表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

黄昏にチャイムを鳴らして

作者: 三木詩絵

目の前に座るご婦人は落ち着かない様子だった。髪は短く丁寧にセットされ、着ている服も仕草も上品である。手にブランド物のハンカチを握りしめ、宝石のついた指輪と重ね付けされた結婚指輪は、彼女が手を振るたびにキラリと光った。


「相談できる人がいなくて困っていたんです。気味の悪いお話で、どなたに相談したものかと。話が変な噂になって伝わったらいけませんし。でも、人の口に戸は立てられないって言うでしょう?」

私は彼女の話を聞きながら、湯を沸かし、ティーポットに紅茶の用意をする。


「息子が、長男の方ですが、玄関に黒っぽい人が立っているって言うんです。新しい家に引っ越してきた時からずっと見えていたとか。この家に越してきて、もう半年になります。今でもまだ、時々見えているそうです。もちろん、他の家族には見えません。」

彼女は堰を切ったように、話し続ける。


「幽霊が怖いとか、除霊のお願いにきたんではありません。確かに気持ち悪いですが。家は買ったばかりですし、私は大人ですからね。私たちは何も感じませんし何の問題もありません。でも。」

彼女は目で私を追いながら、背筋を伸ばして椅子に浅く掛けなおす。

私は、彼女の前にティーカップを置き、紅茶を勧めた。


「お兄ちゃんの方は、見えると言っても淡々としています。ですが、見えない次男が面白がってふざけて回って。「今はいるの、いないの?」なんてしつこく聞くものですから。それで、あの。お兄ちゃんは…あの子は、頭がおかしいんでしょうか?」

「どうぞ、冷めないうちに召し上がってください。」

私はミルクの入ったピッチャーをカップの隣にコトリと置いて、彼女の話をさえぎった。

彼女は促されてようやくカップに手を添え、紅茶に砂糖とミルクを加える。ティーカップの内側に描かれた花柄は、ミルクで白濁して見えなくなった。


椅子に深く腰をあずけてから、私は彼女に軽くアドバイスをした。

「息子さんは、別におかしくないですよ?子供なんてそんなものです。それに、幽霊はいてもいなくても、そんなことどうでもいいんです。」

そう言いながら、(こんな時、葉巻の一本でも取り出して、煙を燻らせたらさぞカッコよかろう。)

などと、一瞬バカなこと考える。タバコなんて吸ったことないし、気管支も弱いんだけれど。


「お兄ちゃんはそっとしておき、しばらく様子を見られてはいかがですか?家族では、その話題になるべく触れないようにして。玄関も、意識してやたらに見ないで。無視されればいい。」

彼女はじっと、私を見つめる。まだ、何か納得してない目だ。


「小さい子の脳は成長を続けていて、まだ未熟なところがあります。それだけのことです。

ご自身が小さい頃、学校や友達の間でオカルトや都市伝説が流行ったりしませんでしたか?恥ずかしながら、私だって友達と一緒にこっくりさんにハマったものです。3人で抑えたコインが動いて、文字を指巣のでびっくりしました。今でも仕組みはわからないけれど、あれは面白かったですね。

