表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/34

第十一話

 白峰館へ入居してから五日が経ち、有翅学園の入学式の日がやってきた。



 だがその日、僕は超が付くぐらい緊張していて全身を鎖に縛られ猿ぐつわをはかされたような感覚に捉われ、ちょっとばかり呼吸が乱れていた。

 まあこればっかりは半ば予想の範疇だったのだけれども。


 だって今日、この日は僕にとって社会復帰第一歩目になる日だからだ。

 一年を無為に浪費してしまった事は悔やまれるが、もうどうこう言っても仕方が無い。


 だから今を頑張ろう――そう思っていた僕だったが、しかしどうにも肩に力が入ってしまい、アイボみたいな動きのまま僕は徒歩で有翅学園への道を辿った。

 そんな動きを見せる僕だったものの、これでもまだマシになった方ではあるのだ。


 早朝の事。僕の携帯電話に奈々子叔母さんからの着信が入った。


『へーい! 椛ちゃん、今日は高校デビウの日よね、そうよね! キャハッ! ちゃんと頭髪は金色ぴんぴかりんに染まっている? 白ランの準備はおーけぃ? バタフライナイフは装備したかしら? 高校初日はこわいこわーい先輩方に舐められないように気合い入れた格好をしないと駄目よ?』

「…………奈々子叔母さん」

『椛ちゃんの家賃を――――』

「………………。奈々子お姉さん、そんな恰好して学校に行ったら僕は初日から学校側から素晴らしき特別待遇を受ける事でしょうね」

 そうなれば多分、一日膝と地面を擦り合わせる作業に没頭する事になるだろう。


『えー、お姉さんの時代の男の子はみーんな、そんな感じだったわよ?』

「………………………………」

 時代を感じるなー。


 まあ取り敢えず無言での無難な対応を試みる。僕も高校生なのだから、少しくらい大人な対応を心掛けたい。


『まあ冗談は置いておきまして』

「あぁ……。冗談って自覚はあったんですね」

『もしも椛ちゃんがピュアピュアだったら私のこの華麗な話術に騙されて、一昔前のスケバンみたいな恰好して意気揚揚と学校に向かったは良いけど、泣いて帰ってきて。それをお姉さんが大人の魅力で慰めてあげて、メロメロの骨抜きになった椛ちゃんが私でそのまま童貞卒業わっしょいわっしょいみたいな展開になってうはうはだったのに椛たんったら勿体無い事したわね』

「突っ込みどころ満載な妄言をどうもありがとうございます。正直聞かなかった事にしたいぐらいなんですが、一つだけ許せないところがあるので言っても良いですか?」

『ああ、ちなみに椛たんが童貞なのは分かりきった事だから。無駄に隠し立てしたり、取り繕わなくても良いからね』

「おい、テメェふざけるなよ。だれがいつ童貞だと言ったんだ? 僕ももう人生十七年生きているんだ。いつ操を失っていても不思議じゃないだろうが」

 僕だってこれでいてやっている事、やっているかも知れないじゃないか。


 何を見透かしたような言い草しているんだ。舐めてんじゃねえぞ、畜生め。


『引き籠るようなネガティブ思考さんは齢十七にして童貞を卒業しているなんて事、有り得ないから。カマトトぶらなくても良いわよ』

「童貞ですいません…………」

 何故か謝る僕。


 でも! でもさぁ!

 僕が悪いんじゃない! 偶々機会が無かっただけなんだ!


 チャンスがあれば常に掴んで見せるような気概はあるんだ!

 だから電話越しに温い慰めの言葉を言うのは止めろ! 殺すぞ!


