『連合』領侵攻ー6
新政府軍揚陸艦部隊旗艦を務める降下作戦指揮専用艦ワスカランに、降下作戦の結果を総合した情報が届けられたのは、最初の宙兵部隊がペリクレス市に降り立ってから5時間後のことだった。
ワスカランは旧式巡洋艦の武装の一部を取り除いて司令部として使える空間と通信設備を設けた船で、外見的には『共和国』のアジャンクール級巡洋艦に少し似ている。
ただアジャンクール級と違うのは、ワスカランが宇宙軍ではなく地上軍の指揮のために作られていることだった。
普通の巡洋艦より格段に大型化された司令部設備を使うのは宇宙軍の艦隊司令部ではなく、地上軍の軍司令部や軍団司令部なのだ。降下していく地上軍の状況を軌道上から把握して必要な指示を出すのがその任務であり、言わば自軍の位置と状況を確認するための連絡機と、司令部用列車が合わさったような兵器である。
「ペリクレス市及びリントヴルム制圧の初期段階は概ね成功、ただし旧指導部の捕縛には失敗…ですか」
そのワスカランで揚陸艦部隊を指揮するロル・ビドー中将は、結果を見て舌打ちした。今回に限り、画竜点睛を欠いたようだ。彼はそう思っていた。
リントヴルムへの降下作戦にあたり、新政府軍は旧政府責任者たちの捕縛について、二段構えの作戦を用意していた。
1つ目は本隊の降下前に、現地の救世教民兵組織を使って彼らの邸宅を襲撃させること、2つ目は飛行場を爆撃で破壊するとともに道路と地下鉄を封鎖し、旧政府をペリクレス市内に閉じ込めることだ。
だがこの2つはいずれも失敗した。まず民兵部隊による襲撃は、この日偶然各財閥の主要人物たちが邸宅とは別の場所で会談を行っていたために失敗。数瞬の差で逃亡を許してしまった。
次にペリクレス市の封鎖だが、これも失敗に終わった。旧政府は車両や航空機ではなく、市内を走る高速鉄道を使って大気往還艇発着場に向かっていたことが判明したのだ。そんな無防備で目立つものに乗って逃げるはずがないという固定観念を、見事に逆手に取られた格好だった。
現在リントヴルム各地に存在する大気往還艇発着場からは、囮を含めた数千の大気往還艇が打ち上げられている。その全てを撃墜することは不可能だ。降下した新政府軍は、旧政府の要人たちをまんまと逃がしてしまったのだ。
大気往還艇の収容に来る旧政府軍艦隊を襲えば一網打尽にできるという提案もあったが、ビドー及び護衛部隊指揮官のディーター・エックワート少将は最終的に却下した。
現在確認されている旧政府軍艦隊は合計で200隻ほど、対して新政府軍が攻撃に使える軍艦は500隻。数的には有利だが、問題は旧政府軍艦隊が4つに分離しており、どれが本命なのか全く分からないことだ。
全てを押さえるには艦隊を分離するしかないが、それは典型的な戦術的愚行だ。四兎を追い始めた瞬間に第5の旧政府軍艦隊が現れ、新政府軍揚陸艦部隊を襲ってきたりすれば目も当てられない。
「まあ、いいではありませんか。リントヴルムは手に入ったのです。旧政府要人の確保と引き換えにリントヴルム攻略には失敗したり、リントヴルムを核兵器で破壊されるよりはずっと好ましい結果となりました」
隣にいた人物がビドーの方を振り向きながら言った。同時にふわりと宙を舞う銀白色の長い髪は、それ自体が光を放っているようにも見える。
「まあ、そうですが。リントヴルムを守るためとはいえ残念です。彼らにはこれまでの犯罪の報いを与えてやりたかったのですが」
ビドーは悔しさを込めて答えた。その人物の言う通り、旧政府要人に対する捕縛作戦がいささか徹底さを欠いたのは、新政府に戦力や情報が不足していた為だけではない。完全に退路を塞がれた旧政府が自暴自棄になって、大量の核兵器をリントヴルム上で爆発させることを恐れたためでもあったのだ。
内戦勃発前のリントヴルムに核兵器は無かったが、リントヴルムの工業設備を利用すれば殆ど瞬時に作れる。それ以前に、他の星から持ち込むという単純な手も使えるのだ。
そして『連合』旧政府は今に至るも、有人惑星上でのNBC兵器使用を禁じる国際法を批准していない。彼らをあまりに追い詰めれば、リントヴルムごと自爆しようとするかもしれない。新政府はそれを恐れたが故に、敢えて旧政府に逃げ道を残してやったのだった。
「やがてまたその機会は来ます。銀河のどこに逃亡しようと、彼らがいるべき場所など存在しません。いずれ彼らは思い知ることになるでしょう」
