戦略計画 『日の場合』-10
いやそんなことより、エルシーには何よりも聞きたいことがあった。
「アリシアは、アリシアは大丈夫ですか!?」
エルシーはそう叫ぼうとして途中で咳き込んだ。口の中が乾ききっていたらしい。
「少し落ち着いて」
それを見たリーズが、ジュースの入ったボトルを差し出してくれた。震える手で蓋を開けて一口飲むと、エルシーは同じ質問を繰り返した。
「アリシア准尉なら他の部屋にいるわ。とにかく落ち着きなさい」
リコリスが宥めるように言った。軍人よりモデルか女優になった方がいいのでは無いかと思われるほどに整った白い顔には、心配と労りが等分に混ざったような表情が浮かんでいる。
プロパガンダでは英雄だの軍神だのと呼ばれている人物だが、本質的には優しい人なのかもしれない。エルシーは訳もなくそう思った。
「えっと、まず私はどうしてここに?」
落ち着けと言われて落ち着けるものでもないと思ったが、取りあえずエルシーはそう質問した。
一番新しい記憶では、自分はXPA-27に乗って敵新鋭機と戦っていたはずなのだが、何故この部屋、おそらくは病室と思われる場所に寝かされているのだろう。
「ああ、緊急脱出装置が作動したのよ。それでカプセルが宇宙を漂っている所を味方の艦に回収されて、貴方はファブニルの軍病院に運ばれたと言うわけ」
リコリスが説明してくれたところによると、XPA-27には事故が起きた時に試作機の飛行データとテストパイロットを回収するための緊急脱出装置が設けられていた。
機体に一定以上の負荷がかかると、コクピットとメインコンピューターを含むカプセルが本体から切り離されて射出されるようになっていたのだ。
この緊急脱出装置は航空機パイロットの消耗を少しでも軽減するために、PA-25の改良型であるPA-25DやPA-27量産型にも取り付けられる予定だが、XPA-27には一足早く装備されていたのだ。
そしてエルシー機が急旋回に失敗してスピンに入った瞬間にその緊急脱出装置が作動、エルシーはコクピットごと機外に放り出された。その衝撃で気絶していたところを、カプセルの射出後に自動で流れ出す救難信号を探知した味方艦に拾われたということらしい。
「一応、検査はしてみたけど、脱出が原因の目立った傷は無かったみたい。兵器開発部もたまにはいい仕事をするものね」
リコリスはそう付け加えた。『共和国』国防局宇宙軍兵器開発部が作り出す数々の兵器群は、当たり外れが大きいことで有名である。その中でどちらかと言えば、「外れ」に属する兵器ばかりを使わされてきたという彼女らしい感想と言えるだろう。
「そ、それで、アリシアはどこですか!?」
ここがどこであるかと自分が空中分解したはずの機体から生還した理由を把握すると、エルシーは本題に戻った。アリシアは、エルシーの大切なパートナーは、今どこにいるのだろう。
「ああ、上の部屋にいるわ」
リコリスとリーズは、2階上の病室にエルシーを案内してくれた。
「あ、アリシア!」
リコリスが病室の扉を開けた瞬間、思わずエルシーは叫んだ。扉の向こうにあったのはエルシーが寝かされていた個室とは打って変わった巨大な部屋で、用途のよく分からない機械類が大量に置かれている。
そして部屋の片隅に置かれたベッドに、1人の少女が寝かされていた。肩まで伸びた紅茶色の髪、年齢よりやや幼い印象の顔立ち、財閥出身者にしては小柄だが均整の取れた体つき。間違えようもない。アリシアだ。
「流石に、大きいな」
『共和国』宇宙軍第1艦隊群司令官のディートハルト・ベルツ大将は、目の前にあるものを見て何の芸もないがそれ故に率直な感想を発した。
クロノス級戦艦を最初に見た時も山のような巨艦だと思ったものだが、そんなものではない。力強さという凡庸な概念を超えた神秘的な何かさえ、目の前の艦は内包しているように見えた。
「これは…凄い」
同じく進宙式に参加していた第2艦隊群司令官のレナト・モンタルバン大将の方は、ベルツよりさらに熱心な、殆ど恍惚とした目つきで「それ」を眺めていた。
彼は『共和国』宇宙軍においてはやや少数派の砲術の専門家であり、戦艦部隊に対する愛情が強い。目の前の巨艦が、その戦艦部隊の力を極限まで高めてくれることを期待しているのだろう。
「まだ船体が完成しただけです。艤装はこれからですし、あの大きさでは乗員の訓練も長くかかります。少なくとも、今回の作戦には間に合わないと見ていいかと」
対して、その熱を冷ますような言葉を口にする人物もいた。第1艦隊群首席参謀のノーマン・コリンズ少将である。
「確かにそうだが、やはり心強い。『連合』のドニエプル級に対抗できる戦艦を、わが軍が手に入れつつあるというのはな」
しかし彼の冷徹な言葉をもってしても、モンタルバン大将の興奮を抑えることは出来なかったようだ。艦隊群司令官の重責にある者としては珍しく、子供のようにはしゃいでいる。
