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フルングニル星域会戦ー6

 『連合』宇宙軍第一統合艦隊を指揮するフェルナン・グアハルド大将は、『共和国』軍の「意図」についてはほぼ正確に見抜いていた。


 「各自、訓練通りに敵を迎撃しろ。接近戦に持ち込まれる前に、火力の壁で封殺するんだ」


 グアハルドは落ち着いて命令を出した。

 『共和国』軍は賭けに出た。グアハルドはそう踏んでいた。航空優勢、及び砲火力の優位というこちらの強みに対し、彼らは新鋭偵察機を投入することで対抗してきた。

 新鋭機によって一時的に情報面でのアドバンテージを互角に持ち込み、その間に速戦で決着を付けるつもりなのだろう。


 また、1個艦隊で1個艦隊を相手にするという戦い方を選んだのは、戦力の集中より速度を重視したからだとグアハルドは判断した。

 どこか特定の場所に戦力を集中するにはそれなりの時間がかかる。その間に『連合』側の航空戦力が増強されれば、新鋭機と言えども追い散らされてしまうかもしれない。そのリスクを考慮し、『共和国』側は敢えて正面からのぶつかり合いを選んだのだろう。




 (しかし、そうはさせん)


 グアハルドは接近してくる『共和国』軍部隊の位置を示すモニター内の光点を見据えた。

 『共和国』宇宙軍は確かに恐ろしい。その機動力と指揮通信能力は、艦隊戦の常識を変えたと言っていいだろう。かつての『自由国』宇宙軍は、そして開戦前は世界最強を自負していた『連合』宇宙軍もまた、『共和国』宇宙軍の速さに対抗できず、何度も苦杯を舐めさせられた。


 だが『連合』宇宙軍もまた、彼らを師として進歩してきた。高速のミサイル戦闘群による急襲という戦術が、もはや無敵ではないと教えてやる。





 グアハルドの命令を受け、『連合』宇宙軍の各部隊は迎撃用の陣形を整えた。

 巡洋艦と駆逐艦を前面に出し、その少し後方に戦艦を配置する。旧政府軍時代からの戦訓を元に新政府軍で採用され、オルトロス星域会戦で効果を発揮した戦術である。


 『共和国』宇宙軍の基本戦術は戦艦の砲撃でこちらの前衛を粉砕し、その隙間からミサイル戦闘群を突入させてくることである。当時結成間もなかった新政府軍は、今回の戦争における宿敵の戦術についてそう分析した。

 『共和国』-『自由国』戦争時、及びファブニル星域会戦時の『共和国』宇宙軍は、ミサイル戦闘群単独で襲撃を行うことも多かった。しかしそのような攻撃はしばしば、『自由国』軍前衛より質・量ともに勝る『連合』軍の前衛によって阻止された。

 そこで彼らは、前衛を戦艦主砲でこじ開けてからミサイル戦闘群を本隊に向かわせるという、強引な戦術を取るようになったのだ。


 『共和国』宇宙軍の戦術的変遷を受け、『連合』宇宙軍も戦術を変えた。

 前衛の巡洋艦や駆逐艦を本隊の遥か前ではなく、本隊からの援護をすぐに受けられるような位置に置くことにしたのだ。隊形の密集化による索敵能力の低下は、偵察機部隊の充実によってカバーした。


 

 新たに採用された隊形の狙いは、前進してくる『共和国』軍戦艦部隊の粉砕である。

 『連合』軍前衛の巡洋艦と駆逐艦は戦艦による火力支援を受けながら、敵戦艦を集中攻撃する。そうすれば『共和国』軍の攻撃を頓挫させるか、少なくとも相打ちに持ち込むことが出来るからだ。

 この隊形はオルトロス星域会戦で初めて使用され、『共和国』軍戦艦多数を撃沈する戦果を上げた。




 「さあ、来い。『共和国』軍」


 グアハルドは全体の戦況を表示するモニターを見つめながら、挑発するように呟いた。

 新しい隊形も無敵ではないが、少なくとも消耗戦に持ち込むことは出来る。そして消耗戦ならこちらの勝ちだと、グアハルドは確信していた。











 