まあ、もちろん褒めれた遊びじゃありません。親の立場としては当然、辞めさせます。だから、息子さんも似たようなものでしょう。

今はあれ、(エンジェルさん)ていう名前で呼ばれているのかな?」


私は、ご婦人に淹れた紅茶のポットから、自分の飲む分をカップに注いだ。

ティーカップから湯気が昇り、日に照らされてキラキラと舞っている。

私たちはしばし黙り込んだ。時計の針は、カチコチと時を刻む。


リンゴーン、リンゴーン。時計のベルが時報を告げた。

一つ二つ三つ……八つ九つ…。

私は見上げると、その時計を確認した。

「7時32分」

それは、時計の針が示した時刻だった。


目の前に視線を戻すと、ご婦人は消えていない。1客だけのティーカップがそこにある。

カップは今しがた、自分が飲むために用意したものだ。

部屋を見渡せば、あたりはすでに暗い。紅茶はすっかり冷めて水面にホコリが浮いている。

私はティーカップのフチをいったん口につけたが、思い止まって飲むのをやめた。

湯を再び沸かす。

ペアのティーカップは、だいぶ前に一つ割った。

だから、家にカップは1客しかないはずだ。自分が一つ使っているから、ご婦人のカップはもともと存在しない。

家には、婦人が手にしたミルクのピッチャーもない。紅茶はストレートで飲む派だ。

新しい紅茶をカップに淹れて、今度こそ温かいうちに一口飲む。

それから思い直して、慣れない手つきで砂糖を2杯スプーンで加えた。

「頭に、ちょっとばかりの栄養が必要みたいだ。」



子供の頃の神秘体験なんてよくあること。別に珍しいことじゃない。

成長過程の未熟な脳は、時々そんなエラーを起こす。


いつの季節だったか。当時私はまだ、学生だった。

下校時刻をとうに過ぎた頃に、学校のチャイムが鳴ったんだ。それは、はじめと終わりを告げる、毎日聞き慣れたチャイムの音。

「変な時刻に鳴らすな」と、そう思いながら教室を見回した。教室には私1人しかいない。

きっと部活動か何かの終わりを知らせるために、今日だけ特別に鳴らしたんだろう。今日は、何かの行事でもあるのだろうか?

私は椅子に座ったまま耳をすます。廊下、校庭、体育館。

人の声はどこにもしない。生徒は私以外、みんな見あたらない。

 

チャイムがひと通り鳴ってから、奇妙なことが起きた。

鳴り終わったはずのチャイム音が、また最初から鳴り始めたのだ。こんなことは一度も経験したことがない。チャイムは一度鳴らせば充分なのに。


チャイムは続けざま、3回目が始まった。

へんなの。

私は思わず笑い出す。3回も鳴らすなんて、何の冗談だろう。

誰か教室に戻ってこないかな?ひとりでこの音聞いて、笑っていたってつまらない。


私はクラスメイトが、ゾロゾロと教室に戻ってくることを期待した。

(「今日は〇〇があったんだよ。」

「ああ疲れた。」

「だけど、もうおしまい。さあ、みんな帰ろう」

「今日のチャイムは、続けて鳴ってとっても変だよね。」)

そんな会話を、誰かとしたかった。

けれど、みんなもう帰ったらしい。荷物を取りに戻ってくる生徒はいないし、自分の以外は、机に掛かっている鞄はない。

チャイムはついに、4回目がなった。

(ひょっとして、私に向けて鳴らしているの?早く帰れってこと?

まさかね。)


私は立ち上がって机に掛けてある鞄を掴み、家に帰ることにする。

チャイムは繰り返し繰り返し、まだ、なっている。

一体どうなっているの?どうして、誰も音を止めにいかないの?

きっと、チャイムは故障している。あるいは、誰かがチャイムを鳴らすボタンの上に物を置きっぱなしにしている。

下駄箱に向かう間も、やはり音は鳴り止まなかった。

帰る前に、だれかにこの話をしたい。

私は、踵を返して人の居そうなところに寄ることにした。誰かが必ずいるとしたら、職員室かな?私は階段を登って職員室に向かう。

しかし、誰にも会わなかった。


放送係は生徒にとって花形のお仕事。これって、どこの学校でもそうかしら?

少なくともウチの学校に限っては、私にとってかなり敷居が高い。

放送室は職員室の廊下を曲がってすぐの場所。いつもはドアの前を通り過ぎるだけなんだけど、今日ドアの前に立ち止まるくらいはいいよね?

私は、放送室の様子を見に行くことにした。


夕陽は窓から横に差し込み、廊下を照らしていた。

私は、できるだけゆっくりと廊下を歩く。チャイムを止めるための、時間の猶予があるように。でも、放送室はすぐそこなのに、チャイムは鳴り止まない。


気味の悪い雰囲気だったかって?