まあモンタルバンの心情はベルツにも理解できた。全長1300mを超える巨大戦艦の姿には、理屈を超えた力があったのだ。何も取り付けられていない裸の状態で存在するだけで、目の前の艦は圧倒的な威圧感を放っている。
そこに武装が取り付けられれば、『共和国』にとっては守護神、他国にとっては破壊神と呼ぶに相応しい威容を呈するだろう。
この艦の名は、ウルスラグナと言う。『共和国』宇宙軍の最新鋭戦艦ウルスラグナ級の1番艦である。ファブニル星域会戦の戦訓による設計変更が行われたことから工期の長期化が危惧されていたが、何とか船体の完成には漕ぎ付けていた。
もっとも主砲や外部装甲板の取り付けなど、設計変更の結果が本格的に影響を及ぼす工事が始まるのはこれからだ。だからコリンズの言うとおり、もうすぐ始まる惑星スレイブニルへの侵攻に投入することは絶対に不可能だ。次に予定されているフルングニルへの侵攻にも、おそらくは間に合わないだろう。
「順調に行けばリントヴルムかな。その時初めて、ウルスラグナ級はベールを脱ぐことになる」
ベルツはコリンズとモンタルバンの両方の意見を汲むように言った。『連合』領全面侵攻作戦では、最終目標を『連合』の旧首都惑星リントヴルムに置いている。
同惑星は700年に渡って『連合』の中心地だっただけでなく、地理的にも同国の心臓と言っていいからだ。そのリントヴルムへの侵攻は、作戦が計画通りに進めばウルスラグナの就役時期と同じころになるはずだった。
「リントヴルム軌道上にウルスラグナ級が姿を見せた時、我が国は『連合』に代わる超大国となる」
ベルツは全員に宣言するように言った。『連合』領侵攻作戦が成功すれば、『共和国』は何者にも脅かされることのない超大国として、人類世界に君臨することになる。
それが『共和国』が生み出した世界最強の戦艦によって成し遂げられることには、更なる象徴的な意味があった。相手の『連合』は長年に渡って世界最強の戦艦部隊を保有していた国であり、莫大な戦闘力を秘めた巨艦の群れこそが、超大国としての同国の象徴だったためだ。
新鋭戦艦を先頭にした『共和国』宇宙軍が『連合』宇宙軍を蹴散らし、人類世界の中心地たるリントヴルムを占領した時、世界は新たな超大国の存在を知ることになるだろう。
(だがまずはスレイブニルだ。目の前の作戦を成功させ続けて初めて、壮大な目標は達成できる)
続いてベルツは自分がやや浮かれていたことに気づき、意識して気分を引き締めた。これから始まるのは『共和国』軍史に前例のない大侵攻作戦だ。
しかも相手は世界第2位、潜在的には世界第1位の宇宙軍戦力を保有する超大国。これからの戦闘は容易ならぬものとなるだろう。始まる前から成功を予感するのは、兵卒ならともかく将官が取るべき態度では無かった。
壮大なセレモニーの後、ウルスラグナの巨体は艤装を担当する工廠に曳航されていく。その雄姿がリントヴルム軌道上に現れる日を、ベルツは尚も幻視していた。
地球、それは人類の故郷であり、第一次宇宙移民船団が出発していった星でもある。今ではもはや使われていないが、その軌道上には巨大な多世代宇宙船を建造するための設備が残されており、陽光に照らされて鈍い輝きを放っている。
さらにそのやや外側の軌道には月や火星、小惑星帯から採取された鉱物の精錬設備が所狭しと並んでおり、この星がかつて全長数㎞の巨船多数を星系外に送り出した過去を偲ばせた。
ただ、現在の地球はどちらかと言えば閑散としていた。その戸籍人口は約2億人で、『連合』首都惑星リントヴルムの1割以下である。
リントヴルムには大量のスラム街と地図にも載っていない寒村が存在し、戸籍に載っていない人間が億単位、もしかしたら10億単位で存在することを考えれば、差はさらに広がるだろう。
純粋に人口と産業規模からみれば、地球は『連合』の数ある有人惑星の1つに過ぎなかった。
このような状況になっているのは、まず『連合』における現在の産業及び交通の中心がリントヴルムに移動していることにある。
地球は『連合』の2つの主要地域のうち1つの中心に過ぎず、その中でも政治的な役割を果たしているに過ぎない。もっと効率の良い工業惑星、鉱山惑星、航路が発見された今、地球は産業活動においては辺境に近かった。
もう1つの理由として、地球は保護惑星に指定され、人口の流入が政策的に抑制されているという事実がある。地球への移住には特別許可が必要で、しかも建築を行っていい場所は予め指定されているのだ。
地球に残存する遺伝資源の保護という目的もあるが、別の理由のほうが大きい。有人惑星の環境が人間によって破壊された場合、復旧にどれ程の時間がかかるかのモデルケースとして、地球は注目されているのだ。