 一方のベルツもまた、自軍の勝利を確信しつつあった。これなら勝てるという思いが、不安に変わって胸郭を満たし始めている。


 「貴軍は進歩した。それは認めよう。だが我々も立ち止まっていたわけではない」


 ベルツは旗艦アストライオスの戦闘指揮所で宣言するように言った。

 敵軍の展開パターンはオルトロス星域会戦で見られたのと同じものだ。『共和国』軍に範をとったと思しき、各隊の間隔をほぼ均等にした複列縦陣である。

 これまで『連合』軍で見られた隊形よりずっと戦力の集中がしやすく、艦隊というシステムの総合力を発揮できるようになっている。


 しかし無敵では無い。原型を生み出した『共和国』軍はそれを理解しており、粉砕する方法を編み出していた。





 ベルツら高級士官たちが見つめる中、『共和国』軍の各部隊は行動を開始した。

 まず最も前方にいるミサイル戦闘群が敵前衛と接触する直前、すぐ後方にいた本隊の巡洋艦部隊が対艦ミサイルを一斉に発射する。各艦隊につき数百発の青白い光の矢が、『連合』軍前衛の巡洋艦及び駆逐艦に殺到した。


 いきなりミサイル攻撃を食らった敵前衛は、隊列を大きく乱した。整然と並んでいた複列縦陣は崩壊し、各艦が自らに向かってくるミサイルを回避しようと高速回頭を繰り返している。まるで水を注がれたアリの巣だ。そしてその中に、ミサイルの命中を示す巨大な白い光が疎らに浮かび始めた。


 「よし、これでいい」


 ベルツは会心の笑みを浮かべた。遠距離からの発射であったこと、及び敵の回避運動によってミサイルの殆どは空振りに終わり、戦果は全体で40隻前後の撃沈破に留まる。

 しかしそんなことは重要ではない。『共和国』軍はミサイル攻撃によって、高速戦闘における最重要資源である「時間」を買うことに成功した。それこそが『共和国』軍の新戦術の肝なのだ。




 右往左往する『連合』軍前衛の間を、青白い光の筋が幾つも通過していく。『共和国』軍が送り出したミサイル戦闘群である。

 ミサイル戦闘群は混乱している前衛を完全に無視し、本隊の戦艦部隊に向かって突入していった。




 事態に気付いた『連合』軍前衛は、団子のように乱れた状態のままミサイル戦闘群を追おうとしていた。

 丸腰の戦艦部隊は、多数の駆逐艦に対する攻撃に対して非常に脆い。ファブニル星域会戦において、『共和国』軍が『連合』軍に叩き込んだ戦訓だ。『連合』軍の巡洋艦や駆逐艦はそれを踏まえ、必死で戦艦部隊の傍に向かおうとしているのだ。



 「敵も学習能力が高いですね。隊列の整頓より速度を優先するとは」


 コリンズが感心したように言い、ベルツも頷いた。

 戦闘において共に重要だが互いに相反する原則として、「戦力の集中」と「拙速は後緻に優る」がある。

 指揮官は戦力を逐次投入してはならない。だが一方で、部隊を完全な状態で投入することに拘泥すれば、その間相手に好き放題に行動されてしまう。このジレンマの妥協点を見つけ出せることが、軍隊の能力の相当部分を占めると言っていい。


 そして目の前の『連合』軍は、不完全な状態であってもとにかく救援部隊を送って戦艦への攻撃を阻止するという、「拙速」寄りの妥協をした。両軍が現在戦っているような形式の戦闘では正解である。『連合』軍がファブニルの戦訓を真摯に学んでいることが伺えた。



 「しかし甘いですね。それだけではわが軍に勝てない」


 次にコリンズは独り言のように呟いた。端正な顔が興奮と喜悦で歪んでいる。

 シェファードとルイコフが冷たい視線を向けたが、コリンズは冷笑で応えた。その笑みが敵軍ではなく自分たちに向けられていることに気づき、2人の顔が紅潮する。

 一応戦闘中なので自重しているようだが、平素なら殴り合いになりかねない程険悪な空気が漂っていた。



 ベルツはそっと溜息をついた。この3人の参謀は全員能力的には問題ないが、とかく相性が悪いのが難点だ。いや航空参謀2人はともかくコリンズに関しては、彼とうまくやれる人間のほうが少数派だろうが。


 