『椛ちゃんが緊張していないかと思ってさ』

 長々と鬱陶しい冗句を述べた後に奈々子叔母さんはふとそんな事を言った。


「いえ、そんな事は無いですよ」

 ――――――嘘だ。


 僕は今、血液が砂鉄にでも変わってしまったんじゃないかと言うくらい身体が冷たくなって、震えが波みたいに襲ってきている。

 学校の準備は昨日の内に終わらせていたが、今朝目覚めてからと言うもの、どうしても冷や汗が止まらないのだ。



 動悸が激しく、心臓の早まった鼓動が不安を掻き立てている。

 僕はベッドに腰掛けたまま、制服に袖を通す事すらままならず項垂れているのだ。


 そんな奴が緊張していないなんて、よくも平然と言えたものである。


『それじゃあ良いんだけどさ』

 明らかに声のトーンがおかしい筈の僕の言葉を聞いて奈々子叔母さんはそれ以上、追求してくる事は無かった。


 絶対に分かっている筈なのだ。僕の緊張が伝わってない方がおかしい。

 それを分かって尚、奈々子叔母さんは僕の言葉を素直に受け止めた。


 それはつまり信じてくれているのだろう。僕が問題無く学校に行けると。

 僕は一度深呼吸を入れると、


「奈々子……さん。もうそろそろ時間なんで電話切りますね」

 そう出来得る限り気丈に言ってのける。


 こんな風に思われては学校へと向かわない訳にはいかない。

 僕は叔母さんの気遣いを嬉しく思った。


『取り敢えず椛ちゃんの制服姿は後でちゃんと写メして送ってね。お姉さん、それで興奮してご飯三倍ぺろっと食べちゃえるから』

「栄養が偏ってますね。炭水化物だけだと太りますよ」

『そして私の制服コスプレ写真と合成してカップル気分を味わうのぉ! これで暫くは妄想ネタに困らないわ!』

「……ホント、歳を考えて下さい」

 気遣い出来る人ではあるけれど、何故こうも残念な脳内構造をしているのだろう。


 いや、そもそも彼女と僕が一%でも同じような血が通っていると言う事が信じられない。この人、本当に僕の叔母さんで間違いないのだろうか。全然別の知らない四十手前の婆が僕の叔母さんだと騙っているんじゃなかろうか。


 勿論、そんな訳は無いのだけれども、彼女を見ていると色々な意味で心配になってくる。

 そんなやり取りがありつつ通話を終えた僕は、先程の手先の震えが止まっている事に気付いた。


 これなら多少の無理はあれども学校へは向かえるだろう、と思い立ち玄関の戸を開けた僕は緩慢な動きながら何とか道筋を辿りつつ、今に至る。ここまで来れたのは正直、奈々子叔母さんの助けあっての事だろう。叔母さんには幾ら感謝しても足りないくらいだ。


 ただ少なからず奈々子叔母さんには迷惑も掛けられているのだけれども…………。それでも秤の針は今のところ、感謝に向いている。ならば感謝をしておこう。なむなむ。


 白峰館を出てから十五分弱、車通りの少ない中道を通っていくと有翅学園の門が見えてくる。僕は一度、門の前で立ち止まり仰ぎ見た。白を基調とした厳格さが漂う造りは立派なもので良い雰囲気の門構えに見える。確か一昨年ぐらいの台風で損壊した門を造り直したのが、今の門になるらしい。よって十年以上前に建て替えられた校舎よりも一際輝いている。だからどうした、と言われればそれまでだけれども、門は学校の玄関に当たる最初に目に付く場所となるので、ここが立派だと全体的に立派に見えるという話だ。



 実際、有翅学園は進学校と銘打っている立派な高校だ。ただ、学力的には県内で六番目から七番目をうろうろとしている程度で、規模も生徒数千人に満たないくらいなので地味で目立たない、という印象が強い。


 そんな高校の立派な門を通り過ぎつつ、体育館へと向かう。どうやら新入生は真っ先に体育館に向かい、暫く待機するらしい。僕は一年生が固められた人ごみに紛れ込みつつ、緊張で顔が強張っていた。今、誰かに話かけられたら笑顔を見せる事は最早不可能だろう。


 僕の無駄な心配は当然とばかりに徒労に終わり、誰に話しかけられるでも無く、ベルトコンベアみたいな機械的及び作業的染みた流れで入学式は始まり、何の問題も面白味も無く入学式は無事終わりを告げた。

 終わってしまえば、という言葉がよく言われているが、実際そんな感じで終わってしまえば取り立ててどうと言う事も無い入学式だった。


 敢えて何かを言ってしまえば、春独特の透き通った温かさで体育館中が満たされていた事、不安や希望と言った新入生が持つ感情で攪拌された体育館の空気は程よい緊張感で一杯だった事を上げよう。後は隣に居た人が寝てたくらいのものか。入学式で寝る事の出来るなんて随分と図太い神経をしているのだろう。僕は当然、コンクリで塗り固められたように真っ青な顔で姿勢良く座っていた訳だけれども。非常に疲れる態勢だった。

 その後のオリエンテーションも何ら問題無く進められ、自己紹介なんかも行われたが、僕も僕でそろそろ雰囲気に馴染み始めていたので普通に無難な自己紹介をする事が出来た。



 そうだ、思い出した。普段の生活なんてこんな風に何でも無い事の連続だったのだ。

 何の問題も無く、何の価値も無い。それは引き籠りであった日常とこうして学校に通う日常は大きな違いなんて何も無かったのだ。


 そこに泥の詰まった不安が内在しているだけ。

 僕は胸を撫で下ろした。外の世界はそう危険な事ばかりが起こり得る世界じゃなかった。

 オリエンテーションも終わり、僕は帰宅の途につく。無駄な緊張感を持っていた、先刻までの自分を思いだし、笑ってしまった。


 引き籠って外の世界の音を時折聞いていた事を思いだす。車の音。飛行機の音。風が唸る音。子供達が笑い合う声。ゴミ収集車やさおだけ屋が通り過ぎる音。


 今はあの沼の底とは違うところで僕はこの音を聞く事が出来る。



 それを思って僕はようやく引き籠りから脱却出来たんだな、と感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