第11話:重なる二人の分岐点
松本譲は、美術部の顧問の教師に呼び出されて、職員室に来た。
多くの教師で雑然としている職員室の中、松本は顧問の教師を見つけ席に近づいた。
顧問の教師も、松本に気づき、手を上げた。
「呼び出して悪かったな。」
顧問の教師は、何か手に持ち、立ち上がり、松本に近づいた。
「ちょっと、ここじゃ騒がしいから、応接借りよう。」
顧問の教師は、別の教師に声をかけた後、松本を応接室へと連れて行った。
「で、先生、なんですか。」
「実はな。もちろん美術部の話なんだけど。」
顧問の教師はそう言うと、手に持ってた物を、松本の前に差し出した。
「市の、コンテスト。ですか。」
「毎年してる市の美術コンテスト。これに、今描いてる油絵、出してみない?」
松本は、不思議そうな顔をして、顧問の教師を見た。
「これ、申込み締め切り、終わってますよね?」
「それがな・・・」
顧問教師は、椅子の背もたれに寄りかかって腕を組んだ。
「水彩とか、写真とかは、点数があるらしいが、油絵が少ないんだそうだ。」
「油絵、少ないんですか。」
「そこで、このコンテストしてる、先生の先輩がな、今でもいいから応募してくれんか、って言われたんだ。」
松本は、手で口元を押さえた。
「そこで、僕が、ってことですね。」
「そう、ここは、先生を助けてくれると思って、出してくれないか。」
顧問の教師は、口角を釣り上げ、手で拝むような仕草をした。
「いつまでなんですか?」
「コンテストが、来月の月初めの土日にあって、選定が金曜日に行うらしい。だから木曜日に持ち込めばいいと言うことだ。」
「つまり、あと、1週間ちょいで、仕上げればいいんですね?」
「そういう事だ。」
松本は、猫背気味に、体を縮めた。
「わかりました。僕も、今の自分の絵が、どんな評価されるか知りたかったので。」
「いやぁ!!ありがとう!!松本!!やってくれると思ってたんだよ!!」
顧問の教師は立ち上がり、松本の肩を上から強く叩いた。
「先生、出来たら先生に言えばいいですね?」
「そうそう。で、木曜日に、俺の車でもっていくから、心配しなくていいぞ。」
「発送じゃないんですね。」
「イレギュラーだからな。窓口で、その先生の先輩に連絡して、仲を継いでもらわないといけないから、先生も一緒に行くよ。」
「わかりました。次の木曜日までに、乾いて持っていけるようにします。」
「松本、頼んだよ!」
顧問の教師は、そのまま、応接室を出ていった。
松本も立ち上がり、応接室を出ていった。
『受賞しなくても、飾ってもらえる機会ができただけでも良いか。』
松本は、自分の絵を、誰かに見てもらえるという気持ちで、少し、ワクワクしてきた。
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松本が、色を塗っている時、美術部室のドアを叩く音がした。
絵筆を置いて、ドアを開けると、そこには、水着姿にタオルを羽織って濡れたままの市川が立っていた。
「濡れまま、どうしたの。」
「うん、美術部室の窓が開いていたから、ちょっと教室行くって言って、上がってきちゃった。」
市川は、松本の頭越しにキャンバスを見た。
「・・・花の絵?水色の、朝顔?」
「に、見えるか。まだ、形出来てない。」
松本は、ごまかした。
「てか、ここ来て、大丈夫なの?他の部員にバレてるんじゃ。」
「今、回りに人いないから、ちょっと中に入れて。」
市川は、松本を押すように、美術室に入った。
松本は押し込まれるように、市川に圧され、とりあえず、左側から回り込むように、ドアを閉めた。
市川は、ドアのガラス窓から見えないように、しゃがみこんだ。
松本も、市川に目線を合わすためにしゃがみこんだ。
ちょうど、しゃがみこんだ目の前に、水着の市川の胸が迫ってしまった。
松本は、慌てて半歩後ろに飛び退いた。
市川は、膝を抱え込むように、お尻を床に付けないようにしゃがんでいた。
松本は一瞬、体重に押される市川の太ももとふくらはぎ、そして膝に押される胸に目を奪われた。
松本は、しゃがむ足が耐えられなくなり、床にあぐらをかいて座った。
松本の顔が、市川の顔よりもずっと下になってしまったので、市川の顔を見るために見上げた。
