第2話:疑いの目
松本譲は、イーゼルに立て掛けたA3サイズのキャンバスに、青で下地を塗っていた。
部室には、小さな机がありその上に、自分のスマホカバーを台にして、写真を見えるように立ててていた。
スマホには、春の天気のいい日に撮ってきた風景写真が、表示されていた。
画面の4割が抜けるような青空で、6割が緑生い茂る草むらと、一本スッと通り抜ける川だった。
松本が、学校の帰りに通りかかる、沈下橋から撮った風景だった。
増水すると川に沈むコンクリートの橋で、細く、手すりがない。
今までと違う登校ルートを探していた所、たまたま見つけた。
初めてその橋を歩いた時は、真後ろから太陽を受けて、川が金色に光っていた。
この色を絵にしたい。
松本は、しばらく立ち尽くしながら、その川の流れを見続けていた。
松本の目の前にある写真は、そのあと、天気のいい日を見計らって撮ったものだった。
キャンバスから油絵の具を剥がしていた時に、外を見て、あまりに天気が良かったので、この写真を思い出した。
地塗りの青の油絵の具を塗りながら、どこまで塗るか考えていた。
全部塗ろうか、上半分だけにしようか。
地塗りの青は、そのまま、別の青が重ね塗りされて、空になる予定だった。
ただ、空になるということであれば、キャンバスの下半分に描く川や草むらよりも、奥になるように描きたかった。
「空と地面との高低差をつけると、奥行きがはっきりして見えるかな。」
松本は、青を塗りながら考え続けた。
結局、地塗りの青は、キャンバス全体に塗ることにした。
キャンバスに薄っすらと青を塗ったあと、じっと乾くまで待った。
松本は、スマホを手に取り、検索をした。
空と地面の油絵を探した。
どのようにタッチを分けているか気になったからだ。
他の絵で、今、マネれる所はないだろうか。
松本は、何枚も何枚も、表示をしては拡大をして見つめた。
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松本は、授業が終わり、机の上にかばんを置いて、持ってきていた教科書を詰めた。
学校に教科書などを置きっぱなしにせずに、毎日、必要な分だけ持ってきていた。
今日の分をすべて詰め終えると、クラスメイトが声をかけてきた。
「今日も美術室か?」
「そのつもり。」
「お前も好きだな。そんなにも絵を書くのが楽しいのか?」
松本は、クラスメイトの方を向き、人差し指を差した。
「油絵は金がかかるから、学校の金で絵がかける。すっごく、最高じゃないか。」
松本は、明るく笑った。
クラスメイトも笑うと、そのまま自分のスマホを取り出した
「おっと、部活に間に合わなねえじゃねえか。松本、またな。」
クラスメイトはそう言うと、教室から駆け出していった。
松本はその背中を見送ると、かばんの紐と肩にかけると、教室から出た。
「ちょっと、松本くん、待って。」
廊下に出た松本の背後から、声がかかった。
そのまま振り向くと、背の高い女子生徒が走ってきた。
「えっと・・・市川さん、何か。」
市川華菜絵が、松本の前で立ち止まった。
松本は、頭一つ近く背の高い市川を見上げた。
「この前、部室から、プール、覗いてなかった?」
松本は、少し首を横にかしげた。
「なぜに?」
市川は少し前のめりになって、松本を見下ろした。
「あの部室長屋から、このシーズン、プールを覗き見する生徒が多いの。」
「で、なぜ、僕が?」
松本は表情を変えずに、市川を見続けた。
市川は、少し怒ったような表情になった。
「だから、この前、美術部室から、こっち見てたでしょ。」
「それがなに?なんで知ってるの?」
市川は、更に松本に詰め寄った。
「私が、水泳部だから。それで、美術部室に市川くんが見えたから。だからでしょ。」
松本は、目を薄く閉じて、ジッと考えた。
「ああ、絵の具剥がしてた日かな。」
「絵の具剥がしてたかなにか知らないけど、毎年、どこかの部から覗きがされてるの。だから注意して。」
松本は、ため息をついた。
「顔を見たから、言う意味は理解できるけど、それは、覗きしてる本人に言ったら?」
「だから・・・」
市川の後ろから、市川を2~3人の女子生徒が呼んだ。
市川は振り返り、女子生徒に返事を返した。
「とにかく、怪しいことはしないで。迷惑だから。」
「そんな事を、あの部室長屋の全員にいうのか?」
市川は、松本に答えず、そのまま、彼女を呼んだ女子生徒のもとに走っていった。
松本は、ため息をついて、振り返り、歩き出した。
「バッカみてえ。なんで俺が怪しまれる必要があるんだ。」
松本は、そのまま、いつものように、美術部室へと歩いていった。
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下地に塗った青の絵の具が乾いたか、キャンバスの下の方を人差し指で触れて確認した。
指に吸い付く感覚はあるが、指紋はつかなかった。
松本は、触れた人差し指の平をじっと見つめた。
松本は、机の中から、木炭を手に取り、薄く線を描いた。
線を描き、手を止め、写真をみて、もう一度、キャンバスを見つめ、線を描き続けた。
線は荒々しく、そして薄っすらと輪郭を作るように描いた。
松本は、木炭から筆に持ち変えるとその輪郭に合わせて、緑色の油絵の具を塗っていった。
筆を這わせると、河原の草むらと川の輪郭がうっすらと浮かび上がってきた。
松本は、キャンバスに浮かび上がった油絵の具の輪郭を、ゆっくりと目で追った。
窓から入り込む光を頼りに、松本は更に絵の具を重ねて行った。
空と地面の境界、川と草むらの境界、そしてそれらの高低差。
1つの色の中に、はっきりわかる境目が出てきた。
松本は、筆を机の上に置き、イーゼルを少しずらした。
横から受けていた窓からの明かりを、真正面に近いかたちから受けれる向きにした。
キャンバスは、窓からの光を全体に受けて、凹凸が消えてしまったように見えた。
松本は、色のバランスを確認した。
一面に広がる、青と緑のバランスが、筆の凹凸に邪魔されないようにしたかった。
上から下に向けて、ゆっくり視線を落とした。
心のなかで、一階頷くと、またイーゼルを元の位置に戻した。
キャンバスの油絵の具は、再び、凹凸を取り戻した。
松本は、キャンバスをじっとみて、ゆっくりと、油絵の具の凹凸に、指を這わせた。
キャンバスから手を離すと、スマホを構えた。
両手でスマホを構えながら、水平を合わせて、キャンバスを撮った。
今の状態を後でも確認出来るようにした。
窓からじっとりする暑さで、首に汗をかいた。
ため息をながら、手で拭うと、手のひらが、光を受けて、キラキラと光った。
外からは、プールの水音と、沢山の生徒の声が聞こえた。
雲ひとつない、焼けるような青空が、夏の盛りが近いことを告げていた。