フルングニル星域会戦ー4
「敵に対して丁字を形成。先頭艦に砲撃を集中せよ」
リコリスは薄く笑みを浮かべながら命令した。反転の途中だった7隻が少しだけ針路を変え、接近中の敵艦に横腹を向ける形になる。
数秒後、敵1番艦に発光性粒子の束が殺到し始めた。一つ一つは小さいが、数は半端ではない。まるで光のスコールが、敵艦を打っているようだ。
その光の豪雨の中で、敵巡洋艦の艦形は少しずつ、だが確実に崩壊し始めた。艦上構造物のいたるところに虫食いのような穴が開き、やがては全体が消し飛んでいく。一見して主砲塔に被害は無いように見えるが、相手の砲撃の間隔は徐々に開いていき、狙いも不正確なものとなる。
アリの大群に集られた昆虫のように、敵1番艦は緩慢な死を迎えつつあった。
「司令官、これは?」
「数の力よ。1隻の火力は小さくても、7隻集まれば途轍もない力になる」
安堵と喜びと困惑が入り混じったような声を上げたリーズに、リコリスは説明した。
オルレアンは対艦砲6門と両用砲8門、ポルタヴァ級巡洋艦は対艦砲10門を片舷に指向できる。いずれも巡洋艦の砲力としては著しく小さいが、7隻合わせれば砲の数は74門となる。これだけの砲を向けられれば、大抵の巡洋艦はひとたまりもない。
「一撃で致命傷を与えることだけが戦いでは無いわ。浅い切り傷を大量に負わせて失血死させるというのも、戦い方の一つというわけ」
リコリスが説明する中、敵1番艦はまさに大量の傷を負った人間が崩れ落ちるように動きを止めた。
こちらの砲では機関部にまでは打撃を与えられないはずだが、砲撃が重要な電路を切断するか、乗員を大量に死傷させて正常な運航を不可能にしたのかもしれない。
「さてと、予定通り脱出しましょうか」
「え? 2番艦以降はどうするんですか?」
リーズが怪訝そうに聞いてきた。追撃してきた敵艦は後3隻いるが、放置していいのか気になるようだ。
「どうせ追いつけないわよ。停止した1番艦が邪魔になって」
リコリスは笑みを浮かべた。
通常の戦闘で丁字を描かれた場合、隊形を斜め単横陣に変更するか、或いは単縦陣のまま敵の斜め前方に突っ込むのが定石だ。
丁字戦法の利点が指向できる砲の数に差をつけて火力で圧倒することである以上、丁字を描かれた側は可及的速やかに位置関係を変え、先頭艦の前部砲塔以外の砲を使用できるようにしなければならないのだ。
しかしそれが出来るのは、周囲に何もなく行動の自由が保障されている場合だ。こんな残骸だらけの宙域で隊形や針路を急激に変更すれば、かなりの確実で衝突事故を起こす。
敵1番艦が身動きもできないまま撃たれたのはまさにそれが理由だった。単縦陣・最大戦速で接近するという、開けた場所では最善の接敵行動は、残骸が浮遊する場所では自殺行為だったのだ。
しかも敵1番艦が戦闘航行不能になったことは、『共和国』側にとってさらに好都合な結果をもたらした。
敵巡洋艦4隻は先頭艦が通過した場所を他の艦が通過するという、障害物の多い宙域における基本的な航宙法を使って第66巡洋艦戦隊に接近した。その中で1番艦が停止してしまえば、2番艦以降の航路は塞がれてしまう。
前進出来なくなった2番艦以降が隊形を変え、第66巡洋艦戦隊への追撃を行うには、アクロバット並みの高度な操艦技術が必要になるだろう。
「と言うわけで逃げましょう。こんな場所に長い間いるのは危ないし」
言うとリコリスは各艦航宙科に指示を出した。後3隻の敵巡洋艦を1番艦と同じ目に遭わせる自信はあるが、問題は他の敵艦が介入してくるかもしれないことだ。
特に高速で小回りの利く駆逐艦が大量に突っ込んできた場合、図体の割に砲火力が乏しい第66巡洋艦戦隊は極めて不利な状況に置かれる。ここは逃げの一手だった。
「味方艦より入電です。先ほどのミサイル攻撃は敵戦艦5隻に命中。うち1隻は撃沈確実とのことです」
「流石にドニエプル級は堅いわね」