かつての地球は過剰人口によって自然破壊と資源の枯渇が進んでいた上、救世教徒が起こした緑色革命、その後の反革命によって徹底的な破壊を蒙った。救世教徒に政権を奪われそうになった各国政府があらゆる兵器を使用し、その救世教徒も自分が権力を失いそうになると同じことをしたからだ。
産業活動による環境汚染に内戦で無差別使用されたNBC兵器の被害が重なった結果、以前人間が住んでいた土地の2割以上が居住不能となっていた時代もある。これらの戦乱が起きた根本的原因が、人口に対する居住可能地や資源の不足なのだから本末転倒とも言えるが、とにかく事実としてはそうだった。
また地球の人口収容力低下は、救世教時代後期における宇宙開発への集中的な投資という結果をもたらした。救世教時代後期の地球人口は30億人から40億人で、かつての最大値の半分以下だったが、その程度の人口ですら、乱開発と戦争で破壊された地球は支えきれなくなりつつあったのだ。
全人類の庇護者を自負する救世教政権は、問題に対処するため月や火星の開発、及び多世代宇宙船の建造計画に全力を傾けた。その過程で後にいうところの財閥階級の台頭と、救世教政権の崩壊が発生するのだが、それはまた別の物語である。
それはともかく宇宙移民によって地球にかかる人口圧は低下し、現在の地球環境は緩やかな回復を続けている。歴史が古い分各惑星の環境汚染が進み、また他国と違って戦争におけるNBC兵器の使用を放棄していない『連合』では、人類の活動による最悪の被害を受けたこの星を環境問題に関する大規模な試験場としていた。
『連合』の科学者たちは伐採されたり焼き払われた森林の回復速度、それに工業跡地や元戦場の重金属やNBC兵器の残渣が無害化されるまでにかかる時間を観測し、他の惑星の開発及び戦火で破壊された地域の復旧計画の参考としているのだ。
地球は人類を生み出して宇宙に送り出した後、人類の愚行の結果を観察するためのサンプルという新たな役割を果たしているのだった。
だから今、地球で起きている事態は異例だった。普段は科学者と彼らのための物資を生産する業者ばかりが目立つ星の広場に、軍服もしくは軍服風の服を着た武装集団が勢ぞろいしている。
彼らは緑色の地に真紅の模様が入った救世教旗を掲げており、直立不動の姿勢で広場の中心にある巨大な台を見つめていた。
なお彼らの装備ははっきり言ってばらばらだった。最も装備のいい者たちは、正規軍と同じ戦闘服を着込んで、『連合』地上軍の制式小銃を携帯している。
対して最もみずぼらしい者たちは、正面に緑の小旗を縫い付けた作業着に、どこかの工場で密造されたらしい単発銃を持っているだけだ。
2つの極端の中間に位置する者たちは、正規の工場で作られたものではないが一応軍服風に見える服に市販の防弾ジャケットを羽織り、大型動物の狩猟に使われるライフルを持っていた。
またばらばらなのは年齢もそうだった。広場に出そろった顔の中には10台半ばと思われる少年もいれば、60歳以上の老人もいる。さらには女性の姿も散見され、軍隊と言うよりも『連合』で武器を扱える人間の見本市といった様相を呈していた。
だが彼らには、武器を持っていること以外にもう1つの共通点が存在した。その表情に刻まれた固い決意と、台の上に現れた人物に対して注がれる篤い敬愛の念である。
実際彼女が現れた瞬間に広場全体は大きくどよめき、中には感激のあまり失神した者さえいた。神の地上における影、人類の解放者と呼ばれる人物に対する彼らの感情は、尊敬や畏敬を超えて崇拝の域に達していた。
台に上がった人物、救世教第一司教は紅い双眸で広場を一瞥すると、集合した人々に向かって手を振った。広場の熱気がさらに拡大し、殆ど物理的な力を以て人々を支配していく。
第一司教は救世教聖職者の正装である白いローブを着込み、銀白色の髪を同じく白いスカーフで覆っていた。さらに白い日傘を差した姿は、一見宗教的、政治的な指導者と言うよりも政略結婚のために用意された財閥の令嬢にも見える。
ローブ越しでも分かるほっそりとした体の線と、ローブと溶け合うような白い肌も、深窓の令嬢という印象を強めていた。
だがそれは外見だけだった。何万人という人間の視線を注がれながらも全く物怖じしない態度。神その人が設計したのではないかと疑われるほどに美しい顔に浮かぶ自信に満ちた表情。優雅だが同時に威厳に満ちた所作。それら全てが、この人物が血筋と美貌だけが取り柄の美しい人形では無いことを示している。
第一司教が若すぎることを内心で不安に思っていた者たちすら、その姿を見た瞬間に平伏した。年齢など問題ではない。彼女が長い間、敵国の『共和国』で暮らしていたことさえ、問題とするに足りない。
目の前にいるこの人物こそが自分たちが仰ぐべき指導者だと、彼らは直感的に感じたのだ。