 しかし司令部からコリンズを外すわけにもいかない。軍事的才能で彼と並び得る人間と言えば、現在巡洋艦部隊を指揮しているという、リコリス・エイヴリング准将位しかいないためだ。

 

 リコリスはコリンズと違って、目下の人間には割と慕われることが多い。理由は単純で、彼女が指揮する部隊は激戦地に投入される割に生還率が高いためである。

 「兵を効率的に死なせる」コリンズより、「兵を出来るだけ死なせない」リコリスの方が、仕える側にとっては有難い。

 だが一方で人当たりの悪さについては、リコリスとコリンズは五十歩百歩である。下っ端は無邪気にリコリスを尊敬できるが、彼女と共に戦ったり、彼女を直属の部下として使う人間はあまりにも直截な言動に悩まされることになる。

 彼女をコリンズの代わりに首席参謀として迎え入れても、周囲との軋轢は避けられないだろう。


 また経歴の面から言っても、リコリスは小部隊の指揮官としての勤務ばかりで参謀職を務めたことが無い。コリンズを外してリコリスに変えるという選択肢はあり得なかった。





 戦闘指揮所に流れる険悪な空気に耐えながら、ベルツは戦況を確認した。コリンズの言うとおり、モニターの向こうでは『連合』軍にとっての惨事が展開しつつあった。

 

 まず、回頭してミサイル戦闘群の阻止に向かおうとする『連合』軍前衛に、太い光の束が何百本も突き刺さった。『共和国』軍本隊の戦艦が砲撃を開始したのだ。

 回頭中で反撃もままならない巡洋艦や駆逐艦を、最強の砲火力を持つ戦闘艦艇である戦艦が攻撃すればどうなるか。その答えは一瞬にして出た。

 『連合』軍の隊列各所に直撃を示す閃光が走り、そのうち幾つかは轟沈を示す大爆発に変わる。巡洋艦としては世界最強の防御力を持つコロプナ級巡洋艦でさえ、戦艦主砲の前では全くの無力だった。ヘビー級ボクサーのパンチがライト級にヒットしたように、戦艦主砲で撃たれたコロプナ級は次々に停止していく。

 幾ら前級に比べて防御が強化されていても、巡洋艦の装甲など戦艦の前では紙同然。その事実をこれ以上ないほど冷徹に示す光景だった。



 事態を確認した『連合』軍駆逐艦部隊の一部は、回頭を中止して『共和国』軍戦艦への攻撃を試みた。味方戦艦部隊の救援に拘るより、敵戦艦を攻撃した方がいいとの判断だろう。


 その判断自体は基本的に健全なものだったが、この状況下では悪手だった。『共和国』軍戦艦部隊の前面には、巡洋艦部隊が手ぐすねを引いて待ち構えていたからである。

 さらに『連合』軍駆逐艦部隊にとって不幸だったのは、隊列の混乱のせいで各隊がばらばらに突撃する形になったこと、それに『共和国』軍巡洋艦の性能だった。

 第1艦隊群の編成には、世界最速の速射性能を誇る主砲を持つアクティウム級や、両用砲しか持たないがそれ故に小型艦への攻撃では威力を発揮するバラクラヴァ級といった新鋭巡洋艦が含まれている。

 これら新鋭艦が全体に占める割合はさほどのものでは無かったが、運悪くその近くを通ってしまった駆逐艦にとっては死神そのものだった。



 ばらばらの状態で突撃する『連合』軍駆逐艦に、戦艦主砲より小さいが速射性では遥かに優る光の束がばら撒かれる。その光に触れてしまった駆逐艦は、兵装を吹き飛ばされたり機関部を貫通されたりして次々に停止した。


 「我々は光の雨に打たれた」、この戦闘で大破しながらも辛うじて生還したとある駆逐艦の艦長は、個人的な日誌にそう書き残している。それほど『共和国』軍巡洋艦の砲撃密度は凄まじく、俊敏な駆逐艦と言えども回避は困難だったのだ。

 『共和国』軍の砲は伝統的に速射性を重視しているが、少なくとも対駆逐艦戦闘に関する限りその選択が正しかったことを、この一戦は証明したと言える。


 何とか巡洋艦部隊の砲火を回避して戦艦への接近に成功した幸運な艦もいたが、その数はあまりにも少なく、戦況を逆転するには至らなかった。大抵は戦艦自身の副砲に阻まれ、遠距離からミサイルを発射して及び腰で後退するしか無かったのだ。


