フルングニル星域会戦ー7
「勝ったな」
『共和国』宇宙軍第1艦隊群司令官のベルツ大将は状況を確認しながら息をついた。際どいところだったが、何とか勝利を収めたようだ。
なお現時点において、『共和国』軍は『連合』軍に壊滅的な打撃を与えたわけではない。撃沈ないし戦闘不能にした艦は全体の2割と言ったところで、後8割は十分な戦闘力を残している。
第1艦隊群はそれと引き換えに1500隻中200隻を戦列から失っており、被害だけを見れば痛み分けである。緒戦で航空優勢を失ったこと、及び防御力で上回る『連合』軍艦と接近戦を行ったことで、『共和国』軍は重い代価を支払うことになったのだ。
だがそれでも、第1艦隊群は明らかに勝利を収めていた。そう言い切れる理由は、残り8割の敵の状態である。
彼らは確かに「軍艦」としての戦闘力は残している。しかし「艦隊」としては完全に崩壊していたのだ。
『共和国』軍の攻撃を受け、戦闘突入前は各艦種がバランスよく配置されていた『連合』の各艦隊は分解している。軍艦が団子のように集まっている場所もあれば、大都会の星空のように疎らな場所もあり、とても統一された艦隊行動がとれる状態では無かった。
対する『共和国』軍は相対的に隊列を維持しており、『共和国』軍艦の長所である優れた運動性と相まって、艦隊としての行動が可能な状態だ。こうなれば後はどちらが勝つかは、戦う前から明らかだった。
これは偶然ではない。開戦後の戦訓を踏まえた研究の賜物だった。
ファブニル星域会戦後の『連合』軍は、次第に弱点だった連携の悪さが改善され始めた。彼らは戦艦の火力だけを頼みとする従来の戦法を改め、各艦種が協同して総合力を発揮する戦術に切り替えたのだ。
その改革が如実に示されたのが、オルトロス星域会戦である。同会戦における『連合』軍の一部部隊は、明らかに『共和国』軍の影響を受けた隊形を採用していたのだ。
この傾向が続けば、従来の『連合』軍を前提とした戦術は通用しなくなる。そう判断した『共和国』軍は、自軍と同じような戦術思想を持つ敵軍を粉砕するための戦術を編み出す必要を感じた。
比較的高速の艦を中心に編成され、各艦種が有機的に結合した艦隊を打ち破る為の戦術を作り上げる。それがこれからの戦闘に勝利するための急務となったのだ。
この大任を課せられた研究チームが最終的に生み出したのは、「重層同時打撃」という概念だった。主に艦隊レベル以上の戦闘において適用される戦術で、敵軍の前衛と本隊を同時に急襲することでその機能を麻痺させ、主導権を握ることを目的としている。
従来の艦隊戦ではまず前衛同士が接触し、それから本隊の交戦が始まるのが常だったが、重層同時打撃ではこのプロセスを1つに纏めてしまうのだ。
具体的な手順としては、艦隊レベルの戦いにおける従来の戦闘序列に比べて前衛と本隊の位置をずっと近くする。
そして敵味方の前衛同士が接触した瞬間、すぐ後方にいる本隊が敵前衛を攻撃してその行動を妨害する。その間に味方前衛は敵前衛をすり抜けて敵本隊を強襲、前衛への救援が行えないようにしてしまう。
艦隊というものは前衛が敵と交戦しながら情報を収集し、本隊がその情報に基づいて前衛を支援するのだが、重層同時打撃では息もつかせない同時攻撃によってこの相互関係を崩してしまうのだ。
従来型の戦術を取る敵軍は、このような同時攻撃を食らえば殆ど何の対処もできず、後は『共和国』軍の攻撃を受け続けるしかない。少なくとも『共和国』宇宙軍戦術研究課が行ったシミュレーションでは、そのように結論された。
ただ重層同時打撃というコンセプトは、易々と受け入れられた訳ではない。
概要を聞いた『共和国』の艦隊司令官や艦隊群司令官は、この新戦術に対して良く言っても半信半疑の態度を示した。理由は指揮通信系統に多大な負担をかけること、それに指揮官の能力への懸念である。
