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弱者の慟哭  作者: Aconitum
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第1話 The Unexpected Proposal(予期せぬ提案)


 鼻腔を突き抜け脳天を侵す鮮血の香り。


 耳に鳴り響く肉を裂く音色。


 肌を伝う血潮の感覚。


「こんな理不尽な世界……廻る訳がないだろう!」


 薄暗い部屋に私の激情が吸い込まれる。血肉を切り裂く音が耳に木霊する。纏わり付く腐臭の中、私はただ怒りに身を任せた。


「今までが異常だったんだ」


 ああ、私はいつからこうなってしまったのだろうか……。"生きる"ということは私にはあまりにも難しすぎたのだ。皆が当たり前のように過ごし、当たり前のように謳歌している”人生”というものが、私にとっては異なっていた。


 さながら、地獄というべきか。私には私の血肉が何か、魂を幽閉する牢獄のようにすら感じる。DNAや大脳皮質から生じる生存本能が、私にはどうも煩わしく感じられたのだ。


 人生というものを数学的に捉えたとき――つまりは幸福と不幸を何らかの指標によって数値化し合算していったとき、人々は本当に『生まれてきてよかった』などと言えるだろうか?私は甚だ疑問だ。


 その一方で、いつからか私は怒りを感じるようになった。街を行き交う楽し気な若者。活力にあふれた働き盛りの若々しいサラリーマン。無邪気な子供たち。ふと世界を見まわしたとき、私は感じるのだ――怒りを。彼らは私に比べて何を持っている?彼らは私よりもそれほどに優れているのだろうか?なぜ私だけが苦しみ続けなければいけない?


 人が生きると書いて人生。では生を呪う私は人と言えるだろうか?私自身、この怒り自体が理不尽な感情であることは承知の上だ。だが結局のところ、私も心を持つ人間であるということだ。理性や倫理でいくら己をコントロールしようとしても魂の慟哭には抗えない。


「これが心を持った――人間というものなのだろう?」


 私は薄闇の中に呟いた。





「――人生、か。」


 微睡みから意識が浮上する。私は思わず溜息交じりに感傷に浸った。


 場所は駅近くの和食料理店。10月の徐々に肌寒くなってきた外とは対照的に、心地よい暖房とクラシックなBGMが掛る店内。時刻は19:00時頃だろうか。落ち着いた雰囲気の個室には私が招いた"客人ら"が6人座っている。


 個室の中は重苦しい空気が漂っていた。彼らは誰一人として口を開こうとしない。携帯端末にひたすら目を落とす者、瞼を閉じて音楽を聴いている者、視線を部屋に泳がせひたすら時間が過ぎるのを耐え忍ぶ者。


 まぁ無理もないだろう。彼らの思いを考えれば当然だ。現在、客人らは6人。あと一人が来れば人数は揃う。


 そんなことを考えていると通路側から足音が聞こえてきた。


「わりぃっす。遅れました。」


 足音の主、いかにも粗暴そうな若い男が入ってきた。年は20代前半。茶髪と着崩した服装。いかにもな若者だ。男は空いている席に腰を下ろすと私に視線を向けた。


「――さて、これで全員揃ったな」


 私が全員に軽く視線を向けると、他の者たちもイヤホンを外し、携帯端末から視線をこちらに向けた。


「無駄に前置きをするつもりはない。"薬"はここにある」


 そう告げ、私は1本の注射器と薬液の入った茶色の瓶を机に置いた。皆は興味深そうに眼を向ける。私は構わず話を続けた。


「ペントバルビタ-ルナトリウム。実験動物などの安楽死に用いられる物だ。通常では麻酔に用いられるが、麻酔量の2~4倍の量を静脈注射すると死に至る。心停止してからはすぐに意識を失う。そのあとは死ぬだけだ。」


