なろう主人公はサイコパスが多い
1 なろう小説主人公でサイコパスが多くなってませんか?
おそらくこれは正確な言葉にはなりえないけれども、現在、なろう小説でランキング上位に入るような作品は高確率で主人公がサイコパスであると思う。
サイコパスとはもともと犯罪心理学としての言葉であり、したがって犯罪をおかすような心理構造を有しているものという印象があるので、悪印象であるだろう。
しかし、悪であるという意味で、わたしはサイコパスという言葉を使っているわけではない。
したがって、厳密には『サイコパス』が正しい言葉であるかは自信がない。
ただ、わたしの感性を思うままに言葉にすると、サイコパスであるという認定がしっくりくることが多いのだ。
2 サイコパスって何?
一番、重要な要素は共感の能力が欠如(あるいは弱い)していることである。
相手が怪我をして痛がっているときに痛いと思えるかという話であるが、実際にサイコパスであっても、相手が痛がってるなと客観的に認識することは可能だ。ただ、相手が痛がってるからといって自分も痛がる必要はないと体性感覚として認識できるのがサイコパスである。
したがって、相手を殴ったり、骨を折ったり、極論殺したりしても、良心の呵責を感じたりすることはない。
サイコパスは暴力的だと捉えられることもあるが、それは良心という曖昧とした名前の共感感覚がないせいであり、結果的に暴力行為が多いだけで、たとえば人を殴ったりして快感を感ずるのは、それもまたサイコパスであろうけれども、別の心理構造が影響していると思う。
サイコパスはべつに人を殴らなくてもいいし殴ってもいい。
3 読者はサイコパスに憧れている?
サイコパスは悪役としての側面も有しているが、それは良心が欠如しているからである。
悪としての魅力は、確かにあるだろう。
また、それ以上にその空虚な価値観に感応する面もあるだろう。
共感とは、つまるところファルスから漏れでた精液にほかならない。
他人の精液を『キタナイ』と感じる、その感性こそがサイコパス主人公に対する憧れをもたらす。
つまり、読者は潔癖症なのだ。
誰かに支配しコントロールされ、共感し共感されることをキタナイと感じる。
自分の感性こそが世界の中心である。
したがって、同じくサイコパスである主人公にこそ共感してしまう。
皮肉なことだが、この感覚が確かに存在する。
はっきりいって、なろう小説のストレスフリーあるいは軽さの秘密はこのサイコパスさ加減にかかってると思う。
さすがなろう主人公様といわれたときに、どうしてみんなが驚くのかわからないというのは、完全にサイコパス気質である。人の共感してくる姿勢に対して、いっさいの共感への共感を返さない。朴念仁とかにぶちんとか、そういうことではない。そういう感覚を一切廃して、クリーンなイメージを保持しようとする。
心理描写を極力廃する。
これは謙虚さの演出ではない。
読者の心理的負担を減らそうとしているのだ。
スーパーで売ってるような豚の死体のパッケージ化と同じ。つまりハムのことなんですけど。
人間の心理をキタナイものとして捉え、そんなものは見たくないと感じている読者の無意識の要望をかなえているのである。
4 サイコパスとスローライフ&レベル上げ
サイコパスはスローライフなりレベル上げなりに従事するのは、一点に集中する。つまり自分の価値観と心中するという意味では、非常に親和性が高い。
サイコパスにはサイコパスの論理があり、たとえばそれが「スローライフ」だったりする。
このスローライフがえてして本当の意味でスローライフでないのは、求めているのが高水準、高文化の生活であり、要するに現代日本の文化水準に近いような生活を目指しているからである。
それはどうでもいい。
ともかく、スローライフとは少しずつ自分の世界を創っていく行為であるから、サイコパス主人公と親和性が高い。
同様に、ひたすらレベル上げを目指す作品も同様にサイコパス主人公と親和性が高い。パワーレべリングなどの要素が無い限りは、ひとりでレベル上げをするのは、単なる自己満足に過ぎない。
しかし、それは誰の共感=精液にも犯されていない聖なる自慰である。
読者はその聖なる自慰こそ求めている。
5 どれくらいの作品がサイコパス主人公系なの?
わかんない。たぶん3割程度くらい?
もちろん、まったく共感がない主人公というのも完全には受け入れがたいところがあるから、ある程度、境界にたつような曖昧さがあるように思う。
オバロやスマホ、用務員、駆除人はかなりサイコパスよりだが、本好きは境界例な感じがする。
このあたりは感性に基づくものなので、好き勝手に分類すればよいと思う。
6 だからサイコパス主人公を書こう
書こうと思って書けるの?
わたしサイコパスじゃないんだけど(と思ってるんだけど)
と思った、そこのあなた。
大丈夫です。カンタンな方法があります。
人への共感以上に、異常なほどの特異点的なこだわりがあればいいんです。
そうすればサイコパスを描けます。
もしかして中二病でもいいんじゃねって書いてて少し思った。
でも、中二病が抵抗であるとするならば、サイコパスはもう安定(諦観)している。
そこがわたしの言いたいところ。
安定して共感しない。
これが大事なんじゃないのかという仮説。