相手は悔しがるビドーを宥めるように言った。ワスカランの戦闘指揮所中央に飾られた星図を見つめる彼女の紅い瞳は、既に目の前のリントヴルムを見ていなかった。
恐らく彼女はいずれ起こる新たな戦い、政府が変わっても『連合』最大の敵国であり続ける国との決戦を見据えている。今回逃亡した旧政府は、その国に亡命すると考えられていた。
「それにしても…」
「何ですか?」
「小官としては、猊下にはイピリアに残って頂きたかったのですが」
話し相手、新政府の最高指導者である救世教第一司教の姿を見ながら、ビドーは少し苦言を呈した。彼女が軍とともにリントヴルムに来ることをビドーたちはやむなく承知したが、今でも完全に納得している訳ではなかった。
「政府要員はイピリアに残しましたし、私も本艦の恒星間通信設備を利用すればいつでも政策決定に参加できます。政務に支障は来していないつもりですが」
第一司教が少し口を尖らせた。いつもは年齢の割に異様に落ち着いた雰囲気の彼女だが、このような態度を取ると可憐な少女のようにも見える。ビドーは一瞬見とれたが、すぐに気を取り直して反論した。
「そういうことではありません。猊下の御身を心配しているのです」
第一司教の言う通り、彼女1人が新政府の現首都惑星イピリアにいなくても日々の政策運営に支障はない。と言うより、1人の人間がオフィスを離れれば麻痺する政府など、国どころか町1つを統治する資格もない。だから第一司教が現在イピリアを離れていることは別に問題ではない。
真の問題は、新政府の最高指導者自らが前線に身を運んでいることだ。指揮官先頭が美徳であるのは尉官かせいぜい佐官までであり、全体を統括すべき将官が前線で戦うのは英雄的行為ではなく匹夫の勇だというのは士官学校の1年生で習う常識だ。
ましてや最高指導者が前線に軍隊と共にしゃしゃり出てくるなど、無意味な蛮勇以外の何物でもない。ビドーは今でもそう思っていた。無論そこまで率直に言いはしなかったが。
しかも第一司教はただの新政府最高指導者というに止まらない。『連合』で唯一、救世教開祖の血を確実に継いでいる人間でもある。彼女に万一のことがあれば、新政府全体が揺らぎかねないのだ。
「それを言うなら、『共和国』領から『連合』領への脱出の方が遥かに危険でした。旧政府派が多くいた地球での演説も危険でした。この程度のことは危険のうちに入りません」
第一司教がまた口を尖らせる。聡明な彼女にしては妙にお粗末な理屈だとビドーは思った。過去に危険を冒したことは、今別の危険を冒すことを正当化する理由にはならない。
だがそれを指摘しようとしたビドーはふと胸を衝かれた。第一司教の真意に気付いたのだ。
新政府最高指導者の地位に正式に就いて以来、第一司教はよく言えば厳重な護衛下、悪く言えば軟禁状態に置かれてきた。殆ど政務局庁舎から出ることもできず、たまの外出時は大勢の護衛に囲まれての生活だ。
このような厳重な警護は、新政府最高指導者にして救世教開祖の血筋を継ぐ人間を守るためだったが、本人からすれば非常に不愉快なものであることは疑いない。
至高の地位を持つにも関わらず、いやそれ故に、その辺にいる平民が当たり前に享受している程度の自由も与えられていないのだ。
今回彼女が無理を言ってリントヴルムに来たのも、現状への抗議及び、このままでは一生軟禁されかねないという危機感故のものでは無かったか。ビドーは唐突にそう気付いた。
第一司教は民衆の前では「現世における神の代理」として、超常的な存在であるかのように振る舞っている。
しかし現実の彼女は、政治的・宗教的な指導者であると同時に1人の人間だ。人間としての欲求を持っていて当然なのだ。ビドーたち新政府はこれまで、彼女が待遇について何も文句を言っていないことに甘えて、そのことを忘れていたのではないか。
「どうしましたか?」
思わず黙り込んでしまったビドーに、第一司教が怪訝そうに声をかけてきた。ビドーは口ごもるしかなかった。
同情や共感の言葉を口にすることは容易いが、ビドーが第一司教に代わって新政府の指導者になることは出来ないのだ。相手の苦痛を引き受ける気もない人間が放つ同情や共感など、相手ではなく自分を慰めるための空虚な戯言に過ぎない。
ならばせめて自分は、第一司教の希望の中で叶えられるものは叶えられるように尽力しよう。ビドーは心の中で誓った。
