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戦略計画 『日の場合』-12

 現況を伝える第一司教の言葉に、緑衛隊員たちは一転して顔を引き締めた。『連合』の不倶戴天の敵である『共和国』の侵攻が迫り、歴史の屑籠に投げ込まれかけている旧政府がそれに乗じて勢力を回復しようとしている。最高指導者によって改めて告げられたその状況は、全員の危機感を煽った。



 「我が国を守るぞ! 貧者と被抑圧者の祖国を、平民が財閥に踏みにじられることの無い国を守り抜き、子供たちに残すんだ!」


 第一司教が束の間話をやめた瞬間、緑衛隊員たちの中で特にみずぼらしい一群から声が上がった。

 一団の年齢や服装はまちまちだが、重労働によって骨格が歪み、栄養不足で血色が悪いことは共通している。旧政府が運営していた強制収容所から、新政府軍によって解放された人々の代表者たちである。



 彼らが収容所に送られた元々の理由は様々だ。救世教徒や平民主義者等の政治犯もいれば、窃盗などの通常犯罪を行って逮捕された者もいる。

 しかし最も多いのは債務奴隷だった。どこかの財閥から金を借りて返せなくなり、返済のために収容所に送られたのだ。なお本人が死亡したり行方不明になった場合は、家族が収容所送りになる。収容所内で死亡した場合も同様である。


 収容所に集められた囚人たちは空調も安全設備もない工場での労働の他、熱帯性作物の栽培や地下での鉱物採掘など、あまりに過酷で危険かつ給料が安いためにスラム街の浮浪者すら拒否する類の仕事をさせられていた。

 囚人の死亡率、収容所の経営者が言うところの減価償却率は年に5%から10%という高率だったが、当の囚人以外に気にする者はいなかった。借金を返せない者やその家族は腐るほどいたし、いなければその辺の平民を騙して連れて来ればいいからだ。

 ほぼ毎日何人かの死者が出ているにも関わらず、各収容所はいつも満員で、この戦争が始まる前にも何回目になるか分からない増設が検討されていた。囚人の労働生産性は低かったが、人件費は最低限の食べ物と掘立小屋だけだったので、収容所は常に黒字経営だったからだ。



 なお財閥の下で働いていたテクノクラートの一部は、このような慣行は長い目で見れば経済の健全性を低下させ、国家の発展の妨げになると警告していた。

 奴隷労働によって超過利潤を上げることは製品価格を不当に低下させ、市場メカニズムの機能を妨げる。これは技術への投資不足につながり、長期的な経済成長率を低下させると彼らは訴えた。


 しかし当の財閥は聞かないふりをしていた。経済理論が何を言っていようと、現に黒字の事業を廃止する等あり得なかったのだ。結果として新政府が誕生した時点で、『連合』国内には約25億人の囚人が存在した。新政府はこれまでに、そのうち20億人ほどを解放している。




 収容所の解放は様々な結果をもたらした。まず新政府の宣伝部隊がこれまで全く公開されていなかった収容所内の惨状を国民の目に晒したことで、新政府は支持の獲得合戦における有力な武器を得た。

 全く光の無い目で新政府軍を迎える囚人たちの痩せこけた姿、感染症に罹った者が収容されていた血膿と汚物に塗れた隔離室、死んだ囚人を他の囚人用の食料に加工する工場。それらの映像が新政府監修のニュース番組で連日放映され、人々に旧政府への怒りを植え付けたのだ。


 なおニュースでは必ず最後に、収容所の外で新政府から支給された食料と衣服を受け取る囚人たちの列が、はためく緑旗と共に映し出され、両政府の違いを示した。

 旧政府は国民を奴隷化し、新政府は彼らを解放した。そのイメージは『連合』人の脳裏に焼き付き、出所の怪しげな新政府に対する大規模な反乱や抗議が、これまで全く発生していないという奇跡の一因になっている。

 新政府が何であれ、きっと旧政府よりはましな政権に違いない。使い捨てられた囚人の死体の山を見せられた国民たちは、半ば本能的にそう思ったのだ。



 一方、新政府にとっていいことばかりでは無かった。解放された囚人たちは行く場所も無いので取りあえずそれまでの職場で働くことになったが、食事や居住環境の改善と安全装備の支給に加えて給料も払うようになったため、各収容所は一気に赤字経営に転落した。


 労働環境改善は期待通り元囚人たちの意欲を高めて労働生産性を向上させたが、数か月間死なせなければいいという程度の水準から劇的に増えた人件費を、完全に相殺できるほどでは無かったのだ。