市川は、外の様子を警戒するために、顔をドアの方に向けていたが、誰も来ないことを改めて確認して、顔を見るために、向きを下にむけた。
「松本くん、首つらい?」
「いや、大丈夫。」
「ん・・・大きくてごめんね。」
「ん?・・・気にしてない。」
松本にそう言われ、市川は、照れくさそうに笑った。
「で、どうしたの。上がってきて。」
「夏休みに言ってた、水泳の大会の事、来れそう?」
松本は、数秒思い出すために止まった。
「うん、覚えてる。来月の月初めの日曜日だったけ。」
「ううん、土曜日。」
「土曜日・・・」
松本は、ふと思い出した。
「あ、市の美術コンテストと同じ日だ。」
「え?松本くん、応募するの?」
市川は、体を前のめりにし、床に膝と両手をついて、顔を松本に近づけた。
松本は、急に近づいた市川の顔に驚き、心臓が飛び跳ねた気分になった。
「・・・急に決まって。」
「そっか、じゃあ、来れないんだ。」
市川は、前のめりになった体を後ろに引いた。
「じゃあ、アレを持っていくんだね。」
市川は、松本の描きかけの絵を指差した。
「うん。あれを仕上げて、持っていく。」
「そっかぁ・・・」
市川はすっと立ち上がった。
「ふたりとも、頑張らないとね。」
市川は、松本を見下ろしながら、にっこり笑った。
松本は、市川を見上げながら、釣られて笑った。
「じゃ、私、戻るね。ありがと。」
市川は、外に他の生徒がいないことを確認して、外に出ていった。
「市川、デカかったな・・・」
松本の心臓が、全然収まる気配がなかった。
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松本は、荒描きに色を重ねていった。
陰影や艶を付けて、より立体的に見せようと考えていた。
コンテストで度肝を抜いてやりたかった。
顧問の教師との話で、俄然、松本の心に火が点いた。
可能な限り、鮮明なイメージをキャンバスに再現しようと考えた。
陰影をつけるために、様々な濃淡の色を、パレットに作った。
松本にとって、市川が部室に上がってきたことは想定外だった。
次は、飛び込んだ時の足を描いていることがバレると、一瞬焦った。
ただ、ドアの位置から、水色の朝顔のような花に見えたと答えた。
松本は、安心した。
多分、見る人を、一瞬立ち止まらせれると確信した。
とりあえず、インパクトを与えれれば、満足だと考えた。
そして、松本は、意図せずに、市川の足の艶を目の前で見ることになった。
どぎまぎして、見たけど、目に焼き付いて離れないくらい、意識的に見ていた。
もしかしたら、バレるかも、そんな想いを抱えながら、市川と話していた。
松本は、あの至近距離で、市川の水着姿を目にするとは思わなかった。
明らかに、あの絵で描いた体と違うものだった。
松本は、あの絵を白で塗りつぶして正解だったと、確信した。
今度は間違いなく、太ももに、ふくらはぎに、足首に、足の甲に、足の指に、力強さと扇情される艶を乗せられる。
松本のテンションは、ますます上がった。
少し塗っては離れ、少し塗っては離れ、と何回も繰り返した。
松本のイメージに合うように、水しぶきも、足も、何度も加筆されていった。
次第に、一色で塗りきられていた荒描きの絵が、だんだんと、質感と光沢が色で浮き上がってきた。
松本は、筆を置いて、絵に向かって手を伸ばした。
まだ、絵の具が乾いていないため、触れなかった。
指先を見つめた位置と、その先の水しぶきの『先端』、そこから左右に広がる『奥行き』を確認した。
そして、その水しぶきに囲われるように、すっと伸びた二本の両足が、触れれば凹むような質感で収まっていた。
「よし、絶対に、コンテストに間に合う。」
松本は確信した。
今まで描いた絵の中で、一番、自分のイメージが投影できた絵になりそうだった。
これで完成して、スマホで撮りたかった。
でも、なにか物足りなさを感じた。
あと一歩、なにか届いてない感じだった。
松本は絵をドア側に向け、キャンバス側を頭にむけ寝転がり、いつもとは逆さまに絵を見上げた。
水しぶきから、足が抜け降りてくるような構図に見えた。
だが、どうしても、この違和感の原因がわからないでいた。