第15話(最終話):マイ・サラダマーメイド
「コンテスト当日は、美術部全員で美術館に行くけど、現地集合、現地解散だぞ。」
松本譲たち美術部員は、コンテスト前日、顧問の教師からその様に聞かされた。
「なにか賞を取れてたら面白いな。」
そう言うと、先輩は笑った。
コンテストの展示の開場は午前10時からだった。
土曜日なので、学校は休みだった。
松本は、普段は午前6時なのだが、ゆっくり行くつもりで午前8時に目が覚めた。
『しまった。間に合うかな。』
スマホを手に取り、家から美術館までのルート検索をした。
家から電車の駅まで行き、それから最寄り駅について、バスに乗り換えだった。
時間は、一時間と少しだった。
前日に、親には説明をしてあったので、交通費をもらえた。
松本は、普段、学校に行くのと同じ様に、制服を着てかばんを持ち、親に告げて、外に出た。
外は、夏の盛りを過ぎたというのに、鬱蒼とした暑さだった。
数分で、ジトッと汗がにじんできた。
『市川さんも、こんな中で、大会なんだよな。』
松本は、市の水泳大会のために、市営プールにいる市川のことを思い出した。
どうなっているか気になるけど、今、連絡を取ることは出来ない。
土日が明けて、学校で会った時に結果を聞こう。松本はそう思った。
駅につくと、数分で、乗る電車が到着した。
休みなので、人はまばらだった。
松本は、エアコンの効いた車両に乗り込み、座席に座った。
電車は、ゆっくりと動き出した。
車窓からは、幾度となく見慣れた風景が流れていった。
でも、この10年で街も、大きく様変わりをしていた。
子供の頃見た風景は、もうそこにはなかった。
でも今は、今の風景が、そこにあった。
松本も大きくなれば、街も変わっていく。そう感じた。
目的の駅に着き、松本は、電車を降りた。
真新しい駅舎を出ると、バス停を探した。
めったに来ないところなので、バス停一覧を探して、目の前で乗る予定のバスを探した。
乗り換えを表示してるスマホとにらめっこしながら、案内板を見ていると、バスターミナルに、目的のバスが入り込んできた。
松本は、慌てて、そのバスが止まった停留所まで走った。
そして、バスに乗り込むと、前の方の座席に座った。
バスは、数分、駅のバス停で止まった後、ドアを閉め、ゆっくりと走り出した。
松本は、美術館の最寄りのバス停を確認した。
ふと、外を見ると、真新しいビルが立ち並んでいた。
木曜日に、顧問の教師に連れてきてもらった道ではなかったので、見るものが新鮮に見えた。
自分の生活空間ではないので、なおさら、鮮やかに見えた。
「この街並みを描くんだったら、水彩かなぁ。もしくは、タブレットとペンがほしいな。」
松本は、流れる風景を見ながら、そう考えていた。
しばらくすると、バスは最寄りのバス停に着いた。
最寄りのバス停は、美術館の道の反対側に有り、坂の途中にあった。
ただ、道を挟むように並ぶ施設は、木々に囲まれており、バス停も心地よい木陰の中にあった。
松本は、チラチラと木漏れ陽の差し込む歩道を歩きながら、美術館の向かいまで来た。
車の往来を確認して、横断歩道を渡ると、そのまま真っすぐに美術館の入り口に向かって歩いた。
美術館の入り口は、松本と同じくらいの学生とその引率の教師と思える大人が、集まっていた。
松本は、人混みを掻き分けながら、美術館に入った。
ドアが開けっ放しの、入り口のホールに、顧問の教師と美術部員たちが集まっていた。
「松本、ここはいいから、先に展示見てこい。」
顧問の教師は、松本に、展示ホールの方を指差し、促した。
「え?なぜですか?」
「いいから、見てこい!先に見てこい!」
顧問の教師と美術部員たちは、笑いながら松本を促した。
松本は、困惑の表情を浮かべ、促されるまま、市のコンテストの展示ホールの方へ行った。
展示ホールは、入り口のホールから、階段を上がった2階にあった。
松本は、取っ手を手で握りながら、体を引き上げ、階段を登っていった。
展示ホールの入り口に着くと、展示ホール内の案内を見た。
自分が出品した油絵のエリアを確認すると、その場所に向けて歩き出した。
展示ホールの厚いドアの入り口を通ると、作品を見ている人を避けながら、油絵のエリアにやってきた。
松本は、油絵のエリアの手前から、急に進む速度を落とした。
そして、ゆっくりと、絵の前に立ち止まった。
「なんで・・・」
松本は、絵を見上げた。
我が眼を疑った。
松本の描いた油絵が、油絵部門の最優秀賞を受賞していた。
松本は、呆然と立ち尽くした。
回りに人が集まったり、離れたりしていったのが、全く気が付かなかった。