「――ちょ、ちょっと待ってくれ。確認なんだが、キミは医学的知識はあるのか?」


 40代のサラリーマン風の男が不安そうに尋ねてきた。


「仮に正しいとしてその注射をしっかり静脈注射できるのか?僕も少し調べたが、血管に正しく注入しないと効果は無いし、激痛が走ると読んだ気がするんだ……」


 成程。薬品を使った自殺――自殺願望者が一度は考える手段だ。


「嘘を付くことはお互いの信用に関わる。」


 私はなるべく彼らの不安を煽らない様に堂々とした態度で話を続けた。


「それ故に断言するが、私は医学の教育を受けた人間ではない。」


 ――皆の顔に明らかな困惑が広がる。


「だが、しっかりと調べ上げたうえで、実際に数匹の犬で実験をして間違いが無い事を確認している。それに注射の技術も指摘されることは予想していた。今から実践してみせよう。」


 恐怖や不安を取り除いた先に、彼らは自らが迫られている選択というものを真に理解する。そのための一手を私が打とうじゃないか――


 あらかじめ用意しておいた生理食塩水を注射器に吸い入れ、アメゴム管を腕に巻き静脈を浮き立たせる。


 注射器から気泡を抜き、静脈へと針を進める。


 注射器側に血液が少し逆流するのを確認し、アメゴム管を外す。

ゆっくりと生理食塩水を注入し、止血。


 ――散々練習してきても、やはり静脈注射は緊張する。


「見せた通りだ」


 私がそう言うと何人かが思わず感嘆の声を漏らした。


「わ、わかった。ありがとう。」


 40代のサラリーマン風の男はそう言うと少し視線を落とし考え事を始めたようだった。他の者も疑念は払拭されたようでいよいよ己の中で決断の時が迫っていると自覚したのだろう。表情に緊張が見て取れた。


 しかし彼等には悪いが、私の目的は君たちの考えている事とは少し違う……


 ――満を持して今、私の人生を動かし始めようじゃないか。


「準備は整った。しかしながら、今日を命日にするのは少し考え直そうじゃないか」


 皆の困惑を無視して言葉を続ける。


「君たちは死を選んでここに来た。己のことが嫌で、ただ生きているだけで辛く、兎に角この世界から解放されたいと。


だが、考えてほしい。なぜ我々だけがこうも苦しまなければいけない?なぜ死を考えるまで追い詰められなければいけない?のうのうと暮らす彼らと我々、いったい何が違うのだ?原因は我々の怠惰か?愚劣さか?恐らく違うだろう……


敢えて答えを1つ挙げるとすればそれは世の理不尽さかも知れない。偶然にして不幸。必然にして幸。


ともすれば彼らも知るべきだろう。我々のような自殺願望者が存在するという事実。これは人々に重く受け止められるべき現実だ。


『仕方ない、ああいう奴もいる。可哀想』彼らはそう口にする。ただ、言うだけだ。はたまた社会不適合者や精神弱者と罵られる事すらある。


私は怒りを感じて仕方がないのだ。八つ当たりであり、幼い思考かも知れない。だが、我々はそのレベルまで追い詰められている。私の中のこの怒りは、紛れもない事実だ。


彼らにとって所詮は”対岸の火事”。


ならば、火の粉を飛ばしてやろうじゃないか。


――つまりは自らを責めて死を選ぶその前に、怒りに身を任せて殺してみようというのだ。我々に哀れみの目を向けるだけの人間、黙殺する人間、非難する人間。誰でもいい。私怨だろうが八つ当たりだろうが構わない。


もはや我々は倫理や道徳という崇高な思考が語られる次元には居ない。ただ泣き寝入りするかの如く、薄暗い社会の片隅で死に逝けと言われ、納得できる訳が無い!


――皆、一律に血を流せ!


我々を含めた皆の血潮が、いずれは社会全体を染め上げる。世間の注目を勝ち取り、見て見ぬふりする偽善者どもに教えてやるのだ!


我々という存在、今まで憐れんでいただけの存在がどういう者たちか。己の血によって彼らはようやく理解するだろう。


死ぬのはその後で良い。


――さぁ激情を秘める者達よ、私と共に行こう」





 数日後に賛同者だけが集まる予定となった。もちろん、死ぬ間際にいくらかの殺人行為を行う覚悟の有る者、という意味だ。私の唐突な提案に怒りを感じた者もいるだろう。人の命を、人生を弄ぶ外道と映ったかも知れない。


 だが、この私の怒りは紛れもない事実。


 この怒りに一人でも共鳴してくれたらそれでいい。


 ――そうして私は殺戮へと歩み出していった。




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