第四話、インターホンが意味のない速さで扉を開けそうになるくらいに
元々流されやすい性格ではあったが。
父として、あるいは父によく似た全くの別人として、この夢のような異世界にいる自分を受け入れるようになるのに、さして時間はかからなかった。
そう。夢のような、であって夢じゃない。
今オレが生きるこの世界は、ただ凡庸と過ごしてきた前の世界とは、まったくもって別物だった。
そう思うに至るのには、小さな事から大きな事まで様々な要因があったけど。
何より突出していたのは、【曲法】などと呼ばれる特定の人々に根付く超常の力が存在していた事だろう。
その摩訶不思議な力は芸術……特に音楽の才能を持つ者に宿り、千差万別十人十色な効力をもたらした。
例えば、何もない所に火を熾す力。
エンジンもないのに空を飛ぶ力。
幻想の生き物を呼び出し従える力。
その場所を一瞬にして雪景色に変える力。
人が想像できる事ならなんでも起こりうる、そんなデタラメな力。
最早この世界は、その【曲法】なる力に支配されつつあると言っても過言ではなかった。
それでも一見すると、オレのかつて過ごした世界と変わらないように見えるのだから、それこそ不思議でならなかったが。
オレや唯一の同年の友人であるユーキの暮らしていた『青空の家』と呼ばれる施設は。
身寄りのない人には大きすぎる力を制御できずにいた子供達を、育て矯正し、社会に復帰させるのがこれまた建前上の目的らしい。
晴れてオレたちはその力を活かし社会に役立てるための学園へと入学が決まっている。
それにあたって施設を出た新たな家となるのが、オレにとって沢田家だったわけだ。
そのための面会に来てくれた両親、娘が二人の四人家族。
そこにオレが加わるわけだが、正直言って遠慮したい気持ちでいっぱいだった。
いきなりその両親が仕事の都合で家から離れなければならなくなり、年頃の娘二人(高二、高一の年子らしい)の家に上がり込む事になったしまったオレ。
残された当の本人達が過去面識のあるらしいオレならばと了承したとのことだが。
そもそもオレは彼女の知るであろう『セイト』ではないのだ。
出来る事なら迷惑をかけぬよう一人で暮らしたい所なのだけど、そのためのお金もツテもありはしない。
バイトでも探したい所だが、勝手知らぬ現代風異世界。
それもすぐには無理だろう。
まぁ、結局の所そこまでして一人で生きるくらいならば。
流された方が楽かも、なんて思ってしまったわけで。
そんなオレは、いつまでたっても夢見心地のまま、『青空の家』を出てユーキとはまた学園での約束をし、沢田家へと向かっている。
色々と常識的な渋る理由を述べたが、本当に遠慮したいのはそこじゃない。
この流れの先には、十中八九『彼女』がいる。
ただ、『彼女』から逃げたかっただけ。
逃げられないと心のどこかで認めているくせに、母親の癇癪を恐れる子供そのままに怖気づいていたにすぎない。
(オレにどうしろってんだよ、親父……)
この世界は、志半ばと言うか特にそんなものはないまま死の淵のいたオレに親父がくれた新しい人生。
根拠は全くなかったけど、夢見がちなオレにはそんな風にしか考えられなかった。
親父は一体オレに何をさせたいんだろうか?
……その答えは、きっとすぐそこにある。
そう信じつつ、オレは『見慣れた』マンションの一室、そのインターフォンを落とし込んだ。
東京近郊にある祖母と叔父が住んでいたマンション。
慣れすぎて油断していると、インターフォンと同時にドアノブに手をかけようとしてしまうオレがそこにいた。
ごく最近だってここに訪れていたのに。
何故かその時はそのまま部屋へと駆け込んでいく子供の頃の自分が思い起こされて。
そんなオレをはっと我に返らせたのは。
聞き覚えがあるようでない、この場におけるオレ自身の記憶にはとんと当てはまらない間延びした少女の声だった。
羽のようにと言う表現が似合いそうな軽い足音と近づく気配。
いろんな意味で緊張感増し増しなオレを迎えたのは『彼女』……ではなく、『彼女』の妹だった。
沢田玲。
元の世界のオレにしてみれば、叔母にあたる人。
当時子供だったオレたちが図々しかったのか、あるいは彼女が寛容だったのか。
基本的に名前にちゃん付けで呼んでいたから、無意識に間違っておばさんだなんて呼ぶ事はないだろう、なんて思っていたけど。
中学生くらい……オレの従姉妹にあたる子によく似た濃い目の黒髪ウェーブの彼女は。
そんな益体もない事を考えていたオレなんてお構いなしに突撃……じゃなかった、飛び込んでくるではないか。
ぶっちゃけると、こんな事初体験です、はい。
オーバーヒートして、おかしな行動を取らずに済んだのは、きっとこの体のスペックのおかげさまだったのかもしれない。
「う? ちょ、ちょっと? 玲ちゃんっ」
「お兄ちゃん久しぶりー。あ、でもこれからはおかえりーだね」
どうやら、『セイト』なる親父まがいの人物=現在オレは、かつてのオレとは180度異なる人生を送ってきたようだ。
子供の頃からの馴染みで沢田姉妹とも仲が良いとは当の両親から聞かされてはいたが。
会っていきなりハグとは、なるほどこのタイミングで家を空ける気になるわけだ。
少なくとも彼女には、そうさせるだけの信頼を勝ち取っていると言う事なのだろう。
そう思うと、何とも申し訳なくて仕方がなかった。
一見すると変化に乏しいながらものんびりとした口調の彼女に、叔母の姿を重ねてしまったからこそ余計に。
「あ、ええと。これからよろしくお世話になります」
「お兄ちゃんかたくるしいよ。もっと気楽でいいのに」
「いやいや、こう言うのはけじめだからちゃんとしなくちゃ」
「むぅーっ」
頬を膨らませ、ジト目で見上げてくる彼女。
実際はきっと違うのに、この娘はオレの叔母なんだと必死に思い込ませていた壁のようなものが、いとも容易く破壊される感覚。
慌ててその柔らかな感触を手放すと、ますます不満そうに離れつつもお腹のあたりをぽふぽふ叩いてくる。
もったいない……じゃなく、そんな行動で本当に良かったのか自問自答しつつ、オレは間を繋ぐためだけに話題を変えた。
「あーと、喜美照さん達がいないってのは聞いてるけど……その、お姉さんは?」
目の前の少女ならば名前で呼んでいた事もあって特に気を遣う事もなかったんだけど。
問題の『彼女』に対してなんと呼べばいいか分からず、何だか怖々探るような口調になってしまった。
「お姉さんだなんて、そんな呼び方初めて聞いたよ。変なの。晶姉ちゃんならいまちょうどおゆはんの買い物にいったところだよー。何もこのタイミングで行かなくてもいいのに、ねぇ?」
返ってきたのは、ちょっと意味深長な笑顔と首を傾げるその仕草。
避けられ、嫌われているというのとはニュアンスが違うもの。
若かりし頃の『彼女』自身というものを本人からさんざん聞かされていたオレは、何故そんな行動する事となったのか容易に想像できてしまって。
そんな事さえすぐに分かってしまう自分に……かなり辟易しつつも。
対面するその瞬間が少しばかり伸びた事に、いいやら悪いやら。
とにかく複雑な気持ちで苦笑いするしかないオレがそこにいて……。
(第5話につづく)