戦略計画 『日の場合』ー11
「この目で猊下のお姿を見られるとは… 神よ、感謝します」
特に壮年から老境に差し掛かっていた救世教徒たちは、第一司教の姿を見て感激のあまり泣き崩れ始めた。中には信じられないといった様子で、涙の滲む目を何度も擦っている者もいる。第一司教が『連合』に、しかも群衆の面前に現れたことは、彼らにとってそれほどの衝撃だったのだ。
『連合』は数でみても割合でみても世界で最も救世教人口が多い国だが、その最高指導者である第一司教は先代も先々代も、『共和国』に居住していた。
『共和国』は救世教徒の数が少ない分、逆説的だがその活動に対する取り締まりが緩かったし、『共和国』政府は『連合』旧政府との対抗上、『連合』国内の救世教徒を陰で支援する政策を取っていたからだ。
今の状況を考えると嘘のようだが、かつての『共和国』は救世教高位聖職者の安全な避難場所だったのだ。
特に第一司教の地位に就いている人物は、歴史的に見ても『連合』ではなく『共和国』に居住していることが多かった。本人と言うよりは、他の救世教徒の要請によるものである。第一司教及びその候補者を危険に晒してはならない。それが救世教徒にとっての最優先事項の一つだった。
第一司教になるには救世教開祖の血を継いでいなければならないが、この条件に当てはまる人物はごく少なかった。救世教開祖の子孫は元々数が少なかったし、『大内戦』の時に大半が死亡したからだ。
加えて『連合』旧政府は、救世教根絶のために救世教開祖の子孫たちを血眼で探していた。最高指導者になりうる人間を皆殺しにしてしまえば、救世教は求心力を失って自壊する。『連合』旧政府はそう考えていたのだ。
救世教徒としては、『連合』旧政府の思惑を封じるために、第一司教とその候補者を外国に亡命させるしか手が無かった。
このような理由で歴代の第一司教たちは『連合』国外にいることが多かったのだが、救世教徒たちは内心釈然としていない者が多かった。幾らその身を守るためとはいえ最高指導者を外国に取られたような気分だったし、単純に第一司教の姿を見られないことを残念がっている者も同じくらい存在した。
何しろ『連合』国内の救世教徒はこの数十年というもの、『共和国』の黙認を得て行われていた海賊放送や、密輸されてくる情報チップに映る映像でしか、自らの最高指導者の姿を見ることが出来ずにいたのだ。
特に救世教徒のうち老境に差し掛かった者たちは、死ぬ前に第一司教が『連合』の地を踏むところを見てみたいと悲願していた。
その第一司教が『連合』に帰還し、しかも自分たちの目の前にいる。壮年以上の救世教徒たちはその奇跡に感動し、心の奥から湧き上がる強烈な感情に打ちのめされていた。
彼らにとって第一司教は単なる救世教開祖の血を継いだ人間というに留まらず、ついに神の意志が実現され、正義が達成されつつあることの象徴でもあったのだ。
なお広場に集まっている者たちの中には、救世教徒では無いが新政府支持という人々もかなりの割合で混ざっていた。単純に平民の解放というスローガンに惹かれた者、新政府の統治下のほうが自らと家族の経済状況が改善しそうだと期待している者、そして最も多いのは『共和国』による侵略に対抗しなければという義務感に駆られている者だ。
『連合』新政府は怪しげな連中かもしれないが、外国に支配されたり外国の傀儡政権を押し付けられるよりはましなはずだと、彼らは信じていた。
そうした人々が集まって作られたのが緑衛隊と呼ばれる武装集団であり、現在広場に集まっているのはその代表者たちである。正規軍に比べて装備は悪いが数は多く、士気は旺盛だ。
彼らは集会終了後、その足で『共和国』の侵攻が迫る惑星スレイブニル、及び惑星フルングニルに送られることになっていた。
