第12話:人魚の足首
松本譲は、学校の図書室の美術関連のブースにいた。
図書館で油絵の分厚い本を出してきては、パラパラを見ていた。
風景画は少し見て飛ばし、人物画は少し止まって見ていた。
背景から人をどの様に描いているか、もしくはそのまま溶かしているのかなど、松本なりにテーマを作って絵を見続けた。
今描いている油絵の違和感は何なのだろうか。
違和感に答えがあるんじゃないだろうか。
そもそも、あれでよかったのか。
時間を置くと、いろんな事が頭をよぎってきた。
松本なりの着地点を見出したかった。
そのまま、生き物のような生々しさを維持するか。
それとも表面を削って平面だけど抽象的にするか。
松本は、天井を仰ぎ見た。
天井の不規則な文様と白一色の配色が、一気に降り掛かってくるようだった。
松本は、左手で分厚い本を支えながら、右手を天井へと伸ばしてみた。
「松本~!ここにいたのか!!」
写真部をしているクラスメイトが、松本の所にやってきた。
後ろから声がしたのを感じた松本は、そのままのけぞって向いた。
「なんや?」
「絵、市のコンテスト出すって聞いたぞ!」
「ああ~、そのことか。」
松本は体を起こし、本を閉じた。
クラスメイトは、松本の隣の椅子を引いて、座った。
「ついに、その気になったか!」
「いや、先生の義理で出品するんだけど。」
「いやいやいや!!それでも、他人の評価を受けるって大事だよな!!」
クラスメイトは、何回も松本の肩を叩いた。
「俺も、小学校の頃から、雑誌も含めて、沢山写真のコンテスト出してるけど、コンテスト出すって本当に大事だぞ。」
松本は、びっくりして、クラスメイトの顔を見た。
「え?小学校の時から出してるの??」
「そうだよ!写真を昨日今日始めたんじゃないよ!実際、色々受賞してるし。」
「へ~、ただのカメラヲタだとばかり思ってた。」
「ええ!?そんな!!」
写真部のクラスメイトは、大げさにがっかりした。
「松本はわかってくれてると、思ってたのに!!」
「いや、わからんわからん。」
松本は、手のひらを左右に振った。
「とりあえず、応募してくれたのは嬉しいよ!同類よ!!」
「同類って・・・」
クラスメイトは、松本の手を強く握り、力強く振った。
松本は、クラスメイトの手首に目線が言った。
「あ、そうか。わかった。」
「え?なにが?」
「いや、こっちの話。コンテスト、お互い頑張ろうな。俺はまだ出してないけど。」
松本は、クラスメイトに握られた手を離すと、本を元の場所に戻しに言った。
「松本、相変わらず、クールだな。」
写真部のクラスメイトは、感心して、腕組しながら、首を横に振った。
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松本は、スマホを取り出して、市川を撮った写真を映した。
もう一度、ふくらはぎから足の甲にかけての部分を見直した。
写真では見にづらい部分だったけれど、松本が感じた違和感の部分を特定した。
拡大して確認したが、画質が足りなくて、荒っぽくしか見えなかった。
「とにかく、ここを調整しないと。」
松本は、椅子に座ったまま、大きく背伸びをした。
腕を広げ、肩から背中にかけてのコリをほぐすように、腕を大きく動かした。
そして、ナイフを手に取り、固まった油絵の具を削り出した。
絵に違和感を感じていたのは、水しぶきから出ている、ふくらはぎから足の甲へ向けてのバランスだった。
気をつけていたが、このバランスが自然に感じられず、どうしても全体的に違和感を感じていた。
松本は、この部分を削り出し、最適なサイズをもう一度重ねていこうと考えた。
ただ、削りすぎると、塗り直しをした部分とそうでない部分との不自然さがでてしまう。
その様にならないように、細心の注意を払って、ナイフを動かしていった。
そして、削れる最大限のところまで削り終えた。
松本は、ここから、もう一度基礎部分の薄い橙色を重ねて、そして艶と影を重ねていこうと考えた。
この基礎の部分の薄い橙色の幅が、最終的な印象を決めると、心に強く念じた。
絵筆を持つ前に、もう一度、写真を確認した。
松本は、写真を見ながら、指で大体の当たりを付けていった。
そして、そのイメージをはっきりと目に焼き付けた。
絵筆を手に取り、慎重に、薄い橙色を重ねていった。
水しぶきや背景が完成した後の修正なので、他の部分に干渉しないように慎重に塗り重ねていった。
先の細い絵筆で、少しづつ少しづつ重ねて行った。
失敗も、ごまかしも効かない塗り重ねは、初めてだった。
この緊張感は、とてつもなく、大きかった。
室温以上に暑く感じ、シャツの半袖から覗いている松本の肘から、大粒の汗が滴り落ちていった。
松本の腕の筋肉は、微妙な動きをし続けたため、パンパンに腫れ上がっていた。
塗っては、手を止め、塗っては、手を止め、そして、時々、腕を振り、筋肉の痛みを払おうとした。
少しづつ広がって、そして手前に浮き上がっていく足を、何回も何回も、松本は確認した。
スマホを何回も取り出し、写真を確認した。