第一司教に忠誠を誓うことを義務付けられた救世教徒として、そして何より血筋により重い義務を背負わされた1人の人間に仕える者として。
ワスカラン戦闘指揮所に艦内から通信が来たのはその時だった。モニターに顔を出したのはやや背が低いが引き締まった筋肉質の体躯を持つ初老の男。今回の降下作戦全体を指揮しているエイナル・リングダール地上軍大将だ。
彼はリントヴルム降下作戦の終了後はそのまま地上軍総司令官に就任、対『共和国』戦争における地上軍作戦の指揮をとることになっていた。
「何か不測の事態でもありましたか?」
ビドーはリングダールに要件を尋ねた。これまでの情報では要人の確保を除けば作戦は順調に進んでいるが、今になって何か問題が生じたのだろうか。
「いえ、降下作戦自体は順調です。このまま行けば1週間もしないうちに、リントヴルムを概ね制圧できるでしょう」
リングダールが厳つい顔をほころばせながら、ビドーの疑問にそう答えた。リングダールのほうが階級は1つ上だが、宇宙軍と地上軍では指揮系統自体が違うため丁寧な口調になっている。
「今回は別の要件です。信仰防衛隊が捕縛した旧政府の現最高責任者が、本艦に移送されたのです」
「ああ、成程」
ビドーは頷いた。旧政府要人の大半は逃がしてしまったが、全員が逃げおおせた訳ではない。中には逃げ遅れて新政府軍に捕縛された者もいる。そのうち血筋や年齢的に言って最も地位が高そうな人物が、ワスカランに運ばれてきたらしい。
「それで、お会いになりますか? ご興味が無ければ、取りあえず適当な部屋に入れておきますが?」
今度はビドーではなく第一司教に向かってリングダールが言った。
旧政府最高会議議長のサイモン・フリートウッドを含む旧政府幹部の大物は、全員が現在行方不明のままだ。だから現時点の最高責任者といってもどうせ大した権限を持っていなかった小物であり、罪に問えるかも定かではない。
そのような人物と会っても大した意味は無いだろうと、リングダールとしては思っているようだ。ビドーとしても正直そう思う。傀儡と会っても意味は無い。
「いえ、会いましょう。新政府の指導者として、旧政府の指導者には会っておく必要があります」
しかし第一司教は予想外の言葉を口にした。本気でそう思っているのか、単に退屈していて誰か他の人間と会ってみたくなったのかは不明だが。
「分かりました。ではそちらに送ります」
リングダールも一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにそう言って通信を切った。
降下作戦の最高責任者がこのような些末な要件で連絡してくるということは、確かに作戦は順調なのだろう。ビドーはぼんやりとそう思いながら、第一司教とともに「旧政府最高指導者」とやらの到着を待つことにした。
「間に合わなかった」、スレイブニルに展開する『共和国』軍と接触してきた人物がサイモン・フリートウッドであることを確認したベルツの胸中を支配したのはその思いだった。
『連合』領内に残存する旧政府と連結して『連合』領を分断、一部を傀儡化するという国家戦略は最初から躓いたのだ。
ベルツの内心を知ってか知らずか、サイモン・フリートウッドは滑らかな口調でベルツの質問に答えた。
「新政府を僭称する反乱軍はこの度、我が国の領土に大攻勢をかけました」
サイモンの言葉が、ベルツの確信を上書きしていく。スレイブニルに『連合』宇宙軍が現れなかった理由が、今になって分かった。
『連合』新政府は軍事的には最強である『共和国』との戦いの前に、軍事的に最弱だが政治的には最も厄介な相手を先に片づけることにしたのだ。
「遺憾ながらわが軍は敗北し、我々正当政府は首都惑星を追われたのです。忠勇なる将兵の尽力により、辛うじて脱出には成功しましたが、もはや我々には寸土も残されておりません」
サイモンの口調はまるで舞台俳優のように朗々とした爽やかなものだったが、それを聞かされたベルツの方は限りなく怒りに近い感情を覚えていた。
「我々が行くまで、せめてリントヴルムを守り抜く程度のことは出来なかったのか? お蔭でこちらの計画は無茶苦茶だ」、ベルツはモニターの向こうにいる男に対し、そんな八つ当たりじみた詰問を行いたくてならなかった。
もちろん理性では、取りあえず旧政府が完全に消滅せずに身を寄せてきただけで良しとすべきだと分かってはいるのだが。
