第4話:広げられた疑念
松本譲は、キャンバスの表面を、指でじっとなでた。
油絵の具で描いた、緑の草むらの地面と、白で描いた川底の凹凸を、確認した。
松本は、地面の凹凸に合わせて草を置いていき、川底の凹凸に合わせて水の流れを描こうと考えていた。
油絵で、絵である認識と、生々しい質感の両方を描きたかった。
松本は、薄く、とき油を多めに絵の具を作った。
まずは、草むらに絵筆を置いていった。
薄っすらと後ろの緑色が映りながら、かすかな線を浮かべていった。
一筆ごとに、草むらに、草の輪郭が浮かび上がってきた。
松本は、記憶と写真と描きたいイメージを、頭の中で合わせながら、草むらの形を作っていった。
明確に出来上がった地面のイメージに対して、手前から奥に向けて、いろんな草が連なっている様子をイメージしていた。
奥から草の線を描いていって、薄い油絵の具のあとに、濃い油絵の具を重ねた。
複数の色を作って、線を重ねていった。
草むらの奥になる、キャンバスの中心当たりが、一番暗くなるように色を作っていった。
だんだんと、草むらがその存在感をあらわにしてきた。
川を挟んで左半分の草むらが塗り終わると、その部分だけ、一気に風を受けたように、なびいているように見えた。
松本は、左側の出来上がりを確認し、右側の草むらに油絵の具を置いていった。
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松本は、次の授業のために科学室に移動しようとしていた時に、複数の女子生徒に取り囲まれた。
松本と一緒に行動していたクラスメイト達が、少し離れた。
複数の女子生徒は、更に、松本に詰め寄った。
「あなたが、松本?」
「いきなり来て、呼び捨てにするのは失礼だと、親から教わらなかったの?」
「覗き野郎は呼び捨てにされて当たり前じゃない?」
松本は、さっぱり検討がつかなかった。
「証拠でもあるの?」
「部室長屋から、あんたが覗きしてるって見てるやつが居るんだよ!」
「証拠は?」
松本は、またか、と呆れた。
「まずさ、人を疑うなら、その証拠を出すのが、当たり前の話じゃないの?」
「証人がいるんだから、それが証拠でしょ?」
「それが、僕だという証拠になるの?」
松本は、取り囲んだ女子生徒を見舞わたした。
知ってる生徒はいなかった。
「で、君たち誰?」
「は?毎日、私達を覗いてて、しらばっくれるの?」
「今日、初めて、話すよね?さっき、僕に、松本か?って確認とったよね?」
全くひるまない松本に、女子生徒達はどよめき始めた。
「私達、水泳部よ。」
「で?水泳部が何のようで、僕が、何部の部室長屋にいるか知ってるの?」
「美術部でしょ?」
「なんで、それは即答できるの?」
「あんたが撮った写真を見たのよ。持ってたやつが、美術部だって言ってたのよ。」
松本は、察しが付いた。この水泳部員達は、市川に協力するために渡した美術部室からの写真を見たのだった。
「で、その写真に、誰か写ってた?」
水泳部員の生徒たちは、お互いに顔を見合わせた。
「で、その写真に、誰か写ってた?」
松本からの再びの問いかけに、水泳部員の女子生徒たちは、口をつぐんだ。
「誰もいなかった。だろうね。みんな帰った後に撮ったんだから。」
松本は、水泳部員の女子生徒達の表情を見ながら、続けた。
「そもそも、覗きがあるから協力してくれって言われて、写真を送ったの。君たちの水泳部員の仲間にね。で、そこまで確認して、いま、僕に問い詰めようとしたの?」
「でも写真が」
「はい、ストップな!」
水泳部の女子生徒が話しかけようとした時、松本と一緒にいたクラスメイト達が間に入り込んできた。
「今の話で、松本が悪かったって証拠あったの?」
「・・・」
「ないなら、もういいよね。俺ら、授業遅れるから。」
クラスメイト達は、松本の背中を押して、水泳部員の女子生徒達から、引き離して、あるき出した。
松本は、押される格好で、一緒に歩き出した。
水泳部員の女子生徒達は、取り残されて、その場で松本達を見送った。
「なんか、面倒なことに巻き込まれてるみたいだな。」
「ごめん、もう、誰が原因か、わかってる。」
「本当に、水泳部、見境ねえよな。」
松本は、写真を渡した相手を思い出した。
