第9話:白いシルエット
松本は、真っ白に塗り直されたキャンバスを見つめていた。
前に描いた市川をモデルにした絵を、白で塗りつぶした後のキャンバスで、何を描こうか、悩んでいた。
元々、気ままに描いていただので、これと言ったものは、決めていない。
その時に、思いついた時に、描いていた。
「一体、何を描きたいんだろう。」
松本は、部室の机の引き出しと自分のかばんから、大量の紙の束を取り出し、机の上の置いた。
その紙を、一枚一枚、手に取りながら見た。
登下校中にスケッチした植物
写真を撮って起こしたイラスト
ネットで画像検索したものから適当に描いたスケッチ
松本は、一枚一枚見ながら、どんどん手から離し、次のスケッチを手にとっていった。
次第に、スケッチの紙は、床中に広がっていった。
まとまりがなく、何十枚もの紙が、部室の床に散らばっていった。
全てのスケッチが、床に散らばった。
松本は椅子から、散らばったスケッチを見下ろした。
一つ一つは、何かを描いた線だったが、それらが複雑に絡み合い、黒い渦のように見えた。
松本は、「スケッチの渦」をジッと見つめた。
風景スケッチや、植物スケッチや、アイドルの画像のスケッチなどが、松本の目の前に迫ってるようにせり上がってきたように、感じられた。
「俺は、何で、絵を描いてるんだろう。」
それは、幼稚園の時の記憶からか。
それは、誰かに喜んでもらった感情だったからか。
それは、母親の影響だったか。
それは、ただ自分が描きたかっただけだったからか。
いろんな思いを巡らせている時に、ふと、市川の事が思い浮かんだ。
『私は、市の大会で優勝して、当たり前なんだって。』
市川の思いつめた横顔が浮かんできた。
『やっぱ、来ちゃまずかったかな。』
市川の沈んだ後ろ姿が浮かんできた。
松本は頭を何回も横に振った。
絵を描いてるのは、自分の意志だ。
誰にも指図されてるわけじゃない。
第一、親や親戚に、絵を描くことを決められてるわけじゃない。
松本は、自分は市川とは違うんだ、と思った。
市川は、親からの教育で水泳をしてる。
でも、自分は、絵を、美術を、楽しいと思って、やり始めたはずだ。
松本にとって、表現方法は何でも良かった。
紙と鉛筆がふんだんにあったから、絵を描いた。
母親が色鉛筆を買ってくれたから、絵を描いた。
学校で水絵の具があったから、絵を描いた。
そして、部活で油絵が出来るから、絵を描いた。
絵を描くための準備として、スケッチやイラストや写真を、出来る範囲でしてた。
特別な物は、一切、買ってない。
自分が絵を描くために、いろんな事を覚えていった。
その準備も、松本にとっては、楽しいことだった。
いろんなパーツをより集めて、最後は、油絵に落とし込む。
多分、油絵を描くことは、学生時代しかしないだろう。
おとなになったら、違うことで絵を描くかもしれないし、違う美術をするかもしれない。
松本は、今しかできない事を、今してるのだ、と思った。
目の前に真っ白に塗りつぶされたキャンバスがある。
いつでもリセットできる。
なんなら、油絵の具を削り落として、まっさらな布地から戻れる。
迷ってたっていい、とりあえず、今は油絵を描ける特権があるから、それを行使しよう。
松本は、窓から見える青空を見上げた。
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松本は、廊下で呼び止められた。
写真部のクラスメイトだった。
「なあ、松本、市のコンテスト、出すのか?」
二人は、移動教室の移動中だった。
「別に、出さないと思うよ。」
クラスメイトはびっくりしたように、松本を見つめた。
「え~!もったいない!」
「そんなことは、ねえよ。」
松本は表情を変えずに、クラスメイトに返した。