 赤字問題の解決策は収容所で生産されていた製品の価格を上げることだが、一気にそれをやれば国民の不満が高まることは目に見えている。出来たばかりの正当性が怪しい政権にとっては自殺行為だ。

 新政府は赤字に頭を抱えながら、金を生む事業からお荷物に転落した元収容所を維持していた。




 だがそれでも、収容所解放は新政府にとってどちらかと言えばプラスだった。内戦を戦ううえでは重要な道徳的優位を得た上に、20億人の献身的な支持者を手に入れることが出来たからだ。

 もし『共和国』の支援の下で旧政府が復活すれば、君たちは再び畜舎に詰め込まれて看守の鞭に怯えることになる。そう言われた元囚人たちは、もともと救世教徒であったかに関わらず、新政府を熱烈に応援するようになった。

 人件費増を上回るほどでは無いにせよ生産性の向上は劇的だったし、軍への入隊募集には志願者が殺到した。少なくとも彼らにとっては、新政府は自らの生命を懸けてでも守り抜くべき国だったのだ。この集会に出ている代表団も、収容所が解放されたその足で軍に志願した人々だった。




 「『連合』万歳! 貧者と被抑圧者の祖国万歳!」


 元囚人たちから少し遅れて、他の緑衛隊員たちも声を上げ始めた。他の緑衛隊員たちも元囚人ほどでは無いにせよ、旧政府の統治下で不利益を蒙ってきた人々だ。

 不公平な税制から出鱈目な司法制度に至るまで、『連合』の平民階級には旧政府への不満が蓄積していた。その中で現れた救世教政権は、まさに平民階級の守護者に見えたのだ。





 第一司教は熱狂する緑衛隊員たちを眺めながら、再び小さな笑みを浮かべた。だがその微笑は嬉しそうというよりは悲しそうでもあった。

 第一司教が浮かべている表情は具体的には、手をかけて育てた家畜が食肉処理場に運ばれていく様を見守る牧場主のそれに酷似していたが、興奮した人々は気づかなかった。彼らはただ、新しい国家とその指導者を称えていた。




 


 「我が国は大敵に直面しています。我が国が孤立無援なのに対して敵国は3か国、しかもその1つは現在世界最大最強の宇宙軍を保有しています」


 しばらくして熱狂が収まった後、第一司教は淡々とした口調で現状の説明を追加した。惑星ファブニルを奪われた今、地理的環境は『共和国』優位であること。地上軍はともかく宇宙軍戦力では、再建中の『連合』軍は『共和国』軍に及ばないこと。

 旧政府時代なら絶対に語られなかったであろう情報が、最高指導者の口から無造作に流れていく。



 「しかし…」


 第一司教は言葉を繋いだ。相変わらず音楽的に美しい声だが、口調はだんだんと力強いものになっていく。


 「我が国には豊富な耕作地帯、資源地帯、工場地帯、そして何より皆さんが… 我が国を愛し、生命を捧げて下さる皆さんがいます。軍は旧政府時代に比べて格段に精強になり、今も力を蓄えています」


 緑衛隊員たちは大きく頷いた。未だ残存する旧政府領と『共和国』に浸食された領土を除いても、『連合』は世界最大の国家だ。その巨大な国土では新しい軍と艦隊が続々と編成されていることを、彼らは何となくだが知っていた。



 「1600年前、救世教徒は当時の支配階級の暴虐に対して立ち上がりました。彼らには満足な武器も資金も無く、徒手空拳同然で敵に立ち向かわざるを得ませんでした。対する支配階級には天文学的な資産と完全武装の軍隊があり、NBC兵器すら保有していました」


 第一司教の話はそのまま、最初にも話した緑色革命の歴史に移っていく。この広場自体、救世教徒が最初に蜂起した場所として知られており、救世教時代は解放記念広場と呼ばれる聖地になっていた。

 救世教政権崩壊後、広場にあった記念碑や救世教民兵の銅像は撤去されたが、広場そのものは残された。600年の救世教時代の中で、解放記念広場は重大な政府発表が行われる場所として人類の脳裏に焼き付いており、今さら取り壊すことも出来なかったためだ。


 「しかし彼らは果敢に立ち向かいました。何もないところから自らの軍隊を編成し、廃棄物の山から武器を作り出し、荒野を開墾したのです。支配階級の軍隊に殺戮されながらも、皆さんの先達は決して諦めませんでした」


 第一司教の言葉に、緑衛隊員たちは大きく頷いた。旧政府の教科書では残酷で悲惨な暴動として扱われてきた緑色革命だが、新政府では栄光の歴史とされているのだ。


 


