表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/89

第一話、コンプレックス塊男の、唐突に訪れた最期











 コンプレックス、と言う言葉がある。

 世の男の肩書きとしてつけば、悪いイメージしいかないそれ。

 


 オレ……万年政智まんねん・せいとは、紛れもなくそう呼ばれる属性を持つ人間の一人だった。

 


 それを知ってもらった上で、愚痴をこぼさせて欲しい。

 

 オレは、一人の女性から逃れたかった。

 『彼女』のいない世界へ行きたいと常々思っていた。

 いっその事いなくなればどんなに清々するだろうか、とすら思っていたんだ。



 分かっている。

 コンプレックスの塊であり、コンプレックスに侵されし者にあるまじき考えだと言う事くらいは。

 そんな事を考える自分は、人として最低なのだろうが、それこそ今更だ。

 善人ぶるつもりはない。



 だからこそ、今のオレは死にかけているのだろう。

 集中治療室の天井を見上げながら何とはなしにそう思う。

 


 おそらく、治療の甲斐無くという状態での最後の覚醒なのだろう。

 その一瞬で考えなくてはならない事はたくさんあるだろうに。

 しかし考えるのは、今話題に上がっている『彼女』の事であった。


 

 

 ―――生まれ落ちた事で、かけられ続けてきた愛情という名のメイワク。

 

 一言で言えば正義の塊のような人だった。

 

 味方には甘く、敵と認識すれば容赦はしない。

 そして、少しの悪も赦さない。

 

 我をとにかく押し通し、大きなお世話を蔑ろにすると怒る。

 不義を赦さない完璧主義。

 ようは、融通が利かないのだ。

 

 

 そんな『彼女』を刺激しないように上手く生きていく要領の良さだけがオレの取り柄で。

 その境地に至るまでは、何度も『彼女』を激高させるようなミスを犯したものだ。

 

 しかし、自分ばかり要領が良くなった程度では、『彼女』の傍にいる限り到底平穏無事とはいかなかった。

 特に最近になってからは、心臓を掴まれるような居心地の悪い日々が続いていた。

 正しさという名の精神的物理的暴力は、体よく逃げ回っていたオレ以外の身近な人に満遍なく及んでいたのだ。

 

 

 例えば親父。

 寡黙で多くを語らない彼は、家の稼ぎ頭でありながら空気が悪いという理由で趣味を奪われた。

 口下手で人付き合いの苦手な彼に、それを強制させる。

 特にお互いの会話においてどんなに理不尽で自分勝手な問いかけに対しても、

 返事がない(できない)事に正しくも怒り狂っていた。


 傍から卑怯にもただ見ていただけのオレにとって、そんな彼は物凄い力を持った勇者に見えたものだった。

 尊敬する人物を一人上げるとするならオレは間違いなく彼を挙げるだろう。

 

 

 『彼女』のつれあいであるという事だけで凄まじいが。

 何より凄いのは物心つく頃から今まで、浮気のうの字も無かった事だろう。

 多分それは、一生でただひとりの人を愛するという彼の信念だったんだと思う。

 その感覚がなんとなく理解できてしまったから、余計に凄く思えて。


 加えて彼は、どんな精神的、物理的暴力を受けても決してやり返す……手を上げる事はなかった。

 最近は年を取って顔位には多少出るようになっていたけど、兎に角その忍耐力には頭が下がるばかりで。





 気づけば。

 そんな父が、『彼女』とともに逆しまの視点でそこにいた。

 おそらく、最後の看取りにでも来てくれたのだろう。

 

 

 いやはや、人生というものは分からないものである。

 『彼女』のいない世界に行きたくても異世界に迷い込む術なんて知らなかったし、自分で死ぬ勇気もこれっぽっちもない。

 そう考えると、この結果も悪くはないのかもしれないが……。



 でも、それでも。

 何より我慢ならないのは。

 意識が浮上したその先にある目の前に広がる光景そのものだった。



 『彼女』がいる。

 泣きじゃくって縋り付く『彼女』が。

 この世の終わりかのごとき絶望を背負っている。

 もう動かない手に触れるのは、ただただ強すぎるぬくもり。



 それがひどくしゃくに障った。


 笑顔のまま天寿を全うした『彼女』を見送り、晴れて解放されたオレは自由に幸せに生きていく。

 どこかに行ってしまいたいと思う一方で、所詮それは妄想にすぎない事と良く分かっていたオレ自身の、現実におけるせめてもの願い。 


 

 どうせ、『彼女』のいない世界へ行くのなら、ひっそりこっそりがよかった。

 そう思うと悔しくて悔しくて仕方が無かった。

 今までの人生の中で、一番だと思える怒りが、オレの中から噴き出してくる。

 

 

 それが何に対してのものだったのか。

 『彼女』の事ばかりを考え、『彼女』のせいだと決めつけていたオレにとっては、その答えに気づきようもなく。




 振り払おうとするけど当然力は入らない。

 その代わりに、オレは憎しみめいたものがこもった瞳で『彼女』を睨みつける。

 

 実際、それがうまくいっていたかどうかは、もうほとんど耳も聞こえず、視界も霞んできた俺には知りようもなかったが。



 もどかしくて視線を逸らす事で、不意に視界に入ったのは、隣にいた親父の姿だった。

 彼は憎悪の瞳を向けるオレに気づいていたんだろう。

 無表情の中に垣間見えたのは、オレの死に対するものとは別の悲しみ。

 

 何故、今際の際になってそんな事が分かったというか、読み取れたのかははっきりしない。

 ただ、考え方も含めてどこか似ているかもなんて思っていた事が、それを読み取らせたのかもしれなくて。




 悲鳴のような声を上げる『彼女』から完全に視界を外し、オレは彼を見上げる。

 すると彼もそれに気づいたのか、ゆっくりとその大きな手を伸ばしてきた。

 視界が霞んでいるせいか、どこか暖かい光を放つ手を、オレはじぃっと見つめていて。



 

 ―――お前は何も知らない。


 ―――だから知らなくちゃいけない。

 



 不意に心に響いてきた気がする、そんな声。

 実際は気のせいだったのかもしれないけど、オレは父の手を取り、一体何を? と問いかける。



 当然、それに対する返事はなかったけれど。


 心と心が触れた瞬間、もう気のせいとは思えないほどに光が強くなっていって……。



       (第2話につづく)








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