終いには、スマホをポケットにしまうことが面倒に感じて、机の上に立てて置いた。
そして、少しづつ、松本は、足の薄い橙色を増やしていった。
だんだん、足は膨らみを取り戻し、松本が想定したバランスの良い太さに近づいてきた。
松本は、ふくらはぎから、足の甲にかけて見直した。
足首のバランスが今回のキーポイントと思っていた。
なので、ある程度の細さを担保しながら、後は陰影で調整しようと思っていた。
次第に、ふくらはぎと足の甲が塗られていき、空が赤くなる前に、なんとか塗り終えた。
「これで、本当に完成させるぞ。」
松本は、大きく息を吐いた。
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松本は、油絵の具の乾燥を待っていた。
ここから重ねて塗っていくことが出来なかった。
もし塗ってしまったら、先に塗った分が溶けてしまい、色がボケてしまう。
松本は、絵筆を布とクリーナーで洗っていった。
布とクリーナーの間を、筆が何回も往復をし、だんだん、筆は本の色を戻していった。
松本は、筆を洗いながら、キャンバスの絵を隅からじっくり確認した。
他の違和感があるかどうか、多分、次の修正で完成をさせないと、出品に間に合わないと思った。
最後の問題点、と思いながら、キャンバスを見続けていた。
筆を片付けて、パレットを洗った。
ナイフの油も落とし、全てをもとあった部室の机の中に片付けた。
後は、部室内の、油絵の具の匂いがある程度薄まるまで、窓を開けたまま待った。
すると、部室のドアをノックする音が聞こえた。
松本が振り向くと、そこに、部活を終えた、制服姿の市川が立ってた。
市川は、松本の顔を確認すると、部室のドアを開けた。
「今、大丈夫だった?」
市川は、少しだけ、体を部室に入れた。
松本は、市川を見て、思い出したように立ち上がった。
「市川さん、ごめん、ちょっと協力して。」
松本は椅子から立ち上がり、椅子を持って、市川に寄っていった。
市川はゆっくり、美術部室の中に入った。
「すごく変なお願いかもしれないんだけど。」
「・・・うん。」
「椅子に座って。そして、市川さんの、足首を見せてほしいんだ。」
市川はびっくりした。
ただ、松本が今までにないくらい真剣に、市川を見上げていたので、だまって頷いた。
松本は、市川をドアから部室の中に引き入れ、ドアを締め、持っていた椅子を置いた。
「ここに、座って、足を・・・」
「左足だけでいい。ちょっと触らせて欲しい。」
市川は、かばんを床に置いて、松本が置いた椅子に座った。
椅子の高さは、市川にとっては低く、膝が腰よりも上に上がりそうだった。
「足、前に伸ばさせてもらうね。」
市川は膝を伸ばし、ふくらはぎから足の甲を、ゆっくりと前に突き出した。
「じゃあ、ちょっと、ごめん。」
松本は、市川の前にひざまずいて、両手で、市川の左足を持ち上げた。
顔を少し上げると、膝よりも短い、市川のスカートの中が見えてしまいそうな位置だった。
松本は必死に、顔を上げるのをこらえて、足首を中心に、ふくらはぎと触れ、そして、ゆっくり靴を脱がせ、靴下を指まで下げて、くるぶしから足の甲に手を、指で触れていった。
市川は、とても恥ずかしかった。
顔から耳まで火が吹きそうなくらい真っ赤になってる感覚に襲われた。
男子に、足を触れられるなんて初めてだった。
こんなことなら、スカートの下に体操ズボンを履いてくればよかったと思った。
シンとした部室の中、二人は、自分の心臓がはち切れんばかりに、激しく鼓動しているのがわかった。
お互いが、この鼓動の大きさが、相手に伝わってるんじゃないか、と思うくらいだった。
市川は、松本に持たれている左足が、恥ずかしさで震えだした。
松本は、市川の震えを感じて、靴下と靴を履かせ直し、ゆっくりと床に置いた。
とりあえず、どのような状態か認識出来た。
あとはそれを、日を改めて、キャンバスに再現するだけだった。
「市川さん、ありがとう。」
松本は、市川のスカートの方を向かないように、後ずさりしながら立ち上がった。
「うん。」
市川は、恥ずかしさを含めながらも頷いた。
松本が立ち上がると、自分のかばんを持つために、キャンバスの方にある部室の机に近づいた。
市川は、移動する松本を目で追うと、キャンバスに目が止まった。
「あ、花じゃなかったんだ。」
市川は、ふとつぶやいた。
「ごめん、足首見せて、って言った理由、これだったんだ。」
松本は、振り返らずに答えた。
「ううん。大きな花に見えたの、本当は、スプラッシュの瞬間だったんだね。」
市川の表情が緩んだ。
「水泳部のみんなが、連続で飛び込みしてるの見てて、これだ、って思ったんだ。」
松本は、かばんを担ぎ、市川の方を振り返った。
「松本くん、芸術家してる。」
市川は、溢れんばかりの笑顔で、松本を見た。
「誰にも認められなきゃ、ただの、金のかかる趣味だよ。」
松本は、照れたようにキャンバスの方を見て、窓を閉めた。
二人は、ゆっくり美術部室から出ていった。
窓から差し込む夕日の日差しが、日焼けを防ぐためにキャンバスにかけられた布を、真紅に染め上げていた。