フルングニル星域会戦ー8
第66巡洋艦戦隊の司令官はすぐにモニターに出た。指揮所の椅子に座ったままだが一応背筋を伸ばして敬礼を送ってきたのは、普段の彼女を考えれば敬意の表れと見做すべきなのだろう。
「それで、小官に何か御用ですか?」
敬礼を終えた司令官、リコリス・エイヴリング准将は、コヴァレフスキーの顔を見ながら怪訝な表情を浮かべていた。
非礼とも言えるが、もっともな態度でもある。第66巡洋艦戦隊は艦隊群司令部直轄の部隊だが、それにしても艦隊群参謀長が一巡洋艦部隊の司令官に声をかけるなど、普通ではあり得ないことだ。
しかも第3艦隊群司令部は戦闘前リコリスに、「自らが最善と思う行動を取ること」、という白紙委任同然の命令を出している。
彼女のような人物が指揮する部隊は自由に行動させたほうが良いという判断だが、ある意味司令部の責任放棄だ。それが今更何を命じてくるのかと、リコリスは不思議がっているのだろう。
「率直に聞きたい。例えば貴官が1個艦隊を指揮すれば、この状況を覆せるか?」
コヴァレフスキーはすぐに本題に入った。かつて彼女の上官をしていた経験から言って、リコリスは迅速さと率直さを重んじる人間である。
(全く、我ながら勝手な話だがな)
コヴァレフスキーは内心でリコリスに詫びた。
艦隊群参謀長が巡洋艦戦隊司令官に助言を頼むなど、本来あってはならない事だ。自らの部隊を指揮する以外の権限を持たない人物に、参謀としての仕事を無理やり要求するようなものだからだ。
だが第3艦隊群の現状を救える可能性がある人物を、コヴァレフスキーはリコリスしか思いつかなかった。コヴァレフスキーが知る中で最も戦術的才能において優れた軍人が、この元部下だったからだ。
逆に言えば、リコリスに出来なければ誰にも現状は救えない。コヴァレフスキーは息を呑みながら、リコリスの返答を待った。
「…その質問には意味が無いのではありませんか。現実的に言って、私が1個艦隊を動かすことは不可能です」
しばらく黙りこんでいたリコリスの返答は、質問の内容自体を否定するものだった。
普通このような回答は質問者に対する反感を現すものだが、リコリスの場合はそうでないことをコヴァレフスキーは知っていた。彼女はただ、事実を指摘しているだけなのだ。
実際、リコリスが1個艦隊を指揮するのは、階級的な問題を抜きにしても不可能なことだった。
彼女の旗艦オルレアンは通信能力が充実した艦だが、流石に1個艦隊を指揮するほどの回線数は無いし、艦隊指揮に必要な数の幕僚もいない。現在のオルレアンから指揮できるのは30隻程度が上限だろう。
(人事部の石頭め)
コヴァレフスキーは内心で罵った。元々コヴァレフスキーは第3艦隊群参謀長に着任する際、リコリスを首席参謀として要求していた。
リコリスは質・量ともに問題がある部隊を率いて、何とか任務を達成してきた実績がある。第1、第2の両艦隊群に比べて規模が小さく、将兵の錬度でも劣る第3艦隊群にとって、是非とも必要な人物だと判断したのだ。
しかしこの人事要求は、「参謀職に就くのに必要な職歴が欠けている」という平時のお役所仕事のような理由により、即座に却下された。もし通っていれば、リコリスに艦隊どころか艦隊群を実質的に指揮させることも出来たのだが。
しかし過去を悔やんでも未来は変わらない。コヴァレフスキーとしては、何とかリコリスというジョーカーを役立てる方法を考え出すしかなかった。
「ならば質問を変えよう。貴官が第3艦隊群の参謀だったとすれば、どのような戦術で敵に対抗する?」
「そうですね。まず1隊を以て、敵をこのポイントに誘導します。その間、他の部隊はこのように展開します。また輸送艦と工作艦のうち、手空きの艦を…」
続けて質問したコヴァレフスキーは、「私が第3艦隊群の参謀でない以上、その質問も無意味」という回答を半ば覚悟していた。しかし予想に反し、リコリスは具体的な答えを返し、戦闘の合間に部下に作成させたらしい概念図まで見せてきた。