唐突に飛び込んできた別の戦果報告に、リコリスはそんな感想を漏らした。発射位置がやや遠かったこともあるが、124発ものASM-15を発射して撃沈は1隻だけ。世界最強の戦艦の力を改めて思い知らされたような気がした。
「まあ、いいとしましょうか。とにかく、戦況は好転したようだし」
次に戦況図を確認したリコリスは気を取り直して言った。敵戦艦5隻の撃沈破により、この場で投射可能な火力量は『共和国』側優勢となった。第66巡洋艦戦隊は、ささやかながら戦況の改善に貢献することが出来たのだ。
それより遥かに重要な事実として、巡洋艦の後をついてきていた『共和国』側の戦艦部隊が介入を開始し、先ほど『共和国』軍巡洋艦部隊が味わった地獄を、今度は『連合』軍巡洋艦に与えている。
敵の罠にかかりかけた『共和国』宇宙軍だが、完全に銜え込まれる前に対処することに成功したのだ。かなりの出血と引き換えではあったが。
(緒戦は痛み分けか)
モニターに表示された彼我の損害表を見ながら、リコリスは内心で結論を出した。
表によれば『共和国』軍は敵に自らの2倍の損害を与えている。しかし戦闘途中の戦果報告には誤解がつきものだ。実際の損失比は引き分けか、せいぜい辛勝と言ったところだろう。流石は新政府軍と言ったところだった。
惑星フルングニル周辺において、『共和国』宇宙軍第1艦隊群もまた、第3艦隊群にやや遅れて交戦を開始していた。
艦隊の前縁では砲から放たれた発光性粒子たちが交差し、ミサイルが放つ青白い航跡が華を添えている。時折起きる巨大な爆発は、不運な艦が機関に直撃を受け、轟沈したことを示す。
数えきれないほどの人間が乱れ飛ぶ光の中で散華していることさえ考えなければ、それは人類が生み出しうる最も美しい光景と言えた。
しかしその美しさを鑑賞出来る余裕を持った人間は、この場には無論存在しなかった。どちらの軍の将兵も敵を倒すため、或いは自らが生き残るために全神経を集中している。
最初は無秩序に見えた両者の交戦だが、次第に傾向が見え始めた。即ち攻める『連合』軍と、守る『共和国』軍というパターンである。
個艦の防御力に勝り、より密集した隊形を組んだ『連合』軍が『共和国』の相対的に薄い隊列に猛攻を加える。対する『共和国』軍は得意とする戦力の機動集中によって、『連合』軍の攻撃をあしらおうとする。
戦況は一見互角に見えるが、実質的には『連合』軍が優位であることは軍事を学んだ者が見れば明らかだった。
『連合』軍は戦闘における最重要要素の1つである主導権を握っている。対する『共和国』軍は、『連合』軍の攻撃を受動的に受け止めているだけだ。
このまま戦闘が続けばいつかは『共和国』軍の隊列に綻びが生じ、そこから全面的な崩壊が始まるのは明らかだった。
「何ということだ!?」
『共和国』側旗艦アストライオスの艦内では、司令官のディートハルト・ベルツ大将が状況を眺めながら苦渋の表情を浮かべていた。
このフルングニル星域会戦は、『共和国』にとって絶対に勝たなければならない戦いだ。もし敗北してフルングニルの制宙権獲得に失敗すれば、その後に予定されているフルングニル攻略作戦は自動的に流産する。
そしてフルングニルを落とせないということは、その先にある『連合』首都惑星リントヴルムを落とせないということを意味するのだ。
この戦争を『共和国』優位の形で終わらせるにはリントヴルム攻略しかない。それが『共和国』の軍及び政府の総意だ。
『連合』の領土はあまりに巨大であり、周縁部の惑星を切り取って経済的な失血死に追い込むという戦略は通用しない。『連合』の産業力を顕著に低下させるほど多くの有人惑星を、占領ではなく撃退を指向した軍隊である『共和国』軍が占領するのは、端的に言って不可能なのだ。
『共和国』がちまちまと各惑星を占領している間に『連合』軍は奥地で戦力を回復させ、過剰展開した『共和国』軍を蹴散らしてしまうだろう。
だからこの戦争に『共和国』が勝つには、外堀ではなく本丸を急襲するしかない。