一方サイモンの方は、媚びるような笑みを浮かべながらここに来た目的及び、要求を伝えた。予想通りの内容だった。
「我々正当政府は、貴国に亡命を希望します。過去には不幸な出来事もありましたが、今は人類の敵である救世教徒の鎮圧という、崇高な目的を同じくする国家同士です。受け入れて頂けると確信しております」
「…亡命については、私の一存では決定しかねます。取りあえず本国に諮り、方針を確認する必要がありますな。その間は、我々が指定する場所で待機して下さるようお願いします。不足している物資があれば、可能な限り提供いたしますので」
ベルツは機械的な口調で答えると一旦通信を切り、恒星間通信の準備及び幕僚の招集を命じた。厄介なことになった。その思いが殆ど物理的な苦々しさを伴って胸中を満たしている。
『連合』領侵攻作戦の最終案では、助攻の『自由国』軍及び『連盟』軍によって『連合』の予備戦力を拘束する一方、主攻の『共和国』軍は『連合』中央部を一直線に打通して残存する旧政府領との連結を図ることになっていた。
つまり『共和国』軍はリントヴルムに「侵攻」するのではなく、リントヴルムの『連合』旧政府を「救援」する予定だったのだ。
無論その過程では戦闘の発生が予期されていた。だがそれはあくまで、リントヴルムの旧政府の要請を受けて同惑星を防衛する『共和国』軍と、リントヴルム侵攻を試みる『連合』新政府軍の間で起きるものだった。
新政府の支配下にあるリントヴルムの制宙権を握り、地上軍を送り込んで占領することなど想定していなかったのだ。
この2つの違いは些末なようだが、実は非常に大きなものだ。リントヴルムを「守る」なら、連れて行くのは宇宙軍だけでいい。制宙権を握らない限り、惑星への降下作戦は行えないからだ。
対して「攻める」場合、宇宙軍に加えて同惑星に展開しているであろう敵地上軍を上回る兵力の地上軍を送り込み、しかもその地上軍への補給線を数か月単位で維持する必要がある。正面戦力に比べて貧弱な『共和国』宇宙軍の兵站能力にとって、控えめに言っても大変な負担になることは確実だ。
(どうなるのだろうな。この戦争)
戦闘指揮所に集まってくる各分野の幕僚や地上軍連絡士官の顔を見ながら、ベルツはふと不吉な予感を覚えた。ベルツが現在指揮している宇宙軍は、紛れもなく世界最強だ。2個艦隊群2100隻を前線に投入して運用できる軍隊は、今のところ『共和国』宇宙軍をおいて他に存在しない。
しかしその力も、『共和国』側の策源地である惑星ファブニルと最終目的地の惑星リントヴルムの間に横たわる、膨大な距離の前では無力ではないか。ベルツにはそう思えてならなかった。
侵攻作戦の原案では、スレイブニルとフルングニルの2惑星のみを占領する予定だった。しかしそれだけでも、前線に運んで維持しなければならない地上軍の総数は1000万を超えると予測されていたのだ。
なおこの数字は数十の有人惑星を瞬く間に占領した『連合』新政府軍の初期の地上軍戦力より多いが、別に『共和国』軍上層部が過度に慎重だったり悲観的だったりする訳ではない。内戦と対外戦争の違いを合理的に考慮した結果である。
内戦では大抵、敵軍と自軍は紙一重だ。どちらも元は同じ軍隊だから、好待遇を約束すればあっさりと帰順してくる場合が多い。『連合』における今回の内戦のように、軍人たちが最初から旧政府に敵意と軽蔑を抱いていたような場合は尚更である。
対して『共和国』が戦っているのは対外戦争だ。敵軍を説得したり買収したりすることは不可能だし、場合によっては一般市民も敵になる。合計1000万という数字は、こうして弾き出された。
加えてリントヴルムを攻略するということになれば、最低500万、おそらくは800万の地上軍が追加で必要になる。しかもそれをスレイブニルやフルングニルより、策源地から遠い惑星まで送って維持しなければならない。果たしてそんなことが可能なのだろうか。
「全く、このスレイブニルの攻略でさえ後どの位かかるか分からないというのに」
現実逃避のように地上の戦況を確認しながら、ベルツは大きく溜息をついた。
『共和国』地上軍が降下した場所では現在、この戦争始まって以来の大規模な地上戦が繰り広げられている。戦場は硝煙と粉塵に覆われ、宇宙から状況を確認するのは困難だった。




