第3話:ざわつくプールサイド
松本譲は、青と緑のキャンバスに、木炭で線を描いていった。
前に書いた絵の具の凹凸の輪郭に、どのように次の色を乗せていくか、当たりをつけていた。
空は、あとで雲をつけるかどうか考えるとして、まずは、重ねる層が厚くなる草むらと川の部分を考えていた。
自分の頭で考えてもどうしようもないので、スマホで写真を表示し、前に他の絵画をみて書いたたメモを取り出した。
松本は、メモや写真からイメージをつけ、どのように重ねていくか、木炭で薄く書いていった。
松本は、下地にイメージと違う所を見つけると、そこにも、木炭で修正を入れていった。
ただ、油絵の具の層の高低差を、どのように修正するか、悩んだ。
何度書き足しても、草むらと川のイメージがはっきりつかめなかった。
「なにが悪いんだろう。」
松本は、木炭で汚れている指を、頬をアゴに当てて考え込んだ。
「川のラインと、草むらの境界線が、はっきり分かれている方がいいのか、そうじゃないほうがいいのか。」
松本は、緑の凹凸を指でなぞった。
空からの境界、そして川と草むらの境界をなぞりながら、考え込んだ。
浮き上がってる輪郭と木炭の線が交差するポイントが突然目に入った。
顔を寄せて、その後引いて、そのポイントを見つめた。
「ここから、さっき引いた線になぞっていけば。」
松本は、木炭の線を見定めながら、頭の中で、荒描きのイメージを固めていった。
時間を追うごとに、どんどん窓からの光が薄くなっていくが、気にせずに、イメージを指でなぞりながら焼き付けていった。
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松本は、教室で昼食を手早く終え、昼休み中に、5限目の授業の準備を済ませようとしていた。
そこへ、廊下で声をかけてきた水泳部の市川がやってきた。
彼女とは、同じクラスだった。
「松本くん、ちょっと、いい?」
「何?」
松本は、市川に警戒した。
市川は、そんな松本にお構いなしに続けた。
「松本くん、絵かけるの?」
「だから何?」
「いや、美術部だから、絵が描けるの?って聞いてるの。」
「だから、その理由は何?なぜそんな事を聞くの?」
松本は、先日の廊下での一件以来、市川に警戒していた。
「いや、絵が描けるなら、美術部室から、どう見えるか教えてほしかったな。って」
「それ、絵が描けることと、関係ないじゃん。」
市川は、松本に邪険に扱われて、ムッと来た表情になった。
「関係ないはないでしょ」
松本は、ため息をついた。
「市川さん、わがままとか、人の話聞かないとか、言われない?」
松本は、うっとおしそうな表情で、市川を見つめた。
市川はムッとしたまま黙り込んだ。
「絵ぐらい描いてくれたっていいでしょ!描けるんだから!」
「そもそも、絵を描かないといけない目的がわからない。」
松本は、市川に向かって両手を広げて、肩をすくめた。
「話が一歩も進んでないのはわかる。でも、なんで僕が市川さんのために絵を描かないといけないかっていう、理由がわからない。」
「理由なら、前も話したでしょ!」
市川は、松本の机に手を勢いよく置いて、両腕を伸ばし、前のめりになった。
「それ、僕と、直接、関係ない。」
「じゃあ、関係ないこと証明してよ。」
「意味不明。」
「じゃあ、いいわ。今、部室長屋とか、あの向きの校舎の教室、全部から見えるプールの状態を調べてるの。水泳部とかプールの授業を安心して出来るように変えてもらうために。だから、美術部室から見える写真、撮って欲しいの。」
市川は、体を引いて、松本の前の席の椅子に座った。
「じゃあ、そう言えばいいじゃない。めんどくさいな。」
「めんどくさいって、なによ!こっちだって真剣なんだからね!」
市川は、また立ち上がって、松本に向かって前のめりになった。
市川は、松本よりも頭一つ以上背が高く、松本は完全に覆いかぶさるような形になった。
「納得いかないけど、事情はわかった。写真撮るけど、どこに送ればいいの?」
松本は、覆いかぶさってる事に動じず、そのまま冷ややかに市川を見上げた。