なおもちろん、緑衛隊員は現在広場に集まっている人々だけではない。現在『連合』新政府は緑衛隊への入隊者を大量に募集しており、全国から億単位の志願者が集まっているのだ。
身体虚弱者や産業で必要な熟練労働者は弾かれているが、それでも最終的な人数は1億人を超えると予想されている。その中で元々人口の少ない太陽系からの志願者などは、緑衛隊全体から見れば氷山の一角に過ぎなかった。
にも関わらず緑衛隊出征の壮行会が地球で行われているのは何故だろう。緑衛隊員の中にはそう疑問に思っている者たちもいた。地球が人類発祥の地で、同時に救世教発祥の地でもあるからだろうか。
彼らは答えを求めるように台の上を見たが、もちろん答えが返ってくることは無かった。第一司教は自らの姿を見て泣き崩れたり歓声を上げたりしている緑衛隊員たちを見ながら、完璧に整った白い顔に微かな笑みを浮かべているだけだ。
その笑みは慈母の暖かさと、死刑執行人の冷徹さを同時に含んでいる。どちらが彼女の本質なのかを理解できる者は、緑衛隊員たちの中には存在しなかった。いやおそらく、彼女自身にも分からないだろう。
第一司教はしばらく緑衛隊員たちに向かって手を振った後、そのまま出征者への激励演説を開始した。 旧政府では正規軍ならともかく民兵部隊に最高指導者が言葉を贈るなどあり得なかったが、第一司教は多忙の中、この集会に時間を割いたのだ。
或いは贖罪のつもりなのかもしれない。緑衛隊員の中に僅かに混じっていた皮肉屋はそう考えた。緑衛隊の投入が、実に冷徹な論理に基づいたものであることは、傍から見れば明白だったからだ。
碌に武器も持っていない人間を大量に投入し、人命と引き換えに時間を稼ぐ。広場に集まった緑衛隊員たちのばらばらな装備を見れば、その意図は丸わかりだった。
隊員だけは大量に集まっている緑衛隊だが、装備のほうはそうではない。内戦中、撤退する旧政府軍が武器庫を爆破していったためだ。
現在各軍需工場は急ピッチで兵器生産を進めているが、需要は満たされていない。失った装備が多すぎることと、産業再編計画に伴う一時的な生産力低下が原因である。
その足りない装備は殆どが正規軍に支給され、緑衛隊には申し訳程度にしか回されていない。志願者は武器を自弁することが推奨され、火炎瓶や改造銃までが制式装備として採用されている有様だった。
当然武器が無ければ訓練も出来ないので、皆素人同然である。例外として救世教の民兵組織である信仰防衛隊出身者だけはそれなりの戦闘技能を持っているが、信仰防衛隊は主に新しく新政府統治下に入った惑星の治安維持を担当している。
今この場にいるのは、せいぜい狩猟経験があるだけの人間の集団だった。中には生まれて初めて銃を触る人間もいる。
士気は高いので1年かければそこそこの民兵部隊に仕上がるかもしれないが、現時点における緑衛隊は軍隊どころか、準軍事組織とも言い難いような集団に過ぎなかった。
そんな集団を、『共和国』地上軍の戦車や装甲歩兵の矢面に立たせるのだ。彼らに期待されている役割が、貴重な正規軍の盾兼時間稼ぎのための捨て石であることは明らかだった。
この集会はだから、壮行会であると同時に十中八九は帰ってこないであろう隊員たちの生前葬でもある。
それに気づいた者たちは、喜びに沸く周囲を見ながら、複雑な表情を浮かべていた。自分がこれから地球の土を踏んだり、最高指導者の声を聴くことは二度とないと分かっていたからだ。
こうして9割強は熱狂、1割弱は諦観の表情を浮かべている緑衛隊員たちを見下ろしながら、壇上の第一司教は激励演説を開始した。
「皆さん、私は今日ここで皆さんの姿を見ることが出来ることを誇らしく思います。1600年前にも、皆さんの先達は同じように圧制者に対して立ち上がり、暴虐から人類を解放しました」