その「本丸」であるリントヴルムは、『連合』の政治的中心地兼恒星間交通の中心地だ。ここを陥落させれば『連合』の国土を二分し、産業に甚大な被害を与えることが出来る。
また首都惑星を失えば、現政府の威信は当然失墜する。そうなれば、特に反救世教色が強い地域が、旧政府を基にした『共和国』の傀儡政権を受け入れる可能性も強まるだろう。
戦争を旧政府対現政府の内戦にすり替えて初めて、『共和国』は『連合』という巨人を打倒できるのだ。
しかしこのままでは、全てが画餅に終わってしまう。不本意な戦況を見ながらベルツは唇を噛んだ。 『共和国』宇宙軍はリントヴルムに達するどころか、その手前のフルングニルで苦戦を強いられている。ここで壊滅しないまでも撃退されれば、『共和国』の戦争計画は根底から崩壊してしまうのだ。
ベルツは一瞬、その先の未来を幻視した。スレイブニルに退却していく『共和国』軍、そこに来寇する再編された『連合』軍、そして連続する後退と最終的な破滅。
『共和国』の国力は属国2つを足しても『連合』の半分程度に過ぎない以上、フルングニルで勝てなかった場合の帰結はそれしかないと思われた。
「司令官、小官に1つ案があります!」
憂慮で静まり返った戦闘指揮所に、突然溌剌とした若い声が響いた。ファブニル星域会戦の時から主席参謀を務めているノーマン・コリンズ准将の声である。
「何だね?」
ベルツは半ばすがるように聞き返した。
コリンズの人格面での評判は芳しくない。才気のある若い士官が上官に疎まれがちなのは当然だが、コリンズの場合部下にも嫌われているのが特徴だ。緻密な頭脳を持つ人間にはありがちだが、部下をチェスの駒としてしか考えないのが原因だろう。
しかし一方でコリンズには、そのような悪評を受けてもなお昇進を続けるだけの軍事的才能がある。現在のような状況において、彼の意見は何にも増して必要とされるものだった。
「まず現在の苦戦のそもそもの原因は、航空戦における敗勢です。敵の偵察機が自由に活動している一方で、わが軍の偵察機はこそこそと飛ぶしかない。そのことが情報面での差を生み出し、敵に主導権を渡す原因となっています」
「確かにそうですが、それがどうしました? 主席参謀殿のご意見に従えば、航空機の性能差を覆せるとでも?」
第1航空参謀のマイケル・シェファード少将が、呆れかえったように言った。隣では第2航空参謀のセルゴ・ルイコフ准将も頷いている。
もともとこの2人はコリンズと仲が悪い。コリンズが航空隊を消耗品扱いするような作戦をしょっちゅう立てるためだ。
そのコリンズが本来は2人の職分である航空戦についての解説を行ったことで、日ごろの対立意識が表に出たらしい。
「私は司令官閣下に話をしているのです。部外者は黙って頂きたいですな」
対するコリンズは、慇懃無礼そのものの口調で2人の言葉を切り捨てた。シェファードもルイコフもコリンズより20歳近く年上だが、そのようなことにはまるで頓着しないのがコリンズという人間である。
「さて、賢明なお二方が先ほど宣った通り、私個人の才能で航空機の性能を変えることは出来ません」
コリンズはベルツの方に向き直ると、厭味ったらしい口調で言った。「もちろん偉そうなことを言っているシェファードやルイコフにも変えられない」と言外に言っているのは明らかだ。それを察してか、2人の顔がやや紅潮した。
「ならばどうする? 双方の航空戦力は量的には互角だ。質の面でこちらが劣っている以上、突破口は無いぞ」
ベルツは3人の間に流れている悪感情を意図的に無視しながら聞いた。
『共和国』軍航空隊の主力は開戦時と同じPA-25だ。改良型のPA-25Dもいるが、同機にしても所詮は小手先の性能向上に過ぎないという感は否めない。
一方の『連合』軍航空隊はこれまでの報告によると、新鋭戦闘機バラグーダを2割ほど含んでいる。亡命者からの情報によれば、バラグーダは純粋な戦闘機と言うよりは戦闘攻撃機らしいが、大型エンジンの恩恵によってその推力質量比はPA-25Dを上回る。