 『連合』軍の巡洋艦、駆逐艦が苦悶している宙域のやや後方では、また別の惨劇が発生していた。大小の航跡や荷電粒子砲から放たれる光が入り乱れる中、戦艦主砲の直撃をも上回る爆発光が連続して走っている。

 『共和国』軍駆逐艦が放ったASM-15対艦ミサイルが、『連合』軍戦艦に命中しているのだ。『連合』軍にとっては、ファブニル星域会戦を嫌でも思い出させる光景だった。
























 ソニア・フリートウッドは緊張しながら、第一司教の姿を見つめていた。正確に言うと、第一司教の細い手の先にあるカップを。

 ソニアの視線に気づいているのかいないのか、第一司教は無造作と言っていいような手つきでカップを持ち上げ、中の液体を口に含んだ。



 

 緊張のあまり数秒か数十秒かも分からなかったが、とにかく幾らかの時間が経過した後、第一司教はカップを置いた。ソニアは彼女の完璧に整った顔を見つめた。

 そう、本当に第一司教の姿は完璧だった。これほど完全な美しさを持つ人間が存在すること自体が、救世教徒のいう「神」が実在する証拠ではないかと思うくらいに。


 カップを置いて数瞬の後、今まで無表情だった第一司教の表情が不意に変化した。心臓の動悸が早まるのを感じながら、ソニアは彼女を観察し続けた。どうだろう。成功だろうか、それとも失敗だろうか。


 「驚きました」


 言葉通りの心底驚いた顔で、第一司教が呟いた。どちらの意味なのだろう。考えても仕方がないことだが、ソニアは必死で考えた。

 出来る限りの努力はしたはずだ。しかし、失敗した可能性は十分に考えられる。それ以前に、他の人間に対して実際に意味があるのかも不明だ。全てはソニアの感覚と経験のみに依拠しているのだから。



 ソニアが緊張で倒れそうになる中、第一司教は再び口を開いた。


 「同じ道具を使っていても、これほど差が出るものなのですね。これ程に美味しい紅茶を、私は飲んだことがありません」

 「よ、良かったです! 喜んで頂けて!」


 第一司教の感想を聞いたソニアは思わず叫んでいた。全身に歓喜が満ちるのを感じる。ソニアが自負する唯一の特技を、第一司教は認めてくれたのだ。

 同時にソニアの全身を貫いたのは、一種の恐怖にも似た感情だった。

 ソニアの紅茶を淹れる腕前など、誰にも知られることが無いはずだった。軟禁されていたソニアの元を訪れるのは使用人だけで、彼らがソニアと会話することは殆ど無かった。もちろん、ソニアが紅茶を振る舞う機会もなかった。

 使用人たちは物を置いたり伝言を告げたりといった用を済ませた後は、長居は無用とばかりにすぐに出て行ってしまったからだ。自分は誰にも紅茶を振る舞うことなく、処刑台に消えるのだろう。紅茶の淹れ方を日々研究しながらも、ソニアはそんな空しさを覚えていたものだ。


 その自分が、他人と一緒に紅茶を飲むことが出来た。しかも相手は、ソニアが淹れた紅茶を褒めてくれた。

 信じられなかった。これは自分の願望が生み出した白昼夢ではないか。目が覚めれば自分はまた1人きりで、あの殺風景な部屋の鉄格子の隙間から僅かに見える空を眺めているのではないか。



 しかしソニアが目をつぶり、再び開けても、第一司教は確かに目の前で微笑んでいた。ソニアに優しい眼差しを送りながら、紅茶を少しずつ口に含んでいる。

 ソニアは目頭が熱くなるのを感じた。同時に全身が震える。幸せだという感情と、自分がここまで幸福であっていいはずが無いという恐怖が、ソニアの胸中を支配していた。


 「どうしました?」


 そんなソニアを見て、第一司教が怪訝そうに声をかけてきた。ソニアは誤魔化すように、自分の分の紅茶を口に含んだ。


 そう言えば緊張と歓喜のあまり失念していたが、誰かに飲み物を出すときは自分も相手と同時に飲むのがマナーである。

 理由は自分だけ飲まなければ、相手を毒殺しようとしているのではないかと疑われるから。同じ理由により、自分と相手の飲み物は両方とも同じティーポットから淹れ、カップは相手に選ばせるのが礼儀とされる。