「だって、松本、絵上手いじゃん!部室にあった途中の絵見たけど、すっげえいいじゃん!」
「って、お前、アレみたのかよ!!」
松本は苦笑いした。
「だってさ、俺らの写真じゃ、あの質感出せねえわけよ。でも、そっちは出せるだろ?」
「むしろ、俺らの絵には、あの描き込みは出来ねえよ。」
「いや、だってさ、俺らの写真ってのはな、”引き算の芸術”なわけよ。ファインダーの中から、どんだけ、邪魔なもんをなくしていくか。一方、そっちの絵は、”足し算の芸術”だろ?気に食わなければ、描かなけりゃいいわけじゃん。」
「でも、描かなくて後悔するって、ざらにあるぞ。」
「こっちだって、引き忘れがたくさんあるよ。」
クラスメイトは大声で笑った。
「まあ、俺らは、フォトショでなんとでもなるけどな。」
「油絵はフォトショ使えないからな。」
「でも、最後の最後まで、一枚の絵に向き合えれる。そうじゃね?」
クラスメイトは、松本に顔を向けて、人差し指を向けた。
「写真は違うのか?」
「写真も向き合えれる。けど、絵ほどの”深度”は稼げない。」
「深度?」
「そのものの、深み。奥行き、厚さ。そして、艶。」
クラスメイトは、天井を仰ぎながら両腕を広げた。
「じゃあ、お前が描けばいいんじゃね?」
松本は、呆れ顔でクラスメイトをちらっと見た。
「いや、俺の右手が、あのカメラを愛してる!愛する二人を引き裂けれない!!」
「何言ってんだ?お前。」
松本は、クラスメイトに苦笑いをした。
「いや、だからさ、俺は、”写真を撮る行為”ってのが好きなわけ。わかる?」
「わからん。」
「たとえばさ、写真は一回撮りに行って、何千枚でも撮れるじゃん、でも、絵って一枚しか描けないじゃん。そこ。」
「ああ~、なるほどね。理解した。」
「ほんとか??」
クラスメイトは、松本の肩を叩いた。
「要はあれだろ?お前は、その場に行って、沢山写真を考えて撮って、そしてその中から選び出して、イメージに合わせて加工したい。」
「そう!そのとおり!」
「で、俺は、一枚のキャンバスに、いろんなモチーフから、絞り込んで描いていく。スタート地点も違えば、ゴールも違う。」
「わかってるじゃん!!」
「でもさ・・・俺、コンテストに絵を出す予定ないから。」
松本の最後の言葉に、クラスメイトは膝から崩れ落ちた。
「ええ・・・そんなぁ・・・・」
「いや、最初から出さないって言ってるじゃん。」
「いや、そこまで話ししたら、普通、”やっぱり、俺、出すよ!”って流れになるんじゃね?」
「お前、漫画かラノベの見すぎだし。」
「いや、むしろ、今が漫画かラノベじゃねえの?」
「いや、わけわなんねえし。」
「わかってよぉ!!松本くぅん!!」
「なんか、今日、無駄にテンション高くね?」
「あれ?わかる?」
「ああ、お前、基本、浮き沈み激しいからな。」
「そんなこともないと思うが。そうなの?」
「気づかなかったか?」
「みんなは、俺の事を、明るい人、楽しい人って言ってくれるよ。」
「それもまた真なり、だろうね。」
「ちょっと、松本、クールすぎ!!」
「俺は、元々この性格。」
「もうちょっと、ハッピーに生きようぜ!!」
クラスメイトが松本を追い抜くように、回りながら、前進していった。
「おっと、授業、遅れるぞ。走ろうか。」
「待ってよ!松本!置いてかないで!!」
二人は、走りながら、次の移動教室へと向かっていった。
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松本は、何か外がにぎやかなのに、気がついた。
椅子から立ち上がり、窓から外を見た。
水泳部が、次々と、飛び込みを行っていた。
途切れることなく、数珠つなぎのように、水泳部員がプールに飛び込んでいっていた。
松本は、頭の中で、何かが、閃いた。
白いキャンバスの前に戻ると、木炭を手に取り、一心に線を描いていった。