コヴァレフスキーは思わず笑みが浮かぶのを感じた。全く彼女らしいと思ったのだ。
前の戦争が始まるさらに前、リコリスが部下として配属されてきたとき、コヴァレフスキーは彼女の怠惰と不器用さに唖然とさせられたものだ。
書類その他を作成するのが遅い。その上ミスが多い。しかも標準的な機械の操作を何度も間違えるという体たらくで、こんな人物が士官学校を卒業できたこと自体信じられなかった。
なお彼女の着任時に送られてきた成績表は、軍事史、戦術研究、航宙術、通信術、兵器運用術と言った重要科目で10指に入る成績を出しているのに、卒業順位は中の下という奇妙な内容だった。
他の科目の成績は退学処分レベルだったが、士官不足を補うために無理やり卒業させたのではないか。リコリスの働きぶりは、コヴァレフスキーにそう疑わせるに十分だった。
彼女に対する見方を変えさせたのは、着任の2か月ほど後に行われた宇宙軍大演習の時だった。この時コヴァレフスキーは、駆逐艦の艦長として演習に参加していた。
そして演習の半ばに、どうにも使いようが無いので戦闘指揮所の要員に紅茶を淹れる係をさせていたリコリスが、急に意見を具申してきたのだ。
コヴァレフスキーは最初無視しようと思ったが、聞けば聞くほどリコリスの意見は説得力があった。試しに彼女の意見通りの行動を取った結果、演習結果の裁定者に見事な判断だと絶賛され、コヴァレフスキーが大佐に昇進するきっかけの1つとなったのだ。
その後の小演習でも、リコリスの助言はいちいち的確であり、コヴァレフスキー並びにそれまで彼女を軽んじていた士官たちを驚愕させた。
また同時に分かったのが、リコリスという人物は戦闘に関する仕事だけは真面目にこなすという事実だ。普段は自分の名前を書くことさえ厭うくせに、敵の行動パターンを何通りも仮定して、それら全てへの対処法を考えるのは苦にならないらしい。
今リコリスが見せてきた案は、紛れもなく彼女のそんな性格の表れだった。リコリスは部隊を指揮する合間に艦隊群全体の行動案を考え付き、それを纏めてしまったのだ。
戦闘指揮官としてしか取り柄がないが、その一点だけは神がかっている人物の面目躍如と言えるだろう。
「大抵の敵はひっかけることが出来る戦術ですが、不安な点が1つあります。この仕掛けを機能させるには、それなりの能力を持った艦隊指揮官が必要です。私は各艦隊の司令官についてよく知りませんが…」
リコリスが提示した案に感銘を受けていたコヴァレフスキーに対し、リコリスが警告を発してきた。 それを聞いたコヴァレフスキーは無意識に顔をしかめた。第3艦隊群の艦隊司令官や分艦隊司令官は、凡庸とは言わないまでも平凡な人物ばかりだ。
リコリスもこれまでの戦いから薄々気づいており、こうして警告してきたのだろう。
コヴァレフスキーは考え込んだ。リコリスの戦術を採用しなければ、第3艦隊群はほぼ間違いなく敗北する。しかし、第3艦隊群の司令官たちは、要求される機動を実施できるのだろうか。
(待てよ)
だがコヴァレフスキーは、1つだけ対処法があることに気付いた。指揮系統を若干無視する形になるが、それを言うならリコリスの助言を求めた時点でそうだ。毒を食らわば皿までだと決めた。
「私ならば、その機動は可能か?」
「それは… 可能と考えますが」
画面の向こうのリコリスが、困惑と驚愕の入り混じった表情を浮かべる。逆にコヴァレフスキーは会心の笑みを浮かべた。
「司令官閣下。お聞きになられましたな。司令部直轄部隊はこれから、ここに示された機動を取りたいと思います」
「あ、ああ…分かった。そうしてくれ」
次にコヴァレフスキーは、第3艦隊群司令官のベサリオン大将に意見を具申した。より正確には、強制的に同意を求めた。
第3艦隊群旗艦ゼピュロスは、司令部直轄部隊と呼ばれる30隻前後の艦に守られている。そこに混戦で僚艦とはぐれたり、旗艦沈没により司令部を失った艦を編入すれば100隻前後の部隊にはなるだろう。
