『連合』領侵攻ー9
ペリクレス市の街並みには、一見して分かるほどに重大な変化は何も無かった。所々に戦火で破壊された建物が存在するが、元々それ程激しい戦闘は行われなかったのでその数は多くない。せいぜい小規模な火災が起こったのかと思わせる程度の数だ。
辺りに散らばっていた瓦礫や窓ガラスの破片はとうに撤去され、道には通勤中、通学中の人々の姿が見える。工業需要によるエネルギーの高騰が原因で自家用車の姿が少ない事を除けば、2年前の同市とまるで変わらなく見えた。
しかし細かい所を見ると、この街が確実に変化したことが分かる。まず平民居住区の至る所に、緑色の旗を掲げた建物が存在する。救世教徒の集会場である。
今までは地下街やスラムに隠れ、文字通り地下に潜っていた信徒たちが、雨後の筍のように地上に出てきたのだ。
建物の外では白いローブを着込んだ聖職者たちが、道行く人々に聖典を配って回っている。宗教に人を勧誘するには、社会が大きく変化して人心が動揺している時期が最も相応しい。数多の先達が気付き、利用してきたその法則を、救世教聖職者たちも理解していたのだった。
そして最も様変わりしているのが、かつての財閥階級居住区だ。豪奢な邸宅が立ち並んでいたはずの地区だが、今は廃墟が目立つ。
なおこれは戦闘被害ではない。主人たちの国外逃亡を知った使用人、及び警備していた私兵部隊の離散に伴って乱入した暴徒による略奪と放火によって、多くの邸宅が破壊されたことによるものだ。
散々偉そうなことを言っていた財閥が、結局は自分たちだけ国外逃亡したことを知った人々は、新政権への不安が入り混じった怒りを建物にぶつけたのだ。事態に気付いた新政府軍が介入して破壊を止めさせた時には、既に2割近くの建物が全半焼していた。
破壊されていない建物の庭では見ずぼらしい姿の子供たちが遊び、親たちが軍から貸し出された野戦調理機で今日の夕食を作っている。主の逃亡によって無人となった邸宅に、戦災で家を失った人々が新政府の許可を得て仮住まいしているのだ。
なお自称戦災難民の一部は明らかに、元から家など持っていなかった路上生活者や車上生活者だったが、新政府は見て見ぬふりをしていた。急速な領土拡大によって新政府の行政能力はぎりぎりの状態にあり、集まってきた人々の振り分けなど不可能だったのだ。
その旧財閥階級居住区の中央に、軍によって厳重に警備された一際巨大な建物がある。壮麗と言うよりは成金趣味を感じさせる白い外壁と複数のドームを持ち、そこから軟体動物の触手を思わせるアンテナの束が突き出た外観は、大量のイソギンチャクが付着したサンゴの塊のようでグロテスクだ。
一説には、建造資金の一部が横領されたせいで、建築デザイナーに払う金が無くなったのだとも囁かれている。
グロテスクな建物、晴れて新政府のものとなった『連合』政務局庁舎では、高官たちが憂色を強めていた。現在スレイブニルで発生中の地上戦の戦況は、思っていた以上に悪い。
さらに『共和国』の属国である『自由国』と『連盟』も侵攻を開始し、警備部隊程度の戦力しか置かれていなかった2つの惑星を奪った。旧政府領を完全制圧して祖国を統一したのも束の間、『連合』新政府の領土は縮小しつつあるのだ。
「スレイブニルの地上軍から最新の報告です。航空部隊は壊滅、機甲部隊も戦力の6割を喪失しました。歩兵のみは戦力の8割を残していますが、砲及び兵員輸送車の不足により額面戦力は発揮できない状態です」
陰鬱な空気が部屋に漂う中、『連合』地上軍司令官のエイナル・リングダール元帥は、恐る恐るといった口調で救世教第一司教にスレイブニルの現状を報告した。
「申し訳ありませんが、以前の見積もりは楽観的に過ぎました。『共和国』地上軍は、思っていたよりずっと強力です」
救援が来なくてもスレイブニルは1年維持できる、という現地司令官の断言を苦々しく思い出しながら、リングダールは不本意な報告を続けた。『共和国』軍が降下してからまだ1か月しか経っていないのにこの有様では、後数週間もしないうちにスレイブニルは完全に制圧されるだろう。
「理由を聞かせて頂けますか?」
「現地司令官の戦術が裏目に出ました。予想される降下位置に軍の大半を密集状態で待機させていたため、爆撃で叩き潰されてしまったのです」