まず指揮通信上の問題だが、重層同時打撃は従来型の攻撃より遥かに高速で進むため、時間当たりの通信量と意思決定の量も増加する。『共和国』宇宙軍の指揮通信システムは世界一と言われているが、それを以てしても対応しきれるかは不明だと懐疑派は述べた。
次に指揮官の資質である。前衛と本隊が同時に戦闘に突入するというのは、つまり敵に関する情報が不明瞭なまま戦いを始めることに他ならない。このような形態の戦闘は未熟な指揮官が最も苦手とするものであり、大損害に繋がりかねないという意見が出た。
そもそも『共和国』軍では、士官を一種の消耗品としてマニュアル的に育成する。少数の有能な士官が後方で指揮を執るより、平凡な士官多数による陣頭指揮の方が有利という思想からである。
型通りであっても迅速な意思決定が行われる後者の方が、どうしても判断が遅れがちになる後者より勝っている。それが『共和国』軍的発想だ。
この方式の優位性は『共和国』軍が、『自由国』軍や『連合』軍を撃破してきたことで証明された。これらの軍隊は局所的にはしばしば『共和国』軍より優位に立ったが、全体的には『共和国』軍の速さについていけなかったのだ。
しかし無論弱点もある。この方式では必然的に多数の士官が戦死するため歴戦の指揮官が育ちにくく、特に下級指揮官の能力は信頼できないものになってしまうのだ。
『共和国』は他国の平均より教育水準が高いので、軍の下士官及び士官の補充もその分容易だが、「歴戦の将兵」は識字率がどうであろうが簡単に補充は利かないのである。
尉官はもちろん佐官クラスにさえ、戦闘教令を丸暗記しているだけのような人間が見受けられる。これがプロパガンダでいうところの「世界最強の軍隊」のお寒い現実である。
懐疑派はこの事実を以て、重層同時打撃に反対した。マニュアル的な対応しか出来ない士官でも従来型の戦闘なら可能だが、迅速な意思決定が必要な重層同時打撃を行えるかは怪しい。彼らは口々にそう述べたのだ。
対する推進派は、『連合』軍の戦術的進歩への対応の必要性、及び懐疑派の懸念は誇張されていると指摘した。
オルトロスの戦訓を考えれば、従来の戦術を続けていればいつか大敗を喫する。また懐疑派が言うほど時間当たりの通信量は増えないし、各指揮官の意思決定能力に負担がかかる訳でも無い。それが彼らの主張である。
さらに彼らが持ち出したのは、重層同時打撃は『共和国』式の指揮統制法に相応しい戦術であるという説だった。
『共和国』軍では上級指揮官が全体の方針を決定し、各下級指揮官に目標を割り振っていく。下級指揮官たちは目標達成の手段は問われないが、目標の変更は認められない。不可能な目標に拘るリスクより、命令無視によって計画が狂うリスクの方が大きいからだ。
重層同時打撃は、このような指揮統制法を取る軍隊に適している推進派は主張した。
重層同時打撃においては、攻撃のタイミングを決めるのは艦隊司令官以上の上級指揮官で、その下の指揮官はただ命令に従って目の前の敵と戦うだけ。だから懐疑派が言うほど、下級指揮官の能力は問題にならない。
また各下級指揮官には「予定の時間通りに攻撃する」という明確な目標が与えられるので、混乱の心配もないというのが推進派の意見だった。
シミュレーションや演習では、概ね推進派の意見を支持する結果が出た。この戦術の「速さ」はとにかく絶大であり、従来型の艦隊は有効な対応が出来ないままに主導権を握られた。
心配されていた指揮官の能力も、思ったほど問題は無かった。先手を取られて混乱している敵に対しては、凡庸な指揮官でも一応の対応が出来ることが分かったのだ。