 「その結果はどうだったでしょう。何も持たなかった貧しい者たちは全てを持っていた支配階級の軍隊を倒し、奴隷から主人となりました。正義に基づいた不屈の意志が暴君たちを打ち倒し、人々は自らを解放したのです」

 「そうだ!」


 緑衛隊員たちは歓声を上げた。救世教時代、特にその前期は決して自由な時代とは言えず、異教徒の大量虐殺や残酷な異端審問が横行していたが、そんな事実は皆知らないか忘れていた。

 彼らは完全に、救世教徒が常に平民の味方かつ解放者だったという、第一司教のレトリックに誘導されていたのだ。


 同時に彼らは、何故地球という辺鄙な惑星が、緑衛隊出征式の舞台になったのかを理解した。 

 『連合』新政府は形式上、地球時代の救世教政権の後継国家と言うことになっている。新政府をクーデターで作られた何の正当性も無い国と呼ぶ『共和国』に対抗し、逆に自国こそが世界で最も古い国なのだと主張しているのだ。

 その関連性を示すには、確かに地球という星が最適だろう。救世教徒が支配階級を倒し、人類統一国家を作り出したこの星が。




 「当時と違い、私たちには膨大な力があります。精強な軍隊が前線を守り、背後では無数の農地と工場が彼らを支えています。前線の兵士と銃後の労働者たちは、1つの軍隊となって勝ち取った自由と独立を守り抜く覚悟です」


 第一司教の言葉に続いて万雷の拍手が響く。全身が炎に包まれ、周りの仲間たちと溶け合っていくような感覚が、緑衛隊員たちの1人1人を覆い尽くしている。


 そんな中、第一司教だけが彼らに冷静な、冷ややかと言ってもいいような眼差しを注いでいたが、それに気づいた者はいなかった。愛国心と群集心理の混合物が集まった人々の判断力を完全に麻痺させ、第一司教の姿に自分が守るべき国家を投影させている。

 スレイブニルやフルングニルへの緑衛隊投入という行為の本質に気づいていた者たちですら例外ではない。彼らは第一司教の透き通った声に酔い、自らが犠牲となって祖国を守るのだという使命感に酩酊していた。



 「そして忘れてはならないことは、財閥階級の弾圧に苦しむ世界中の人々が解放を待ち望んでいる事です。宇宙の歴史上初めての平民国家として、私たちは彼らの師であり、友でなければなりません」


 最後に第一司教が言及したのは、各国の救世教徒及び平民の自治組織による反政府運動だった。主要産業への平民進出に伴って運動は元々増加傾向にあり、『連合』新政府誕生後はさらなる増加を見せている。

 『連合』新政府は外交の場では他国の反政府運動について何ら意見を表明していないが、国内では運動を好意的に紹介するのが常だった。


 「人類の解放者、緑衛隊に栄光を!」


 最後の言葉に万雷の拍手が鳴り響いた後、緑衛隊員たちは集団ごとに分かれて軌道エレベーター発着場に向かっていく。

 軌道エレベーターに繋がれた宇宙軍基地には、既に輸送船団が停泊しており、地球に集合した緑衛隊員たちを惑星スレイブニル及び惑星フルングニルに送り届けることになっていた。


















 エルシー・サンドフォードは、カーテンから漏れてくる僅かな光を感じ、少し名残惜しさを感じながら目を開いた。穏やかな気分だった。内容はよく覚えていないが、何か良い夢を見ていたのかもしれない。

 

 「雪か」

 

 ベッドから小さく手を伸ばしてカーテンを開いたエルシーは、小さく呟いた。窓の外には重機と看板と貧相な植物だけが目立つ殺風景な景色ではなく、華やかな銀白色の世界が広がっている。昨日から急に気温が下がり始めていたが、とうとう降り出したらしい。

 

 そう言えば、惑星の地上で朝を迎えるのは久しぶりだ。エルシーは唐突にそう思った。惑星オルトロスではいつも艦内で待機していたし、その後は惑星ファブニルの宇宙軍基地に宿泊し、XPA-27のテスト飛行に協力していた。

 そのXPA-27が初の実戦で空中分解を起こした後は、念のため1日軍病院に入院した後で、また宇宙軍基地に戻って開発技術者と面談し、事故について証言する羽目になった。合計すると2か月近く、有人惑星以外の場所で寝起きしていたことになる。

 



 「おはよう。エルシー」

 

