら、どうして……。君はあの日、自分の思いを伝えた時、一条の答えを聞こうとしなかったんだ! どうして、答えを聞く前に佐久間のところへ向かわせたんだ! それは君が負けたくないとそう思ってる証拠だろ! まだ負けてないって思ってる証拠だろ! 君は自分の想いをそんな簡単に蔑ろにしてしまうのか!」
「……決まり切った未来があるのに、突き進めって言うの」
「現在によって未来を変える事はあっても、未来によって現在を変えちゃあダメなんだよ。例えどんな結末を辿ろうが」
「振られるよ、きっと私は」
「それだとしても君はゴールテープの前から逃げてしまうのか?」
「私は……怖いよ」
「君は怖いからあの日、一条の言葉を遮ったのか? 違うだろ。負けたくないから負けてないと思ってるから君は応えを聞こうとしなかったんだろ」
「負けを認めろって事?」
「違う。負けるなって言ってるんだ」
俺はそこで大きく息を吸い込む。そして、
「間宮さんはまだ負けヒロインなんかじゃ無い!」
堂々と言い放った。
あたりは既に暗くなっている。周りには誰も居ない。静かだ。聞こえるのは俺の荒々しい息遣いだけ。こめかみに汗が垂れる。
「………」
間宮は俯いている。彼女がどんな表情をしているか分からない。どれほど時間が経っただろう。無限の刹那かしれないし、永遠の悠久かもしれない。突然彼女がベンチから立ち上がった。彼女が俺を見据える。その瞳は溢れそうなほどの涙が煌めいている。しかし、それを覆すほど彼女の瞳は力強く、何か決心したんだと分かる。そして、はっきりとした口調で、
「責任取ってよ」
言った。決めたんだ。彼女は決めたんだ。自分の想いを告げるのを諦める事を諦めたんだ。ならば俺が答える言葉は一つしかないだろう。
「任せろ」
間宮がふっと笑う。俺も笑う。一頻り笑った後彼女が歩み始めた。俺はその後姿を静かに眺める。そして、彼女の姿が闇夜に溶解した。俺はベンチに腰掛けて、ただ彼女を待った。
時間にしてみれば1時間もなかったはずだ。体感ではもっと短く感じたぐらいだし、そこまで長くはなかったはずだ。俺は天を仰ぎながら夜空に瞬く星を見ていた。この時期はどんな星座が見えるのか分からず、俺は上手く星々を結びつけられなかった。ただ見ているだけ。
「振られたよ」
横から声を掛けられる。ゆっくり首を元の位置に戻す。横にいた彼女に目を向ける。帰ってきた。振られた。その言葉を聞くだけで世の青年少女は悲しみに涙を浮かべてしまうはずだが、言った本人である彼女は何処か吹っ切れたみたいな憑き物が落ちたみたいな爽やかさを携えていた。
「そっか……」
何も言わないし、何も言えない。彼女が持っている感情は彼女だけのモノだ。それに対して感想なんて言うべきじゃない。だから、言わない。
空を見上げる。星が瞬く。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
いつもの場所。薄暗い階段。以前までならこんな味気ない場所にも彩りを加えてくれる美少女が毎日訪れてくれたが、これからはもうないだろう。
彼女に俺の真意がバレた。俺と彼女の条件にはなんの力も存在しなくなった。彼女はもう大丈夫だろう。彼女は自身の事を嫌な奴と言っていた。自分が一条と佐久間を嫌いになってしまうと。でも、本当はそんなわけ無かったのかもしれない。
自分の事を嫌な奴と言う人が嫌な奴であるわけが無い、という直感的な推理だ。でもこれは合っているだろう。彼女は俺の事を良い奴と言ったが、他者をそんな素直に評価するなんてそうそう出来る事じゃない。だから、彼女は嫌な奴なんかじゃなくて良い奴だ。
きっと、あの二人のことも素直に祝福出来たはずだ。
と言う事は俺が今回色々やったのは無駄という事になるのか。そう考えてしまうと中々悲しくも感じるが、あんな美少女と昼休みを過ごし、ましてデートも出来たんだ。高校生活の全てを包括するほどの青春を送らせてもらったと考えよう。
「ふぅ」
誰も居ない。誰も来ない。彼女との日々が慣れてしまった分寂しさを感じてしまうが、まぁすぐに慣れるだろう。久しぶりに平澤でも誘うかな。なんて事をうだうだ考えながら俺は傍に置いてある弁当箱を開封する。
「ちょっと、何んで先に食べようとしてるのよ」
「は……」
何で? どうして? 疑問形しか頭の中に浮かび上がらない。
「え、何で」
「何よ。私が来ておかしいの」
彼女が訝しげに俺を睨む。いつもの彼女だ。いつも通りの彼女だ。でも、そのいつもがもう既にいつもでは無いはずなんだ。
「あの、間宮さん。俺らもう一緒に昼飯食う必要無いんだよ」
「はぁ、何でよ」
「いや、何でって。そもそも条件が破綻したと言うか、もう存在する必要がないっていうか」
俺の要領の得ない言葉に間宮はため息を深く吐いて一蹴する。そして、腰に手を当てこちらを仕方なくといった様子で見る。
「田中さぁ、忘れてるの?」
「え、忘れてるって」
頭の中に検索を掛けるが全くもってヒットしない。その様子を見て又しても彼女がため息を吐く。
「はぁ、私言ったでしょ。責任取ってって」
「あ」
確かに言ってた。そして俺はそれに対して任せろと言ったのだ。てっきりそれは物を買ってあげたり、何か奉仕する類のモノだと勝手に思っていたのだが、もしかして
「これからも昼飯を食う事が責任を取る事? もしかして?」
「そうに決まってるでしょ。こんな長い間一緒に昼ご飯を食べてるんだから。いまさらさようならなんてあり得ないわよ。責任取ってこれからも一緒にご飯を食べなさい」
そう言って彼女は階段の一番下に腰を下ろした。いつもの場所だ。俺が一番上で彼女が一番下。俺からは彼女の後姿しか見えない。
彼女からは俺の声しか聞こえない。遠い距離感。でも安心する距離感。
これ以上離れる事は無いだろうと思わせてくれる距離感。
まだもう少しだけこの距離感を保てる。そう思うと心が温かくなった気がした。