極地の氷塊のように美しく澄んだ声が、スピーカーで増幅されて広場全体に拡散されていく。その内容に、緑衛隊員たちたちは更なる歓声を送った。
第一司教が述べているのは、おおよそ1600年前に起きた緑色革命の歴史だった。開祖が処刑された後も勢力を伸ばし続けていた救世教徒は、ある時ついに体制に反旗を翻した。きっかけは食糧不足だったとも、スラム街の浄化作戦で合計数千人が警察に殺害された事件だったとも言われている。
いずれにせよ、弾圧に苦しんでいた救世教徒たちは一斉に緑旗を掲げ、思い思いの武器を持って警察署や政府庁舎、富裕階級の集まる別荘地などを襲撃した。
最初は一過性のものと思われていた反乱だが、鎮圧を命じられた貧困層出身の兵士たちが救世教徒に加勢したことで規模は拡大し、最終的には全世界を巻き込む内戦となった。
当時の世界は過剰人口によって階級間、民族間の対立が高まっており、救世教徒の反乱は爆発を引き起こすための最後の一押しとなったのだ。
その後結局10年間に渡った内戦ではNBC兵器の無差別使用、農地と食糧供給システムを破壊する飢餓作戦等が当然のように行われ、30億人から60億人の死者を出すことになる。体制側も反乱側も相手を害虫同然の存在と見做しており、どんな手段を使っても構わないと思っていたのだ。
この人類史上最も悲惨な内戦は、最終的にマンパワーで勝る救世教側の勝利に終わり、人類世界は救世教の下で一つに統一された。600年間に渡った救世教時代の始まりである。
「今私たちは、危機に直面しています。貪欲な敵国が旧政府と手を組み、私たちを再び財閥階級の鎖に繋ぎ、国家保安隊の鞭の下に隷属させようとしているのです」
過去の話を終えた第一司教は、一転して現在の状況に話を移した。『連合』新政府は旧政府と異なり、国民に自国が現在置かれている状況を比較的正確に伝えている。
別に正直という美徳に目覚めたわけではなく、国家に危機が迫っていることを伝えたほうが政府への支持が集まりやすいという政策的な理由である。また政府が情報を隠しすぎると、過度に悲観的なデマが流れやすいという経験論もあった。
アリシアの姿を見たエルシーは反射的に彼女の所へ駆け寄ろうとしたが、急に体が動かなくなった。後ろにいたリコリスとリーズに肩を掴まれたのだ。
「離して!」
エルシーはその手を振りほどこうと暴れながら叫んだ。2人の階級が自分より上で、特に将官のリコリスは雲の上の存在であることはこの瞬間完全に頭から抜け落ちている。
エルシーの頭の中を支配しているのは、すぐにアリシアのもとに行かなければという思いだけだった。
「落ち着いて。まだアリシア准尉の検査は終わっていないわ」
「…え、検査?」
数秒後、正気に戻って座り込んだエルシーに、リーズが諭すように現在の状況を説明してくれた。
エルシーは再度、室内の状況を確認した。さっきはアリシアしか見えていなかったが、彼女が寝かされているベッドの周囲には白衣を着た人物が数人いる。
彼らはアリシアの小さな体をベッドごと、電子音とモーターの稼働音を撒き散らしている巨大な機械の中に入れた。
「アリシア准尉も貴方と同じように、カプセルで脱出したわ。それで今、骨折や臓器の損傷がないかを検査中」
リコリスが話を引き継いだ。彼女によると、アリシアは故障した乗機が撃墜された後カプセルで射出され、宇宙空間に漂っているところを、エルシーより少し後に近くの『共和国』軍艦によって回収されたという。
気絶しているだけで取りあえず外傷は無さそうに見えたが、体の内部の傷については見ただけでは分からない。だから軍病院の検査機器で、骨折や臓器の損傷、大規模な内出血などが無いかを調べてもらっているということらしい。
「検査は20分くらいで終わるわ。その後は貴方と同じ病室に入ることになっているから」
「は、はい。あの、お気遣いありがとうございます」