 彼女が身動きしたのに気付いたのか、隣で寝ていたアリシア・スミスも大きな翡翠色の目を少し開いて眠そうな口調で言った。肩の辺りまで伸びた紅茶色の髪が寝癖で少し乱れている。

 

 「ごめん。起こしちゃった?」

 「いや、あたしも起きようとしていたとこ。それにしても寒いわね」

 

 アリシアは寒さに少し顔をしかめながらも、寝起きとは思えないほど明るく澄んだ声で答えた。何度聞いても綺麗な声だなと思いながら、エルシーは起き上がり、途端に身震いした。

 アリシアの言うとおり、まるで屋外にいるように気温が低い。エルシーが布団から出ようとすると、隣のアリシアまでが身を震わせた程だ。傍らの携帯型端末の温度計機能で確認すると、室内にも関わらず気温は11度しか無かった。


 「休暇で泊まるなら、もっと暖かい星が良かったな」


 アリシアがいかにも寒そうに布団にくるまりながら言った。偵察巡洋艦オルレアンの乗員は今、惑星ファブニルに急造された官舎にいる。

 この官舎はとにかく狭苦しいうえに化粧室とシャワー室は共用、部屋の備品は照明と電熱式湯沸かし器のみという代物で、はっきり言って軍艦と同じ位の居住性しかなかった。空調が無い所は軍艦以下である。

 

 オルレアンがドック入りしていなければ、乗員の半数以上はそのまま艦内に泊まっていただろう。少なくとも軍艦は、常時空調が効いているからだ。

 しかも本来は1人部屋に2人が詰め込まれている。ファブニルとオルトロスという2つの会戦で大活躍した武勲艦の乗員に対する扱いとは思えない。

 アリシアは10機以上の敵機を撃墜したことを示す銀鷲勲章、エルシーは巡洋艦以上の敵艦撃沈に関わったことを示す白鷹勲章を授与されているとなれば尚更だ。


 ただしこれは別に、エルシーやアリシアに対する嫌がらせでは無いらしい。上官のリーズ・セリエール少尉から聞いた話では、2人が普段目にする上官としては最高位のリコリス准将でさえ、似たような部屋に宿泊しているとのことだ。

 将官でさえその扱いでは、准尉と飛行曹長に過ぎないアリシアとエルシーが空調も無い1人部屋に押し込められるのも仕方ないことだった。




 こんな状況になっているのは開戦後に『共和国』の軍人や工員、技術者が大量に流入したために惑星ファブニルの居住人口が増加したこと、及び電力が足りないからだった。

 工業設備が軍艦の修理を行うために全力で稼働する中、『連合』系のテロリストによって複数の発電所が爆破されたため、電力需要が逼迫していたのだ。その皺寄せが軍人や兵器生産に関わる労働者が宿泊する官舎、及び民間人の住宅にかかり、ファブニルにいる人間の大半が空調無の生活を強いられている。

 

 惑星ファブニルにおける人類の居住場所の大半が、地球で言う温帯程度の気候帯に属していたのは不幸中の幸いといえる。さもなければ熱中症や凍死が続出しただろう。


 「そうね。こんなに寒いと、外に出るのも嫌になるし。救世教開祖とかいう人も、もう少し気候のいい日に生まれれば良かったのにね。言い伝えにあるような季節外れの雪の日じゃなくて」


 それはともかく、エルシーもアリシアに同意した。うろ覚えの知識だが、地球標準時におけるこの日は救世教開祖の誕生日とされ、救世教時代には最大の祝日となっていたらしい。

 救世教政権の崩壊後も祝日の大半はそのまま受け継がれたため、今日は『共和国』の民間人にとっても休日である。

 それに合わせて戦時下にも関わらず(或いは戦時下のガス抜きに)いろいろなイベントがあるらしいが、こんな気温では屋外どころか布団の外にも出たくないというのが正直な所だった。  

 

 何しろ今日は地球の北半球では春らしいが、2人がいる惑星ファブニルの南半球では真冬なのだ。救世教開祖が聖人である証拠の1つとされた時期外れの雪も、このファブニルでは当然の現象である。



「朝は何時から何時だっけ?」

「8時から10時だったと思う。まだ1時間以上あるし、とりあえずココアでも飲みましょう」


 エルシーは時刻を確認するとそう答えた。官舎では一応朝食と夕食が出る。と言ってもレトルト食品と栄養剤のセットで、軍で言うところの標準糧食Bと変わらない。

 惑星ファブニルはそれなりの農業生産力をもつが、内戦の影響で作物の収穫が滞っており、生鮮食料品の値段が高騰しているのだ。そのため金持ちはともかく一般人は、他の惑星から運ばれてくるレトルト食品しか食べられない。もちろん財閥の娘とは名ばかりのエルシーたちも同様だ。