コヴァレフスキー自身がその100隻の指揮を執れば、リコリスが説明した戦術は実行可能になる。
本来司令部直轄部隊の指揮権は艦隊群司令官のベサリオンにあるが、ベサリオンはどちらかと言えば参謀職の経験が長かった人物だ。参謀職より司令官職の経験が多い自分が指揮を執ったほうが確実だと、コヴァレフスキーは判断していた。
「お待ちください。流石に艦隊群司令部を危険に晒すのはやめるべきではありませんか」
画面の向こうでやり取りを聞いていたリコリスが、注意を促すように意見を具申してきた。艦隊群の指揮中枢であるゼピュロスが沈没すれば、指揮系統及び将兵の士気に甚大な影響が出る。彼女はそれを危惧しているのだろう。
「今や艦隊群自体が危険に晒されているのだ。司令部の安全がどうこうと言っていられる段階は通り過ぎている」
「…分かりました。小官もせいぜい、囮部隊の指揮官として働かせて頂くことにしましょう」
コヴァレフスキーの反論に対し、リコリスが肩を竦める姿がモニターに映る。コヴァレフスキーに翻意する気がないことは、前の戦争で共に戦った経験から分かるのだろう。
「ああ、期待しているぞ」
コヴァレフスキーはリコリスに笑いかけた。
リコリスは毀誉褒貶が激しく扱いづらい人間だが、いったん味方につければこれ程頼もしい軍人もいない。やはり彼女の助言を求めるという決断は正解だったと、コヴァレフスキーは確信した。
第3艦隊群と交戦している部隊は、正式名称を『連合』宇宙軍第四統合艦隊と言う。その頃この部隊では、司令官がまた違った決断を強いられていた。
「どうする? このまま戦い続ければ、目の前の敵は撃破できるが…」
第四統合艦隊司令官のダニエル・ストリウス大将は、全体の戦況を眺めながら独り言を呟いた。『連合』宇宙軍はこの戦いに第一、第四の2個統合艦隊を投入したが、両者の命運はくっきりと分かれたのだ。
まず、ストリウスの第四統合艦隊は優勢に戦っている。今のところ左程大きな損害は与えられていないが、流れは明らかに『連合』軍のほうに来ており、このまま行けば相手の『共和国』軍4個艦隊を撃退できるだろう。
対して、グアハルドの第一統合艦隊は『共和国』軍の急襲によって大損害を受けた。元々の戦力が敵より1個艦隊分少なかったこと、及び旧式艦中心の編成だったことが災いしたのだろう。
現在第一統合艦隊は何とか隊列を立て直して応戦しているが、状況は楽観できない。相手の『共和国』軍6個艦隊との戦力差は戦闘開始前より開いており、受け身一辺倒の状態だ。このままでは、完全に崩壊する可能性もある。
この状況において、第四統合艦隊には2つの選択肢がある。目の前の敵と戦い続けるか、第一統合艦隊の救援に向かうかだ。
前者を選べば多くの戦果が得られるが、その分第一統合艦隊に生じるであろう損害も増える。後者を選べばその逆だ。
「どう思う?」
ストリウスは作戦参謀のリッター大佐に意見を聞いた。
『連合』宇宙軍の目的は、惑星フルングニルの制宙権を維持することだ。その為に必要なのは敵に大きな損害を与えることなのか、それとも味方の被害を抑えることなのか。
「そうですね。状況に照らせば、敵に出来るだけ多くの損失を与えることを重視すべきだと考えます」
リッターは慎重な口調で回答した。策源地から遠く離れた場所で戦っている『共和国』軍は、『連合』軍より損害に弱い。損傷艦の回航1つとっても、ファブニル‐フルングニル間の距離を考えれば大仕事だ。
そのためフルングニルの制宙権維持という目標を達成するには、『共和国』軍艦を出来るだけ多く撃沈破すべきだと、リッターは述べた。そうすればいずれ、彼らは損失に耐えかねて撤退せざるを得なくなる。
「分かった。我々は目の前の敵に集中しよう。第一統合艦隊への支援は、航空戦力を使って行う」