リングダールは冷や汗を拭きながら、第一司教に説明した。スレイブニルで指揮を執っていた方面軍司令官は、持久戦ではなく急戦を選択した。『共和国』地上軍が降りてきた瞬間に機甲部隊を突入させ、軌道エレベーター発着場の建設を妨害しようとしたのだ。
攻撃軍が最も無防備な状態にあるのは降下した直後だから、それなりに合理的な戦術と言える。
しかし残念なことに、スレイブニルでは裏目に出た。敵が制宙権を握った状態で白昼行動に出た第一陣は、予想より早く展開を開始した『共和国』軍砲兵部隊、及び揚陸艦から投下された爆弾によって叩き潰されてしまったのだ。『共和国』軍降下位置の外周には『連合』軍の車両が残骸の山を築き、それを尻目に『共和国』軍は軌道エレベーター発着場建設を成功させた。
泡を食った現地司令官は近くから第二陣、第三陣を投入したが、それは所要に満たない戦力の逐次投入でしかなかった。制宙権と制空権を握った『共和国』軍は爆撃及び、三次元観測によって精度を高めた砲撃によって、『連合』軍の攻撃部隊を次から次へと撃砕していったのだ。
流石に事態を悟った現地司令官は急戦から持久戦への転換を命じたが、時すでに遅かった。スレイブニルにいた最良の部隊は既に、勇敢だが無益な攻撃で磨り潰されてしまっていたのだ。
「現在『共和国』軍は既に陸地の3割を制圧、現在はニコマコス市で戦闘が発生しています。同市の守備隊の主力を務めるのは装備と訓練に劣る緑衛隊であるため、陥落は時間の問題と思われます」
リングダールはさらに暗鬱な報告を行わざるを得なかった。精鋭部隊が最初の攻撃作戦で磨り潰されてしまったため、現在『連合』軍の主力を務めているのはこれまで二線級とされていた部隊、及び軍隊ですらない緑衛隊だ。
一応武器は持っているが装甲服を着ている者は殆どおらず、碌に訓練も受けていない緑衛隊に出来るのは、膨大な損害と引き換えに僅かな時間を稼ぐことだけだろう。
安価な民兵を使い捨てることで、正規軍の損害を軽減しつつ時間を稼ぐという戦略にはリングダールも賛成だったが、感情的な問題は別だ。普段着かせいぜいちゃちな防弾ベストを着ているだけの緑衛隊が、『共和国』の戦車や装甲歩兵に立ち向かっているといざ聞かされると、罪悪感を覚えずにはいられなかった。
「スレイブニルの現状は理解しました。これからの戦略は、スレイブニル失陥を前提として考えなければならないということですね」
報告を受けた第一司教は、表面上はごく穏やかな口調でそう返答し、リングダールはさらに冷や汗が流れるのを感じた。
第一司教はいつ誰に対しても丁寧かつ穏やかな口調で話し、決して怒鳴ったり声を荒げることがない。またこれまでの振る舞いは、歴代の『連合』指導者の中で最もまともな部類に入る。暴君じみた行動を取ったことは1度も無く、贅沢三昧で国費を浪費してもいない。
彼女が財閥の当主として生まれていれば、稀に見る仁君として領民に慕われていただろう。
贅沢や流血を好まない温厚な人柄なのだとも取れるが、ただの善人が革命を成功させて対外戦争を遂行できる訳もない。いつも穏やかな第一司教は、ある意味すぐ怒鳴りだす人間よりずっと恐ろしかった。決して微笑以外の表情を浮かべることがない白い顔の裏に、一体何が隠されているのかは分かったものではないからだ。
きっと誰かを処刑したり死地に送り込むときも、第一司教は穏やかな表情を浮かべながら丁寧な口調で命令を下すのだろう。リングダールはこっそりとそう思っては、もしや第一司教の紅い眼は部下のそのような考えを見抜いているのではないかと疑心暗鬼に駆られるのが常だった。
「宇宙軍の現状はどうですか?」
第一司教はリングダールに着座を促すと、今度は宇宙軍司令官のフェルナン・グアハルド元帥に質問した。リングダールと同年代のグアハルドは、緊張した様子で立ち上がった。おそらく彼もまた、娘のような年齢の第一司教に得体の知れないものを感じているのだろう。
「現在船団護衛部隊や国境警備部隊を除いた宇宙軍の戦力は9個艦隊です。ただ来寇する『共和国』軍の戦力は10個艦隊に達すると見られており、フルングニルの制宙権を維持できるかには不安が残ります」
さっきのリングダールと同じように強張った表情を浮かべながら、グアハルドは現状を報告した。
現在『連合』国内では造船所がフル回転して膨大な数の軍艦が建造されているが、その乗員までは工廠で生産できない。志願者を『共和国』相手の戦争を戦える宇宙軍兵士にするには、まだ時間がかかる。グアハルドはそう説明し、リングダールは第一司教と同時に頷いた。