しかしそれでも、戦闘突入前のベルツは出来ればこの戦術を実戦で試したくないとも思っていた。演習やシミュレーションは、どれだけ良く考えられていても実戦とは異なる。
しかも重層同時打撃では前衛と本隊が同時に交戦を開始する都合上、一度始めてしまえば途中で止められない。どちらかが戦闘力を失うまで戦い続けるしかないのだ。
だが航空優勢を握られ、受け身の戦いを強いられたことで、ベルツはやむなくコリンズの意見を容れ、重層同時打撃を命じた。
このフルングニルにおいて、『連合』軍は「負けなければいい」のに対して『共和国』軍は「勝たなければならない」。フルングニルを陥せなければ、今回の戦争における『共和国』側の勝ち筋は消えてしまうからだ。その中で勝つための手段が他にないのであれば、賭けに出るしかなかった。
その賭けは辛うじて吉と出た。『共和国』軍もかなりの被害を受けたが、『連合』軍の各艦隊は崩壊状態だ。
「敵を掃討せよ」
ベルツは短く命令した。重層同時打撃によって、『共和国』軍は犠牲と引き換えにその場での主導権を得た。
後は主導権を握り続けて敵に出来る限りの損害を与え、惑星フルングニルの制宙権獲得を盤石にしなければならない。
ミサイル再装填のためにいったん後退した駆逐艦部隊に変わり、戦艦、巡洋艦が『連合』軍本隊に襲い掛かっていく。
純粋に数で言えば戦力は互角だが、機動力に勝り、隊形を維持している『共和国』側が自由に攻撃対象を選べるのに対し、両方で遅れを取っている『連合』側はただ攻撃を受け続けるしかない。
結果として状況は、数隻の『共和国』軍艦が1隻の『連合』軍艦に集中砲火を浴びせる形となった。
必死で隊列を整えようとする『連合』軍の戦艦、巡洋艦に複数の『共和国』軍艦が接近し、使用できる砲全てで光の雨を浴びせる。
『連合』軍艦も強靭な装甲及び、スキップジャック多座偵察機による着弾観測の支援によって勇戦したが、数の差には勝てなかった。
速射性能の差も相まって、『連合』軍艦が1発撃つたびに『共和国』軍艦が5発撃ち返すような状況では、多少の質的優位が出る幕など無かったのだ。時折『共和国』軍艦に痛打を浴びせる艦もいたが、その艦もまた集中砲火を浴びて沈黙していく。
さらにミサイルの再装填を終えた巡洋艦、駆逐艦が止めの対艦ミサイル飽和攻撃を放つことで、勝敗は完全に決した。
『連合』軍第一統合艦隊は隊列が崩壊した状態で遁走し、『共和国』軍第1艦隊群が勝ち誇ったように追撃を始めている。少なくとも両者が交戦している宙域を見れば、『共和国』による惑星フルングニルの制宙権奪取は確実に見えた。
『共和国』宇宙軍第1艦隊群が勝利を収めつつある中、同第3艦隊群は苦戦を強いられていた。
緒戦は先手を取られつつも何とか痛み分けに終わらせたが、その後も主導権を取り返すことは出来ていない。各艦隊は受け身の戦闘を強いられ続け、損害は累積していた。
もっともその原因を、第1艦隊群のベルツ大将と第3艦隊群のベサリオン大将の能力差と見做すのは公平を欠くだろう。第1艦隊群と第3艦隊群は、質・量ともに異なる敵と対峙していたのだから。
まず第1艦隊群が対戦していた『連合』宇宙軍第一統合艦隊は、5個艦隊で構成されていた。第1艦隊群は6個艦隊編成だから、1個艦隊分の優位があったことになる。
第1艦隊群が、情報面での劣位にも関わらず重層同時打撃を成功させたのも、数的優位に依るところが大きい。数の優位があれば敵の行動に対する反撃の幅が広がるし、許容できる損害の量も多くなるのだ。
対して第3艦隊群が交戦中の『連合』宇宙軍第四統合艦隊は、4個艦隊で構成されている。第3艦隊群もまた4個艦隊編成だから、数的には互角である。
また質的にも違いがあった。第一統合艦隊は概ね開戦前から存在した兵器を中心に編成されていたのに対し、第四統合艦隊は新鋭のドニエプル級戦艦を主力とし、空母艦載機に占める新鋭機バラグーダの比率も大きかった。