松本は、スマホを取り出した。
スマホを構えようとしたが、手を止めて、係員を探した。
少し離れた所に、女性職員を見つけたので、歩き寄っていった。
「あの、すみません。ここって、撮影してもいいんですか?」
女性職員は、松本の姿をみてにっこり笑った。
「あ、参考にしたいのね。いいですよ。フラッシュを焚かなければ、撮っても良いですよ。」
松本は、女性職人に頭を下げると、再び、油絵のエリアに戻った。
自分の油絵にスマホを向けた。
が、直視できなかった。
とりあえず、他の受賞作品の油絵を先に撮って回った。
その作品も、個性的だった。
色が鮮やかなもの、動的なもの、しんっと静まり返っているもの。
松本が今まで描いたことない手法で描かれたものばかりだった。
「こういうアプローチがあるんだ。やってみないと。」
松本は、頷きながら、写真を撮っていった。
松本は、撮った油絵をスマホで確認して、再び、自分の絵の前に戻ってきた。
一度呼吸をすると、スマホを構えた。
油絵と、ディスプレイの色目を確認しながら、シャッターを押した。
松本は、他の出品エリアも一通り見て回ると、展示ホールの入り口に戻ってきた。
そこには、顧問の教師と美術部員が集まっていた。
「どうだった?松本。」
「いや、どうと言われましても。」
「ともあれ、おめでとう!」
顧問の教師と美術部員たちは、松本の肩を軽く叩いていった。
「まあ、ありがとうございます。」
松本は、軽く、頭を下げた。
「で、松本は、引き続き、ここに残る事。表彰あるから。」
松本は、びっくりした表情をみせた。
「残るんですか?」
「そう、主役が残らないといけないだろ。」
「先生、僕らはどうすればいいですか?」
「みんな残ったほうが良いんじゃない?こんな機会、めったに無いだろ。」
顧問の教師は、美術部員たちの肩を軽く叩いて回った。
そこから、松本たちは、せわしなく動かされた。
顧問の教師が、松本たちを、顧問の教師の先輩であるコンテストの担当教員や主催者など大人たちの所に連れていき、挨拶をして回った。
昼ぐらいに、コンテストの後援企業の経営者が、松本たちを、近くのフランス料理レストランに連れていき、ランチをごちそうした。
松本たちにとって、突然、人生初めての体験ばかりすることとなった。
午後から行われた表彰式では、松本を始め、最優秀賞を受賞した学生たちが壇上に並び、数多くの報道者や学校関係者が取り囲んだ。
主催者の挨拶に始まり、各絵がどの様に良かったかなど、その分野の選定担当者からの長い話が続いた。
松本は、賞状と楯を受け取り、並ぶ大人たちから笑顔を求められ、まばゆいばかりののフラッシュを浴びた。
松本は、途中で、余裕がなくなり、人混みの中に、顧問の教師や美術部員たちの姿を探した。
その気配に気づいた顧問の教師や美術部員たちは、緊張して固まっている松本に大きく手を振った。
夕方になると、この日のコンテストの開場時間が終了し、解散となった。
多くの大人たちから解放された松本は、なぜかふわふわしたような感覚になっていた。
「市のコンテストで受賞するって、こんなにも大変なものだったのか。」
松本は、壇上で、賞状と楯を受け取る前後辺りから、自分が自分でなくなっているように、思ってしまっていた。
「松本、一度、学校に戻るのか?」
美術部の先輩が声をかけてきた。
「先生とかはどうするって言ってました?」
「先生は、まだ用事があるとかで、どっかいったよ。」
「一度、戻ります。運動部の連中も、今日、大会があるって言ってたので、結果聞きたくて。」
「LINEでよくね?」
「知らない人もいますし。運動部の奴ら。」
松本は、気の抜けたような笑顔を作った。
「まあ、わかった。みんなここで、解散だと言ってるから、俺らは、家に帰るわ。」
「わかりました。じゃあ、また月曜日に。」
松本は、また駅行きのバスに乗るために、バス停に向かおうとした。
「あ、松本、ちょっと待って。」
歩き出した松本を、先輩が大きめの声を出して止めた。
「なんですか?」
「賞状と楯、一度、職員室に預けておいてって、先生が言ってた。」
「誰か居るんですかね。」
「教頭が居るって。」
松本は、先輩に、わかりました、と返事を返した。
帰りは、行きと違った状態になってしまった。
とりあえず、母親には、賞状と楯を写真に撮って、LINEで送った。
良かったね、と返事が返ってきた。それ以上は特になかった。
「我が親ながら、反応が薄い。」
松本は、学校までの乗り換え検索をし、学校に向かった。
松本が学校についた頃には、空はやや赤みがかっていた。