宇宙軍は地上軍より遥かに機械集約的だが、それでも軍艦や宇宙航空機を最終的に操るのは訓練を受けた人間だ。『連合』には膨大な人間が存在するが、人間をただの二足歩行する哺乳類から人的資源に変えるには、それなりの時間がかかって当然だった。
「ただ、『自由国』軍や『連盟』軍相手なら、現有戦力でも十分に対抗可能です。この際彼らを目標にするのも、選択肢として考慮する価値はあるかと」
言うとグアハルドは、いくつかの概念図を携帯式の立体投射機を使って表示した。惑星カルキノスに展開する『自由国』軍、及び惑星ターラカに展開する『連盟』軍の姿と、彼らを撃破するのに必要な戦力が表示される。
『自由国』軍を目標とするなら5個艦隊、『連盟』軍を目標とするなら3個艦隊を投入すれば、ほぼ確実な勝利が見込める。グアハルドはそう言って、宇宙軍では既に仮の作戦計画書が作られていると述べた。
意外に良いかもしれない。グアハルドの提案を聞いたリングダールはそう思った。遺憾ながら現在の『連合』軍の戦力は『共和国』軍に一歩及ばないが、グアハルドの言うとおりその属国2つに対しては十分すぎるほどの水準にある。
逆に言うとこれら2か国の軍隊を撃破しても戦争の大勢に影響は無いということだが、政治的な意味は大きい。ターラカもカルキノスもあまり重要な惑星では無いが、それでも『連合』軍が反攻作戦を行って領土を奪還したとなれば、国民の新政府への信頼は高まるだろう。
「成程」
第一司教は同意とも不同意ともつかない呟きを発すると、紅い眼を束の間閉じた。その姿は最高の腕を持つ職人が、持てる全ての技量を投入して作り上げた彫像のように見えた。
「しかし、『自由国』軍や『連盟』軍を撃破しても、それだけでは戦略環境の改善にはつながりません。我が国の生命線はファブニルからこのリントヴルムに伸びる軸であり、カルキノスやターラカでは無いのです」
「分かりました! 今後の作戦計画は、『共和国』軍を目標とします!」
再び眼を開いた第一司教の珊瑚色の唇から洩れたのは、否定の言葉だった。グアハルドも慌てたようにそれに応える。
最優先すべきなのは質的にも量的にも敵の主力である『共和国』軍への対処であり、その片が付くまで弱敵は放っておけばいい。グアハルドは第一司教の言葉をそう解釈したのだろう。
「いえ、そうではありませんよ。『自由国』軍や『連盟』軍への攻撃作戦もまた重要です。これらの作戦計画については、更なる研究が行われることを希望します」
「どういうことですか? 『自由国』軍や『連盟』軍は重要ではないと、猊下はさっき仰いましたが?」
グアハルドが困惑の声を上げた。これら2か国の軍を撃破しても、戦略環境の改善に繋がらない。そう言ったのは第一司教自身ではないか。彼はそう言いたげだった。
「確かにこれらの軍を撃破しても、単体では意味がありません。しかしより大きな計画の一部としてなら、単純に『共和国』軍を撃破するよりも遥かに大きな成果を得ることが可能なのです」
第一司教は謎めいた微笑を浮かべながら言うと、グアハルドが使ったのと同じ種類の携帯映写機で星図を表示した。現在の『共和国』軍、『自由国』軍、『連盟』軍の位置と、予想される彼らの侵攻経路が示されている。
「宇宙軍及び地上軍の使命は、『共和国』軍をフルングニル、『自由国』軍をイピリア、『連盟』軍をカトブレパスで食い止めることです。そして次の段階は…」
第一司教が続いて映し出した図を見て、リングダールはグアハルドと共に呻き声を上げた。全体的にはこれまでの『日の場合』における反攻作戦計画に似ているが、遥かに大規模かつ大胆だ。冒険的と言ってもいいだろう。
しかし一方で、これが成功すれば確かに『連合』にとっての戦略環境は劇的に改善する。現在押されている『連合』軍は一気に主導権を取り戻し、敵軍を圧倒できる立場になるのだ。
「もっとも、フルングニルが完全に失陥すれば、計画は画餅に過ぎないものになります。軍には敢闘を望みますよ」
「微力を尽くします!」
リングダールはグアハルドとともに第一司教に敬礼し、フルングニルに配置されている戦力と指揮官たちを思い起こした。
フルングニルにおける『連合』地上軍の総司令官はクロード・ジュベル中将、スレイブニルから脱出に成功し、戦訓を持ち帰った人物だ。言わば敗軍の将だが、リングダールは敢えて彼を推薦した。