 (考えてみると、本当に碌でも無い)、『連合』旧政府時代のマナー及びその裏にある理由を思い起こしながら、ソニアは内心で溜息をついた。

 フリートウッド家の公刊歴史書では誤魔化されているが、『連合』旧政府の歴史には、高官が「不慮の病死」を遂げた例がやたらに多い。そのような死は有能すぎたり無能すぎたりして周囲に脅威を与えていた人間に集中しており、裏に何かがあることを伺わせる。

 その「何か」を察知した財閥階級の人間たちが、毒殺の意図が無いことを暗黙の裡に相手に伝えるための様々な習慣を作り出した。これが『連合』における礼儀作法の起源である。

 


 なお医療技術の発達により、最近では謀殺の成功率は低下している。そのため政敵を排除する手段としては告発による処刑が多用されるようになり、各財閥はソニアのような「スペア」を置くようになった。 旧政府においても暗殺と煩雑な礼儀作法の時代は終わり、かつての『共和国』で見られたような粛清の時代が始まりつつあったのだ。もっとも、それが本格的に始まる前に旧政府は新政府によって引導を渡された訳だが。



 旧政府の恥ずべき歴史を思い出しながら、ソニアは再び身震いした。自分がのんびりと紅茶を飲んでいられるという状況が、いかに偶然の積み重ねによるものであるかを、改めて感じたのだ。


 「何か言いたいことがあるのですか?」


 そんなソニアの様子を見て、第一司教が再び話しかけてきた。誤魔化したつもりだったが、ソニアの内心の混乱は彼女にもしっかりと伝わってしまったらしい。



 「な、何でもありません。ただ… 嬉しいんです。こうして、猊下と紅茶を飲んでいられることが。ずっと、私の夢でしたから」


 ソニアは躊躇いながら、第一司教に自らの思いを伝えた。誰かの身代わりとして処刑されるはずだった自分が、今こうして生き延びている。

 それどころか、かつては夢でしか無かった穏やかな時を過ごしている。それが嬉しく、また信じられないのだと。


 「…そうでしたか」


 第一司教が嬉しそうな、それでいて少し悲しそうな声で返答してきた。


 「それが今までの貴方の夢だったのなら、今から新しい夢を見つけていきましょう」

 「はい… 猊下」


 次に第一司教は労わるように言い、ソニアは慌てて返答した。

 だがソニアには、「新しい夢」と言われても今一つ実感が湧かなかった。何しろ生涯の大半を、あの息苦しい独房で過ごしてきたのだから。


 「そう言えば、猊下の夢は何ですか?」


 次の言葉に詰まったソニアは何となく聞いてみた。第一司教は『連合』という巨大国家の指導者だ。言わば普通の人間が夢の中ですら思わない地位を、非常に若くして得ていることになる。

 その彼女は、この上どのような夢を持つのだろうか。


 例えば救世教徒の数を増やす事、或いは『連合』の領土を増やす事だろうか。ソニアの経験上、一定の富や権力を得た人間は、同じ成功を拡大して再現しようとするものだが。


 

 「そうですね。世界の人類が皆、争わず平和に暮らす事。それが私の夢です」

 「え!? 確かに… 素晴らしい夢だと思いますが」


 だが第一司教の回答は、ソニアの予想を完全に裏切るものだった。あまりに抽象的で子供じみた、戦時下の指導者と言う重責を背負った人物には到底似つかわしくない夢。

 冗談を言っているのかと思ってソニアは第一司教の顔を見たが、その表情は真剣そのものだった。






 「分かりました。私にも、猊下の夢をお手伝いさせてください」


 この人は本気だ。ソニアは直感的に気づいた。第一司教は単なる大国の指導者に甘んじるのではなく、その遥か先にある理想を追っている。

 ならば自分も、その夢を共有しようとソニアは決意した。第一司教はソニアの夢を叶えてくれた。今度はソニアが、第一司教の夢に貢献する番だった。

 

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