丁度、運動系の部員たちが、支度を終え、学校から帰ろうとしていた。
松本は、生徒玄関で運動系部員たちと入れ違いで、校舎に入ろうとしてた。
内履きに履き替えた時、ちょうど、校舎から水泳部が出てくるのが見えた。
水泳部の部員たちは、みんな、押し黙ったまま、靴を履き替えていった。
「松本くん」
市川が、松本の目の前にやってきた。
「市川さん、これ・・・」
「今日、夜に、プールに来れる?」
市川の表情も押し黙った表情だった。
松本は、何も言わず頷いた。
市川は、軽く頭を下げ、靴に履き替えて、松本の横を通り抜け、外に出ていった。
松本は、目で市川を追うように、玄関入り口に振り返った。
外で、水泳部の部員たちが、集まって肩を震わせて帰っていった。
物悲しい雰囲気が漂っていた。
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松本は、日が暮れた後、家を出た。
事前に市川から、メッセージが入ってた。
『学校の裏口を開けておくから。入ったら閉めておいて欲しい。』
松本は、いつも通る正門ではなく、プールが近い裏口から入り、裏口の鍵を閉めた。
校舎は街灯の明かりを受けて、白く鈍く光っていた。
見回りしている誰かに見つからぬよう、松本は注意しながら、プールの外まで来た。
松本は、プールの金網越しに、市川の姿を見つけた。
市川は、プールの縁で、金網に背を向けながら、膝を抱えていた。
松本は、プールの入り口に近づいた。
「市川さん」
松本の声に気づいた市川は、体をよじり、松本の方を向いた。
「そのまま、こっちに来て。」
松本は、プールの入り口から入り、市川に近づいた。
市川は、姿勢を変え、水面に背を向け、膝を抱えていた。
月明かりが、揺れる水面を照らし、市川は水着姿で、頭から全身濡れていた。
「市川さん、ど・・・」
「松本くん、おめでとう。」
松本の言葉を遮る様に、市川は大きな声を上げた。
松本は、市川の前まで来て、あぐらをかいて座った。
「職員室で聞いた。松本くん、最優秀賞だってね。」
「う・うん。」
「おめでとう、私も嬉しい。」
市川は、抱えた膝を、強く抱きしめた。
松本は、膝に顔を埋める市川を、じっと見つめた。
市川の濡れた頭は、月明かりで金色の輪郭で輝いていた。
「今日、大会、頑張ったんだろ。」
松本は、市川の顔をかすかに覗き込むような仕草をした。
「うん、頑張った。」
市川は、消え入りそうな声で答えた。
「でもね、頑張るだけじゃ、ダメなの。」
市川は、膝から少しだけ目を浮かせ、松本を見た。
「私も、松本くんと同じで、最優秀賞とらないとダメなの。」
「最優秀賞・・・」
「だから、私は、頑張るだけじゃ、ダメなの。」
市川は、再び、膝に顔をうずめた。
膝を抱えた市川の両肩が、震えていた。
「だから、私、ダメだったの。」
消え入りそうな市川の震えた声に、松本は何も言えなかった。
「次、次頑張ればいいじゃないか。まだまだ泳げるだろ。」
松本は、困惑で震えながら言葉をかけた。
市川は目をふせなから顔を上げた。
「うん、だから、今も、可能な限り練習をさせてほしいって言って、プールを閉める鍵、貰ったの。」
市川は、すっと立ち上がり、松本を見下ろした。
「でも、一位とることも、頑張ることも、期待に応えることも、練習することも、泳ぐことも、・・・全部、疲れたの。」
市川はそう言うと、両肩に指を伸ばした。
「もう、疲れたの。私は、どれだけ頑張っても、”未熟な人魚”にしか、なれないの。」
市川は、肩から水着の裾をつまむと、すっと、水着を下げた。
足から水着を脱ぐと、右手で持ち、松本に投げた。
水着は、松本の顔にかぶさった。
市川の、夜空にすっと伸びた裸は、月明かりに照らされ、左半身が輝いていた。
松本は、水着を顔から掴み取ると、立ち上がった。
「松本くん、私ね、もう、疲れたの、何もかも・・・」
市川は、目を閉じ、顔を空に向けながら、両腕を真横に伸ばし、後ろに倒れ込んでいった。
「市川!!」
松本はとっさに、駆け寄り、腕を伸ばしてた。
その瞬間、市川は顔を松本に向け、両手で、松本の手を掴んだ。
松本は、そのまま、市川にプールに引き込まれていった。
大きな水音とともに、二人はプールに落ちていった。
松本は、月明かりで明るく照らされたプールの中、市川の姿を追った。
市川は、髪を揺らしながら、頭から沈んでいった。
松本は、市川の揺らぐ裸を抱きしめると、頭を水面に向けた。
水面では、ゆらゆらと揺らめく大きな月が、沈む二人を照らし出すように、銀色に輝いていた。
(了)