リッターの進言を受け、ストリウスは決断を下した。第一統合艦隊は心配だが、温存していた対艦攻撃隊で敵の動きを妨害すれば壊滅は防げるだろう。第四統合艦隊はその上で、戦果拡張を目標に行動する。
「敵艦100隻前後、わが方に接近中です」
「たった100隻だと、敵は何を考えている?」
そこに来た報告を聞いて、ストリウスは首を捻った。現在の第四統合艦隊では2個艦隊が実際に戦闘しており、残りの2個艦隊はストリウスが直轄する予備として待機している。
予備の2個艦隊はそれぞれ1個分艦隊を戦闘中の艦隊に提供しているが、それでも合計戦力は約300隻。そこにたった100隻で向かってくるなど、無意味な自殺行為としか思えない。
「囮ではないでしょうか」
リッターが意見を具申してきた。
猛烈な反撃を警戒するほどの規模ではないが見逃すには惜しい程度の部隊を一見無防備に突出させ、こちらの攻撃を誘う。そして『連合』軍が攻撃態勢に入った瞬間に、隠れていた別の部隊が奇襲をかけてくるのではないか。リッターはそう疑っているらしい。
この手の戦術はどちらかと言えば『連合』軍の得意技だが、別に専売特許という訳ではない。『共和国』側の指揮官が『連合』流の戦術を試しに採用してみたということは、十分に考えられる。
「ふむ、となればあの小惑星帯の近くに別の部隊がいる可能性があるな」
ストリウスはリッターの推測を受け、付近の宙域図を眺めた。報告の敵部隊が現れた場所の近くには、惑星ないしは衛星の名残と思われる小惑星群が存在する。敵はその陰に潜んでいるのかもしれない。
「第二十五艦隊を、出現した敵への攻撃に振り向けろ。ただし小惑星側からは近づくな。相手を小惑星に向けて押し込むように動け」
ストリウスは数秒間黙考した後、予備の2個艦隊のうち1つを使って迎撃すると決めた。
ただ、敵の狙いが小惑星帯からの奇襲であれば、敵と小惑星帯の間に入るのは自殺行為だ。そこでストリウスは第二十五艦隊を、小惑星帯と自らで敵をサンドイッチする形に動かすよう命じた。そうすれば奇襲は空振りに終わらせることが出来る筈だ。
命令を受けた第二十五艦隊が、無防備に突出してきた敵艦100隻に向かって進んでいく。
同艦隊の一部は他の宙域での戦闘のために引き抜かれているが、それでも数は150隻以上。これだけの差があれば、まず負けることはあり得ない。
兵装の射程内に突入した両軍は、ひとしきり攻撃を交わし合った。荷電粒子砲から放たれる発光性粒子の束が虚空を散乱し、ミサイルの航跡が飛行機雲のように交差する。
時折出現する巨大な光は、不運な艦が反応炉に直撃を受け、轟沈したことを示す印である。
「手練れだな」
敵の動きを見てストリウスは唸った。戦力は3:2で『連合』側の方が多いにも関わらず、『共和国』側は見事な機動により、こちらにかなりの被害を与えている。
『共和国』軍が『連合』軍に優っているのはドクトリンと指揮通信能力であり、個々の将兵の能力ではないというのが、これまでの戦いから得られた戦訓だ。
しかし何事にも例外はある。一部を除いて平凡な能力しかないと言われる『共和国』軍指揮官にも、明らかに『連合』軍の平均を上回る凄腕はいるのだ。
「敵艦らしきもの、小惑星帯内部から出現しました。その数は200隻以上!」
「やはり待ち伏せ狙いだったか。しかしどこから、そんな数が?」
そこに飛び込んできた緊急信を聞いて、ストリウスは首を傾げた。
小惑星帯内部から敵が出現すること自体は予想済みだった。問題は200隻という数だ。ほぼ1個艦隊分の戦力を、『共和国』軍は今まで遊ばせていたというのだろうか。
しかしレーダーによれば、確かに200前後の何かが第二十五艦隊の前方に向かって移動しているという。
運動の仕方はエンジン付きの物体にしか出来ない等加速度直線運動であり、つまりは人工物でしかあり得ない。また無論、『連合』軍部隊はそのような場所にはいないため、敵艦と判断する他無かった。