ジュベルは遅滞戦闘の専門家として知られていたし、何より『共和国』地上軍の攻撃を経験した数少ない高級士官だったからだ。
そのジュベルとともに『共和国』地上軍を迎え撃つのは800万の正規軍と、3000万人以上の信仰防衛隊。前者はもちろん後者も、スレイブニルの時よりは確実に準備が出来ている。
『共和国』軍を追い返すのは不可能でも、宇宙軍と協力して時間を稼ぐことは十分に可能なはずだ。制宙権を相手に取られた状態では、凄まじいまでの流血と引き換えになるだろうが。
(時は血なり)
古来からの警句をリングダールは反芻した。今回の戦争において、『連合』はまさに血によって時を贖おうとしている。願わくば将兵の血で買った時間が、最後の勝利をもたらさんことを。
それから会議はフルングニルの防衛体制、今後の軍需生産の見込み、人心の動揺具合と言った話題に移っていった。
惑星ファブニルには、『共和国』史上未曽有の規模の艦隊が集結していた。まずは『共和国』によるファブニル占領の立役者となったディートハルト・ベルツ大将の第1艦隊群が、6個艦隊1500隻。そこにゲミストス・ベサリオン大将の第3艦隊群、4個艦隊900隻が加わる。
無論それだけではない。両艦隊には今回の遠征にあたって大規模な補助艦船部隊が付属しており、さらに地上軍を運ぶ揚陸艦部隊とその護衛部隊も存在する。
全てを合わせた数は7000隻を超えており、それらが船外灯を点滅させながら密集航行している様子は、巨大な天の川が人類の手で形作られたように見えた。
その巨大艦隊の端の方を、いずれも奇妙な形状をした7隻の巡洋艦が航行している。
まず先頭の1隻は後部に巨大な箱型の構造物を持ち、その前方にはアンテナ類や光学機器が所狭しと取り付けられている。乗員たちは無論知らなかったが、外見上の印象はどこか『連合』首都惑星リントヴルムの政務局庁舎に似ていた。
後方の6隻もまた、先頭艦に劣らず奇怪な形状をしていた。
巡洋艦としては小柄な艦体は、元が駆逐艦部隊の嚮導艦であることを伺わせるが、複数の艦の指揮に必須なはずの大出力無線機やレーザー通信機は見当たらない。その代わりのように艦上を覆い尽くしているのは、4本のドラム缶を束ねたような不格好な構造物だ。
このような艦たちが、シンプルだが流麗な船体形状を持つアクティウム級巡洋艦やコロニス級駆逐艦に混ざって訓練を行っている様子は、「醜いアヒルの子」という言葉を連想させる。「外国への表敬訪問には絶対に使えない艦」という陰口も、他の部隊からは囁かれていた。
この部隊は第66巡洋艦戦隊と呼ばれている。ファブニル星域会戦で全滅した同名部隊の名を継いでおり、近々予定されているフルングニル攻略作戦に参加する予定だった。
部隊の編制コンセプトは遠距離からのミサイル攻撃である。或いは、唯一の存在意義と言ってもいいかもしれない。第66巡洋艦戦隊という部隊には、それ以外の行動は一切取れないからだ。
部隊を構成する7隻の艦のうち、先頭の1隻は指揮・通信能力に優れたアジャンクール級巡洋艦である。そして後の6隻は、ポルタヴァ級巡洋艦と呼ばれる異能の艦だった。
巡洋艦としては小型のポルタヴァ級は、その小さな船体規模を考慮しても小さな砲力しか持たない。両用砲14門と機銃のみという砲兵装は、巡洋艦というより大型駆逐艦のそれだ。巡洋艦の役割の1つは敵駆逐艦のミサイル攻撃から主力艦を守ることだが、ポルタヴァ級の砲力ではまず不可能だろう。
しかし一方で軍艦の攻撃力を構成するもう1つの要素、ミサイルについては、ポルタヴァ級は卓越した能力を持っていた。岩場に付着する牡蠣のように艦上に並べられたミサイル発射筒の数は計40基、標準的な巡洋艦の5倍である。
6隻合わせればミサイルの発射数は240発、戦艦1個戦隊を纏めて葬り去ることができる。
このポルタヴァ級によって遠距離から敵艦隊に先制攻撃を加え、その後の戦闘を有利に進めるためのきっかけを作ることが第66巡洋艦戦隊の任務だ。
しかし問題がある。先代の第66巡洋艦戦隊もまた同じ目的で編制されたが、結局は近距離戦闘を余儀なくされて全滅してしまったことだ。
そこで『共和国』宇宙軍は今回、2つの改善策を用意していた。1つ目は偵察能力に優れたアジャンクール級を編制に加えることで、敵の先制攻撃を防ぐこと。そして2つ目は、人格はともかく戦術能力では最良の司令官を置くことだった。