つまり第3艦隊群は第1艦隊群とは異なり、量で互角かつ質で勝る相手とぶつかってしまったことになる。
しかしそのような事実を羅列したところで、苦戦を強いられている将兵たちには何の慰みにもならないのもまた確かなことだ。ドニエプル級戦艦が圧倒的な威力を見せ、バラグーダが我が物顔に乱舞する中、第3艦隊群の将兵たちは恐怖と屈辱に顔を引き攣らせていた。
世界最強の『共和国』軍が、ファブニルで無様を晒した『連合』軍に追い詰められている。その事実が現実的な損害以上に将兵の心を凍てつかせ、士気を奪っている。
『共和国』は他国を対『連合』戦争に参戦させるため、自軍の強さと敵軍の弱さを誇張した宣伝放送を国内外に流している。現実の『連合』軍の強さに愕然としている将兵たちは、ある意味その犠牲者だった。
もともと第3艦隊群の将兵は、前の戦争を経験した熟練兵中心の第1艦隊群の将兵に比べて若くて経験が浅い。それ故にプロパガンダを無邪気に信じやすかった彼らは、幻想を打ち砕く現実に直面して半麻痺状態となっていたのだ。
「何とかならんのか。このままでは…」
第3艦隊群司令官のゲミストス・ベサリオン大将もまた、浅黒く彫りの深い顔を歪めていた。無論ベサリオンはプロパガンダを鵜呑みにするほど愚かでは無いが、新『連合』軍の強さは彼の予想を遥かに上回っていた。
第3艦隊群は第1艦隊群とともに『連合』旧政府軍と戦ったことがある。その時は比較的容易に勝利を収めたため、ベサリオンの胸中にどこかで『連合』軍を侮る気持ちが生じたことは否めない。
兵器類は強力かもしれないが指揮通信系統がお粗末な烏合の衆。ベサリオン及び幕僚たちにとって、『連合』軍とはそのような存在だったのだ。
その『連合』軍が今目の前で高度な機動力と連携を見せ、『共和国』軍を追い詰めつつある。ベサリオンにとっては、全く予想外の事態だった。
そうこうしているうちにも、また『連合』軍の攻撃が加えられる。ベサリオンは温存していた1個分艦隊を投入、何とか危機を切り抜けた。
それが終わったかと思うと、また新たな攻撃。今度は原隊からはぐれた艦を纏めて緊急編成した戦闘団を幾つかぶつけることで、損害を最低限に止める。
そのような展開が延々と続き、ベサリオンは自らの精神力が緩慢に消耗し続けるのを感じた。
今はまだ耐えられる。今から数えて5回目の攻撃も捌き切れるだろう。しかし10回目や15回目になればどうか。そのような弱気な考えが段々と胸中に膨れ上がっていた。
(確かに、このままでは負ける)
第3艦隊群参謀長のエゴール・コヴァレフスキー中将は、ベサリオンの横で考えを巡らせていた。質的に勝る相手に主導権を握られている限り、第3艦隊群に勝機はない。
かといって第1艦隊群が実施したような強引な攻撃は選択肢に入らない。あれは量的な優位があり、こちらの隊形が比較的維持されていた状況だから成功したのだ。今の第3艦隊群が実施すれば、むしろ敗北を早める結果になるだろう。
(とにかく、突破口を開くことだ)
コヴァレフスキーは更に考え込んだ。現在の「流れ」は完全に『連合』側に向いている。局地的でも良いから勝利を得て、その流れを少しでも引き戻さなければならない。
(やむを得ないか)
コヴァレフスキーは出来れば使いたくなかった奥の手を出すことにした。越権行為に限りなく近いうえに、ある意味参謀長の職責を放棄することになるがやむを得ない。そんな些末な手続き論より勝敗の方が大切だ。
「第66巡洋艦戦隊に回線を繋いでくれ。相談したいことがあるのだ」
意を決したコヴァレフスキーは近くにいた通信士官に声をかけた。第3艦隊群が握っているただ1枚のジョーカー、この状況を覆すにはそれを切るしかなかった。