そんなことはない。ただ、ひどくひんやりとしていた。

この分厚い防音扉の向こうは放送室。いつもは、扉は固く閉じて鍵がかかっていて、鍵は厳重に管理されているらしい。噂では、放送機器はすごく高級なものだと聞く。

はたして、防音扉の密閉ハンドルは半ロック状態で、扉は少し引っかかって開いていた。チャイム音は、なり続けている。

私はハンドルに手をかけた。


ハンドルは手の重みで少し動いて、扉の重みでガチャリと閉じた。

その瞬間に、鳴り続いていたチャイムはピタリと止んだ。

「しまった!」

扉の向こうに、びっくりした反応が聞こえた気がした。

何だろう、この気まずい雰囲気は。

扉を遠慮がちにノックする。もう一度強く手の甲で叩く。

誰も返事をしてくれなかった。


今の私だったら、きっと放送室の扉を開けていただろう。

だって見てみたいじゃない。噂でしか知らない、その部屋の中を。

「ねえ、中で何をしていたの?」って、聞きたいじゃない。

でもまあ、いいか。とにかく、あの鳴り続けていたチャイムは止んだんだし。


あまりに奇妙だったので、廊下の角を回った職員室に目をやったが、やはり人影はない。それからもう一度放送室の前に引き返して、中の人をつかまえようとした。

が、まるでオートロックがかかったようにハンドルが回らず、扉はガッチリと閉まって動かなかった。


それから、ひとり家に帰った。かぎっ子で親の帰りは遅く、帰る頃には食欲に頭が支配されていた。親に話す機会を失って、結局その日はチャイムの話を誰にもしなかった。

次の日、クラスメイトに同じ体験をした人がいないか確かめようとしたけど、うまくいかなかった。

「誰がチャイムを鳴らし続けたか知らない?」

でも、クラスでは誰も相手にしてくれない。だって、わけがわからない話だしね。

「変なの。」

「変だよね?」私もそう思う。


あれから、誰かが「自分がうっかり鳴らしたんだ。」と説明してくれないか待つともなく待っている。もう本当に、ずいぶん長い月日を待ったけど、名乗りを上げる人物は現れそうにない。

結局、放送室の中を見ることは叶っていない。どうしてあの時私は、ハンドルを握った手を離さずに、そのまま扉を開けて中を確かめなかったのか。

何となく「見てはいけなかった」のかな。きっと音を鳴らした主はこんな風に考えていたんじゃないかな、と想像している。

「しまったノリノリで、悦に入っていたところだったのに見つかちゃったよ。でもあれ、何でチャイムを鳴らしてるのがわかっちゃったの?」ってね。


君が望むなら、私はチャイムのこと、黙っているよ。

だから、あなたのために、このことは誰にも話さないでいた。

でも、もう時効だよね。そろそろ、構わないでしょう?

だから、書き記す

あなたはそちら、私はこちらの人間

私は人間、だから私はこっちの世界で楽しむわ。

もしまた同じ機会があったとしたら、私は何も聞かなかったふりをする。そうして席をさりげなく移動して、近くでこっそりの耳をすますつもり。あなたが遊んで出す音を、一緒にきく。それくらいいいでしょう?

だからあなたもどうぞ思い切り楽しんで。聞かせて頂戴、この素晴らしい世界に響く音を。



紅茶を飲み干して、カップの縁の花柄を見つめた。

ふと、今日の分の薬をまだ飲んでいなかったことに思い至る。私は錠剤を取り出して、グラスの水でそれを流し込んだ。


目の前でご婦人は、美味しそうにミルクティーを飲み干した。

彼女は微笑みながら言う。

「あなたのおっしゃるとおりですね。息子のことは、そっとしてしばらく様子を見ます。きっと奇妙な現象も、大人になったらじきに治るでしょう。見えないものより、悪意ある人間の方がよほど害をなすってものです。」

私は作り笑いを浮かべる。すべては、ご婦人を安心させるために。

部屋は、暖かな光に包まれた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 読んでみて状況の表現の仕方が良かったのと時間が迫る緊迫感がありました。 [気になる点] 結末の最後の一文にもっと上手く終わらせられたのではないかと思いました。 [一言] 僕も複数をひとつに…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