しかもバラグーダは強大な火力と分厚い装甲まで持っており、PA-25が何とか交戦に持ち込んでも撃ち負けることが多い。格闘技で言えば、自分より重くて力がある上に素早さでも勝る相手と戦うようなものだ。
敵の航空隊がそのような機体を含んでいる以上、航空戦における逆転はほぼあり得ない。
『共和国』側に出来るのは、せいぜい守りを固めて対艦攻撃を防ぐ程度のことだ。敵偵察機の行動は止めようが無いし、こちらの偵察機を自由に活動させることも出来そうにない。
しかしそのようなことは、シェファードやルイコフが言うとおり今更持ち出すまでもない前提だ。コリンズが何を思って航空戦の話を始めたのか、ベルツには全く理解できなかった。
「航空戦の状況が変えられないなら、その不利を無化してしまえばいいのです」
ベルツの訝しげな視線を跳ね返すように、コリンズが自信に満ちた口調で言った。向き合うとコリンズの表情筋が痙攣し、秀麗な顔立ちが引き攣っているのが分かる。
一見すると恐怖や緊張に囚われているようだが、実のところコリンズは真逆の状態にあることにベルツは気づいていた。
コリンズは現在の状況を楽しんでいる。そしてまた、自らの進言によって何十万という人間の生死が左右されることに、本能的な喜びを覚えている。
「聞こうか」
ベルツはコリンズに続きを促した。戦争を楽しむのは道徳的に不健全な行為かもしれないが、軍人は聖職者でも道徳の教師でもない。進言の内容さえ正しければ、その人物の人格などどうでもいいことだった。
「緒戦は痛み分けといったところかな。戦力を考えれば予想通りだが」
その頃、フルングニルに投入された『連合』宇宙軍2個統合艦隊のうち、より規模の大きい第一統合艦隊を指揮するフェルナン・グアハルド元帥は戦果報告と被害報告を総括していた。
新鋭機バラグーダの投入によって、『連合』宇宙軍は情報面での優位を得た。相手はこちらの戦力と位置を知らないのに対し、こちらは部分的にだが把握できる。この差は地味なようだが大きく、『連合』軍は随所で主導権を握ることに成功した。
しかし不利な点もある。こちらの戦力は敵に比べて質・量ともに心もとないことだ。
『共和国』宇宙軍がフルングニルの制宙権奪取のために投入した戦力は、諜報の結果10個艦隊2400隻であることが分かっている。対して『連合』宇宙軍が投入できた戦力は9個艦隊2200隻で、200隻の差がある。
『連合』宇宙軍はこれまで、数的に互角ないしやや有利な戦力で戦ってもしばしば『共和国』宇宙軍に敗れている。それを考えると、軍艦の数が敵より少ないことは大きな不安材料だった。
加えて『連合』宇宙軍の人的資源のプールは、これまでの対『共和国』戦争と内戦でぼろぼろになっている。
旧政府の戦略の誤りによって多くの軍人が戦死ないし捕虜となった他、内戦で新政府の勝利が確実になった後、他国に亡命した旧政府系軍人も多い。その隙間は若く経験不足の将兵が埋めており、軍の錬度は開戦時に比べて明らかな低下を見せていた。
救いは旧政府軍上部組織を慢性病のように蝕んでいた腐敗や硬直した指揮系統が、政府の交代によって大部分取り除かれたことだが、それだけで強い軍隊が出来るものではない。中枢神経の病が治っても、骨や筋肉がぼろぼろでは戦えないのだ。
これら全てが作用した結果、状況は大体グアハルドが事前に予想していたような展開を見せている。
『連合』軍は先手を取ったが『共和国』軍の反撃も熾烈であり、戦況は消耗戦の様相を呈しているのだ。
「現在の状況が続けばこちらの勝ちです。こちらが主導権を譲らなければ『共和国』軍はいずれ退去せざるを得ず、わが軍の戦略的勝利となりますから」
参謀長のロル・ビドー中将がグアハルドの言葉を受け、やや硬い口調ながらも楽観論を述べた。彼が言うとおり、今回の戦いにおいて『連合』軍は「勝つ」必要はない。ただ「負けなければ」いいのだ。