市川は、自分の席に戻り、スマホを持ってきた。
「私の所に送って。」
「メールで写真送るの?」
「松本くん、LINEぐらいしてるでしょ?」
松本は、再びため息をついて、自分の電話番号を表示してみせた。
市川は、松本のスマホの番号を見て、自分のスマホに打ち込んだ。
番号を確認し、松本のスマホに着信をかけた。
「これで、そっちにも行ったから、今からLINE登録するね。」
市川は、そのままLINEを立ち上げて、松本の番号を呼び出し、追加登録をした。
松本は、それに合わせて自分のスマホに、市川の番号を登録した。
「じゃあ、写真、お願いね。」
市川はそう言うと、松本から離れて行った。
「俺のメリット、ゼロじゃねえか。」
松本はため息をついた。
市川と入れ替わりに、クラスメイトが近寄ってきた。
「何かあったのか?」
「プールが、覗かれてるから、対策の協力してくれってさ。」
松本は、さっきのことを思い出し、再び呆れた。
「俺の、カメラ部も、最近、訳のわかんねえ文句言われたわ。」
「何言われたの?」
「カメラのメンテナンスしてて、レンズを青空に向けて埃とか確認してたら、水泳部の連中が、プールから見てて、覗きしてるって、決めつけられてさ。」
クラスメイトは、松本の目の前で、カメラのレンズを触るような仕草をした。
「すげえ、災難だな、それ。」
「だろ?ほんと、いい迷惑なんだよ。」
「窓際に近づくだけでも、文句言われるんじゃねえか?」
「松本も気をつけたほうがいいぞ、同じ、部室長屋のメンバーとして。」
クラスメイトは、松本の肩を叩いて、自分の席に戻っていった。
「ほんと、訳わかんねえよな。」
松本は、不機嫌なまま、5限目の教科書を、机の上に置いた。
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松本は、複数の緑と白を用意した。
今回は、濃い色から塗って、油絵の具の層を作っていくことに決めた。
指でなぞった木炭と下地の凹凸を見つめながら、頭に描いたとおりに、油絵の具を置いていった。
塗りだした草むらは、徐々に、地面の凹凸を見せるようになってきた。
松本は、空には空気の、草むらには地面の、そして川には川底の凹凸のイメージを作っていた。
最初に描いた下地と、木炭で書いた線を、頭の中で合成させて、本来写真や絵では見えないはずのものを先に書き込むことにした。
その上で、見える草や水や雲などを書き込めばいい、そう考えた。
松本はイメージを膨らませて、絵筆でキャンバスに油絵の具を置いていった。
一箇所塗っては、層を確認して、更に別の所を塗って、更に・・・
次第に、草むらに、地面の様な凹凸が出来上がっていった。
あらかた出来たと思った時、次は、川の中を描き出した。
じっと、川のくぼみを見つめながら、白で輪郭が浮き出るように油絵の具を塗っていった。
キャンバス真ん中から、下にかけて、まっすぐに白色の流れができあがった。
そして、絵の具を変え、川の中に凹凸を描いていった。
写真では決して見えない川の底を、様々石を油絵の具で置いていった。
大きな石から、間を縫うように小さな小石のような凹凸を、どんどんと油絵の具で置いていった。
窓からの光がだんだん弱まっていき、充分な凹凸がはっきり見えなくなってきた。
部室の蛍光灯では、光量が足りない。
消え入りそうな凹凸を、松本は、じっと追いかけた。
「今日は、ここまでで、いいかな。」
松本は、キャンバスから目を話した。
イメージしてた7割ぐらい、荒描きに落とし込めたと感じた。
ふと外を見ると、薄っすらと赤く染まっていた。
外から生徒の声が聞こえなくなっていた。
プールからも水泳部が帰った後のようだった。
松本は、窓から顔を半分だし、運動場側やもっと広い範囲を見渡した。
夕方のジメッとした生ぬるい風が、松本の耳元と鼻先をかすめていった。
松本は、市川との約束を思い出し、美術部室から見えるプールと、その周辺を撮った。
「まあ、約束だからな。」
そして、LINEで送信ボタンを押した。