エルシーは慌てて礼を言った。惑星ファブニルの軍病院には合計すれば何万という数の部屋があるはずだ。違うタイミングで運ばれてきた2人が同じ部屋に入れられる可能性は天文学的に低いし、同じ病棟に入れられる可能性すらかなり低い。
それなのにアリシアとエルシーが同じ部屋に入ることになった理由は1つしか考えられない。リコリスがそうするよう頼んでくれたのだろう。
尉官のリーズあたりでは軍病院の担当者と会うことすら出来ないが、将官のリコリスになら可能だ。公的な決まりは無いが、白金バッジと呼ばれる将官の階級章にはそれだけの力がある。
リーズによれば「他人と話をすること自体が嫌い」なリコリスが、2人のために面倒な交渉を行ってくれたのだ。エルシーとしてはただ感謝するだけだった。
対するリコリスは特に何も言わずそっぽを向いた。礼は要らないと言いたいのだろう。この辺り、リコリスはアリシアと少し似ている。エルシーは何となくそう思った。
アリシアも基本的に親切な人間だが、礼を言うと照れたように横を向くことが多い。
「検査結果が出るまで待ちましょう。私たちは検査室の中にまでは入れないから」
微妙な沈黙を破るようにリーズがそう言った。関係ない人間が検査室の中に入ったのでは、検査を行っている医師たちの邪魔になる。検査が終わるまでは、病室で待機しておいた方がいいと言う。
「分かりました」
我に返ったエルシーはドアを閉めた。もう一度アリシアの姿を見ておきたかったが、現在彼女の全身は巨大な機械に収容されていた。
「アリシアは…助かるんですよね」
廊下を歩きながらエルシーはリコリスに質問した。考えてみれば医学の専門家でも何でもないリコリスに聞いても意味はないが、とにかく誰かに聞きたかったのだ。
「ええ、多分大した異常は見つからないと思うわ。同じような状況で射出された貴方も無事だったし」
リコリスが少し戸惑ったように答える。続いてリーズも同じようなことを言った。発見された時アリシアは正常に呼吸していたし、カプセルの衝撃緩和装置と生命維持装置は設計通りに機能していたことが確認されている。
だから、アリシアが脱出に際して何らかの重大な傷を受けた可能性は低い。2人はそう説明してくれた。
「そ、そうか。…そうですよね」
エルシーは何とか言葉を返した。自分の声が無意識に震えているのを感じる。余計な質問をしてしまったことでまた恐ろしくなったのだ。アリシアが自分の目の前から永遠に消えてしまうかもしれないということが。目頭が熱くなり、頬に滴が流れるのを感じた。
それを見たリーズが無言でハンカチを差し出してくれた。エルシーは受け取ると、廊下に座り込んだ。アリシアの表情と声の1つ1つが、不安と安堵が交代して湧き出す思考の中で自動再生される。
「そんなに心配しないで! アリシア准尉はきっと大丈夫だから」
リコリスが慌てたように言った。エルシーが普段見るリコリス、自信に満ちた表情で命令を下す常勝の英雄とは全く違った口調と態度だ。
しかしいつも彼女の傍についているリーズが前に聞かせてくれたところによると、本来リコリスはこういう人らしい。
「は、はい。すいません!」
「別に謝ることはないわ。大切な人のことが心配になるのは当然だし」
自分が上官2人の手を煩わせていることに気づき、反射的に謝罪の言葉を述べたエルシーに対し、リコリスは優しく答えてくれた。或いは彼女自身も似たような経験があるのかもしれない。
「ただ、アリシア准尉が目を覚ました時は、笑顔で迎えてあげなさい。その方が喜ぶと思うから」
「はい!」
エルシーは今度は力を込めて答えた。リコリスの言うとおりだ。徒に心配しても仕方がない。
エルシーに出来るのはアリシアが目を覚ますと信じ、きっと目を覚ました瞬間取り乱すであろう彼女を安心させてあげることだった。