 休暇中くらい軍の糧食とは違うものが食べたいと思っていたので、なかなかショックだった。




 なお昨日売店で買ってきたココアを淹れるために湯を沸かそうとして気づいたが、部屋に備え付けの電熱器は地上軍が野戦調理や水の殺菌処理に使っているものと同じだった。質の悪い電力でも動く代わりに、温度調整は一切できないタイプだ。

 電熱器自体に非は無いのだが、ますます休暇中と言うよりは兵舎に待機しているような気分になったことは否めない。起床と朝の準備体操を命令してくる上官がいない事だけが救いだった。


 (って、アリシアは考えてみれば上官か)


 エルシーは今まで意識していなかったことを急に思い出した。アリシアはエルシーより一階級上の分隊長だから、直属の上官ということになる。普段の言動と、同じ16歳ながらエルシーより幼い感じの容貌のせいでつい忘れてしまうが。



 「あ、ごめん、エルシー。あたしも手伝うわ」


 そのアリシアはエルシーの行動を見て布団から這い出そうとしたが、直後に小さい悲鳴を上げて戻っていった。よほど寒かったらしい。


「准尉殿はお休みになっていて下さい。これは部下の務めですから」


 エルシーはあまりに可愛らしい動きを見て、思わず笑いながらそう言ってしまった。


 「ちょっと、エルシー… あたしに敬語はやめてって言ったよね」


 アリシアは口を尖らせながらも、布団から出てこようとはしなかった。暖かい気候の星で生まれた彼女はエルシー以上の寒がりなのだ。




 エルシーは笑いながら手早くココアを2杯淹れると、彼女の隣に座った。カップはベッドのすぐ横にあるテーブルに置く。


 「ありがとう。さ、寒い! 外は雪かな?」


 ようやく起き上がったアリシアは、なおも布団にくるまったままでエルシーにすり寄ってきた。華奢な腕が躊躇いがちに、エルシーの腕に絡んでくる。気温に対する不満の言葉とは裏腹に、アリシアの横顔はとても幸せそうだ。

 エルシーも体温だけではない暖かさを感じながら、もう一方の手でアリシアの手を握った。


 「うん。降ってるわ」


 エルシーは背後の窓を指差した。そこでは純白の欠片が無数に舞い、不法投棄された廃鉱石の山、軍人や労働者を顧客とする賭場や娼館を示す看板、テロリストに爆破された建物の残骸等を白く包んでいる。天が人間の罪を覆い隠そうとしているような光景だった。

 そう言えば救世教開祖はもともと天使で、地上の罪を浄化するために人間として地上に降り立ったことになっている。

 だからその誕生日には、季節外れの雪が降ったということにされたのかもしれない。雪を眺めながら、エルシーは何となくそんなことを思った。




 「そっか。何か願い事を考えておくんだったな」

 「願い事?」

 「ああ、あたしの生まれた星の習慣でね。なんか救世教徒みたいだけど」


 アリシアは彼女が生まれ育った惑星ムルグッハにおける言い伝えについて教えてくれた。ムルグッハの人類居住地域は亜熱帯に近い気候で、殆ど雪が降らない。

 だからなのか、たまに雪が降った日には、空に向かって願い事をする習慣があるらしい。

 救世教は他の殆どの国と同じく『共和国』でも禁止されているが、それ由来の習慣は各惑星に幾つも残っている。惑星ムルグッハの習慣もその類だろう。


 「じゃあせっかくだから、何かお祈りしてみようかな」

 「そうね。あたしは…」


 アリシアはココアを少し飲んだ後、何かを言おうとして口ごもった。




 「どうかした?」

 「いや、考えてみれば、空とか神様とかに頼むことでもないな。そう思っただけ」


 アリシアは何故か恥ずかしそうな顔で言った。



 「じゃあ、誰に頼みたいの?」

 「…エルシーに」

 「わ、私に、何を?」


 エルシーは意外な言葉に驚いたが、すぐにアリシアの真意に気づいた。思わず微笑んでしまう。


 「だったら、私が先に願い事をするわ。私はアリシアに」


 エルシーは恥ずかしそうに口ごもったままのアリシアにそう言った。2人が何かを願うとすれば、その内容は1つしかなかった。


 「ずっと一緒にいられますように」


 雪景色を眺めながら、エルシーは小さな声でそう言った。隣のアリシアも同じ言葉を発すると、彼女の手を強く握りしめてきた。




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