嫉妬
「…ミヤ!…ミヤ!…ミヤ!」
会場全体が女子スケート界の紛う事無き女王の名前を繰り返し叫び続ける…
僕はアルタイルスクールの人間…現在一位、二位をうちの選手が独占している以上…彼女を応援するこの歓声を只のシュプレヒコールと受け入れるべきなのだろう…
確かに彼女達とは向かうべきベクトルは同じ…切磋琢磨して時には協力もし合いながら一歩一歩ステージを登っていくべきなのだろう。
…しかし、勝負に於いては情けや後悔も時には無用になる時もある…全力を尽くしてこそ彼女達が日々、青春をスケートに捧げている
ひた向きな情熱に報いることができるのだ…
だから…僕はリカの演技を信じるだけ…ミヤさんはミヤさんの精一杯の演技をされるだろう…大会が終わったその後でみんなの演技を讃えようと思う。支える側の僕にはそうしか報いる事が出来ないと思った。
端整な顔立ちで小柄…妖精のような衣装を纏った彼女は流れるようにリンクの中央に立ち…そして演技のスタンバイの姿勢を取った。
暗めの照明…それから草原が床に映し出された。オーソドックスな映像投影の演出である…
ミヤさんの演技が始まった…彼女は古典劇…
ウィリアム・シェイクスピアの〝真夏の夜の夢〟の中のいたずら妖精パックを演じるようである。青い瞳に大きな波がうねる…幼い頃からの鍛錬と生まれ持って身につけた極限の集中力によりミヤはリカと同じように領域に身を置いていた。
元気よくコミカルな動きでモニターに映し出された彼女は会場中の視線を釘付けにする…
ミヤは軽快なステップから深呼吸をして最初のジャンプの体勢に入った。
「はっ!」妖精パックの衣装の裾がヒラヒラと広がって彼女は回転しながら宙に舞った…
刹那、ミヤの頭の中にリカのネイルブレードの演技が蘇る…「えっ…なんで…こんな時に…」彼女は若干バランスを崩したが上手く着地のブレをブレードの回転によって殺した…「ふう…」
これまでもミヤは知らず知らずにゾーン状態に入って一歩前を行く自分の姿をトレースして滑っていた…自分の影をイメージして追うだけで彼女は緊張することなくスムーズに滑る事が出来た。それ故にミスも無くこれがパーフェクトクイーンと異名を取る所以であった…
「ダメだわ…集中しなきゃ…」ミヤはいつものようにトレースすべき自分の影…イメージを見つめる為に前を向いた…ところが…
「なっ…」
ミヤにはトレースすべき自分の姿がリカの背中に見えた…自分とジュンがお詫びの気持ちを込めて装飾を施したあの衣装を着て自分の一歩前を滑っていた…
「こっ、これはどういう事…私…何でリカさんを追っているの…?」彼女は少しずつ考え始めた…スピンやステップシークエンスを一つずつこなしていくにつれて彼女の瞳から大波がうねるような青い光は消えてミヤはいつの間にかゾーン状態から抜け出してしまっていた。
演技も終盤に差し掛かってもミヤはリカの幻影をトレースしていた…最後のジャンプの為に加速するミヤは頬に冷たいものを感じた…
スピードに乗ったミヤの涙はリンクにキラキラ光りながら落ちていく…
ミヤは最後の力を込めて地面を蹴る…すると一歩前でリカの幻影も空中を笑顔で舞っていた。リカの白く光った衣装が七色に変わる…
「ああ…そうか…私…リカさんが羨ましいんだ…私もあんな舞台で…あんなに輝いてみたい!そして彼に…」ミヤの身体はバランスを崩していた…
彼女は演技を終えた瞬間天を仰いで泣き崩れた…申し訳無さげに観客に挨拶をしてキスクラで結果を待つ間も下を向いていた…
結局得点はリカに次ぐ85.83であった…しかしミヤにとっては自己ベストの更新となる好成績だった。
「パーフェクトクイーン…ミヤはまさかの二位発進で明日のフリーで逆転を狙います!」
実況の励ましのアナウンスと観客の鳴り止まない拍手に見送られてミヤは演技後、ジュンに抱えられるようにロッカールームに消えて行った…
「さあ、気持ちを切り替えて明日また全力を尽くしましょう…!リカさんもミキさんも狙うのは優勝!一番高い所だけよ…」
僕はミドリコーチの言葉に頷きながらどうしてもミヤさんが涙を流す姿が頭から離れなかった…