市川に誤解を解かせよう。
協力したのに、この仕打はあんまりだ、松本は歩きながら思った。
放課後、松本は教室を出ようとする市川を見つけ近寄った。
「ちょっと聞きたいことがあるから、少し時間頂戴。」
「・・・わかった。」
市川は何かを察したように、受け入れた。
松本と市川は、かばんに教科書類を詰めて、帰る用意をした後、教室を出た。
松本は、市川に歩きながら話すことを提案した。
「今日、僕は、プールの覗きの犯人にされてしまってたんだ。」
松本の落ち着いた口調の言葉に、市川は、黙って頷いた。
「その時、美術部室から撮った写真を見たって言うんだ。」
松本は、市川の顔を見ずに、歩きながら続けた。
「市川さん、あの人等に、なんって言ったの?」
市川は、立ち止まった。
松本は、少し追い抜いた形になり、振り返った。
「・・・ごめん。」
市川は、大きな肩を小さくうなだれた。
松本は、市川をみて、頭を強く掻いた。
「いやさ、誤解するやつが悪いんだよ。なんでも。僕は、今後の対策のために協力するって事で、写真渡したんだから。」
市川は小さく頷いた。
「あの写真ね。部室長屋からこう見えるから、フェンスとか生け垣とかの対策を、先生にお願いしようって、話を、部員にしたのね。」
松本は、市川に向かいあったまま、立っていた。
「それで、その写真、誰から貰ったのって、言われたから、同じクラスに居る美術部の松本くんだって言ったの。」
「で、僕の所に、押しかけられたと。」
市川は、顔を一度上げ、頷いた。
「正直、水泳部がみんな、最初の市川さんと同じ反応でがっかりした。」
松本は、淡々と喋り始めた。
「なんか、絵に書いたような学校ドラマの女子生徒のような反応ばかりで、なにがどうで、って調べようも考えようもしない。なんでみんなそうなるの。」
「それは・・・わかんない。」
「正直、困ってるって思ったから、協力する気になったけど、これじゃ、その気もなくなるよ。」
松本は見つめていた市川から視線を外した。
「とにかく、誤解は、市川さんが解いておいてね。じゃなければ、他の長屋を使ってる部の連中にも声かけたりとか、協力できないから。」
松本は、振り返り、そのまま歩き出した。市川がどんな表情をしていたか、最後はわからなかった。
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松本は、川の右側を描き終え、草むらの細部を完成させた。
キャンバスから、草むらの部分だけ浮き上がって見えた。
緑色の絵筆を置いて、川を描くために、白と水色を使う絵筆を手に取った。
空と川を描く事をイメージをした。
川は、キャンバス真ん中から、草むらの明暗の影響を受けずに、キレイに光りを反射しているように真っ直ぐに描くイメージを持っていた。
どのように色を置いたらいいか、改めてスマホを見て考えてみた。
写真は川が、すっと光って見えた。
松本は、それに、川底の石の影響を受けた水の流れを書き加えるというイメージを脳内で固めた。
松本は、複数の水色を作って、キャンバスの川に重ねていった。
予め作っていた、川底の石をイメージした凹凸を筆が避けるようになぞり、複雑な水の流れができあがっていった。
幾重にもいろんな水色が絡み合って、まるで何十匹もの蛇が絡み合っているようなそんな川になった。
松本は、草むらと川を描き終えると、筆を置き、少し離れてキャンバスを見た。
草むらが手前から奥になびき、川が奥から手前に流れているように見えた。
ふと気づいた。
今までは、ムンクの叫びのように、空をうねって描こうとしていた。
でも、空から川に流れが集約するように縁どれば、それは広い海から川に流れ込んでいるようにも見える。
松本は、離れたまま、人差し指を伸ばし、キャンバスの上から下へとなぞるような動かした。
指がキャンバスの上を差している時、指先が空にあるのと同時に、水の中に差し込んでいる様な感覚をイメージした。
指を下にゆっくりと動かすと、目に見えない波紋がキャンバスに広がり、川との境目に届くと、波紋が一気に川に集まりだした。
川についた指は、沢山の水の勢いに押されるように、一気に下へと流れていった。
松本は、さっきの空の波紋のイメージを頭に焼き付けた。
もう、完成が見えてきていた。